アルビテル
◇
「えっと、そろそろいいかな?」
ようやく痺れが治ってきた俺に、月神が問う。
少しは労りの言葉が欲しい。元を正せば、全てこのクソガキが原因であるというのに。
おそらくシフォンはこうなることを分かっていた。分かった上でやった。
でなければ今、あのようなすっきりした顔をしているわけがない。許したと見せかけて、最後の最後にこんな罠を用意するとは、意外とえげつない。
「説明する前に確認したいんだけど、東雲彗太、君はこの世界について、どれくらい知っているの?」
「え? ああ、そうだな……魔術や魔法が存在して、あと魔獣や、そしてたくさんの種族がいる、ということくらいしか知らないが。あと、お前――月神が崇められてるくらいかな」
月神への無礼な発言に、ラフマニノフ司教が眉をひそめる。司教の立場からすれば当然のことだ。しかし、いくらなんでも誘拐犯に丁寧語を使うほど、そして「様」もつける程プライドは低くない。
「そっか。じゃあ、この世界の成り立ちとかは知らないよね?」
「まあ、そうだな」
「じゃあ、そこから説明が必要か。簡単に説明するとね、今、この世界はいわゆる"作りかけ"の状態なんだ」
「簡単な割には、最初からとても壮大だな」
作りかけとは何だ。作りかけとは。
「今僕たちがいるこの世界は、僕が張っている結界――"アルカディア"の内側に存在する世界なんだ。その結界の外は混沌で満ちていて、生物は住めない状態。そして、結界の内側では、例えばイニティウムを初めとして、他にも様々な種族が暮らしている。これが大まかな、今のこの世界の状態」
「かなり省略されているけど、まあ、一応理解はできた」
世界観がまるで、昔読んだファンタジー小説に出てくる異世界のようだ。なおその物語では、その結界を張るためには生贄が必要という設定だった。
……本当に俺は、これから何をさせられるのだ? まさか本当に生贄にされるわけではあるまいな。
「じゃあ、次にアルビテルの説明をしようか。アルビテル――シフォンさんにやってもらいたいのは、簡潔に言うと、この世界を旅することなんだ」
「旅、ですか?」
シフォンが少し驚いたような反応をする。いきなり呼びつけられて旅をしろと言われれば、当然だろう。
「そう。この世界を旅して、この世界の間違いを見つけてほしいんだ」
この世界の間違い?
「間違い……? それってどういうことですか?」
シフォンも俺と同じく、月神の言いたいことがわからなかったらしい。月神は「そう、間違い」と言い、説明を続ける。
「僕はずっと探している。この世界に生じてしまった間違いを。僕はこの世界を、幸せで溢れるような世界にしたつもりだった。けど、僕は何かを間違えたらしいんだ」
月神が両手を広げ、話を続ける。
「さっきも言ったように、この世界はまだ作りかけなんだ。でも、間違いを放置したまま世界の創造を続けてしまうと、後の禍根になりかねない。でも、僕にはそれがわからなかった。だからシフォン。君に探してほしい。どんな些細なことでも良いんだ」
月神の口調は、まるで、子供に簡単なおつかいを頼むかのように軽かった。けれど、その口調に反し、彼女の言った内容はとても壮大で、重い。重すぎる。
そもそも、こんな少女に旅を、それも魔獣の出る世界を旅しろというのは、あまりに酷だろう。昨日も行き倒れていたのに。
「なんで、そんなことをするんだ? わざわざ、シフォンに旅させなくても、他の方法がいくらでもあるだろ。神様なんだから」
我慢できずに、ついシフォンと月神の会話に割り込んでしまう。月神は勝手が過ぎる。いくらこの世界の自称「神」とは言え、人の事をどう思っているのだ。
「僕は万能じゃないよ。それに今も言ったように、僕の視点だけじゃそれがわからなかった。他にも事情はあるけど、この世界に暮らす人、その視点で見いだされたそれが、今の僕にとって重要なんだ」
「……なら、旅をするのはシフォンでなくても」
「他の人にやらせるのかい? それは旅をするという負担が、誰かに移るだけだよ。それに、ウォルタスさんを選んだのは、このアルビテルを為すのに適性があったから。誰でもいいというわけでもないんだよね」
「それは……いや、けど」
たとえ誰かに移るとしても、シフォンのような少女にやらせるべきことではないだろ――そう言いかけたところで、俺の発言は遮られた。
「シノノメ様。あなたの気持ちも理解できますが、月神教にとって、月神様の仰ることは絶対。月神教を信仰していない、それも異世界の人であるあなたが、口をはさむことではありませんよ」
月神になおも食い下がろうとする俺を、ラフマニノフ司教が鋭い口調でたしなめた。
彼の言うことも最もだ。今の俺は月神を崇めず、更にはクソガキ呼ばわりする異教徒だ。そんな者が月神教に、ましてや月神教の主神である月神に口をだす資格などないし、許されない。
むしろ、既に彼女を冒涜し、その決定に干渉しているにも関わらず、この程度の警告で許されていることがおかしいのだ。元の世界でも、ここまでの冒涜行為を行えば、きっと命の保証などない。
つまり、この警告を無視すればどうなるかは分からない。
「ケイタ。心配してくれるのは嬉しいけど、司教様の言う通りだから。それに、私は使命を受けてここに来たの。どんな使命でも、今更嫌だなんて言わないよ」
シフォンが司教に同調する。場違いではあるが、再びケイタと呼ばれたことが非常に嬉しく感じられた。
アルビテルの当事者である彼女が受け入れるなら、いくら反対したところで、余計なお世話だろう。それに、まだ知り合って1日しか経っていない相手に、あれこれ指図するほど、傲慢になりたくはない。
「……分かった。シフォンがいいなら、何も言わない」
納得は、できないが。
「とりあえず、理解してもらえたかな? なら、次に東雲君を呼んだ目的について話そうか」
「そういえばそうだったな。で、何をさせるんだよ」
先述した通り、一介の理系の大学生がこの世界で出来ることなど、想像がつかない。元の世界に無事に帰れるような、簡単なお仕事だと良いのだが。
そんなことを考えていた俺はまだまだ甘かった
先ほど「最悪な事態を想定して動く」ことが自身の処世術だと述べたが、またしても失敗していた。
「単刀直入に言うとね、アルビテルに――シフォン=ウォルタスの旅に、同行してほしいんだ」
……。
ふむ。
このクソガキ、今、なんと言った?
「あのさ、悪いけど、もう一回言ってくれないか?」
聞き間違いだろうか? 今、この神と名乗る少女は、とてもおかしなことを言ったように聞こえた。いや、おそらく聞き間違いだろう。そうに違いない。違わないと困る。
俺の聞き返しに対して、月神はきょとんとしている。
「え、まさか聞こえなかったの? アルビテルに、つまり、ウォルタスさんの旅に同行してほしいと言ったんだよ」
おかしい。聞き間違いが、聞き間違いにならない。
「は……ははは。耳がおかしくなったのかな? シフォンと一緒に、旅しろって言われてる気がするんだけど」
「いや、月神様はちゃんとそう言ってるよ……?」
突然笑い出した俺が不気味だったのだろう。シフォンが若干引きながらも、心配そうにしている。
しかし、心配するなら、聞き間違いであるはずの言葉を肯定しないでもらいたい。
「はっはっは。冗談きついぞシフォン。ただの大学生に、この世界を旅しろだと? 魔術とか使えないのに? 魔獣と戦うとか無理なのに? 無茶に決まってるじゃないか。ははは、あはははは……ふう」
乾いた笑い声をひとしきりあげた後、ゆっくりと深呼吸をする。
ひとまず冷静になろう。
そう、冷静にである。
さあ、冷静に――なれるわけなかろうが。
怒りに任せて、月神を睨みつける。
「この世界を旅しろと?」
「うん」
「なぜ?」
「シフォンと同様、君の視点――全く新しい視点から、この世界の間違いをみつけてほしいんだ」
「へえ……まさか、その旅が終わるまで、俺は帰れないと?」
「うん。帰さないよ」
なるほど――冗談じゃない。
「ふっざけんな! それなら俺は、いったい、いつ帰れるんだよ!」
俺は法則も常識も異なるこの世界に、詐欺同然で連れてこられた。さらに、召喚に失敗したとはいえ、魔獣の出る山の中に置き去りにされた。
これだけでも腸が煮えくり返っているというのに、その上、この見知らぬ世界を旅しろという。それも恐らく、世界中をだ。数か月、下手したら数年かかるかもしれない。しかも、それが終わるまで帰さないという。無茶苦茶にも程がある。
しかし月神は俺の怒りを気にする様子はなかった。それどころか「そうだね……今のこの世界は、君のいた地球より全然狭いから。早ければ、1年で終わるんじゃないかな?」と言い放った。
「1年でって……」
世界中を旅してたった1年で終わるというのは驚きだが、されど1年。どうあがいても、大学留年は確定だ。
「……ふざけんな。騙して連れてきて、その上1年間旅しろと? やってられるか。さっきも言ったが、さっさと俺を元の世界に戻せ」
「拒否する気持ちは分かるけど、今すぐ君を帰すのは難しいよ。というか、無理かな」と彼女は、困った顔をして、言葉をつづけた。「君をこの世界に召喚するだけでも、莫大な魔力を消費した。そしてそれは、君を向こうに帰すときも同じ。君を帰せる程の魔力が貯まるのも、ちょうど1年後くらいなんだよね」
「……は?」
月神の言葉に呆然とする。
つまり、俺はいくら月神の要求を拒否したところで、最低1年はこの世界で過ごさなければいけないということか。




