第一話「ライ麦畑でつかまえて」
6月中旬になり、ジメジメとした湿度を持った空気が肌に張り付く気持ち悪さを感じるようになってきた。
うちの学校だけではなく他校の生徒も夏服で登校しているのを見ると、なんだか夏の訪れを感じる。
そう考えると、6月はなにかと嫌われているような気がする。
……まあこれを過ぎれば夏休みなのだ。たかが一ヶ月、問題なく過ごせるだろう。
玄関扉を開けると、そこにはいつも通り折本さんが傘を片手に待っていた。
「五百蔵くん、おはよ」
彼女は僕に気づくと、雨だというのに気だるさを感じさせない笑顔で僕を出迎えた。青色のドット柄の傘が可愛らしい。
それに対して僕は相変わらず素っ気なく「おはよう」と挨拶を返した。
*****
学校に着き、折本さんとはここまでである。といっても休み時間や放課後には会うわけなのだけど。
教室に入り第一に声をかけてきたのはやはり宮本くんだった。
「五百蔵おはよう。この時期はジメジメするな」
「おはよう。そうだね、でもまあそれもあっという間だと思うよ」
「なんの話してるデス?」
そして続いてセイメルさんが話に入ってくる。まあただの挨拶なのだけど、これがいつもとそう変わらない日常だ。
「梅雨入りの話だ」
「……TUYUIRI? なんデスか?」
「そっか、セイメルさんのところじゃ梅雨ってないもんね」
説明すると難しい話になるので、ここは宮本くんに任せることにした。
宮本くんの説明によりセイメルさんは理解できたらしく、なるほどと感嘆していた。
「だから、最近はウェッティーなんデスネ……。髪の毛がモジャモジャでケアが大変デス」
確かに女の子はそういったことが大変そうだ。
「アンタたち早いわね」
「井上か。いつもよりも遅いなんて珍しいな」
「……別にちょっと髪に手間取っただけだから……っ!? セイメルさん何その頭!!」
「ワ、ワッツ!?」
イサギは突然セイメルさんの頭を掴みグラグラと揺らし始めた。
「ノーッノーッ!! 頭はやめてぇっ!!」
「髪気にしてるのなら、そのモジャモジャ直しなさいよっ!! ……仕方ないわね。ちょっと待ってて」
そう言うと、イサギはカバンからブラシとスプレーを取り出し、近くの椅子を借りてセイメルさんの背後に立った。
セイメルさんとイサギの身長差だと座高でも身長があまり変わらないようだ。
「……五百蔵、変なこと思った?」
「全然」
被せ気味で答える。
「でも、イサギは本当にこういうの常備してるよね」
「……誰のためだと思ってんのよ」
「え?」
「なんでもない」
なんだ。でも確かに何か言ってた気がしたんだけどなぁ。
「そういえば今日体育の種目変わるんだっけ?」
「ああ。 五百蔵は俺と同じサッカーだ。とはいえ今日の天気があれだから難しいかもしれないが」
そうか。そういえば、クラス内でも選択によって種目が違うんだった。
「とはいえ五百蔵は身体が弱いんだから無理するなよ」
「大丈夫だよ。これでも小学生の頃はサッカーボーイだったんだから」
まあ習ってるわけでもなく、ただの遊びだったんだけど。
「Oh……Seiyaのサッカーplay見てみたいデス……」
「別にセイメルと私もソフトボール選択で外だし見れるんじゃない? 五百蔵の活躍くらい」
イヤミのつもりで言ったらしいが、何故か言ったイサギ自身が赤くなっていた。
セイメルさんの髪は綺麗な真っ直ぐになっていた。
空もいつの間にか晴れてきており、昼過ぎの体育にはグラウンドも乾いているだろう。
*****
「五百蔵見学になったのか」
「というよりも家から体育は基本的に見学にさせるようにって連絡してたらしい。先生からも無理するなって言われた」
無理はしてないんだけどなぁ。
「……そうか。残念だな」
「うん。でも僕の分まで頑張ってね」
…………
……
一方、女子側。
「Oh……Seiya見学デスか……。サッカーplay見たかったデス」
「……」
「イノウエ?」
「……なにっ!?」
「……イ、イノウエなんだかアングリーデス……」
…………
体育が始まり、僕は出席だけ受けると見学用紙と筆記用具を渡されて見学に移った。
中学校の頃までは見学なんてしたことはなかったし、高校になってから暇でしょうがない。
僕だって身体を動かしたいのに、この病気のせいで色んなものを失ってしまった……
……
………
《静夜くん、知ってる? マリーゴールドの花言葉はね……》
いけない。そのことはもう忘れようと決めてたのに。
「……危ないっ!!」
「え?」
突然の衝撃。そして痛み。
凝り固まっていない僅かな筋肉で受け止めるが、退院して以来初の衝撃に僕は後ろに倒れた。
「大丈夫か五百蔵っ!?」
「悪い五百蔵! 変なところに球蹴っちまって……」
「誰か先生呼んでこい!!」
呼びかける声とサッカーボールのポンと弾む音が聞こえた。 なるほど状況を理解した。
「……大丈夫だよ、宮本くん。顔面キーパーしただけだから」
「冗談言ってる場合じゃないだろ」
僕は顔についた砂を擦りとると少し液体も付着した。どうやら鼻血が出てしまってるらしい。
「……俺のせいだ」
「いや、宮本。お前の球じゃないだろ。俺が……」
「いや、俺がしっかりとボールを気にしておけば……」
「み、宮本?」
なにやら宮本くんの様子がおかしい。
「五百蔵、ボールが当たったと聞いたが大丈夫か?」
「大丈夫ですけど……あの、宮本くんと保健室に行ってきていいですか。彼もなんだか具合悪そうなので」
「分かった。とりあえず担任の先生にも連絡入れておくから安静にしておけよ」
そして、僕は宮本くんとともに保健室へ向かった。