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ミハエルの苦悩

 澄み渡る空、ぼんやりと滲んだように浮かぶ虹。


 まるで、そこだけが違う世界になってしまったようだ。そんな、不思議な感覚が俺を襲った。


 ネイセフ湖のある村外れに足を運んでいた。何も考えずに、そこにある岩の上に座る。荒んだ心を落ち着かせる最近の習慣になりつつある。困った習慣だ。

 ふと、湖面に浮かぶもう一つの虹をぼんやりと眺めた。


 小さな名もしれぬ虫がいる。水面をすいすいと泳ぐように歩いていた。それをただ、呆然と眺めているだけの時間が過ぎる。心は水面のように穏やかだ。しかし、俺はどちらなのか。


 自分自身と向き合う時によく空を見上げることがある。


 忘れてしまわないように。自分がいかに、矮小で力のない存在であるかということを。


 その原因たるもの。


 この体が憎たらしい。心は男であるのに、女の肉体を享受しているからだ。


 いや、享受というのは適切な表現ではないかもしれない。

 何せ、俺は男だ。しかし、女の体を持っている。持って生まれた体と意識が噛み合わない。


「俺はどうしてこんな状態で生まれたんだ」


 餌もつけずに垂らした釣り糸。釣り竿は持ち合わせていない。作れはするが、このスタイルがとても、気に入っている。

 どうせボウズなのは決まっているような、行為だ。文句は言わせん。


 釣りが趣味かと聞かれても、そんな知識や技術はありはしない。

 特技と言えば、男を手玉にとることくらい。俺は男だ。つまり、男の気持ちは汲み取れる。


 男が、女のどこに惹かれるか。指先一つの動きだけで惚れる男も居たくらいだ。それほど男は単純な生き物だ。


「つまらん世の中だ」


 声だけはハスキーで痺れる声だと、女たちはそう口にする。


 或いは、女を落とすのも簡単なことなのかもしれない。どっちつかずの行動。その、態度から村の人間から嫌われるかと思えば、そうでもない。


「ネイセフ村、片田舎のこの村は異常だ。他の土地を旅してまわる俺だからわかる」


 俺は、吟遊詩人だ。小ぶりのハープを使いながら奏でる唄は、生き様そのものだ。

 男を捕まえては、体は許さずその心をもてあそぶ。女を捕まえては、潜在的欲求を満たす。


「かの吟遊詩人は言った。我々は人々を惑わす魔性の唄い手。誰もを魅了し、心を捕らえて離してはならない」


 独白は続く。この村で今の状態の俺に話しかけるやつはいない。何故なら、すこぶる機嫌が悪いことを知っているからだ。


 懐から紙巻きたばこを取り出して、くわえる。灯り(ライト)の魔法を無詠唱で発動。

 こんなものでも火をつけるには充分な熱が放たれる。


「はぁ、何だって俺は自己嫌悪なんかしなくちゃならんのだ」


 紫煙を肺に吸い込み、心に安寧が訪れるまで煙を楽しむと一気に吐き出す。

 俺は、己だけを信じて生きると決めたはずだ。


 このような状態で生まれたことに悲観はないはずだ。だが、なぜ自己嫌悪なんてしてしまうのだろうか。

 生き方くらい、自分で決める。


 そう言い放って実家を飛び出した。のらりくらりと、住処を変えるような男だ。風来坊というやつだろうか。


 両親に対して、負い目はない。産んでくれたことには、感謝もしている。それに「生きたいように生きろ」って言ってくれた。親不孝なやつだな。


「ミハエル、またこんなところで一人で意味のわからんことをしているのか?」


 釣り糸を引き上げたタイミングで、背後から声をかけられた。この村を拠点にしてから、やたらと絡んでくる男だ。


「なんだ? 万年、銅級ランク冒険者。俺は忙しいんだ。話しかけるな、気が散る」


 男を軽くあしらう。その場を早く離れたいがため、道具をそそくさとバックパックに詰めて歩き出す。

 しかし、男はめげること無くついて周る。「俺が銅級ランクなのは実力をギルドが評価してくれないからさ! 魔物を屠った数なら誰にも負けないぜ」なんて、奴は嘯いている。


 確かにこの男は魔物を多く殺している。だが、その内容が問題だった。

 子供でも簡単に殺すことが出来る。こいつは、小物しか殺していないんだ。ゴブリンにも劣る魔物程度。功績など有って無いようなものだ。


「くだらん見栄はやめとけ。身を滅ぼすぞ」


 実感がこもったこの言葉の重みは、こいつには伝わりそうにない。脳天気な癖して、臆病者なこの男。昔の自分を見ているようで無性に腹が立つ。


 大した実力も無いくせに。


 前に、冒険者ギルドに所属していたことがある。


 だが、吟遊詩人としてパーティに所属していた。この役職は中途半端な立場だ。ほとんど、邪魔者のような扱いをされるだけだった。


 攻撃をしようにも、打撃や斬撃のような効果は見込めない。唄で出来ることは仲間を鼓舞する唄。それに、仲間を回復させるような唄なんかを唄うくらいしかない。


 他の武器も使えばいい。そう思うやつもいるだろう。しかし、使えもしないものを持っても、足でまといになることに変わりはない。


「なぁ、俺とパーティを組もうぜ! 頼むよ!」


 尚も男は食いさがる。しつこい男は嫌われるを地で行く男だ。村の女に見向きもされなくなったのも手伝って、話しかけてくるのだろう。


 めんどくさい奴。


 男の俺でさえ、これだ。女にしてみれば群がる蠅の如く嫌悪対象だろう。

 しつこい男は、タチが悪い。生理的に受けつけない男も、タチが悪いけどな。


「断る。お前に魅力の一つも感じられない。それ以前に、俺は吟遊詩人。気ままに旅して回るのが性に合っている。お前は万年、ここにとどまるくらいしか力のない冒険者。釣り合わねぇよ」


 男は苦虫を噛み潰したように顔を歪めると、去っていった。


 これでこりてくれたら御の字だ。「ん?」目端に妙な女がいるのを捉える。そちらに無意識に、目を向けた。


 その女は湖面に映る自分を見つめて、ため息をこぼしている。どこか憂いのある彼女の雰囲気。そこに、ある種の共鳴を感じた。あの女には、何か胸に一物抱えているものがある。

 直感がそう、告げる。もの悲しげな女を見ると、どうにも俺は弱いらしい。


「もし、そこのお嬢さん。いかがなされた? そんな薄着では風邪をひいてしまう」


 彼女を驚かせないように、そっと近づく。

 そして、言葉をかけてから肩掛け替わりに、長めのスカーフを巻いてやる。彼女の口から艶かしい吐息が漏れる。


「えっと、どなたでしょうか?」


 彼女は、どうやら俺を知らないらしい。これでも吟遊詩人。

 行く先々での出来事を唄にして披露するのが生業だ。

 もちろん、この村でもやって見せた。しかし、この子は観てはくれなかったようである。


「私は旅人。そして吟遊詩人でございます。可憐な貴女に相応しい曲を是非プレゼントしたいのだが、いいかな?」


 キザったらしくなりすぎないように気をつけた。そして、腰に下げたハープを手に取る。弦をひと撫ですると慣れ親しんだ音色が奏でれる。


「あら、素敵な音色ね」


 奏でる曲に併せて、彼女が唄いだす。どうやら、自分の自己紹介のようだ。暗かった表情は、今では晴れやかな笑顔に変わっていた。唄が好きな子なのかもしれない。


 俺も自己紹介の唄で彼女に返事を返す。とても、素敵な時間だった。手のひらを打ち合わせて俺は賞賛の拍手をおくる。


「素敵な唄声だったよ、ありがとう。レスリーお嬢さん、君は歌の才能があるよ」


「あら、あなたも随分と素敵でしたわ? でも、吟遊詩人さんにこの言葉は失礼かしら? それと、レスリーでかまわないわよ?」


「お言葉に甘えましょう。レスリー、そんな事はございませんとも。お褒めのお言葉を頂くことは、たとえその道のプロであろうとも喜ばしいものでございます」


「そうなのかしら? 私は褒め言葉は言われることは大嫌いなの。媚びてきているだけの気がして。あとは、私という個人を見ようとはしないところかしらね」


「心中お察しします。たしかに言葉というものは、発言者の思惑を外れて相手に伝わることが多い。」



 俺とレスリーの出会いは、或いは運命だったのかもしれない。

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