幼馴染
「ここが、私の部屋・・・?」
あのあと、すぐに退院して自宅に行くことになった私。
やっぱりヒカリという名前で、十八歳の高校3年生だとも教えてもらった。
あの中年の男女は両親で、そしてあの青年はセイという名前で、いとこなのだという。
自分の怪我は学校で階段から落ちて頭を打ったせいで、傷はたんこぶ程度で軽症。
だけど、なかなか目を覚まさなかったので、その間にいろいろ検査されて、ちょっと栄養不足だったからと栄養剤の点滴を受けていたらしい。
ただのいとこがその程度のことで病院に駆けつけるのか? と、不思議に思ったが。
「また今度にしよう。今日はいろいろあって疲れただろう?」
言われて、確かにそうだったので小さい疑問は後回しにした。
母親だという女性が、いろいろ自分について教えてくれるのが、なんだかすごく申し訳なくて。
気疲れしてしまったのだ。
父親だという男性はずっと無言で、そのどこかイライラしている様子も居心地が悪かった。
自宅だと言われて着いた家も、やっぱりまったく馴染みのないもので。
二階にある部屋に連れてこられて、自分の部屋だと教えられても、なんだか落ち着かなかった。
医師は記憶喪失だといったけれど。
本当は自分が別の人の体に入ってしまったような違和感でいっぱいだった。
だって・・・。
部屋は女の子らしい色調で整えられていた。
淡いブルーのカーテン、ベッドはピンクの刺繍のある白を基調にした寝具、ところどころにぬいぐるみが飾られていて、かわいらしい。
だけど、自分のものとは思えなくて、落ち着かない。
それでも、こうして突っ立っていてもしかたないので、勉強机の椅子に腰掛ける。
すると、机の上に置いてある鏡が目に入った。
自分の顔が映って驚く。
二重でまつげの長い大きめの目が驚いた表情を作っていた。
肌は抜けるような透明感のある白で、でも健康的にほんのり赤みが差している。
少し開いた唇はふっくらと肉付きが良く、けれど主張しすぎないほどよさで。
長く艶やかな黒髪が、どこか清楚な印象を与える。
まぎれもない美人がそこに居た。
自分の顔を見るのは二度目だ。
病院のトイレで一度確認している。
あの時も思ったけど・・・これが自分だなんて信じられない。
鏡を手に取ると、鏡面を下にして机に置いた。
自分に関する記憶はない、けれど一般常識は覚えている。
この顔が美人だということも、きっと間違いない。
だけど、それが自分だということだけが受け入れられなかった。
本当の自分は地味な普通の女の子で。
何かの間違いで、こんな美人な女の子と中身が入れ替わったんだ。
そのほうがよっぽど受け入れられる。
「あ~、もう。どうしよう」
聞けば、どうやらちょうどゴールデンウィークで、しばらくは休みらしいけど。
数日後には学校に行かなければならない。
なにせ高校3年生。
受験生がそうそう休むわけにもいかない。
それは、ちゃんと常識を忘れていない自分だからわかる。
けど、親の顔さえ(もしかしたら本当の親ではないかもしれないけど)覚えていない状態の自分。
友達の顔もクラスメイトも先生すらわからない。
・・・不安すぎる。
そんな時だ。
コンコンッとノックするような音。
だけど、それは部屋の扉ではなく、窓・・・というか、たぶんベランダになっているガラス戸から聞こえた。
一瞬、何事かと思って、ビクッとするが。
「ヒカリ? 開けろよ」
声が聞こえてきて、悲鳴をあげそうになるのをこらえる。
泥棒がノックをするわけないし、なにより名前を呼ぶはずがない。
つまり、ヒカリの知り合いだということなんだから・・・大丈夫よね。
恐る恐る近づいて、カーテンを開ける。
そこに居たのは黒い短髪の背の高い同い年くらいの男の子。
少し勝気そうなつり目が印象的だ。
男の子を部屋に入れるのには少し抵抗を覚えなくもなかったけど、なにもわからない自分が拒否するのもためらわれて。
どきどきしながら、鍵を開ける。
男の子はすぐにからりとガラス戸を開けて部屋に入ってきた。
慣れた様子で、さっきまで自分が腰掛けていた椅子に背もたれを跨ぐように座ると、こちらを見上げてくる。
「なに、突っ立ってんだよ。てか、階段から落ちたって聞いたけど、その様子じゃ大丈夫そうだな」
親しげに声をかけてくる。
だけど、ヒカリとどういう関係なのかまったくわからない。
両親といとこのセイの反応から、本当は言うのがちょっと怖いけど。
「ごめんなさい。・・・貴方、誰?」
一瞬、本気でなに言ってんだって顔をされる。
「・・・あのね。私、記憶喪失なの」
しばらく、じっと顔を見つめられて。
「はあ!?」
予想していたとはいえ、大声を上げられて本気でびっくりした。
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「ええと、じゃあ・・・マジで自分のことだけわかんないんだな?」
こくりと頷く。
とりあえず、病院で目覚めてからのことをかいつまんで話したところだ。
それでも、まだ信じられない様子で。
「じゃあ、俺のことも・・・」
「うん・・・ごめんなさい」
わからないことがなんだか申し訳なくて、謝ることしかできない。
「ああ、悪い。・・・謝って欲しいんじゃないんだよ。・・・実際、大変なのはヒカリなんだし」
だけど、向けられる笑顔がどこか無理しているように見える。
本当に申し訳なくて、だけど謝ることも出来なくて目を伏せた。
「あ~じゃあ、とりあえず自己紹介な。・・・俺はリュウ。友達っていうか幼馴染だな。小学校のときから隣に住んでる」
ベランダを親指で指して。
「本当は親たちに怒られるから内緒なんだけど。一階の屋根を伝うと、こうやって出入りできんだよ。ああ、お前は危ないから基本的には俺がこっちに来るしかしないけど」
言われてベランダを見ると、なるほど、隣の家の一階の屋根がこちらのベランダの真下に続いている。
その屋根の向こうには部屋の窓が見える。
あれがリュウの部屋らしい。
「でも、それじゃ学校とか大変だよな・・・」
少し、考え込んだリュウが突然ばっと顔を上げて。
「俺、一回戻って玄関から入ってくるわ」
「え?」
そうして、リュウは慣れた様子でベランダから屋根を使って自室に戻ると、すぐに玄関のチャイムが鳴る。
「あら、リュウ君?」
「おじゃまします。なんかヒカリが怪我したって聞いたんですけど・・・」
母親となにやらやり取りする声が聞こえて。
「ヒカリ、ちょっと降りてきて」
しばらくして、母親に呼ばれた。
降りていくと、リビングのソファに座るリュウの姿。
「ヒカリ、彼はお隣のリュウ君。同じ高校だから、学校でわからないことがあったら、いろいろ教えてもらいなさい」
いきなり話が進んでいて意味がわからない。
困ってしまって、首をかしげると。
「事情の知ってるやつが近くにいれば安心だろ? 俺はクラスも一緒だし、とりあえず頼れよ」
言われて、なるほどと思う。
つまり、親公認の案内役を買って出てくれたというわけだ。
「えっと・・・じゃあ、よろしくお願いします。リュウ君」
一応ここはちゃんとした方がいいだろうと思って、深々と頭を下げると。
ちょうど、出されたお茶を飲もうとしていたリュウが、びっくりしたみたいに喉を詰まらせて、ゴホゴホとむせた。
「大丈夫? リュウ君」
近寄ろうとすると手で静止させられて。
リュウは何度か咳払いをして喉を落ち着かせると。
「いいから、その、リュウ君ってのやめろ」
「・・・え?」
「お前に君付けされるとか、ないわ・・・落ち着かないから、リュウでいい」
言われて、いつもは呼び捨てだったのだと知る。
「そういや、おばさん。アルバムとかってある? それ見ながら学校のこととか説明したらいいんじゃないかな?」
「ああ、そうね。それはいいアイデアだわ」
母親が顔を輝かせて、アルバムを探しにリビングを出て行った。
「お前・・・記憶って言うより、なんか性格違わねえ?」
言われてドキッとする。
だって、本当はこの体は自分のものじゃないような気がするから。
だけど、そんなことは言えない。
「そんなの、自分じゃわからないわ。覚えてないもの」
言うと、そういうもんか? と、少し驚いたような顔を見せて。
それからじっと見つめられる。
どこか、観察するような眼差しに目を逸らすと。
ちょうど、アルバムを持った母親が戻ってきて、リュウの視線が逸れる。
少しホッとして、だけど、不安が胸の奥に渦巻いていた。
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ここまで読んで気づいた方もいるかもですが、登場人物の名前はすべてカタカナで、苗字が出てきません。
最初いろいろ考えたんですが、面倒になって放棄しました(^^;
そういうものだと思って読んでいただけたらと思います。