呼ばれた理由
「あのさ、悪いけど、もう一回言ってくれないか?」
聞き間違いだろうか? 今、この神と名乗る少女は、とてもおかしなことを言ったように聞こえた。いや、おそらく聞き間違いだろう。そうに違いない。違わないと困る。
俺の聞き返しに対して、月神はきょとんとしている。
「え、まさか聞こえなかったの? アルビテルに、つまり、ウォルタスさんの旅に同行してほしいと言ったんだよ」
おかしい。聞き間違いが、聞き間違いにならない。
「は……ははは。耳がおかしくなったのかな? シフォンと一緒に、旅しろって言われてる気がするんだけど」
「いや、月神様はちゃんとそう言ってるよ……?」
突然笑い出した俺が不気味だったのだろう。シフォンが若干引きながらも、心配そうにしている。
しかし、心配するなら、聞き間違いであるはずの言葉を肯定しないでもらいたい。
「はっはっは。冗談きついぞシフォン。ただの大学生に、この世界を旅しろだと? 魔術とか使えないのに? 魔獣と戦うとか無理なのに? 無茶に決まってるじゃないか。ははは、あはははは……ふう」
乾いた笑い声をひとしきりあげた後、ゆっくりと深呼吸をする。
ひとまず冷静になろう。
そう、冷静にである。
さあ、冷静に――なれるわけなかろうが。
怒りに任せて、月神を睨みつける。
「この世界を旅しろと?」
「うん」
「なぜ?」
「シフォンと同様、君の視点――全く新しい視点から、この世界の間違いを見つけてほしいんだ」
「へえ……まさか、その旅が終わるまで、俺は帰れないと?」
「うん。帰さないよ」
なるほど――冗談じゃない。
「ふっざけんな! それなら俺は、いったい、いつ帰れるんだよ!」
俺は法則も常識も異なるこの世界に、詐欺同然で連れてこられた。さらに、召喚に失敗したとはいえ、魔獣の出る山の中に置き去りにされた。
これだけでも腸が煮えくり返っているというのに、その上、この見知らぬ世界を旅しろという。それも恐らく、世界中をだ。数か月、下手したら数年かかるかもしれない。しかも、それが終わるまで帰さないという。無茶苦茶にも程がある。
しかし月神は俺の怒りを気にする様子はなかった。それどころか、
「そうだね……今のこの世界は、君のいた地球より全然狭いから。早ければ、1年で終わるんじゃないかな?」
と言い放った。
「1年でって……」
世界中を旅して、たった1年で終わるというのは驚きだ。しかし、されど1年。どうあがいても、大学留年は確定だ。
「……ふざけんな。騙して連れてきて、その上1年間旅しろと? やってられるか。さっきも言ったが、さっさと俺を元の世界に戻せ」
「拒否する気持ちは分かるけど、今すぐ君を帰すのは難しいよ。というか、無理かな」
と、彼女は困った顔をして、言葉をつづけた。
「君をこの世界に召喚するだけでも、莫大な”オド”を消費した。そしてそれは、君を向こうに帰すときも同じ。君を帰せる程の”オド”が貯まるのも、ちょうど1年後くらいなんだよね」
「……は?」
月神の言葉に呆然とする。
つまり、俺はいくら月神の要求を拒否したところで、最低1年はこの世界で過ごさなければいけないということか。
この世界で無事に1年過ごせる自信など無い。たとえ無事に元の世界に帰っても、留年生となり、友人先輩後輩から生暖かい目で見守られる悲しい学生生活が待っている――。
「あ。言い忘れてたけど、1年、いや、それ以上の時間がかかっても、旅が終われば元の時間に返してあげるよ。身体年齢の調整もしてあげる。つまり、ちゃんと元の生活に戻れるから安心してよ」
その意外な言葉に、うつむいていた顔を上げる。
「それ、本当か?」
「神を名乗るんだから、それくらいできるよ。どう? コンビニの前で言ったように、ある程度の旅費も負担してあげる。そして旅行期間がいくら長くても、元の生活に支障はない。格別の好条件じゃないかな?」
シフォンが「コンビニって何?」とつぶやいているが、それは今は放っておこう。
月神の言う条件は、"旅行"としては破格の条件だ。金銭的負担も、時間の制約すらない、まさに夢のような条件。そもそも、帰れない時点で、採れる選択肢はアルビテル――シフォンと共に旅に出るか、もしくは出ないかの、いずれかのみ。
そして、俺をアルビテルに参加させたい月神が、旅を拒んだ場合、生活を保障するとは思えない。下手をすれば、神に背く異端者として扱われかねない。
つまり、初めから選択肢は一つしかない。――だが。
「……しばらく、返事を待ってもらえないか。色々と整理したい」
どうやらこの返事は予想外だったらしい。月神は明らかに驚いていた。
「嘘でしょ。まだ悩むの?」
「魔術や魔獣の存在する異世界でいきなり旅しろって言われても、いきなり決心はつかないな」
他にもいくつか、理由はあるが。
「そう? むしろ、その要素は、旅をする動機になりそうだと思ったんだけどね……。異世界転生ってジャンル、君のいた世界では最近結構流行ってたじゃないか」
「実際当事者になって喜ぶのは、人間関係四面楚歌のぼっちか、お先真っ暗のニートくらいだろうな」
俺はあの世界の人間関係に満足している。魔術といった未知のものに興味がないわけではない。だが、全てを捨ててこちらで暮らす理由などない。
「まあ……確かにそうだね。それに、君魔獣に襲われかけたんだっけ。でもさ、君の世界には、銃器類を持つことが当たり前の国や、猛獣が闊歩する国だってあるじゃないか。それが、魔術や魔獣に代わっただけだと思うけど……まあいいや。いい返事がもらえることを期待するよ。その時はよろしく頼むよ、ラクマニン司教」
月神に尋ねられると、司教は「仰せのままに」と答える。
神様とはいえ、白いワンピースを着た少女に、ローブを着たダンディな司教がこのような言葉を使っているのは、中々滑稽だ。もしも部外者であれば、確実に吹き出していた。
これで一応話はまとまったのだろう。だが、俺は一つ、重要なことを聞き忘れていた。
「月神。なんで俺を選んだ?」
俺は社会制度に精通しているわけでもなく、一からロボットを組み立てられるほど、技術を習得している訳でもない。
この世界の間違い――どんな問題があるのかは知らないが、それらを、ただ見つけ出すだけでも、もっと適性のある人がいたはずだ。
だが月神の返答は拍子抜けするものだった。
「君である必要? 君にも適性があったからだよ。特に、この世界に招く上での、ね。でも、一番の理由は、やっぱり、君が旅行をしたいって言ったから、だよね。絶対に君でなければいけなかった理由は、特にないよ」
「……ああ、そうですか」
やはりお祓いは必要なようだ。神社のお祓いは、異教の神も払ってくれるのだろうか。
「……そういえば、俺とシフォンが山の中であったのは、偶然か?」
1つで済ますつもりだったが、急に気になったので聞いてみる。
シフォンはアルビテルという使命を背負っていた。そして、この世界に飛ばされた俺は、山の中を歩いていて、偶然行き倒れているシフォンを見つけた。月神は元々、俺をこの聖堂に召喚するつもりだったと言った。だが、逆にそれが失敗した結果、俺はシフォンと出会っている。
本当に、これは偶然なのだろうか。まるで意図しか感じない。
けれど、月神はそんな疑惑をよそに即答した。
「うん。偶然」
「……本当か?」
「本当だよ。でも、おかげで助かった。シフォンさんが君と出会わなければ――魔力切れで体力が無いままだったら、魔獣に襲われて命がなかっただろうからね。逆も同じ。君がシフォンさんと出会わなければ、生きていなかっただろうね。件の魔獣に食べられて。改めて君に、お礼を言うよ。ありがとう」
「ああ……どういたしまして」
事実は小説より奇なりとは、このことか。
「今日のお話はここまでにしておこうか。君の決心がつかないと、話が進まないしね。……説得とか、よろしく頼むよ、ラクマニン司教」
対して司教は「仰せのままに」と答える。
神様とはいえ姿は幼女。そんな相手に、ダンディな司教がこのような敬語を使っているのは、中々滑稽だった。
「じゃあ、またそのうち」
そう言うと、月神は再び蒼い魔法陣を展開して、どこかに消えた。
「……終わり方が唐突過ぎないか?」
「……うん。私もそう思う」
思わず漏らした感想に、シフォンが同意した。
あまりに唐突過ぎて、話が終わった実感がない。あの少女、マイペースすぎないだろうか。それとも、その性格は神故なのか。
沈黙が聖堂内に訪れる。
謝罪をし、許されたとしても、ここ数時間で築いた関係性の大前提が崩れたのだ。何を話していいのか迷ってしまう。きっと、それはシフォンも同じだろう。
「一つ、よろしいでしょうか」
それを破ったのは、俺でもシフォンでもなく、司教だった。
「なんですか?」とシフォン。
「お二方の宿についてです」
司教は、申し訳なさそうな顔をして続ける。
「実は今の時期、多くの観光客が聖堂、それと祭を見に、この街にやってくるのです。そのため、今この街全体で宿の空き部屋がほとんどありません。ウォルタス様の部屋は無理を言って何とか取れたのですが、シノノメ様の方がどうにも見つからず……」
「なんでそれを早く言ってくれなかったんですか……」
俺の言葉に、彼は
「お二人とも、お疲れのようでしたから……」
と返す。
確かに、あの時に言われてもうんざりするだけだっただろう。
「……つまり、ケイタは野宿するんですか?」
「おい」
シフォンの言葉に慌てる。彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべていた。冗談なのは分かったが、やめてほしい。対して、司教は冷静に返した。
「いえ。ですので、狭いですが聖堂に泊まるのはどうか――と提案するつもりでした」
「聖堂に?」
別に泊まれるところはどこでも良いが。そう思っていたが、司教の次の言葉によって、雲行きは怪しくなった。
「ええ。……ただ、記憶喪失が嘘だと分かったので、躊躇し始めていますが」
「それは許してほしいんだが」
「別に私は気にしてません。”13の教え”でも、嘘自体を禁じているわけではないですから。ただ……どんな事情があれ、月神様に敵意を持っている相手を泊めるのは、ためらいますよ」
「それは……」
何も言い返せない。司教は言葉を続ける。
「元々、聖堂の住居も狭いんです。それに、今の時期は人を泊めるのもあまり気が進みません。こうなったら、今からでもあなた用の宿を探しますかね……評判の悪い所でも良ければ、見つかるとは思いますが……」
「……あなたの言うことは、確かに事実ですね。なら、その宿の中でマシなものを」
「私の部屋は、広いんですか?」
俺の言葉を何故かシフォンが遮る。何故そんな、関係のないことを聞くのだろう。
「ええ、まあ。一人にはかなり広い部屋ではありますが……」
司教も脈絡なく聞かれたことに困惑しながら答える。
すると、彼女は耳を疑うようなことを言った。
「なら、私とケイタの二人で、その部屋に泊まればいいんじゃないですか?」
「えっ」
司教と俺の言葉が重なった。この少女、いきなり何を言い出すのだ。
男女が共に同じ部屋で一晩過ごす、その重大さが分かっているのだろうか。まさかそのような知識がないと――いや、本当に無さそうだ。出会ったときの失礼な発言はともかく、"13の教え"について教えてくれる際、彼女は"男女の営み"の意味を分かってなかった。
「いや、男と泊まるのは、不味いからな?」
「えっと……食べられちゃう……ってこと? あれ、孤児院の子に言われただけで、実はよくは分かってないの。でも、ケイタなら変なことはしないでしょ。それに、魔法や魔術が使えないんでしょ?」
もしそういう気を起こしても負けないし、ぼこります――言外にそう言われている気がする。確かに、熊を殴り飛ばす程の一撃を喰らって、五体満足でいられる自信は俺にない。
だが、これは物理的に安全だから良いという問題ではないのだ。
「ウォルタス様。いくらシノノメ様が弱くて安全とはいえ、知り合っても間もない男と一晩を過ごすのは、さすがにいけませんよ」
「はっきりと弱いと言わないでください。けど、シフォン。そういうことなんだよ」
彼女の優しさは嬉しい。だが、男としてここは断るべきだ。
しかし、シフォンはなおも食い下がる。
「でも……ケイタ、一人で大丈夫なの? 突然、見知らぬ場所に来たんでしょ。記憶喪失は嘘だったけど……不安じゃないの? やっぱり、心配だよ」
「いや、それは……」
不安でないと言うのは嘘になる。シフォンの言葉は的を射ていた。
「それに、ケイタは私を助けてくれたんです。そんな恩人を、変な宿に泊めたくないです」
「いや、でもな……」
膠着状態に終止符を打ったのは、司教の鶴の一声だった。
「わかりました。シノノメ様が追加で泊まる事も連絡します」
「え」
思わず声が出る。驚愕で見つめていると、司教は呆れたようにこちらを見た。
「彼女は、あなたのことが心配なんですよ。それはどこに泊まろうが、変わらないでしょう。私だって、あなたを変な宿に泊めたくはない。ウォルタス様の恩人であることに、間違いはないのですから」
「いやそうだとしても、さすがに不味いんじゃ」
「くどいです。とにかく諦めて泊まってください。そうでなければ、ウォルタス様は納得しませんよ」
完全に、司教がシフォンの提案に乗ってしまった。
2対1で、もはやどうしようもない。どうしてこうなった。
「ごめんね、ケイタ。でも、一人にするのは、やっぱり心配だから」
「……まあ、分かるけど、なあ」
俺はむしろ、シフォンの無防備さの方が心配だ。
「女性と泊まれるという状況で、心底残念そうにする男性は、初めて見ましたね。若い頃の私なら喜んで……ごほん。とった部屋は非常に広いらしいですよ。それに、食事も美味しいと評判です」
司教の失言に、もう突っ込む気になれない。
寝られれば狭さなどどうでも良い。それに、人が暮らす部屋の広さは4畳半あれば十分と、友人がその身で証明してくれた。
「シフォンの言う事も分かりますし、諦めて受け入れます。……とりあえず、月神への返事は、しばらく待ってもらえませんか」
「良いですよ。……明らかに、あなたは被害者ですから。いくら気まぐれとはいえ、月神様も少しを自重を――」
「僕がどうかした?」
「――え?」
あろうことか、自らの宗教の主神に対する、愚痴を吐き始めた司教。その後ろには、先ほど話を終わらせたはずの月神が、再び現れていた。
ああ、司教の顔が面白いくらいに青ざめていく。
「つ、月神様!? お帰りになられたはずでは?」
「ちょっと、東雲君に渡すものがあってね。忘れてたから戻ってきたの。で、僕がどうかした?」
こうは聞いているものの、月神は間違いなく分かっている。その証拠に、彼女の顔は、とてもにやついている。
「い、いえ、なんでもありません。何も言ってません。ええ、ありませんとも!」
「本当かなあ?」
繰り返しになるが、ラフマニノフ司教は中々ダンディなおじさまだ。そして、月神の見た目は、白いワンピースを着た幼女だ。それらがあいまって、彼の慌てっぷりが非常に面白い。もちろん、本人からすれば笑い事ではないだろうが。
司教が必死に月神の意地の悪い追及をかわしている中、それに同情したのかシフォンが「助けてあげようよ」と提案してくる。
司教の毒舌の自業自得であるし、放置しようと思っていたのだが、シフォンに頼まれるのならやぶさかでもない。
「分かった……月神。渡すものって何だよ」
「ん? ああ、ごめんごめん。これを渡そうと思ってたんだ」
月神が、司教からこちらに向き直る。彼女が渡してきたのは、一冊の薄い本だった。歴戦の戦士たちが買い求める薄い本ではない。正真正銘、言葉通りの薄い本だ。紙質は元の世界のものと大差なく、大きさはA5サイズ程だ。
「僕特製の、この世界の旅行ガイドだよ。この世界の常識をまとめたもの。神話や魔術、あと種族については、それを読めばだいたい分かるはずだよ」
「へえ……それはありがたい」
つまり、これがあれば、旅に出たときシフォンに一々聞かずに済む。いや、まだ旅に出ることには頷いていないのだが。
「じゃあ、今度こそまた明日。ラクマニン司教、本音を漏らすのは時と場所を選んでね?」
若干脅迫紛いな事を司教に言うと、月神は再び消えた。
「えっと……とりあえず、宿に行く?」
「そうだな……そうするか」
時間も大分遅い。シフォンと共に聖堂を後にした。
余談だが、司教は壊れたように「助かった」と連呼していたので放っておいた。己の毒舌をしっかり反省するが良い。




