第七話 竜娘の暴走
竜の吐息
それはこの世界において紛れもない最強種である竜が持つ、最高威力の攻撃手段だ。
その巨大なアギトから放たれるブレスはこの世のありとあらゆる全てに破滅をもたらす。竜の属性によってブレスの性質は変化するが、その破壊力はどんな竜であっても遜色ない威力を持ち、対象となった敵、障害物を一瞬にして破壊し尽くす。
そんな竜の最強の武器に対抗手段を有する生物はこの世界ひっくるめても極僅かだ。史実においても竜の吐息を正面から受けて無傷でやりすごす事ができた存在は今のところ勇者しか確認されていない。
愚かにも竜殺しの称号を得ようと竜に立ち向かった各時代の英雄達はなす術もなく、そのアギトから放たれるブレスによって跡形もなく消滅している。今も昔も竜殺しの称号を手にしたのは初代勇者ただ一人だけだ。
どんな生物も竜の前には立っていられない。
では、その竜の因子を受け継ぐ、『竜の娘』エリス・フェン・ドラグノートは竜の吐息を放つことが出来るだろうか。彼女は人の肉体を持ち、竜のような強靭な鱗に覆われた巨体も、巨大なアギトも有していない。
結論からいえば、出来る。
竜は魔物ではない。人とは比べ物にもならない長大な寿命を誇り、人を越える叡知を有する。そして、理論ではなく本能として魔力を繰り、魔法を顕現させる事が可能な唯一無二の魔法生物である。
故に、竜の吐息は魔法である。王者たる竜にしか使えない、究極魔法を越える、最強の魔法だ。
だから、竜の因子を受け継ぎ、高い魔法適正を有するエリスがどうして竜の吐息が放てない事があるだろうか。
そして、彼女が竜の吐息を放った際、それは竜が放った場合と比べて、
ーーなんら遜色のない威力を示すだろう。
目の前で灼熱の火柱が発生した。地面から発生したそれは一瞬にして天井に伸び、そしてあっさりと魔法がかかった天井を貫いた。
その火柱から伝播した途方もない熱量が、観客席に届く。空気の温度が一瞬にして、昼間の砂漠よりも遥か上に上昇する。汗をかくどころではない、生じた汗が一瞬にして蒸発する温度。
尋常ではない熱さ。アレンの生存本能が警鐘を鳴らす。このままこの場所にいれば焼け死んでしまうと。気づけば、服の裾が小さな炎を上げて発火していた。アレンは慌てて火柱から距離を取ろうとした。
しかし、アレンが行動を開始する前に学院長の声が響いた。
「《土の障壁》」
同時に闘技場の地面が波打つように蠢き、長方形の薄い板のような土の塊が垂直に飛び出してきた。それは、観客席にまで届き、火柱と観客席の間に立ちふさがった。
土の壁が観客席の前を覆うように発生したため、火柱から伝播する熱量が遮断される。際限なく上昇していた温度は一気に低下する。
アレンは目の前のそれが学院長の魔法によるものだと気づく。
「ありがとうございます。学院長」
土の壁は強固で、火柱の熱は一切届いていない。その魔法の練度といい、一瞬で発動する反応速度といい、流石この学院のトップだなとアレンはしみじみと感じた。助けられたアレンは学院長にお礼の言葉を述べた。
アレンの礼に、学院長は軽く手を振って返した。
「礼には及ばないさ。しかし、エリスの馬鹿め。いくら追い詰められたといって《竜の吐息》を使うなんて、どういう領見だ」
学院長が発したワードにアレンは息を呑んだ。
竜の吐息。それは竜が持つ最強と言ってもいい攻撃手段だ。竜の因子を有するエリスがそれを放つことが出来るというのはある程度知られている事実である。
アレンが生まれる遥か前の話ではあるが、先の戦争、隣国との戦争においてはエリスは勇者の率いる軍に向かって《竜の吐息》を放ち、軍を撤退させたというのは、有名な話だ。
「な、なぜエリスさんはブレスを?」
アレンの疑問に、学院長は小さく嘆息をついた。
「大方、コウ君に負けそうになってついカッとなってしまったんだろう。いくら何百年生きていようと、堪え性の無さは外見の通りだ」
「つい、カッとなったって....」
学院長は何でもない事のように言ってのけるが、とんでもないような話である。ついカッとなって竜の吐息を放たれたら、ひとたまりもない。
勇者に痛手を負わせて撤退させるほどの威力だぞ?
そんなのちょっと負けそうになった位で使わないで欲しいものである。周りの被害が半端ではない。今回は空に向けて放たれたので良かったものの、あれが真横に放たれたら、街の建物に甚大な被害を与えただろう。なんたって、闘技場の天井をあっさりと貫く威力である。
アレンの中でエリスの評価が少し下がった。
いや、その前にもっと心配すべき事項が存在する事にアレンは気づく。それは、エリスの対戦相手の事だ。
「そういえば、あのエルフの嬢ちゃんは!?」
あのブレスをあんな間近で受ければ一瞬で消滅してしまうに違いない。初代勇者だってあんな近くで受けた訳ではないだろう。彼女は一体どうなったのだろうか。
「おそらく、生きてはいるだろう。コウ君はエリスの《閃光の槍》をあんな間近で避けた。《竜の吐息》はあれよりも発動速度はかなり遅い。コウ君ならば避けたはずだ。......確認してみよう。ブレスはもうやんだはずだ。解除」
学院長の言葉で、目の前の土の壁が形を崩し、地面に落下し地面に還った。視界を覆っていた土の壁が崩れ、闘技場全体が視認可能になる。
学院長の言った通り、さっきまでたちの上っていた業火の火柱は止んでいた。
アレンは心配から慌てて観客席の一番前に近づき、思わず身を乗り出す。
「あ、いました!」
学院長の予想は当たっていて、闘技場の地面には二人の姿があった。
アレンはブレスによってコウが跡形も焼かれ消滅したという自分の悪い予想が外れて、ほっと胸を撫で下ろした。
だが、アレンはコウの様子がおかしい事に気づいた。
「ううっ、ぐああああ!!」
エリスのブレスから逃れるため、距離を取ったのかコウはエリスが立っている場所よりもかなり離れた場所にいた。
そして、片腕を押さえ、地面をのたうち回っていた。人形のように大きな瞳からは涙を流し、小さな口からは呻き声が絶え間なく漏れ出ていた。それは明らかに苦痛によるものだということは疑いようもなかった。
アレンの目に、地面を転がるコウの押さえている片腕の様子が僅かに映る。そこに見えたのは綺麗な肌色ではなく、真っ黒に変色した何かだった。
アレンは瞬時に理解した。
「ブ、ブレスを腕にうけたのか」
コウの腕が真っ黒に変色している理由。それは、おそらく、腕に灼熱のブレスを受けて焼けたためだろう。皮膚が炭化しているのだ。いや、下手をすれば骨の髄まで炭化している可能性もある。未だ、腕の形を残していることが奇跡的であった。
その痛みたるや半端なものではないだろう。アレンも冒険者をしているときは魔物に火傷を負わされたことは一度や二度ではないが、その痛みは切り傷など遥かに超える。ましてや、コウの状態はそれよりももっと酷い。
早く、治療を受けさせなければ直らない可能性だってある。
アレンは学院長に提言した。
「が、学院長。早く、模擬戦闘を止めさせてください!早く、あのエルフの嬢ちゃんを治療しねえと!」
模擬戦闘はもう中止だ。あれほどの負傷を追わされればもう闘うことなど出来ない。いや、もう戦っては駄目だ。
アレンの言葉に学院長は頷いた。
「エリス、模擬先戦闘は中止だ!コウ君は負傷している!」
学院長の言葉にエリスが振り向く。その瞳は深紅に染まっていて、瞳孔は縦に割れていた。
そのエリスの瞳にアレンは居疎まれる。それはまるで、獅子の目の前に躍り出たネ鼠のように。まるで、心臓を掌握されてしまったかのような重い重圧がアレンにのし掛かった。
手足どころか、指先すら僅かにも動かせなくなる。アレンはその異常な現象に大量の冷や汗が背中に流れるのが感じられた。
そんなアレンの目の前でエリスがゆっくり口を開いた。
「『黙れ』」
次の瞬間、アレンの体を衝撃が走った。
衝撃によって吹き飛んだアレンの体は観客席の後ろの壁に叩きつけられた。
「ごはっ!」
背中に走った衝撃にアレンは呻く。
「痛ってええ」
だが、痛みに呻いている暇はない。すぐさま立ち上がり学院長の側までいく。学院長は先程と変わらずその場でエリスに忠告を与えていた。
衝撃に襲われたのは自分だけだったのだろうか。
「が、学院長は無事だったんですか?」
「いや、僕も受けたが魔法で防いだよ。.....あの馬鹿、竜言語まで使い始めた。僕の言葉が届いていない。完全な暴走状態だよ、手がつけられない」
そう言う学院長の言葉には微かな怒気が感じられた。
「ど、どうするんですか。あの様子だと、あのエルフの嬢ちゃん、殺されますよ?」
今のエリスは試合相手ではない、アレン達にまで攻撃を加える始末だ。彼女の目の前でのたうち回っているコウにだって容赦なく攻撃を加えるだろう。
それこそ、死ぬまで。
「僕がエリスを押さえる。アレン、君はクレックを呼んできてくれ。今は校舎にいるはずだ。至急、今すぐに、だ」
「わ、わかりました」
学院長から命令を与えられ、アレンは回れ右で走り始める。
コウの事が心配ではあるが、アレンに出来ることは何一つない。仮にエリスを止めるために立ちふさがったとしてもさっきのように吹き飛ばされるのがオチだ。だから、アレンは学院長に課された命令を出来るだけ迅速にこなさなければならない。
クレック・オーガン。
この学院で一番の回復魔法の使い手を一刻も早くこの場に連れてくるのだ。
も、もうちょっとだけ続くんじゃよ




