ラナ
「すごいな……」
「うん、すごい……私、こんな大きな街初めて来た」
二人で似たような感想を漏らす。
テレビや写真などで間接的にしか見たことのない、レンガ造りの街並みが目の前に広がっていた。俺たちのいる通りは商店が多いらしく、とても賑わっている。
シフォンに聞いた話によると、ここは”イニティウム”という種族の街らしい。イニティウムとは、シフォンとの会話から推測するに、俺がいた世界の人間と、姿が変わらない種族なのだろう。シフォンによると俺もイニティウムらしい。
ただ、それでも俺がいた世界の人間とは違う。例えば、魔術や魔法が使える。そしておそらく、持っている色素の数が人間のそれよりも多い。例えば、シフォンの髪は染めているわけでもなく、元からの紅色。瞳も元からであるらしい。それに、この街の人々も髪や瞳の色が非常にカラフルだ。
イニティウムの街と言ったが、イニティウムだけがいるというわけではない。この街の政治に関わるのはイニティウムだけだが、他のどのような種族が住もうが良いという。
俺達の周りにも、イニティウム以外の種族がちらほらと見られる。人の形から逸脱はしておらず、顔が完全に獣、あるいは別の何かといった者は見られない。だが例えば、隣の八百屋で買い物をしている女性には、動物の耳と尻尾が生えている。向こうで店の中を覗いている男は、イニティウムに似ているが、耳が長い。そして――。
「わー! よ、よけてぇ!」
声に驚いて振り返ると、何かが俺に向けて飛び込んで来た。衝撃を受け止めきれず、尻もちをついて倒れる。痛みに呻きながらも、いったい何が飛び込んできたのかを確認する。
翡翠色の瞳と見つめ合う。そこには上から落ちてきて、俺に馬乗りになった女性がいた。
――そして、このように、翼が生えている人もいる。
上をみると、カラスのような黒い鳥が数羽飛んでいる。もしかして、あれらに攻撃されて、バランスを崩したのだろうか? 何れにせよ男でなくてよかった。男ならば問答無用で殴っていた。
視線を女性に戻す。その青い顔色には、ぶつかってしまった俺への心配が読み取れた。が、見つめあう内に、だんだん赤く染まっていった。
「……ご、ごめんなさーい!」
羞恥に負けたらしい。女性は顔を真っ赤にして、水色の髪を振り乱しながら、慌てて逃げていく。ケガをしなかったから良かったものの。
あんなに速く走れるなら、飛ぶ必要はあるのだろうか。それと、もしや彼女、常習犯ではあるまいな。そうでなければ何故、周りの人々から「またか」「しょうがないな」という声が聞こえてくるのだ?
「ケイタ、大丈夫?」
「まあ、なんとか。それにしても、翼で空を飛ぶ人もいるのか……」
「うん。今のように、翼をもつ人たちが、”アーラ”って種族だよ」
「へえ、今のが……」
背中の翼程度で、人間の体を飛ばせるのか。必要な揚力とか絶対得られないだろうに、どうなっているのだろう。
それにしても、異世界に飛ばされたり、魔獣に襲われたり、有翼人に特攻されたり――今日の俺は、少々不幸すぎないだろうか? 厄年はまだ先のはずだが、帰ったらお祓いでも受けてみようか。
「これからシフォンは教会に行くんだよね?」と、立ち上がりながらシフォンに再三確認する。
「うん。私は、聖堂に用事があるから」
この世界には、独自の宗教がある。その名は、”月神教”
月神とかいて、「つきがみ」と読むらしい。月の女神を崇めているのだという。この世界では、種族問わず、この宗教を信仰しているらしい。
教えもある。”13の教え”と呼ばれるらしいが、半数は道徳の規範となるものだった。残りも、すぐに気をつけなければいけないものでもない。
”13の教え”以外に注意するべきことも尋ねてみたが、食べていけないものも特になく、決まった礼拝の日や時間、回数もあるわけではないらしい。妙な教えがある割には、その他は緩いものだ。
それにしても、太陽ではなく月を崇めるのは不思議だ。宗教関連の授業は、ちょうど今年の前期に受けた。もし月神教の起源が、自然信仰の発展型というなら、最も恵みをもたらす太陽を崇めそうなものだが――。
「――あれ?」
思わず、声が出る。シフォンがすかさず反応して、
「どうしたの? 何か思い出せそう?」
と聞いてきた。
「あ、いや。何でもない」
「……そっか」
シフォンが残念そうな顔をする。申し訳ない。
今頃気づいたが、彼女の話からすると、この世界の言語には、漢字の概念があるということだろうか? それも、日本語と極めて一致するものが。でなければ、彼女が「月に神と書いて、『つきがみ』っていうんだよ」などと、説明できるはずがない。
奇妙な一致もあるものだ。元の世界では、住む地域が違うだけで言語が異なる。異世界ならば、言語体系が全く異なっていてもおかしくないだろうに。
きょろきょろと辺りを見回してみる。残念ながら、文字のようなものが書かれている看板は見当たらなかった。あとで、この世界の文字を見ることはできないだろうか。非常に興味深い。
「……やっぱり、何か思い出しそうなんじゃない?」
「いや……ここに来たことはないかな」
異世界であるし。
「そっか……。ところで、ケイタはどうするの?」
どうする――と、考えるまでもない。今、シフォンと別れたら、確実に詰む。こんな異世界の見知らぬ街に、一人になる選択肢はない。
決めていることだが、なるべく熟考していることを装いながら、シフォンの問いに答える。
「そうだな……ここで離れても頼れる人もいない。悪いけど、このままシフォンについていっても、いいかな?」
さて、どうなる。シフォンが拒否すれば全ては終わりだ。彼女なら断りそうにはないが――。
「もちろん! ケイタがいなかったら私死んでたかもしれないし。それに、もしかしたら月神様が、ケイタの記憶を戻してくれるかもしれないしね」
心配は杞憂に終わり、シフォンは快く了承してくれた。その顔は嬉しそうに見えた。まだ出会って数時間だが、何となく彼女のことが分かってきた。彼女は非常に人懐っこい子らしい。
しかし、本当は記憶はあるのだが。そして俺はすでに、いろいろとボロを出しているのだが。それでも、一切疑わずに信じてくれる彼女は、なんといい子なのだろう。そして、そんな子を騙す俺はきっと悪鬼に違いない。
「……ケイタ? 早く行こうよ」
「あっ。はい」
自責の念に苛まれて立ち尽くしていると、シフォンが急かしてきた。
それにしても、彼女は教会にどんな用があるのだろう。修道服のようなものを着ているからやはりシスターなのだろうか。熊を殴り飛ばせるシスターなど居てほしくないが。
◇
さきほどの商店街より、また数十分歩いた。青空に変わりはないが、だんだん、日が傾いてきている。
「これはまた……すごいな」
「ほんと……ね」
ラナ大聖堂――それが、俺達の目の前にある大きな教会の名前だった。
その建築物は、ヨーロッパで多く作られた大聖堂と、よく似ているように見えた。石壁に太い柱、ステンドグラスが使用されているところは、完全に一致している。崇めている対象はあれらとは違うため、壁のレリーフや像は知っているそれらとは、大分異なったものとなっていた。そこはちゃんと、異世界であるらしい。
それにしても――周りを見回しながら、思ったことを言ってみる。
「観光客も、多いんだな」
ラナ大聖堂の前には、俺たち以外にも多くの人がいた。そしてその中には明らかに、礼拝というより観光に来ている人々が見受けられた。中には、カメラらしきものを聖堂に向けている人もいる。
「このラナ大聖堂は、ロマネスティア王国の中でも有名だからね」
その疑問に、心優しいシフォンが答えてくれる。だがその中に、聞きなれない単語があった。
「ロマネスティア王国?」
「あれ、いってなかった? ロマネスティア王国はイニティウムの国だよ。このラナも、王国の都市の一つなの」
「なるほど。へえ、王国なのか」
ということは、イニティウムには身分制でもあるのだろうか? 気を付けなければいけないことが、一つ増えた。
シフォンと共に、大聖堂に足を踏み入れると、色とりどりの光が俺達を出迎えた。ステンドグラスを通過した光が、色をもって聖堂を満たしているのだ。
外壁と同じく、聖堂の中の壁や柱も、非常に凝った彫刻が施されている。荘厳であり、かつ美しい。その光景に、またもや、二人して感嘆の声を漏らす。
中央の通路を挟んで、礼拝に来る人々が腰かけるための長椅子が何列も並んでおり、通路の突き当りには祭壇がある。祭壇の向こうには大きな像が据えられている。おそらく、あれが月神を象ったものなのだろう。
元の世界のあの宗教では、偶像崇拝を禁止していた。だが、この世界の月神教はそれを禁止していないらしい。
聖堂内には、あちこちに頭を垂れたり、手を組んで祈っている信者が見受けられる。
そんな熱心な信者達がいるかと思えば、明らかに聖堂の壁の彫刻を眺めたり、女神像を観賞している観光客もいる。いいのか、それで。シフォンの話を聞く限り、おそらく観光客たちも月神教の信者のはずなのだが。
シフォンと共に祭壇の前まで進む。改めて、月神の像であるらしい、女神像を見上げてみる。眺めの髪に、整った顔立ち。なんとなくその顔には、見覚えがある気がした。知り合いの誰かに、似ている人でもいただろうか?
ローブを羽織っているが、それ以上の特徴はこれといってない。挙げるとすれば、女神という割にはやけに幼く見えるところだろう。いや、幼すぎる。幼児とまではいかないが、小学生くらいに見える。……小学生?
少し不安になったので、左にいるシフォンに小声で聞いてみる。
「あのさ、これが月神……様の、像なんだよね?」
一瞬、月神と呼び捨てそうになった。危ない危ない。不敬者扱いは御免だ。
「もちろん。ちなみに、本当は髪の色が、月のような金色で、瞳の色は夜空のような深い青色をしているんだって」
「でも、なんでそんなこと聞くの?」と、彼女は純粋無垢な瞳で見つめてくる。
俺のイメージでは女神とはこう、もう少しだけ大人で、同じくもう少しだけ体の方も成長しているのだが。
「いや、まあ……。そんなことより、シフォンの用事は、」
「あなたのような少女が、そのような修道服を着るとは珍しい。この聖堂に、何か用がおありですか?」
話をそらそうとしたとき、俺の言葉にかぶさるようにして、後ろから第三者の声が突然割入ってきた。
振り返ると、なかなかダンディなおじさまがいた。見事な禿げ頭ではあるが、それによって、よりダンディ感を増しており、威厳がある。黒いローブに身を包んでおり、直感的に位の高い人物だと理解できた。
だが、
「えっと、あなたは……?」
とつい尋ねてしまう。どのような人物かの想像はついたが、結局誰なのだ。このおじさまは。
「ああ、これは失礼しました。私はレオルド=ラクマニンと言います。この聖堂で司教を務めさせていただいている者です」
司教――教会で最も、位の高い者だ。
「初めまして。私はシフォン=ウォルタスと申します」
「あ。初めまして。俺は……ケイタ・シノノメといいます」
シフォンに続き自己紹介をする。一瞬、東雲慧太と名乗りそうになったが、大抵イニティウムは、名前が来るらしい。
「ウォルタスさんに、シノノメさんですね。さて、ウォルタスさん。あなたのような若い方が、その服を着ているということは、何か理由がおありなのでは?」
シフォンのような少女が修道服を着ることは異例らしい。シスターになりに来たわけではないのだろうか。
司教の言葉に、シフォンは、はっと思い出したような素振りをする。なんとなく察していたが、やはり聖堂に見惚れて用事を忘れかけていたのか。
「はい。実は――月神様から、使命を頂いたんです」
そう言いながら、シフォンはローブの下に隠れていた、首にかけていた何かを取り出した。
それはペンダントだった。金色に輝くそれは、三日月をかたどっていた。宝石で装飾はされていないものの、きめ細やかな彫刻が施されており、美しく仕上がっていた。




