春はまだ遠く
テイクアウトしたコーヒーとカプチーノを両手にいつものベンチに腰掛ける。
彼女はまだ来ていない。今日は少し早かったようだ。
こぼさないようにカプチーノを傍らに置き、コーヒーを両手で包み込むように持つ。
コーヒーはまだ淹れたてらしく、じんわりと両手に伝わってくる。
飲めるようになるまで、もう少しかかりそうだ。
しばらく熱いコーヒーを冷まし冷まし待っていると、彼女が現れた。
いつもは彼女が先に来て待っていてくれるので、なんだか新鮮だ。
「猫さん、こんにちは」
「こんにちは」
猫さんというのはもちろんあだ名だ。ちなみに彼女のあだ名はイルカさんだったりする。
「あれ?誰かと一緒だったんですか?」
「ん?ああ、これね。君の分なんだけど」
そう言ってカプチーノを手渡す。かすかに触れた彼女の指先がやけに冷かった。
彼女の職場からここに来るまで、それ程時間はかからないと言っていたはずだが外にいたのだろうか。
「え!あ、ありがとうございます!隣、いいですか?」
「どうぞ」
隣に腰掛けた彼女は受け取ったばかりのカプチーノを飲み始める。
彼女は猫舌ではないようだ。
「カプチーノでよかった?」
「はい、カプチーノ好きですよ」
「よかった。君はコーヒーとか飲みそうなイメージなかったから、それにしてみたんだけど」
「コーヒーも飲めないことは無いんですけど、ミルクを入れないと飲めないんです」
子供っぽいですかね、と眉間にしわを寄せている。
「いいんじゃない?俺の友達でもコーヒーに砂糖を大量に入れて飲んでる奴もいるよ」
そう言うと、彼女はほっとしたように微笑んだ。
なんでも童顔なので、子供っぽく見られるのを気にしているらしい。
しばらく他愛無い会話をしていると、彼女が時計を見て慌てたように立ち上がった。
「もうこんな時間!私、そろそろ戻らないと」
「そっか。仕事、がんばってね」
「はい!今日はカプチーノご馳走様でした」
じゃあまた次の水曜日に、と毎回恒例の決まり文句で別れる。
彼女が少し高いヒールで桜並木を駆け抜けていく後ろ姿をじっと見つめる。
出会った頃は何度も転びそうになっていたのに、今ではすっかり慣れたようだ。
そんな小さな変化が少し寂しく感じられると同時に、それだけ長い時間を過ごしてきたことに驚かされる。
自分でもどうしてそんな風に感じるのかはよく分からない。
もしかしたら、本当はもう気づいているのかもしれないけれど、どこかでまだ気づきたくない自分もいるのかもしれない。
冷めたコーヒーをいっきに飲み干して、ベンチを後にする。
帰りがてら桜の木を眺めれば、申し訳程度に淡い色の花がいくつか咲いていた。
吹きぬける風はまだ肌寒く、春の陽気とまではいかない。
桜が満開になるまではもうしばらくかかりそうだ。
まだまだ、春は遠い。けれど、春はかならずやってくるだろう。
それは、人にも言えるかもしれない。
いや、そうであってほしいと願うのは自分勝手なのだろうか。
この物語に出会ってくださり、ありがとうございます^^
ここまで目を通してくださった貴方に心よりお礼を申し上げます。
春といえば恋の季節。
不思議な距離感をもつ男女を描いてみました。
―――春は遠けれど、かならずやってくる。
明けない夜がないように、花開かない春はないと思うのです。