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月神のアルカディア  作者: 白魔術師
臨時: ↑ここまで改稿済み。
15/36

走れ、おじさん


「改めて聞くけど、ケイタのいたところって、どんなところだったの?」


 昼食を街の喫茶店で済ませた後、俺達はこの街、ラナを観光していた。言い出したのは俺だが、シフォンも観光してみたかったらしい。そういえば、シフォンもこの街に来るのは初めてと言っていた。目的も行き先も特にないが、見知らぬ街を歩くというのは、それだけで楽しいものだ。


 しばらく歩き回った後、この街の公園に来た。ラナはレンガ造りの街並みで、街の中に緑を見ることはあまりなかったが、この公園は違う。舗装された道以外には芝生が張られていて、木々も道に沿って生えている。


 公園のあちこちに、芝生の上に座って語らう男女や、走り回る子供たちがいる。木陰のベンチで、静かに本を読む老人もいる。その光景は、元の世界の休日の公園となんら変わらない。


 シフォンが先ほどの質問をしたのは、公園の中心にある噴水、その近くのベンチで一息つこうと、二人で座った時だった。


「やっぱり気になる?」


「もちろん。違う世界のことならなおさらね」


「まあ、そうだよな。俺が住んでいたところは日本ってところだったけど、なにから説明しようか。

 ……そうだな。俺のいた世界と、この世界と一番異なる点は、魔獣がいないところと、そもそも、魔術や魔法が存在していない所かな」


「やっぱりそうなんだ。……でも、それってものすごく不便じゃないの?」


「魔術じゃなくて、科学ってものが発展してるんだ。暮らしに不便はないし、むしろ便利。例えば、俺が今着ている衣服や、リュックも科学技術で作られたものだし……ああそうだ。このスマホは、その科学技術の最先端のものだな。この世界じゃネットにつながらないから、ほとんど何もできないけど」


 改めてスマホをシフォンに見せる。ついでに現在も使用可能なアプリ――とりあえずメモ帳を選んで、起動まで実演してみせると、シフォンは目を輝かせていた。


「あと、この世界みたいに種族の概念はない。代わりに、肌の色とか話す言語で、人種や民族が分かれるけど」


「ジンシュやミンゾクは分からないけど……つまり、ケイタの世界には、イニティウムしかいないってこと?」


「いや、それは違うだろうな。魔術が使えないし。そもそも、俺もイニティウムじゃないだろうし。でも、一つの種族しかいないってのはあってる」


「ふーん……あ、あと気になったんだけど、そっちの世界には、どんな神様がいるの?」


「神様ねえ……色々かな」


「色々?」


「説明するとややこしくなるけど……こっちの世界には、色々な宗教があるんだよ。俺の住んでいた日本じゃ、神道や仏教が主だけど、他の国じゃキリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教とか。他にもいっぱいある。宗教によって崇めている神様が違ったり、同じだったりするから、神様は本当にいっぱいいる。それはもう、数えきれないくらいに」


「……想像できないや、神様がいっぱいいる世界なんて。ケイタの世界、すごい大変そう」


 何故かシフォンが戦慄している。

 神様が八百万いると言われる国で育った自分にとって、なんら驚くことではないのだが、いったいシフォンは何が大変と言っているのか――そう疑問に思ったものの、すぐに原因に思い至った。


「言っておくけど、月神みたいに、実際に姿を見せる神様は一人もいないぞ」


「えっ。そうなの!?」


「むしろ、月神みたいに実際に会える神様がいることが、こっちにとっては驚きだけどね……。

 神様はいると信じられているだけで、実際には会えない。こっちの世界では、そういう存在なんだ」


「……会えないのに、神様のこと信じるの?」


 シフォンの質問は非常に当たり前で、けれど答えるには非常に難しい質問だった。


「あー……正確には、会った人もいる。いや、いるらしい。そういう人たちが、宗教を開いてる。

 もちろん、信じてない人もいるよ。

 けど、シフォンだって、月神に会ったのは今日が初めてだったんだろ? でも、月神教を信仰していた。それと似たような感じじゃないかな」


「……それもそっか」


 疑問が解決したようには見えないが、ひとまずは納得してくれたらしい。自分としても、これ以上突っ込まれても、うまく説明はできないので助かった。


 きっと、神様に対する認識そのものが、この世界では違うのだろう。

 元の世界において、神様とは、いるいないではなく、信じるか信じないかだ。けれど、こちらの世界では、月神という存在が実際に居て、そして会える。その差は歴然だ。


 「……いつかケイタの世界に行ってみたいな。アルビテルが終わったら、ケイタに付いていっていいか、月神様に聞いてみようかな」


 その言い方は誤解を招くからやめてほしい。

 口には出さないが、特に俺のような純潔の男は勘違いをしやすいのだ。文字通りの意味だという事が分かっていても、一瞬期待してしまう。悲しきことだ。


 シフォンが俺の世界に来たら、良くも悪くも街で視線を集めるだろう。しかし、そんなことを言うのも野暮なので「許可もらえるといいな」とだけ、返しておいた。


 ――ふと思う。

 もしも、会えない存在のために、戦争まで起きていることを知ったら、シフォンはどう思うのだろう。


 あえて言わなかったものの、少し気になった。



「あ、ちょっと、そこの君たち!」


 そんな声をかけられたのは、月神に騙されてこちらに飛ばされた昨日の事を、シフォンに話している時だった。


 目の前まで走ってきたのは、昨日聖堂で惚気話を聞かせてくれたおじさんだった。ぜえぜえと息を切らしている。


 昨日と違う点は、何故か脇に二人の子供を抱えているところだ。一人はイニティウムの幼女だが、もう一人は猫耳を生やした幼い少年だ。

 その絵面は、残念なことに誘拐にしか見えない。


「あ、昨日のおじさん。どうしたんですか?」とシフォンが不思議そうに尋ねる。


 その質問に、彼は早口で答えた。


「実はこれから妹の結婚式に出なくちゃいけないんだ。明日には帰ってくる。だから、彼女を止めておいてくれ。あと、この子たちを頼んだぞ!」


 どこかで読んだような台詞だが、とりあえずおめでとうございます――と伝える前に、おじさんは子供を置くと再び、それはものすごい勢いで去って行った。


 もしかして遅刻しそうなのだろうか。

 残ったのは、おじさんが脇に抱えていた二人の男女の幼い子供。あっという間だったので何も言えなかったが、まさか明日まで面倒を見ろとは言うまいな。


「結婚かあ」


 シフォンが目を輝かせている。とりあえず放っておこう。

 しかし、子供はともかく、止めておいてくれとは、いったいどういうことなのか――そんな疑問は、次の瞬間解決した。


「ちょっと君たち、私の夫見なかった? ――って、君達、昨日の」


「あ。昨日の奥様?」と俺。


 おじさんの後に走ってきたのは、猫耳と尻尾を持つ彼の奥さん。……大体察した。ああ、そういうことか。


「昨日は夫が失礼しました。……で、私の夫見なかった?」


「見ましたよ。妹の結婚式があるから、それまであなたのことを止めておいてくれとか言われました」


 俺は正直に答えた。もちろん彼女のことは止めない。なぜなら、そんな義理はないからだ。


「妹ぉ? あの人に妹なんていないわよ」


 その言葉に「えっ」とシフォンが驚いている。今は放っておこう。


「ああ、やっぱりですか……。で、何やったんですか、あの人」


 俺の質問に彼女は怒りに震えながら答えた。


「……子供達に、また勝手におもちゃ買ってたのよ! 今度という今度は許さない。絶対とっちめてやる! ……で、どっちいったの?」


「あっち!」と、件の子供達がそれぞれ適当な方向を指さす。子供とはいえ、物欲で完全に目が眩んでいる。悲しいことだ。


「えっと……あっちですね」


 嘘を言うメリットが何もないので、正直におじさんの逃げていった方向を伝える。子供たちが「違う!」と必死に否定しているのが可愛らしい。同時に、今まであまり経験したことのない謎の感情が沸き上がる。いや、そうか。これが愉悦というものか。


「ありがとう。後でお礼するわ。あと、あんたたち、嘘ついたこと覚悟しときなさい。悪いけど、この子達しばらく頼める?」


「いいですよ。捕獲、頑張ってください」


「本当にありがとう。行ってくる」


 そう言って彼女は、疾風のごとき速さで走って行った。もしかして、身体能力も猫なみなのだろうか。

 それにしても、喧嘩の内容が、不倫などではなくて良かった。非常に平和だ。走れ、おじさん。


「えっと、妹がいないってことは……つまり結婚式は?」

「もちろん嘘だろ。言っておくけど、正座させるなよ」


 最も、シフォンがさせなくても、あの奥さんがさせるだろうが。


 ……それにしても、嘘か。


 それは俺がアルビテルに同行することを渋った理由の一つだ。


「二度と嘘をつかない」という約束をした時は、まだこの世界に長居すると思っていなかった。けれど、蓋を開けてみれば、最低でも1年はこの世界で、シフォンと共に旅をしなければならなくなった。


 1年の間、一度も些細な嘘さえつかずに過ごせるか――答えはきっと否だろう。最も、あの時約束しない選択肢など無かったし、今更どうしようもない。


「努力するしかないか」


「何が?」


「ん? いや、なんでもない」


 いつの間にか、思考が口から洩れてしまっていたらしい。思わず「なんでもない」と言ったが、厳密にはこれも嘘だ。

 しかし、シフォンはそうは思わなかったらしく、「そっか」と言っただけでそれ以上の追及は無かった。なるほど、これは許容範囲なのか。


「ところでケイタ、痛くないの?」

「痛いといえば痛いけど、気にするほどではないな」


 シフォンが気にしているのは、俺が子供達にされていることだ。

 記述していなかったが、子供達の母親が走り去った後、俺の膝はその子供達に、ぽかぽかと暴行を受けていた。


「鬼!」「悪魔!」


「はっはっは。俺は当然の事をしただけだぞ」


 二人の幼い子供の罵倒は全く効かない。先ほどのシフォンの「この人」発言に比べれば、この程度屁でもない。むしろ心地よく、まさに愉悦。


「なんで教えちゃうのさ!」「お父さん悪くないもん!」


「いや悪いだろ。見境なくおもちゃ買うのは、君たちの教育上よろしくないしな」


 ちなみに、最初の発言が少年のもので、次の発言が幼女のものである。身体の大きさからして、おそらく少年の方が兄なのだろう。


 話の流れに関係ないが、異なる種族同士でも子供が生まれるのは正直驚きだ。しかも、明らかに兄妹で種族が違う。この世界の遺伝子はどうなっているのだろう。非常に興味深い。


「このお兄さんの言う通りだよ。あと、叩くのやめてあげて?」


 可愛らしい暴行を見かねたシフォンが子供達の説得にかかるが、「やだ!」「お父さんの(かたき)!」と即座に拒絶されてしまう。今度は最初が幼女で、次が少年の台詞である。

 

「敵って……おじさんの自業自得だろ」


 そもそも俺が逃げた方向を教えなかったところで、結末は変わらなかったと思う。そして勝手に殺さないであげてくれ。確かに、生きて帰ってくるかは少々疑問だが。


 この子達は魔力強化などはできないようで、その攻撃はシフォンに言ったように気にするほど痛くはない。しかし、そんな威力でも、何回も叩かれているとだんだんと痛くなってくる。そもそも煩わしい。


 そろそろやめさせたいが、何か良い方法はないだろうか――と思ったものの、解決策はすぐに思い浮かんだ。自画自賛だが、自分の案に思わずにやりと笑った。


「……これ以上叩くようなら、このことも君たちのお母さんに言っちゃおうかな」


 子供達が凍り付く。やはり効果覿面だ。口角を吊り上げて、嫌らしく言葉を続ける。


「ただでさえ、嘘ついたことで怒られそうなのに、さらに俺をずっと叩いてたことが知れたら……どうなるかな?」


「ごめんなさい!」


 今回は、兄妹の台詞もタイミングも完全に一致していた。責任を押し付け合ったりしない、仲の良い兄妹で微笑ましい。


「……やっぱり鬼だよ。ケイタ」

「そんなことはない。これはきちんとした交渉だ」


 いつの間にか、子供たちがシフォンの影に隠れている。そこまで怯えられるとは心外だ。俺は基本、心優しい紳士であるというのに。


 子供達が態度を翻して数秒後、遠くで男の断末魔が聞こえた。

 南無阿弥陀仏。安らかに眠れ、名も知らぬおじさんよ。


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