月神様
司教が、それを目にした瞬間、顔色を変えた。
「まさか、それは”三日月の証”ですか!」
「確か、私にこれを渡した人も、そうおっしゃっていました」
「なんと……。与えられた使命は?」
「えっと。よくは分からないんですけど、その人は『"アルビテル"に選ばれた』と言っていました」
「アルビテル……!? あなたがですか!?」
「はい。それで、まずはこの街の、ラナ大聖堂に来るよう言われたんです」
何か知らないが、いつの間にか話に置いて行かれている。証とは何だ。「あるびてる」とは何だ。知らない単語が、一気に増えているぞ。
そもそも、この話を俺が聞いていいのだろうか? 司教の狼狽えようから、明らかに、シフォンの用事が所用には見えない。それこそ、月神教にとって、かなり重要なものに見える。
「ウォルタスさんの要件はわかりました……。それで、シノノメさん。一緒にいらっしゃったということは、あなたはウォルタスさんの付添人ですかな?」
司教がこちらを向く。
なるほど、付添人に見えるのか。どちらかと言えば、こちらが付き添われているのだが――さて、どう説明しようか。
「いえ、山の中で偶然会いまして……実はですね」
「彼、記憶喪失なんです」
俺が最後まで経緯を話す前に、シフォンが割って答える。
「記憶喪失?」
「はい、自分の名前と故郷以外、なんにも覚えてないんです。自分の種族のことも、魔術も魔法も全部。多分、魔力切れの影響だと思うんですけど」
シフォンがすらすらと、代わりに答えてくれる。下手に嘘をつく必要がなくなったため、とてもありがたい。
しかし同時に、彼女に嘘の片棒を担がせているため、俺の心が罪悪感という名の針の筵の上で、ごろごろと転げまわっている。
「そうですか。いわれてみると確かに、あなたからはほとんど魔力を感じませんが……」
司教がシフォンの話を聞いた後、じっとこちらを見つめる。その視線は鋭い。
「少女は騙せようと、この私は騙されぬぞ」と、言われている気がした。
しかし、ここまで来て「すみません嘘でした」などと答えるわけにはいかない。今引けば、これまでシフォンに対する罪悪感に耐え抜いた意味がなくなる。意を決して、俺は口を開いた。
「シフォンの言う通りなんです。山の中で目覚める前の記憶がなくて。目が覚めてしばらく歩いていたら、彼女が倒れていたのを見つけまして」
「ウォルタスさんが、倒れていたんですか?」
ラフマニノフ司教の驚いたような声に対して、シフォンが回答する。
「魔獣をたくさん倒したせいで、魔力切れを起こしたんです。それで体力がなくなって……でも、彼が食料をくれたおかげで、なんとかここまで来れました」
「たくさん……? それも気になりますが……シノノメさんがあなたを、助けたのですね?」
「はい、そうです」
シフォンの回答を聞くと、ラフマニノフ司教は再び俺のことをじっと見る。しかし、その視線は先ほどより鋭くはない。
「証をもつ者を助けたということは、月神様への奉仕に他なりません。……シノノメ様、ウォルタス様を助けていただき、ありがとうございます。記憶喪失であることを疑ってしまい、申し訳ありません」
「へ? あ、どういたしまして」
司教の突然の手の平返しに、一瞬理解が追い付かなかった。
どうやら、シフォンを助けたことは相当重要な意味があったらしい。いや、シフォンというより、”三日月の証”を持つ人を、だろうか。月神様とやらに奉仕したつもりはないのだが、都合よく解釈してくれるなら、それに越したことはない。
しかし、それならば、シフォンの用とは――与えられた使命とは、月神教にとってどれだけ重要なものだろう。こんな少女に、いったい何を任すというのだろうか。
「しばらく、聖堂内でお待ちください。閉館時間後に、月神様をお呼び致しますから」
彼の言葉に疑問を覚える。まるで、月神と実際に会えるかのような口ぶりだ。
「ところで、御二方はすでに宿をとってあるのですか?」
「いいえ。……シフォン、とってはないよな?」
「うん。とってません」
「左様でございますか。では、私が宿を手配してきましょう」
そう言うと、彼は聖堂の奥へ去ろうとした。その背中を、シフォンが呼び止める。
「あの!」
「……何ですか?」
「ケイタも、一緒でも良いですか?」
司教は、彼女と俺の顔をそれぞれ見た後、
「ええ。ウォルタス様の恩人ですから。記憶喪失も、直してもらえるかもしれません」
そう言うと、彼は奥へと消えていった。
「ありがとう。シフォン」
「どういたしまして。と言っても、これは恩返しだから。司教に許可もらえて、良かった」
しかし、記憶喪失は嘘だ。ばれるのも時間の問題らしい。
信者用の椅子に、そっと腰を下す。
「ケイタ……大丈夫?」
「大丈夫……とは言い辛いかな。正直、かなり疲れた」
おにぎり一つでここまで歩き、さらには見知らぬ異世界で、自分より年下の少女に、記憶喪失という心許ない嘘をつく。これで疲れない人がいるだろうか。いるなら即刻代わってほしい。お代は、この異世界の美しい風景だ。
シフォンは苦笑いすると、「私も」と答える。
「さっきの話聞いていたならわかると思うけど、私の用ってさっき言ってた"アルビテル"のことなの」
「ああ、言ってたな。その、"アルビテル"っていうのはいったい何なんだ?」
「私も分からないの」
シフォンは困ったように続ける。
「ある日孤児院に教会の人が来て、私が選ばれたと言って、修道服と証を渡して。月神様に聞けば分かるって、ここまで来るように言われたけど。私、いったい何をするんだろ。ちゃんと月神様のお役に、立てるかな?」
シフォンの声に、少し不安が入り混じる。ろくな説明もせずに来させるとは、いくらなんでも酷くないだろうか。それと、孤児院――いや、いまは触れないでおこう。
「大丈夫。シフォンならできるよ。きっと」
結局、シフォンが何をするかはわからない。この世界で無力な俺が、手伝えることがあるとも思えない。であれば、不安を取り払えるよう、ささやかな応援くらいはさせてもらおう。
「ありがとう、ケイタ」
シフォンはにっこりと笑う。笑顔の彼女は、とても可愛らしかった。
さて、先ほどから抱いている疑問を、聞いてもいいだろうか。
「ところで、まるで月神様と会えるみたいな言い方だけど――月神様ってその、会えるものなのか?」
シフォンがきょとんとする。そして彼女は、すぐに答えた。
「司教様になると、聖堂で月神様に会えるって聞いたことあるよ。大事な事を月神様に伝えたり、月神様の言葉を、私達に伝えるのが司教様達の役目だから」
「そう、なのか」
未だ半信半疑だが、月神――それは、宗教的概念ではなく、実在する存在のようだった。
だから、司教はあのように言ったのか。ということは、俺達は今夜、その月神とやらに相まみえるのか――そこまで考えて、ふと思い付く。
月神に頼めば、あの外道幼女を見つけなくても、元の世界に帰れるかもしれない。神様と名乗るなら、それができても不思議ではないだろう。
たとえそれが無理でも、あの憎き幼女の居場所を、突き止めてもらえるかもしれない。嘘がばれることは、この際もう置いておこう。嘘も方便というやつだ。
◇
司教が言っていたが、この聖堂は拝観できる時間が決まっているらしい。山を長時間歩き 疲れていた俺達は、結局、長椅子にずっと座っていた。シフォンに至っては、いつの間にか、すうすうと寝息を立てていた。
誰もいない聖堂内は、雰囲気が変わり、厳かな感じがした。
司教が、後ろで聖堂の扉を閉め、閂をかける音が聞こえた。その音で、シフォンが起きた。
「私も一応同席しますが、月神様との会話には、特に口をはさむことはありません。いない者と考えてもらって結構です」
そう言うと、彼は隅の方へと行ってしまった。俺達二人は立ち上がり、祭壇の前に歩く。
「いよいよ、月神……様が降臨するのか?」
「多分。どうしよう、私緊張してきちゃった」
「ああ、俺も緊張してきた」
神様という未知の存在とこれから出会うと思うと、やはり緊張する。いったいどんな存在なのだろうか。あの像のように、美しい乙女の姿なのだろうか。
「ちゃんと、戻してくれるといいんだが……」
「大丈夫だよ。月神様なら、記憶は戻してくれるよ」
「……そうだな」
戻してもらうのは、記憶ではなく、俺自身のことだが。
その時だった。
俺達と祭壇の間に、紺青色の魔法陣が展開される。戸惑う間もなく、蒼い光は増していき、やがて直視できない程となった。
そして、光の輝きが収まった時、魔法陣があった中心には、一人の少女がいた。
彼女は像のようにローブではなく、白いワンピースを着ていた。
まさにコンビニの前で見た、白いワンピースを。
その髪は、月の色に輝く金色。
その瞳は、夜空に染まった深い青色。
そして、作り物のように美しいその顔は、まさしく、あの時の――
「――あの時のクソガキィイイイイイイイイッ!」
魂からの怒りの咆哮が、聖堂内にこだました。
月神
とある掲示板のとあるスレで頼んでみたら、とんでもなく可愛いイラストを頂いてしまった、その2枚目です
実際(脳内じゃ)こんな感じですよ、月神。




