記憶を取り戻すということ
「過呼吸・・・ですか?」
「はい。まあ、今回は対処が良かったので体に特に問題はありませんが・・・」
「・・・原因は?」
「これも心因性のものでしょう・・・ですが、理由はもしかしたら記憶喪失のせいかもしれませんね」
「・・・」
「・・・あまり無理に思い出させようとしないほうがよろしいでしょう。それでなくても、不安定な精神状態ですから、プレッシャーを与えないようにしてください」
「・・・わかりました」
不明瞭な意識の中、聞こえてきた会話。
ああ、また病院なんだと思う。
車の中で倒れたのかな?
だとしたら、セイに迷惑をかけてしまった。
前回に引き続き二度目だ。
申し訳ないなと思う。
ゆっくりとまぶたを上げると、母親の姿が目に映った。
「良かった・・・」
ホッとしたように目を細める姿に罪悪感を覚える。
ゆっくりと体を起こす。
心配そうに覗き込んでくるヒカリの母親。
そうだ、この体はヒカリのもので。
だから、もっとちゃんと考えて行動しなくちゃいけなかったんだ。
「ごめんなさい。心配かけて」
ずっと、気にかけてもらうことが申し訳なかった。
けれど、そうじゃない。
この体はヒカリなんだから、母親が心配するのは当然で。
それは受け入れないといけないことだったんだ。
申し訳ないと思うんじゃなくて、ちゃんとヒカリに・・・ヒカリが戻れるようにしないと。
「ヒカリ?」
少し離れたところに居たセイが心配そうに声をかけてくる。
「セイにも迷惑かけちゃって、ごめんなさい」
「いや・・・それよりも、大丈夫か?」
「うん、体はもう平気みたい」
「そうじゃなくて・・・」
セイが何を言いたいのか良くわからなくてきょとんとすると。
「・・・ああ、うん。なんでもないよ」
セイはごまかすみたいに笑って。
「家まで送るよ」
そうして、母親と三人で帰途に着いた。
***************
「セイ君、ありがとうね。あ、お義姉さんに持っていってほしいものがあるの。ちょっと待っていてくれる?」
「あ、はい」
家の前にセイが車を停めると、母親が先に降りて家に入っていく。
「今日は本当に迷惑かけちゃって、ごめんなさい」
助手席に乗っていた私は、改めてセイに謝罪する。
「いや・・・今日は俺が不用意なこと言ったせいだから。・・・ごめん」
「え、そんなことないわ」
だって、セイは普通のことを言っただけ。
単純に自分がそれを、そんな当たり前のことを理解していなかった、それだけのことだ。
「気にしないで。・・・ううん、逆に良かったかも」
ちゃんと自覚できたから。
「私、早く記憶を戻したい」
ヒカリが戻ったら、今の私はどうなるんだろう・・・。
それが不安じゃないと言ったら嘘になるけど。
でも、ヒカリじゃない自分がここにいることのほうが良くないことはわかるから。
「ヒカリ・・・無理してないか?」
セイが顔を覗き込む。
ちょっと驚いて見返す。
「・・・なぜ? セイだって私の記憶が戻って欲しいでしょ?」
「それは・・・そうだけど」
少し困ったみたいに眉根を寄せて。
「医師も言っていただろ。無理に思い出そうとかしなくていいんだからな」
「無理にって・・・そんなことないわ。思い出したいって思うのは普通でしょ?」
重ねて言うと、セイはやっと納得したのか少し表情を緩めて。
「そっか、そうだな・・・でも、無理するなよ」
改めて言いながら、頭を撫でてくる。
目覚めたあの日、いきなり触られてびっくりして怖くて逃げてしまったけれど、今は普通に親戚のお兄さんって感じで違和感なく受け入れられた。
気遣ってくれる優しさが本物だって実感できる。
ホッとして笑みを浮かべると、セイも笑って撫でていた手がポンポンと頭を軽く叩いて離れていく。
「じゃあ、ありがとう」
車を降りるとちょうど母親が家から何やら紙袋を下げて出てくる。
「セイ君、これ貰い物なんだけどたくさんあるから、お義姉さんに渡してもらえる?」
母親が手土産らしきものをセイに渡して、セイもありがとうございますと答えて受け取ると、じゃあと言って帰っていった。
***************
「ずいぶん遅かったんだな」
部屋で着替えをすましたところで、リュウがまたベランダから訪ねてきた。
「うん、ちょっとね」
心配をかけたくなくて、病院にいっていたことは黙っておくことにする。
すると、リュウはなにやら不機嫌そうな顔で黙り込んだ。
定位置なのか、椅子の背もたれを跨ぐような格好で座ったまま。
椅子を占領されているので、私はしかたなくベッドに座る。
リュウは不機嫌そうな表情でじっと床を睨みつけているだけで。
しばらく沈黙が流れる。
なにか話があったから来たんじゃないかと思うのに。
なんでなにも言わないんだろう?
放課後からなぜか不機嫌そうだし。
「あのね・・・リュウに教えてもらいたいことがあるんだけど」
いいかげん、沈黙にも耐えられなくなって口を開く。
なにより、本当に訊きたいことがあったから。
「今までの学校での私って、どんなだったのかな?」
今日一日で嫌というほど味わった、ヒカリさまと呼ばれる扱い。
あんな状況で、ヒカリはどうすごしていたんだろう。
親に聞いても知るはずないし、学校でそんなことを聞けるような親しい間柄の子が居るとは思えない。
こんなことを訊けるのはリュウだけなのだ。
リュウもそれはわかったんだろう、不機嫌そうな顔が一転して少し迷ったような様子になる。
「あ~、なんていうか・・・学校でのヒカリは・・・盛大に猫かぶってたな」
猫かぶり?
きょとんとすると、リュウは苦笑して。
「一言で言うと優等生。勉強も出来てスポーツもこなして・・・文武両道ってヤツ? ま、クラスメイトとかも特に仲良いヤツはつくらなかったけど、仲が悪いっていうのもいなかったし、いっつも隙なくニコニコしてるもんだから、なんかみんな遠巻きにしてヒカリさまとか呼び出してさ」
・・・てことは。
「じゃあ、別にみんなに嫌われてるとかってわけじゃないのね」
優等生で、親しい人はいなくて・・・ただ単純に浮いてたってことか?
それにしてもやたらと注目されまくっていたのは腑に落ちないけど。
「へ? お前、そんなふうに思ったの?」
リュウがびっくりしたみたいに目を丸くして。
「だって、普通クラスメイトに『さま』づけなんてしないでしょう?」
顔をしかめると、リュウは笑って。
「そっか、急に呼ばれたらそんなふうに思っちまうんだな。・・・お前のはどっちかっていうと、愛称? みたいなもんだよ」
「愛称?」
「そうそう。そんな気にすることじゃないって」
笑顔のまま言うリュウ。
確かに、ちょっとしたニックネームだと思えば、そんなに気にすることはないのかもしれない。
「そっか・・・教えてくれてありがとう」
ちょっとホッとして笑顔を向けると、リュウは照れたのか少し赤くなってそっぽを向く。
照れてる様子がちょっと可愛いなって思って微笑んで、そして。
「あのね・・・できたら前の私のこと、もっと教えてくれないかな?」
意識して言葉を紡いだ。
そっぽを向いていたリュウの視線がこっちを見て。
「私、早く記憶を取り戻したいの」
少し、驚いたみたいに見開かれた目が真っ直ぐこちらを見ていて。
私はそれを、決意をこめて見返す。
リュウは少し困惑したような表情を見せて。
「俺は・・・もちろん、手伝うよ?」
なに当たり前のことを言っているんだといった様子に、少し気持ちが沈む。
・・・バカだな私。
リュウが、ヒカリの記憶を取り戻したいのは当たり前なのに。
彼が求めているのはヒカリだ。
改めて確認して、傷つくのは自分。
わかっていたのに、確かめずにはいられなくて。
・・・もしかして、私は。
行き着いた考えに、慌てて首を振る。
私は、ヒカリじゃないんだから。
ヒカリが戻ってこられるように努力すること。
それが、今、私のするべきことだ。
よけいなことは考えては駄目。
「ありがとう」
リュウに笑顔を向ける。
ちゃんと笑えたか不安になったけど。
気にすんなと答えた顔がいつもどおりだったからホッとした。
***************
次から展開が早くなります。
記憶なくしてネガモードのヒカリさんに作者が耐えられなくなったという・・・(^^;