第一話 貴女は精霊に愛されていない
朝出発して、正午。
俺たちは学院都市イールギールに到着していた。流石学院都市というべきかそこらじゅうにフードを被った、学生らしき青少年達が歩き回っている。
手を繋いでいる男女のカップルもちらほら見かける。何処にいっても学生は青春を味わうものらしい。うん、青春素晴らしい。爆発しろ。
とりあえず目的の学院都市イールギールには着いたので、背中で呻き声を上げているエリスに声をかける。
「おーい、学院都市着いたぞ。いつまで俺の背中に担がれてる積もりだ」
「うう、気持ち悪い。一週間はかかる道程を僅か数時間で踏破するとは信じられんのう」
そんなことを言いながら、俺の背中から滑り落ちるように下りるエリス。その様相は髪は滅茶苦茶で服はよれよれで少し脱げかけて、肩が見えている。まるで、浮浪児のようだ。
まあ、俺のせいなんだがーー時は数時間前、森を出発してから数十分後の事だ。
無事に森を抜けて平野に出た俺達は、自身の外れし力の名前を考えていた。理由はエリスがまだかまだかと随分と急かしたからだ。だが、俺はネーミングセンスというのが凡そ皆無だった。ましてや中二ネームなんてハードルが高すぎた。
悩み続けた末、ようやく良さそうなネーミングが頭の中に浮かんだ。俺は早速、横で鼻歌を歌いながら自身の魔法の杖を大事そうに磨いているエリスに声をかけた。
「なあ、やっと良さそうな名前が浮かんだわ」
「ほう、いってみよ」
一瞬、エリスの目がピカーンと輝いた気がした。
「超身体能力とかどうかな」
自分では中々良さげだなと思っても、実際他人に言うのは凄く恥ずかしかった。とりあえず、俺はエリスに感想を求めた。
するとエリスの奴、顔を伏せたまま動かない。よく観察すると体が微かに微震動していることに気づいた。俺が顔を覗き込むと手のひらで隠しやがった。
そこで、俺は理解した。
ーーああ、こいつ笑いを堪えてるな、と。
だが、ある程度予想していた事態だった。俺は自分のネーミングセンスのなさは自覚している。自分ではいいんじゃねと思っても、笑われた事だってある。別にエリスが初めてじゃない。
だが、こいつが笑った理由は想定外だった。
「くっ、くくくくくく、は、超身体能力とな?お、お主もう少し考えて名前をつけんかっ。は、ハイパーどころか足りないくらいじゃ!こりゃ、傑作じゃ。はははははははははははは!!」
エリスが俺を指差して、笑い転げた。地面をバンバンと叩いて、よく見れば笑いすぎて目から涙が出ていた。平野にも魔物が出るから静かに移動するようにと俺に注意した癖に馬鹿みたいに笑い声をあげる。
俺は思った。何を言ってるんだこいつ?と。
笑われる事は予想していた。だが、別に名前自体に文句があるわけでもないらしい。どちらかというと、俺の方が釣り合ってない?足りないって一体なんだ?
頭にハテナが飛び交っていると、ふと、エリスが俺に向ける人指し指が目についた。俺を指差しているには違いないがちょっと位置が違う気がした。こいつは結構人に指差す癖があるようで僅か一日の付き合いだが何度か指差された。その時は俺の額辺りを指していた筈だ。だが今はーーちょっと下だ。
指の直線上を視線で辿る。行き着いたのは俺の胸部だ。
俺は理解した。足りないってそういうことか。
別に怒りは湧かなかった。それはそうだ。俺は元男だし、なりたくて女になった訳じゃない。別に胸がおっきいとか心底どうでもいい。どちらかというと胸があると色々と邪魔だし、出来れば無い方が良い。
でも、別の事でカチンときた。
俺は自分のまな板から視線を外すと、他人に足りないとか何とかほざいてるロリババアの胸部を観察する。ーーまな板じゃねえか!!
俺は自分ができていない事を他人に指摘するような奴が大嫌いなのだ。自分に胸がそれなりにあって、他人につるぺたと指摘するのはまだ良い。ほんの数センチで大きいだけで勝ち誇ったような顔をするのも、情けないがまだ良い。
だが、自分もぺたんこの癖に他人がぺたんこなのを笑うとはどういう領見か!!
俺は少し、目の前のロリババアを懲らしめてやりたくなった。
「なあ」
俺は笑顔でエリスに声をかけた。
「はははははは、はあ、な、なんじゃ。はいぱーぼでー?」
うわ、殴りてえ。いやいや、我慢だ。
「ちょっと、実験に付き合ってくれないか?」
そして、今に至るという訳だ。
「ひっ、ひっ、ふー。ひっ、ひっ、ふー」
「おい、それ出産する際にする奴だから。意味無いから止めろ」
俺とエリスはベンチに座って休んでいた。エリスが気分が悪いとかぬかすから、目的の学院は目の前なのに中々たどり着かない。
「....嘘じゃ。この呼吸方法はありとあらゆる状態異常に効くと言っていた」
状態異常て。
「誰が?」
「お主と同じ転生者じゃ」
嘘教えんなよもおおおおお。悪ふざけしすぎだろ転生者!どんだけ二度目の人生謳歌してんだよ!
「....あれだ。酔いに効く魔法とか無いのか?」
「....あるにはある。じゃがもう効かん。《状態回復》は使えば使うほど効きが悪くなる」
「いつ使った?」
「お主の背中の上でじゃ。後半は効かなくなってきたので、遠くのものをみていた。もうわしにはこれしかない。ひっ、ひっ、ふー」
「好きにしろ」
俺は人の往来に目を向ける。やはり、人間とかエルフだけじゃなくケモナー御用達の獣人とかいるようだ。猫耳とか犬耳とか熊耳とか。熊耳の人には一応謝っておいた方が良いかもしれない。
俺たちがついたのは正午。丁度昼休みの時間だったのか先程までは学生とか沢山行き来していたのに、人通りは目に見えて少なくなった。どうやら、それぞれの学院に戻ったらしい。
だからこそ、ベンチに座る俺たち二人の幼女は目立つらしい。学院生徒なのに戻ってないのかとでも思われているのかちらちらと視線が向けられる。単にエルフの俺が珍しいだけかも知れないが。
エルフも珍しいけど、横にいる奴の方がもっと珍しい気がするけどな。
俺は横で未だにラマーズ呼吸法をやっている、たぶん正規の使い方は一生出来ねえなと思うロリババアに目をやった。エリスは確か竜の血を引くとか言っていた筈だ。
「ひっ、ひっ、ん?なんじゃ?」
「いや、竜の血を引くとか言ってたのに外見はおもいっきし人間だなって思って」
「ふん、外見など些細なことよ。竜の肝心な能力は全部受け継いでおる。寿命も身体能力も竜言語もな」
「それなのに、酔うのかよ」
俺の疑問の声になぜかエリスは噛みつくかのように捲し立ててきた。
「それはお主が規格外過ぎるせいじゃ!一週間の道程を数時間で踏破するとは正気の沙汰ではないわ!す、凄い揺れじゃったあ。お主の背中は余りにも頼りない。何度ずり落ちそうになったことか....」
「確かに結構速度出てたもんな」
自分では言うのもなんだがめっちゃ速かった。後、何度か魔物を蹴飛ばした。
「ああ、思い出すとまた気分が。ひっ、ひっ、ふー」
「....気分が悪そう。《爽快なる風》」
後ろから声がした。振り返ると緑色の髪をした少女が立っていて、次の瞬間、一陣の風が吹いた。
「ひっ、ひっ、お、気分が良くなったのじゃ!助かった、恩にきる!」
「.....よかった」
どうやら、気分の悪そうなエリスを魔法で治してくれたらしい。気分が良くなったのかエリスが急に立ち上がり、少女の手をとって何度も頭を下げてお礼をいいはじめた。どんだけ気分悪かったんだよ。
俺は少女に目を向ける。十四、五の大人しそうな子だ。眠たそうな目をしている。そして、俺は少女のその長い耳に気づいた。
この子、エルフか。
「.....同じエルフが目にかかったから」
どうやら、この子はまず最初にエルフの俺を見つけて近寄って来たらしい。それで、横にいるエリスが気分が悪そうだったので治してくれたと。
「.....私は、ルイル・フリューメ。名前がルイル。精霊名がフリューメ。.....貴方は?」
自己紹介を求められる。だが俺は言うのを躊躇った。俺は精霊名を持たないからだ。エルフにとって精霊名を持たないエルフはエルフ失格。昨日エリスが言った言葉を俺は忘れていない。
だが、黙っていても仕方ない。
「お、俺はコウ」
「.....精霊名は?」
俺は言葉につまる。ルイルの視線が突き刺さる。
「も、持ってない」
俺は下を向く。これ以上ルイルと顔を合わせる事が出来なかったからだ。
「....そう、やっぱり」
ルイルが言葉を紡ぐ。
「貴女は精霊に.....愛されていない。人里に降りてきて同族が目についたから仲良くしようと思ったけど貴女にはもう興味はない。さようなら」
そう言って、ルイルは去っていく。
「気にするな、コウ」
エリスが励ましの言葉をかけて俺の肩に手を置いた。
「ああ」
俺はルイルの背中が見えなくなるまでその背中を見続けていた。
脳内で彼女の言った言葉がずっと反響し続けていた。
ーー貴女は精霊に愛されていない。
ちなみにエリスの身体能力は人間の比ではないので、一日に彼女が歩く距離は大体八十から百キロメートル。その一週間分の距離をコウは大体三、四時間位で踏破した模様です。