第九話 目覚め
深い海のそこから引き上げられる。そんな気怠く、名残惜しいような感覚と共に意識が覚醒する。
俺は暗闇から光を求めて、無意識に瞼をゆっくりと開いた。
「こ、コウ!目覚めたのか?」
幼い声がコウ、コウと叫ぶ。いや、それは俺の名前は孝太郎だ。略すんじゃない。俺は首を動かし、コウと執拗に呼び続ける女の子を視界に入れた。
「コウ、わしがわかるか?」
深紅の髪と漆黒の瞳をした十代に届くか届かないかの幼女が涙目で俺に声をかける。いや、わからないな。俺はこんな幼女とお友達になった覚えはないぞ。
親戚か?いや、こんな可愛らしい女の子が俺と遺伝子を共有しているはずがない。それなら、俺はとっくの昔に童貞を卒業していた筈だ。
いや、違う。鈍い頭が徐々に回転数を上げていく。
そうか。確か俺は異世界に転生して、幼女なエルフになった。それで、魔物に襲われていた所を助けられたんだ。目の前の幼女に。名前は確かーー
「エ、リス?」
「コウ!」
エリスが涙目ながらも喜びに表情を明るくする。意外に泣き虫だな、コイツ。そうだ、だんだん思い出して来たぞ。学院都市に来た俺とエリスは学院長の提案で模擬戦闘を行ったんだ。それで、エリスを追い詰めた時ーーあれ、そこから記憶がない。
「大丈夫か?痛む所はないか?」
エリスが俺にそんな事を聞いてくる。よほど俺の身に何か重大な事があったのか、その表情からは心配しているというのがありありと伝わってくる。だがしかし、俺は特に痛みは感じていない。
一応、手足をグーパーしてみるが特に異常は見当たらない。
「いや、全然」
「そうか、よかったのじゃ」
俺の答えにエリスが安心したような素振りをみせる。本当に何があったのだろうか。記憶がないからさっぱり検討がつかない。
とりあえず、寝たままでは不便なので、上半身を起こす。どうやら俺はベッドに寝かされていたようだ。エリスの後ろにはもうひとつベッドがあり、俺たちがいる場所はこじんまりとした部屋で他に誰もいない。
「ここはどこだ?」
恐らく、学院内なんだろうが、一応エリスに尋ねた。
「ここは、教員専用の寄宿舎の一室じゃ。ついでに言えばわしとお主が一緒に寝泊まりする部屋なのじゃ」
そうか、教員専用の部屋か。
「一人一室じゃ無いのか?」
「いや、普通は一室なんじゃが、ほれお主もわしも見た目が子どもじゃから......」
いや、意味わからん。見た目が子どもでもお前は立派な成人だろうが。ついでに言えば、精神的には俺も三ヶ月で成人だわ。何を言うとんねん。
「そういう規則なのか?」
「エルクがそう言うんじゃあ.......」
そうか。つまりは嫌がらせか何かか。ふざけるなよ、何でババアと共同生活をしなきゃならないんだ。
いや、そんな話は後だ。
「そういえば、エリス。どうして、俺はベッドに寝ているんだ。俺たちは模擬戦闘をしていたんじゃ無かったのか?」
思い出した限り、最後の記憶はエリスを地面で組伏せたところで終わっている。その間の空白の時間に一体何があったのか。
勿論、エリスは知っているだろう。
「そ、それなんじゃが」
俺の問いにエリスは罰の悪そうな顔をした。そして、何があったのかその詳細をぼそぼそと語り始めた。
「ふむ、つまり模擬戦闘で追い詰められたエリスはついカッとなって暴走して、俺の腕を丸焼きにした挙げ句、止めを刺そうとしたところを学院長に止められて、負傷した俺は回復魔法で回復してもらって、ここに運び込まれて今に至る、と」
「すまんかった、コウ!」
ついカッとなっても反省しているのかエリスは俺に土下座で謝る。中々に綺麗な土下座だ。というか土下座って異世界にもあるんだな。いや、どうせ転生者が広めたのか。
それにしてもそんな事が俺の意識を失っている間にあったのか。エリス、中々危ないやつだな。現代の若者よりも相当危険だな、若者でもないのに。危うく、殺される所だった。止めてくれた学院長には菓子折りでも一つ持っていく必要があるだろう。饅頭の下にはコイツのパンツを詰めて。
不衛生だな。
「エリス、反省しているのか?」
殺されそうにはなったが、俺はあんまり怒っていない。実感が湧かないからだ。これで、全身包帯、足が吊られてるとかだったら、たとえ折れていてもエリスの両頬に往復ビンタをも辞さない所存だが、回復魔法を使った人の腕が良いのかこれといった不具合もなく、頗る調子が良い。
今から外で走り回っても良いくらいだ。
「し、している。もう、二度とこんな事がないように全力を尽くす所存じゃ」
なんか頼りない謝罪だな。そもそも、口ぶりからすると自分の意思では制御できないんだろ、その暴走状態ってのは。まあ、一つ確信した事がある。
コイツとは二度と闘わない。
しかし、殺されそうになったのに謝罪だけで許すというのは、現代人の僕には少し受けつけられませんね。慰謝料とか謝礼金とか、そういうのが欲しいです、はい。
でも、金っていうのは少しがめつい気がする。そもそもここ異世界だしね。異世界はなんでもかんでも金では解決しないんですよ。もっと大切なものがあるんですよ。
圧倒的な力とか。
「そういえば、俺の腕、丸焼きになったんだって?」
聞けば、随分とこんがりに焼かれたらしい。もう少し遅ければ、切り落として生やしなおす必要があったとか。腕を生やせる、さすがファンタジー。
模擬戦闘をして気づいたのは、素手は危ないということだ。そんなの始まる前に気付けって感じだが、俺は気づかなかった。戦いというものを何処か舐めていたんだろう。
一番怖かったのはエリスが光の剣を魔法でだした時だ。あれはヤバかった。腕がスライスされるかと思った。やはり、鋭利な刃物に素手というのはたとえ俺の拳が鋼より固かったとしても危ない気がする。
かといって武器が欲しいかと言われればノーだ。剣とか使い方分からんし、何か持って動き回るというのは非常に邪魔だ。
では何がいいかと言われると、
「......籠手だ」
「へ?」
そう、籠手。持つ必要がなく、相手が刃物を持っているだろうがなんだろうが気にせず殴れる便利な武器?防具?どちらでもいいが、それが欲しい。
「次、お前が竜の吐息を俺の腕に放っても丸焦げにならないような丈夫な籠手を謝罪として俺にプレゼントしろ。それで、許してやる」
我ながら名案である。
俺を傷つけたエリスは自責の念に駆られている。俺はそれにつけこんで籠手を手にいれる。最高だ。
得意顔でエリスを見ると、何故か狼狽えていた。どうしたんだ?
「そ、そんなものを要求するとは。し、しかし、お主を傷つけたのはわしじゃし」
見てみると、だらだらと汗を掻いている。
何を躊躇っているのか。俺は籠手をプレゼントしろって言っているだけだぞ。そんなに高いものじゃないだろ。籠手。
エリスは散々目を泳がせて、ぶつぶつ言った後、ためらいがちに首を縦にふった。
「わ、わかった。わしがお主の手を二度と傷つけられないような一級の籠手を贈る。それで、許してくれるか?」
「頼むぜ、エリス」
やった、ただで籠手が手に入るぜ。
「恐らく、籠手の作成には時間がかかる。お主に贈るのは大分先になるが、それでもいいか?」
「いいよ」
オーダーメイドか、良いね。いいよ、いくらでも待つよ。俺は。
「よし!じゃ、飯食おう、飯!」
気分が良くなった俺はベッドから飛び降りる。起きた時から胃が空腹を訴えていて、苦しい事この上ない。そういえば、朝からなんも食ってないわ。早く、ご飯を食べたい。
「おい!そんなに騒ぐでない」
「いいから、行こうぜ!」
俺たち二人は、腹拵えのために部屋をでた。
夜飯を食うために俺たちは学院を出て、学院都市内にある歓楽街に繰り出していた。
俺が目覚めた時には既に太陽は沈んでいて、夜になっていた。歓楽街は光に溢れ、多くの人々が行き交っている。人混みの中を俺とエリスは進んでいた。
「それにしても、人が多いなー」
それはもうわんさか。背が低いためか、余計そう見えるのかも知れない。
「普通はこれ程でもないぞ?今の時期は都市内の学院が入学試験を行うからな。外部から多くの受験者が都市内に入ってきておる。わしらの学院も一週間後には試験を行うんじゃぞ」
そうか。だから人が多いわけね。
「あ、そういえば」
忘れてた事があった。
「エリス、パンツ穿いてるか?」
「は?」
一瞬時が止まる。エリスが口をポカーンと開いたまま、一時停止する。おいおい、マジか。
「もしかして、穿いてないのか?」
エリスの顔がどんどん赤くなっていく。どうやら、穿いてないようだ。コイツ、ノーパンで外に出てきたのか。大胆だな。
いや、俺も穿いてないけどね。
エリスはローブの裾を押さえて、顔を下に俯かせてふるふると震え始めた。その姿は憐れだ。
俺はエリスの肩に手を置いて言った。
「飯の前に服とか買いに行くか?」
エリスは俺の提案に僅かに首を縦に振った。




