マナとオド、魔法と魔術
◇
今朝の話だ。
俺はシフォンの使命"アルビテル"に同行するという意思表明のため、ラナ大聖堂に来ていた。昨日と同じようにラフマニノフ司教が出迎え、月神が現れる。そして、アルビテルに同行する意思を伝える――で本来なら終わるはずだが、私は月神にある要求をしていた。
「戦う力が欲しい?」
幼女――月神は祭壇に腰掛けながら、俺の言葉の真意を尋ねた。
ああ、と俺は返事をする。
「この世界には魔獣が出るんだろ。それに、人は皆、魔術を使える。そんな世界を無防備で旅はしたくない」
それになにより、シフォンに守られながらずっと旅をするというのも耐え難い。俺にだって、男のプライドはあるのだ。
「ふうん、一理あるね」と、月神はうなずく。
「だろう? だから、魔術を使えるようにしてくれないか?」という俺の言葉に、月神はすぐには返事をしなかった。足をぶらぶらさせながら、少し悩むそぶりを見せた後、「ちょっとまってて」と言って、いきなり蒼い魔法陣を展開し、どこかへと消えた。
当然、沈黙が訪れる。
月神が使っているのは、俗に言う転移魔術で合っているのだろうか。会話の最中は使用を控えてほしい。
「……気になったんが、ク……あいつは普段いったいどこに帰っているんだ?」
沈黙に耐え切れず、思いついたことをシフォンとラフマニノフ司教に聞いてみた。
「月神様だから……月、とか?」とシフォン。
「伝承では月です。最も、私も月神様本人に確認したことはありませんが」とラフマニノフ司教。
つまるところ、シフォンも司教も実際には知らないらしい。外見は幼女であるし、実は家族のもとに帰っていたりするのだろうか。もしそうなら月神の家庭には教育方針を見直してほしい。
それからおよそ2分後、月神が帰ってきた。
はい、という言葉と共に彼女から差し出されたのは2つの腕輪だった。デザインはどちらも同じで、縦2センチ、横1センチ程の黒い直方体の物体が、ゴムのような物体によっていくつか連結されていた。
手に取ってみると、各々の腕輪の直方体の一つにだけ、三日月のマークが施されていることに気が付いた。
……はて。
「これは、何だ?」
「“マギア・アーミア”。魔力――マナやオドを感知・制御できない人でも、これを両手首につければ魔力強化、そして魔力の感知が可能となる装置さ。早速、つけてみてくれない?」
月神に言われた通り、両手首に腕輪を装着する。装着すると、腕輪は外れないよう、自動でその長さを調整してくれた。なかなかハイテクな代物のようだ。
「それで、どうやって起動すればいいんだ?」
「すでに起動している状態だよ。それは、疑似的に人の感覚を増やすものだから。まずは、魔力強化をしてみよっか。頭の中で、薄いベールが体を覆っているイメージを作るといい」
半信半疑で月神に言われた通り、目を閉じてイメージしてみる。すると、なんとなく体が何かに包まれ、軽くなった気がした。
「できている――のか?」
「うん、ちゃんと動いているね。試しに、この20㎏のダンベルを持ち上げてみよう」
いつの間にか月神との間に、ダンベルが置いてあった。20㎏――俺は力がある方ではない。普通なら、絶対に持ち上がるはずはないのだが、言われた通り持ち上げようとしてみる。
おお、と感嘆の声が、思わず漏れてしまう。20kgのダンベルが簡単に、しかも片手で持ちあがった。また、筋力にまだ余裕がある。なるほど、シフォンが熊を殴り飛ばせるわけだ。
「すごいな、これは」
「昔作ったものでね。動いてよかったよ。今、君が行っている魔力強化は単に全身を覆っているだけだけど、イメージによっては特定の部位を、より強化することも可能さ。逆に、もっと弱い魔力強化もできるよ」
それに、と続けながら月神は手の平に火の玉を出現させた。
「それをつけていれば魔力も感知できる。今の君なら、目を閉じてもこの火の存在を感知できるはずだ」
言われた通り目を閉じてみる。なるほど――何かがある。今までなかった感覚で、説明しがたい。最も近い感覚で言えば、嗅覚だろうか。しかし、臭いとは違い、火の玉の位置がはっきりとわかる。
「ちなみにこれ、動力源は何だ?」
「大気中の“マナ”だよ。つまり、この世界の中なら無制限に使える。注意事項として、腕輪は二つで一組。どちらかが欠けると、不具合を起こすから気を付けてね」
“マナ”――昨日月神にもらった本に書かれていた、この世界の大気に充満している粒子。魔術や魔法のエネルギー源となるもの。
「へえ……わかった。他の機能は?」
「え? それだけだよ」
「そうなのか」
……。
ちょっと待て。
それだけだよ、と月神は言った。つまり、この腕輪が出来るのは、“魔力強化”と“魔力感知”のみ。それは、つまり。
「いや、魔術は――例えば、シフォンみたく、火を出すとかは」
「無理だね」
月神の即答に唖然とする。一方、月神は俺の表情を見て、何故だか呆れた顔をした。憎たらしい幼女だ。
「東雲――いや、慧太君。君、昨日渡した本ちゃんと読んだ?」
「もちろん、読んだが」
読まないと命に関わる。
「なら、マナとオドの存在は理解してるよね?」
「……もちろん」
“マナ”と“オド”。魔力という言葉でひっくるめられているが、それは似ていて、けれど異なるもの。
既述したように、“マナ”はこの世界の大気中に溢れている。そして、イニティウムを初めとした種族はそれを呼吸によって血液中に取り込む。そして体内に先述したように、取り込んだマナは魔術に使用される――わけではない。
おおよそは合っているが、血液中に取り込まれた“マナ”の大部分は体内で別の物質に変換される。
マナが体内で複雑に組み合わされ、生成されるもの――それが、“オド”。
“オド”はマナとは違い“属性”と呼ばれる指向性を持っている。そして魔術は“オド”を消費して発動される。
ここまで言うと、月神は満足そうに頷いた。
うむ。やはり腹が立つ。
「ちゃんと読んだみたいだね。そう、魔術は属性を持ったオドを使用して発動される。でもその腕輪――“マジック・アーミア”には、オドを生成する機能はない。当然、君の体内にも、マナを取り込んでオドを消費する機構なんてない。だから結局、君は魔術を使えない。わかった?」
なるほど、その理屈はわかった――が、納得するわけではない。
「あのな。銃社会において、防弾チョッキ着るだけで安心できるか! ちゃんと魔術も使えるようにしてくれ!」
そうでないと困るだろう――同意を求めて、シフォンとラフマニノフ司教の方を向くと、何故か二人は驚愕の表情でこちらを見つめていた。どうしたのだろうか。
首を傾げていると、やがてシフォンがぽつりと呟いた。
「ケイタ……それ、とんでもない魔道具だよ」
これが? と聞くと、続けてラフマニノフ司教がその意味を解説してくれた。
「魔力強化は、魔法の一種です。魔法は魔術と異なり、オドではなくマナから直接発動するもので、人の手で再現するなどとても……。そもそも、大気中のマナを基に動く魔道具など、みたことがありません」
まさに、神の御業です――彼がそう言うと、月神は「ふふ。僕が神たる所以の一つだよ」と自慢げに言った。
「なら、その神の御業とやらで、俺にも魔術が使えるようにしてくれよ」
「僕もそうしたいところだけど……残念ながら、逆に色々と難しいんだよね」
月神はここにきて初めて、申し訳なさそうにした。ほう。こいつにもそういった感情はあるのか。なら、少し仕返しさせてもらおうか。
「はっ。神様なら、なんでもできるんじゃないのか?」
神と名乗るくせに聞いて呆れる――と挑発的に続けた瞬間、月神の目がすっと細くなった。
次の瞬間には、足元に見覚えのある蒼い魔法陣が展開された。
「やろうと思えばできるよ。君の体を切り開いて、遺伝子を操作して、オドの生成機構や、オドを魔術として出力するための回路を埋め込むんだ。大丈夫、日帰りで出来るから。さあ、行こうか」
「本当に申し訳ありませんでした」
プライド? そんなものは犬に食わせておけばよい。自身の命に勝るものはない。
謝ると魔法陣はすぐに消された。この幼女、神は神でも邪神ではなかろうか。
「魔力強化――ちなみに正式名称は“マギア・コンフォルタンス”なんだけど――それは大気中のマナを使用している魔法だ。単なる身体強化だから属性は必要ない」
けれど、と彼女は続けた。
「けれど、魔術は別。マナから魔法として発動することも、できるはできるけど、術式がとんでもなく複雑で長くなる。たしか君、プログラミングかじってたよね。マナから動かす魔法の術式はC言語表記。対してオドから動かす魔術は……そうだね、君の時代で流行りのPythonで動かすようなものって言えば、理解できる?」
「あー……大体理解できた」
シフォンとラフマニノフ司教がポカンとしている。彼らにプログラミング言語と言っても分からないだろう。両者ともプログラミング言語に変わりはないが、Pythonを使用して数行で書けるプログラムは、C言語では数十行に膨れ上がることがあるのだ。
それにしても月神、こちらの世界に精通しすぎではないだろうか。
「魔術式を何百何千と込められる”魔石”でも、魔法式は1個から数個入れられるかどうかだね。全てをマナで行おうとするのは逆に、非効率なんだよ」と月神。
それに対し「そんな”魔石”も見たことないのですが……」とラフマニノフ司教が呟く。月神の技術はやはり神の域らしい。
「とにかく、君が魔術を使うのは難しい。オドからマナを生成する装置も、かなり大がかりでとても持ち運べない」
まとめると、この腕輪程度では魔術を扱えないということか。
「ならどうするんだよ」と言えば「だから悩んでるの」と返された。さすがに、魔術、すなわち攻撃手段を持たない状態で、アルビテルに同行などしたくない。
少しの沈黙の後、月神は口を開いた。
「君、何か武術の心得はある?」
「ない」
月神の質問に即答する。サークル活動も文科系だ。
「じゃあ接近戦は無理かな。……仕方ない。あれを君に貸してあげるよ」
あれとは? と月神に問うと今は教えないと言われた。月神はそのまま続けた。
「“アイテール”――アーラの国、その首都の聖堂に来てほしい。そこで、君の要求にぴったりなものをあげるよ」
「アーラの国……」
昨日ぶつかってきた、あの少女を思い出す。彼女と同じ種族の国。どこにあるのだろうか。
疑問に思っていることを察してくれたのか、シフォンが助け船をだしてくれた。
「“アイテール”は空中にある国家だよ。大多数のアーラはそこに住んでいるの」
へえ、空中か。
「どうやっていけばいいんだ?」
「それについてなんだけど……ちょうどいいから、一つ頼まれごとをしてくれないかな」
俺の質問に、月神はそう言ってにこりと笑った。
嫌な予感はするが、どうせ拒否権はあるまい。




