異世界の風景は――
「ケイタ……それはなに?」
「ん? これはスマホだけ……ど……」
内心でしまった、と叫ぶ。
つい時間を確認するためにスマホを取り出してしまったが、ここは異世界だ。異世界人であることを隠して、記憶喪失の振りをすると決めたのに、自分からその証拠を取り出してどうする。阿呆か、俺は。
「すまほ……? ふーん。初めてみた。何をする道具なの?」
身構えていた俺に返ってきた答えは、拍子抜けするものだった。心配は杞憂だったようで、彼女はただ未知なる道具、スマホに対して興味津々のようだった。
「えっと、そうだな――例えば、時間を確認したり、遠くの人と話したり、人や風景を写したり――とにかく、いろいろなことができる道具かな」
可憐な乙女の質問されたからには、答えないわけにはいかない。また、隠すのも不自然であるので、スマホの機能について説明した。この世界にも時計はあると勝手に思っている。しかし、電話、カメラ――それらが存在するのか分からないため、随分婉曲な表現になった。
そんな説明をすると、シフォンが目を輝かせた。
「すごい! そんな薄い板が、時計やフォーンに――あと、カメラにもなるの!?」
前言撤回、全てこの世界にもあるらしい。元の世界にあったものが、こちらでは魔術で作られていたりするのだろうか?
「ねえねえ、私の写真とって!」とシフォンが目を輝かせて頼んできたので、俺は思わず「え?」と返した。何をいいだすのだこの娘は。
怪訝そうに見つめると、彼女は我に返ったのか少し恥ずかしそうに、その理由を答えた。
「あ……えと、その、この服、実は特別なものだから。もし写真撮れるなら、撮って皆に見せたいなって……あと思い出にもしたいから」
特別は何か。そして皆とは誰か。
いくつか疑問が湧くが、それを今は問うまい。それよりも、もっと重大な問題がある。
「あー……この山を抜けたらでいいかな? こんな山の中だと、背景が……さ」
魔獣の出没する山で、俺は呑気に写真を撮りたくはない。
「それもそっか。約束だよ、必ず撮ってね? 約束だよ」
シフォンはどうやら納得したらしい。しかし妙な拘りようだ。彼女についての謎が、幾つか増えた。
◇
シフォンとのやりとりを通して、俺は夏季休暇で鈍った脳を限界まで駆使して情報を整理していた。
彼女曰く、彼女と俺は”イニティウム”という種族らしい。他にもアーラやベスティア、サングイス、ヴェネノムなど、いくつかの種族が存在するという。名前から容姿が全く想像がつかない。誰が名付けたかは知らないが、エルフや獣人など、もっと分かりやすい名前にしてほしかった。
そして彼女曰く、この世界の住人は各種族固有の魔法と、全種族に共通の魔術を使える。彼女が熊を先ほど殴り飛ばし、さらには丸焼きにしたあの未知の力だ。
行使するには魔力――特に”オド”というものを消費するらしいが、急激に消費すると体調不良になるという。例えば、俺が助ける前、シフォンが山道で倒れていたように。
そして彼女曰く、俺からはほとんど魔力を感じないらしい。人なら誰しも一定量程度、魔力が漏れているらしいが、それが無いという。つまり、魔力を急激に使用するような事態に陥った結果、記憶障害がでた――そう、シフォンには思われている。
魔法など存在しない科学の世界で生きてきたのだから、俺に魔力などあるわけがない。だが、無いというのは少々残念だ。大学生になった今でも、魔術や魔法に興味くらいはあるのだから。最も、記憶障害と結びつけられたのは不幸中の幸いだ。
そして、シフォンが倒れていた理由だが――どうやら彼女は、俺と出会う前に他にも何匹か、熊を殴り飛ばしたり、丸焼きにしていたらしい。一匹ずつだったので問題なかったらしいが、山を長時間歩いたことも重なって、空腹と疲労困憊で倒れたという。
そして先ほどの熊。正確には熊型の魔獣。角を生やし、額に水晶のようなもの――”魔石”を持つ、通常の動物とは異なる獣――魔獣がこの世界には存在するという。
「魔獣って、人間を問答無用に襲うのか?」
「ううん。人の魔力にひかれるのはあるだろうけど……さっきの熊は、腹をすかせていたんだと思う。あと、あれは"変異型"だから。"オリゴ"の草食魔獣なら牧場にもいるよ」
よく分からない単語が出てきたが、まとめると、ただ普通の動物より強くなった獣らしい。魔王に生み出されたんじゃないんだな、とつぶやいたら「魔王って……何?」と言われた。再びのボロである。しっかりしろ、俺。
意識を切り替えよう――そう思った矢先、突然辺りがまぶしくなる。先ほどからずっと下りだったが、ようやく森の外に出たらしい。
森の中の薄暗さに目が慣れてしまっていたため、一瞬目が眩んだ。数秒間かけてその明るさに目を慣らし、ゆっくりと目を開く。
そして――言葉を、失った。
俺達の前には草原が広がっていた。視界いっぱいに広がる苗色のそれは、風に吹かれ、心地よい音を立てて揺れる。
その草原の先には、鮮やかな色合いの街が見える。それも、ヨーロッパを彷彿させるような、レンガ造りの街並みだ。まだ距離はあるが、それでも、にぎわっていることが遠目で分かる。
ただそれだけの光景――それでもつい口から言葉が漏れる。
「――美しい」
知らない。こんな美しい光景が存在するなど、知らなかった。
隣にいるシフォンが少し驚いた表情をしたが、「そうだね」と同意する。
ふと思い立って、スマホを取り出す。カメラを起動し、街と草原を写す。こんなところに来れると知っていたなら、全財産をはたいてでも一眼レフカメラを買っていただろう。そういう意味では、あの少女は本当に酷いことをしてくれた。
「あ、カメラ!」
シフォンがスマホに反応する。そういえば、約束をしていた。
「じゃあ、ここで撮るか。そこに立ってくれないか」
俺の指示に「分かった!」と、街と草原を背景にして彼女が立つ。シャッターを切ろうとして、ふと気づく。
「あの、写真を撮るときに合図とかある?」
日本では何故か「チーズ」というが、この世界ではどうなのだろう?
「うーん……分からないや」
「じゃあ、チーズと言ったら撮る、でいいかな?」
「いいよ。……なんでチーズ?」
「さあ。ただ、そんな記憶があっただけだ」
彼女からは特に反対がなかったため、遠慮なく採用する。うまく撮れるかどうか不安だったが、撮れた写真の中の彼女は笑顔で、とても可愛かった。俺の撮った人物写真の中で最高傑作だと思う。
「うまく撮れた?」とシフォンが駆け寄ってくる。それはもう、目をきらきらと輝かせながら。
「ああ、撮れたよ。確認する?」
「えっ。現像しないで確認できるの!?」
「……あ」
しまった。この世界のカメラは、まだフィルム式らしい。また失態を犯してしまった。そして手遅れである。
「と、特殊なんだよこれは。ほら、見てみなよ」
諦めてシフォンに画面を見せると、彼女はとても珍しそうに自分の写真を眺めていた。
「これが私の写真か―……」
ああ、なるほど、彼女は写真を撮ってもらったのは初めてらしい。だから妙な執着を持っていたのだろうか。写真を撮るのがこれは人生初……なるほど、俺がシフォンの初めてをもらったことになるのか。
……。
表現が悪かったことは反省している。だが後悔はしない。
「ところで、あの街が目的地であってるんだよな?」
邪な考えを振り払うために、シフォンに今一度確認する。万が一違う街だったら、また山の中に逆戻りしなければならない。シフォンが。
シフォンが。
正直、彼女がいなければ困るので、その場合でも結局ついていくことになるが。そして俺の心配は、結局杞憂に終わった。
「うん。あってるよ」
「それはよかった。……街の名前はわかる?」
その質問にシフォンは少し思い出すそぶりをして、
「確か"ラナ"っていう街。さあ行こう、ケイタ」
再び俺は、彼女と共に歩き出す。快晴の青空の元、ラナという街に向けて。
ここは異世界である。それはもう、疑いようがない。
俺は無理やり連れてこられた上、あまつさえ魔獣がいる山に置き去りにされた。
もちろんあの少女は許さん。必ず見つけ出して、元の世界に戻してもらう。
だがその前に、この美しい異世界をもう少し見てみたい。そう、思ってしまった。
シフォン=ウォルタス
とあるネット掲示板で描いてみたいという方にお願いしてみたら、とても可愛いイラストをいただいてしまいました
とっても可愛いです。
もう一人書いていただいたので、そのキャラが本格的にでてきたところで載せますね




