第十二話 高い買い物
「あー、食べた、食べた」
「お主は本当によく食うのう」
『サーシャとターシャの愛の呉服屋』を出た後、俺達はもう一度繁華街に戻って、適当な店を選び夕食をとった。朝から何も食べてなかったから、死ぬほど腹が減っていた。今は腹が一杯なので満足である。
ざっと、五十人前程完食しました。いや、どうなってんだろうね俺の胃袋。
「食費が悩ましい....」
「そうじゃのう」
どう考えても今の食事量を貰う給料で賄える気がしない。エンゲル係数が天限突破している。どうしよう、これ。
流石にいつまでもエリスの財布に頼る訳にはいかない。服を買ってもらい、飯を奢ってもらい、籠手は....まあ、別として、これではまるでヒモだ。俺にもプライドと言うものがある。何時までも頼る訳にはいかない。
「魔物でも狩るか」
俺に考えられる案はそれだ。食費が掛かるなら自分で食材を取りに行けばいいと言う発想。我ながら名案である。
エリスも俺の案に同意する。
「近場には手頃な魔物がおるしのう。朝イチで何体か魔物を狩っておけば、その日の食事は賄えるのではないか?」
「朝の運動にはぴったりだしな」
ちょっと早起きして、ジョギングするのと同じ感覚だ。ちょっと早起きして、魔物ハンティング。実に健康的だ。
「昨日の熊は旨かったなあ。あれは近くに出没したりするのか?」
「......いや、流石にあれはおらんのう」
ちっ。いたら毎日でも狩ってやるのに。
「じゃあ、この近くで出る上手い魔物は?」
「さっきお主がバカ食いした星兎は腐るほどおるのう。後は雷電馬などか?美味な魔物もおるが、不味い魔物もおる」
ああ、ゴブリンとかね。あれは、不味そうだわ。
それにしても雷電馬って馬か。.....異世界の馬刺、期待が高まぜ。
「じゃあ、明日からの日課は魔物ハンティングか」
「わしは付いていかんぞ。朝は弱いのでな」
知ってるよ。寝起き悪かったしな。ババアなのに。
そこで会話が一旦止まる。と同時にエリスの進んでいた歩も止まった。
「どうした、エリス?」
「コウ、お主は先に帰っててくれ。わしは寄るところがあるのでな」
エリスはまだ用事があるらしい。付いていこうと思ったが腹が一杯で今日の模擬戦闘の疲れも出たのか強い眠気がさして来たので、止めとくことにした。
「じゃあ、気を付けろよ」
「ああ」
俺とエリスは手を振って別れた。
カン、カン、カン、カン、カン。
一定の間隔で金属と金属とがぶつかりあう音が狭い工房に響き渡る。それは熱せられた金属が手槌によって叩かれ、鍛錬されていく音だ。
ろくに灯りもない工房内で熱せられた金属が放つ火花が周囲に飛び散り、周囲を照らす。赤黒い光を放つ炉、煤にまみれた金床、そして手槌を打つこの工房の主人。
その工房の主人は、背が低く反対に体の横幅が広く、腕や足はしっかりと筋肉がつき、がっしりとした体型であった。最も特徴的なのは口元から、足元まで届きそうなもじゃもじゃの髭。それは異様な程の長さであったが、妙に様になっていた。
その主人が手槌により、工房内に金属音を響かせる中、別の音が少し離れた所で発生し、工房内に人の気配が入って来るのが感じられたが、髭もじゃの主人は眉をぴくりとも動かさず、作業に没頭する。
今、作業を止めてしまえば金属がダメになってしまうとわかっているからだ。それは訪れた客人も心得ているようで彼に声をかけない。
ようやく、必要な回数を打ち終えて、叩いた金属をもう一度炉の中へと突っ込む。それでようやく、彼は声を掛けられた。
「久しぶりじゃの、バンクード。元気にやっとるか」
ここ数十年は聞いていなかった幼声。久しぶりの旧友の肉声にバンクードは冒険者の間では岩顔と称される程に変えない表情を口角を上げて、不敵な笑みで返した。
「お前こそ、相変わらずの若作りだな。年寄り臭え挨拶しやがって、エリス」
バンクードが視線を向けた先、そこには幼い、しかし中身はバンクードの年の倍ではきかない少女がいた。
コウと別れた後、エリスが訪れたのは知り合いのドワーフが経営する鍛冶屋だった。訪れた目的はコウとの約束を果たすためだ。
店に入ると、奥の工房には記憶と幾分も違わず、手槌を叩きつけ音を鳴らすドワーフの姿があった。
ドワーフ。
長い髭が特徴の背が低くがっしりとした体格が特徴の種族である。古くは山の内部を掘って居住空間を創出していたと言われ、数千人単位まで膨れ上がった一つのドワーフの部族が一つの山の内部を蟻の巣のように掘り進んで、それが遺棄された結果、魔物が住み着き自然迷宮となった例は多く存在する。背が低いのは洞窟に住んでいた名残とされ、都市部に居住するドワーフはその手先の器用さからその多くが鍛冶屋などの職に就く。
目の前の男、バンクード・グロックもそんなドワーフの一人だ。エリスが学院都市を訪れるよりも昔からこの都市で鍛冶屋を営んできたドワーフの職人。相変わらず、弟子の一人もとらずに細々と鍛冶屋を経営しているらしい。
バンクードの憎まれ口も相変わらずだ。
半ば悪口のような挨拶をされながらも、エリスはにこやかに微笑んで置いてある古臭い丸椅子に腰をかけた。
バンクードも途中で作業を止めて、奥の工房から出てきた。
「で、何のようだ、エリス。わざわざ店に来たっつうことはそれなりの用があるんだろう?」
作業は止めたのに手槌は離さず、その手槌の柄の部分で肩をとんとんと叩きながらバンクードはエリスに尋ねる。エリスの表情は妙に神妙だった。
「ああ、お主の腕を見込んでのことじゃが......作ってもらいたいものがある」
「そんなことはわかってる。どんなのが打って欲しいのか、早く言え」
エリスは少し躊躇いながらも口に出して言った。
「籠手じゃ。.....わしのブレスでも溶けんような頑丈なやつ」
それはコウとの約束だ。今日の模擬戦闘でのエリスの過ちを許して貰うための代償。それはエリスの竜の吐息でも壊れないような丈夫な籠手をコウにプレゼントすること。
その約束を果たすために早速、エリスは鍛冶屋に来ていた。
だが、エリスの言葉を聞いた瞬間、バンクードは目をひんむいて怒鳴り声をあげた。
「は、はああ!?お前のブレスで溶けないような籠手だとお?ばっ、冷やかしなら帰れ!」
バンクードはエリスの実力を知っている。エリスの竜としての力も含めても、だ。だから、バンクードは思わず声を荒げてしまった。エリスの要求した内容がとてもじゃないがふざけたものだったからだ。
しかし、エリスに引き下がる気は毛頭ない。
「冷やかしではない。本気で頼んでおる」
「だ、だけどよお」
エリスのブレスを耐える籠手。それは竜の竜の吐息を耐える装備を作れと言っているのと同じだ。だが、そんな装備はそうそう作れるものではない。竜殺しを目指す英雄が纏う装備など、それこそお伽噺の話だ。
「ミスリル、オリハルコン、アダマンタイト.....はおそらく無理だ。緋緋色金じゃねえとお前のブレスは防げねえ」
お伽噺を現実にするにはそれなりの技術と材料が必要となる。話には精霊の祝福を受けた鎧等も存在するが、現時点では不可能だ。
緋緋色金。魔力との親和性を持ち、他の金属と比べて高い魔法防御力と高度を誇る最上級の金属である。アダマンタイトは緋緋色金と同等の高度を誇るが、魔法防御力が低い。
エリスのブレスを防ぐにはアダマンタイトよりも緋緋色金の方が適しているだろうとバンクードは考えた。
「だが、緋緋色金っつったら、相当の費用が掛かるぞ。わかってるのか?」
「具体的にはどのくらいじゃ?」
エリスの言葉にバンクードは指を三本立てて言った。
「三億だ」
三億イル。一般人が聞いたら目が飛び出るほどに金額だ。ざっくり考えても王都に豪邸が三つは建てることが出来る金額である。
だが、エリスの驚きは少なかった。妥当といえば妥当な金額である。発掘量もごくわずかな緋緋色金の価値は相当に高い。バンクードが呈示した金額も大部分が緋緋色金の値段だろう。それに、それを加工できるバンクードの腕も決して安くはない。
しかし、それでもエリスは言った。
「まけろ。わしが出すのは二億五千じゃ」
さも当然かのように値切りに走るエリス。流石にエリスといえども三億という金額は予想していたとしても高すぎた。ならば、値切りに走るのは当然のことである。職人相手に値切るのは中々度胸のいることだが、エリスには一切の躊躇はなかった。
なぜなら彼女はババアだからだ。
「おい、それだと俺の儲けがねえじゃねえか。緋緋色金の加工がどんだけ難しいのかわかってんのか」
そんなことは百も承知である。ドワーフといえどもアダマンタイトや緋緋色金に手を出せるのはごく僅かだろう。技術どうこうの前にそもそも金属自体そうそうお目にかかれないのだ。
相当高名な職人でもない限り、そういった金属は手に入る事すらない。バンクードが冒険者が少なく、魔法使いが殆どな学院都市にいるのもそれが一つの理由である。
学院都市には研究用に全世界からありとあらゆる物資が集まる。アダマンタイトや緋緋色金等もそうだ。だから、バンクードはそういった希少金属を手に入れることが出来る学院都市で工房を開いていた。
だから、それらの金属を加工できる職人の腕は下手をすれば材料費よりも価値があるかもしれない。そう考えれば、バンクードの呈示した金額はかなり良心的だったと言えるだろう。
だが、エリスは引き下がらない。それに切り札があった。
「お主、わしに借りがあるだろう?」
その言葉にバンクードの体はビクッと震えた。
「わしは覚えておるよ。お主がシリアと結婚する前、シリアの情報を得るためにわしに純真な幼女の振りをして探ってくれと土下座で頼み込んだのを。ああ、幼女の振りをするということがどれだけ屈辱的なことじゃったか.....」
バンクードはぺらぺらと喋りだすエリスの口を慌ててふさいだ。
「ばっ、喋るんじゃねえ!女房が聞いてたらどうすんだ!」
シリアというのはバンクードの奥さんである。髭ではなく髪の毛がもっさもっさの可愛らしい女性のドワーフだ。エリスはバンクードがシリアに近づくための口実を探るためにバンクードに頼み込まれたことがあった。
エリスは慌てるバンクードに冷たい目で言いはなった。
「ばらすぞ」
それは悪魔の一言だ。シリアは普段大人しくて優しいのだが怒ると恐いのだ。冗談なく張っ倒される。儲けを諦めるか、嫁に張っ倒されるか。バンクードは一瞬で前者を選んだ。
「わ、わかった、わかった。二億五千で作る。だから、女房にはばらすな。お願いだ、頼む!」
「うむ、ならばよし」
値切ることが出来てエリスはご機嫌だ。にこやかに頷く。
「ちっ、とんだタダ働きだ.....」
「なんじゃ?」
「いや、何でもない。じゃ、じゃあ、籠手の形状を大まかに言ってくれ」
「うむ、籠手の形状は肩口まで覆う形にしてくれ。サイズはわしとほぼ一緒じゃ」
バンクードがポケットから出したメモ帳にエリスの要望を書き上げていく。
「サイズはお前と一緒だと?お前が着けるんじゃないのか」
「わしではなく、わしの連れじゃな。エルフの少女で名はコウと言う。転生者でエルフの癖に魔力は全くないが、異常な身体能力を持っている。わしを素手で追い詰める類稀な強者じゃ。さっきまでは一緒におったんじゃがな、先に帰らせた」
「そうか。それで、その嬢ちゃんと戦ってブレスを浴びせたのか?」
バンクードの言葉にエリスはばつの悪そうな表情をした。
「よ、よくわかったのう」
「籠手の要望を聞けばわかる。それにしても高い代償だな。籠手っつうのはおそらくその嬢ちゃんの要望だろうが、素直に聞いてやる辺り、相当入れ込んでるな」
「そ、そうかのう」
どうやら、自覚はないらしい。バンクードはそれ以上何も言わなかった。
「緋緋色金は色々と加工が出来るからな。要望を言ってくれ」
「ああ、では.....」




