その十一
その日は、朝から激しい雨がふっていました。
菜の花の茎と茎の間に幾重にも張られた蜘蛛の巣の下で、蜘蛛はひとりポツンとすわっていました。
そんな蜘蛛のところへ、アゲハ蝶がやってきました。
「蜘蛛さん、きいてもいいかしら?」
アゲハ蝶が、蜘蛛のとなりにすわります。
「なんだい、アゲハ蝶さん」
蜘蛛は、いつものように、にっこりほほえみます。
「蜘蛛さんには、家族や友達はいないの?もしいるんだったら、黒い森みたいな暗いところで暮らすよりも、この菜の花畑でみんな一緒に暮らしたほうがいいんじゃないかしら。蜘蛛さんだって、そうしたほうが、今よりもっと楽しいと思うんだけど・・・」
にっこりほほえんだ蜘蛛の顔が、少し曇りました。
「ボクには、家族も友達もいないよ。昔はいたけどね・・・。みんな・・・、死んでしまったんだ・・・」
(あっ!)
アゲハ蝶は、思わず、口を両手でふさぎます。
(蜘蛛さん、ごめんなさい)
アゲハ蝶は、口に出してあやまることができず、心の中であやまります。
それがわかっているのか、蜘蛛は、
「いいんだよ、アゲハ蝶さん。気にしなくても」
やさしく言いました。
「ねえ、アゲハ蝶さん、’蛇’って知ってる?」
「蛇・・・?ああ、聞いたことがあるわ。体にうろこがついた細長い生き物で、口から、赤くて細い、気味の悪い舌を出すんでしょう」
「そう、森には、その気持ち悪くておそろしい蛇も住んでいるんだ」
蜘蛛は、大きくため息をつきます。
「あれは、ボクが今よりずっと小さかった頃、森の中を、父さんと母さんとボクとで散歩していたんだ。歩き疲れて、少し休もうと近くの雑草に腰をおろした時 目の前の草むらから、いきなり蛇がおそってきたんだ。まず、母さんがやられた。父さんは、ボクを逃がすために、自分から蛇にむかっていったんだ。でも、結局・・・」
蜘蛛の両目から、涙があふれます。
「父さんも・・・、蛇に・・・、殺されてしまったんだ・・・」
「蜘蛛さん・・・」
アゲハ蝶には、蜘蛛をなぐさめる言葉がみつかりません。
「なんとか逃げて助かったボクだけど、蛇のえじきになったのは、ボクの父さんや母さんだけじゃなかった。蛇は、そのあとも次々に、ボクの仲間をおそったんだ。そして、気がついたら、ボクは、ひとりぼっちになっていたんだ」
気のせいでしょうか・・・?
アゲハ蝶には、雨がどんどん激しくなっているように感じられてきました。
「ひとりぼっちになったボクは、ずっと泣き暮らしていた。いっそのこと、蛇から逃げてばかりいないで、自分から蛇の前に出て行って殺されてしまおう。何度もそう思った。だってそうだろう。死んでしまえば、父さんや母さん、そして仲間のところへ行けるんだもの。だけど、ボクにはその勇気もなかった。そう、ボクは蛇から逃げて泣きながら毎日を暮らしていく以外なかったんだ」
蜘蛛は、蜘蛛の巣を激しくたたきつける雨粒を見つめながら、なおも続けます。