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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

SUPPRESSION FIRE

作者: 海野 那智
掲載日:2026/09/14

CoDの現代戦キャンペーンに感化されて、「歩兵分隊の撃ち合いをガチ寄りに書きてえ!」となった結果できたオリジナル短編です。

2007年バグダッド、市街地での徒歩哨戒中に接敵した米陸軍歩兵分隊を描いています。

派手な無双や戦果よりも、制圧射撃、負傷者回収、無線交信、兵士同士の掛け合いを中心にしています。

軍事描写はできる限り調べていますが、創作上の調整・独自設定を含みます。

ミリタリー好きな方にも、そうでない方にも楽しんでもらえれば嬉しいです。

 六月のバグダッドは、太陽が西へ傾いた程度では涼しくならず、午後のあいだ日射を吸い込み続けた舗装は、厚い戦闘靴の底を通してなお熱を返していた。道の両側に並ぶ低いコンクリート家屋も同じで、白く乾いた壁面は夕刻になっても蓄えた熱を吐き出し続け、窓枠と屋上の縁だけが西日を受けて長い影を引いている。通りの先では陽炎がゆっくり揺れ、その向こうにある建物の輪郭をわずかに歪ませていた。


 砂埃とディーゼル排気、発電機から漏れる焼けた油、それにどこかの家で肉を焼いている匂いが混ざっていて、何か月もこの街を歩いているうちに、それらを一つずつ嗅ぎ分けることはなくなった。全部まとめて、この街の臭いとして覚えてしまっている。


 ネイサン・ウォーカー二等軍曹は道路の右端を歩きながら、頭を大きく動かさず視線だけを巡らせていた。右手二階には鉄格子の入った窓が二つあり、どちらもカーテンが開いている。屋上には黒い給水タンクと、風雨に晒されて色の褪せた衛星アンテナがあり、入口前に停められた青いセダンは右前輪が完全に潰れていたが、それらは昨日も同じだった。


 二軒先の雑貨屋はシャッターを半分まで上げていて、軒先には安物のプラスチック椅子が二脚、その片方には白いシャツを着た老人が腰掛けている。老人も昨日からいた。


 目が合ったが、老人は逸らさず、ウォーカーも逸らさなかった。互いに手を上げることも、愛想を見せることもなく、それだけで終わる。


 西日を避けるように目を細めると眉間へ細い皺が寄り、二十九という年齢よりそこだけが少し古く見えた。二度目のイラクで身についたものの一つだった。


 ウォーカーが見ているのは、敵になりそうなものだけではない。先頭を歩く第一班長との距離、後方にいる第二班との間隔、二挺あるM249がそれぞれどちらを向いているか、初派遣の若い兵士が一つの窓へ注意を吸われていないかを、景色の中へ重ねて見ている。


 自分の銃口より、部下の位置を見る時間の方が長いというのは、分隊長になってから自然にそうなっただけだった。九人の兵士が今どんな形で道路を進んでいるのか、それを見失わないことが自分の仕事であり、同時に昨日と今日の違いを拾うこともその一部だった。


 道端に袋が一つ増えた、停めてある車の向きが変わった、三日続けて開いていた窓が今日だけ閉じている、毎日軒先にいた人間がいない、といった程度の違いなら、それだけで何かを意味するわけではない。ただ、何でもないうちは覚えておけばよく、必要にならなければ忘れればいい。必要になった時に思い出せない方がまずかった。


 右手の路地には白い壁と錆びた鉄扉があり、その奥に停められたピックアップトラックの荷台は空で、運転席にも人影はなかった。


「なあ、基地戻ったら、俺これ捨てるからな」


 背後から、暑さそのものに疲れ果てたような声が飛んできた。


「何をだ」


「これですよ、これ」


 金属とナイロンが擦れる音で、何を指しているかは振り返らなくても分かった。ショーン・ケリー特技兵はM249を胸の前へ吊ったまま、今日もその重量へ文句を言っていた。


「クソ重いんですよ。昨日より絶対重い」


「昨日も同じこと言ってただろ」


 すぐ横から別の声が返した。


「昨日より重いんだよ」


「弾減ってるじゃん」


「体感の話してんだよ」


「じゃあ、お前が太ったんじゃねえの」


 返事が数歩ぶん遅れた。


「……お前マジで黙れよ」


 ケリーは怒鳴らず、本気で腹を立てたというより、腹を立てることすら面倒だという声音で言った。


 ウォーカーが肩越しに一度だけ振り返ると、ケリーは露骨に顔をしかめている。首が太く、肩と前腕にも厚みがあり、本人は「このクソ銃を持たされ続けたせいだ」と言っているが、たぶん元からそういう身体だった。短い金髪は汗で額へ貼りつき、鼻の頭だけが日に焼けて赤く、黙って立っていれば精悍な若い兵士に見えるのに、黙っていられる時間が短い。


 その隣で笑っていたのがエヴァン・モラレスだった。ケリーより小柄で、M4の銃身下にはグレネードランチャーを取り付けている。普段は陽気で、他人を煽る時だけ妙に頭が回った。


「図星だったか」


「お前も黙れ」


「太ったなら、M249より先にケリーを捨てればいい」


 少し後ろから別の声まで加わったので、ケリーが首だけ振り向いた。


「……お前ら二人とも、ほんと嫌いだわ」


「知ってる」


 モラレスが言った。


「ケリー」


「はい」


「口じゃなく周り見ろ」


「見てますよ」


「なら黙って見ろ」


「へいへい」


 返事は軽かったが、ケリーの視線は道路右側の窓からほとんど外れておらず、モラレスも笑いながら銃口を遊ばせてはいなかったので、ウォーカーはそれ以上何も言わなかった。


 少し先では第一班長のマイケル・ハリス軍曹が歩きながら装具へ左手を触れ、マガジンポーチ、手榴弾、無線の順に確認していた。毎回同じ順番で、弾倉が一本だけ逆向きでも気づき、ストラップがわずかに捩れているだけでも歩きながら直すような男だった。


 ウォーカーは、その神経質さを信用している。ハリスが「ある」と言えばだいたいあり、「ない」と言えば、少なくとも本人は確認している。


「軍曹、あとどれくらいです?」


 後ろから若い声がした。


「二ブロック」


「了解」


 ダニエル・クーパー上等兵は二十一歳で、今回が初めてのイラク派遣だった。返事にはまだ少しだけ硬さが残っていて、振り返らなくてもどう歩いているかはだいたい分かる。窓を見て、屋上へ視線を上げ、路地と駐車車両を確認し、また窓へ戻る。


 経験の浅い兵士はよく首を動かす。見落とすことを恐れて、目に入る物を一つずつ律儀に確認するからで、そのうち頭を動かさなくても拾えるものが増える。今は好きなだけ動かせばよく、首が疲れるだけなら安いとウォーカーは思っていた。


「二ブロックなら、俺もう勤務終了でいいですかね。今日はこいつ開けずに帰りたいんですけど」


 今度は分隊に付いている衛生兵、ジェイソン・ミラーが背中の医療バッグを平手で叩いた。


「お前、今日何したよ」


 ケリーが言う。


「歩いた」


「俺もだよ」


「お前は重いの持って歩いた」


「分かってんなら代われよ」


「嫌だよ」


「即答すんな」


 低い笑いが列の中を伝わり、ウォーカーも口元をわずかに緩めた。緊張がないわけではなく、緊張を抱えたまま馬鹿話ができる程度には慣れているだけだった。


 あと二ブロックで基地へ入り、防弾装具を緩められる。ぬるくても水はあるし、ケリーはM249を置いて、たぶん五分もしないうちに別の何かへ文句を言い始める。ミラーは医療バッグを開けずに済んだことを、仕事をしなかった手柄のように吹聴するだろう。


 出る時に十人なら、戻る時も十人がいいとウォーカーは思っているが、それを信条などと呼ぶ気はなかった。分隊長なら誰でもそう思う程度の話で、戦争に勝つとか街を変えるとか、そういうことはもっと上にいる人間が考えればいい。自分が数えるのは、もっと少ない数字だった。


 交差点が近づいたところで、ウォーカーは後方へ声を投げた。


「ベネット、次は右が深い。少し間取れ」


「了解」


 第二班長アーロン・ベネット軍曹は余計な確認をせず、後方へ片手を振るだけで班の間隔を広げた。分隊では最年長で、肩幅が広く、装具を着込むと身体の輪郭が四角く見える。無口というより、必要のない言葉を使わない男で、ウォーカーが説明を省いて命令を出せる相手だった。


 第二班の最後尾にいた大柄な上等兵が、腰の高さで片手を上げた。道路の向こう、塀の陰から小さな男の子がこちらを見ていて、兵士が二本指を軽く振ると、子供も真似をした。


 家の中から女が現れて少年の肩を掴み、そのまま鉄扉の奥へ引っ込めると、扉が鈍い金属音を立てて閉じた。大柄な兵士は何事もなかったように銃へ手を戻し、分隊の列も速度を変えずに先へ進んだ。


 道路脇では発電機が低く唸り、遠くでクラクションが鳴り、家屋のどこかからラジオの音が漏れていた。痩せた犬が路地から姿を見せて兵士の列を数秒眺め、来た道へ戻っていく。風が薄いビニール袋を舗装の上で転がしていた。


 あと二ブロックという距離を頭の隅へ置いたまま、ウォーカーは右手二階の洗濯物から屋上の給水タンク、左手の白いバン、道路際の空き缶へ順に視線を流し、昨日までとの違いがないかを拾っていった。


 その先で、頭の右側の空気が破裂した。


 身体が先に反応して肩が落ち、首が縮んだ直後、右手の壁が白く爆ぜ、細かなコンクリート片がゴーグルを叩いた。粉塵が口へ入り、歯の間で砂のようにざらつく。二発目が数メートル前の舗装を欠けさせた。


「コンタクト!右の二階!」


 ハリスの声だった。


「遮蔽!一班、右!二班、後ろ切るな!」


 ウォーカーが怒鳴ると、十人の身体が一斉に低くなった。


 ケリーは道路脇の低いコンクリート壁へ身体を滑り込ませ、M249を縁へ押しつけた。数秒前までその重量に文句を言っていた男の動作から、気怠さは消えている。


 モラレスがその左へ入り、ハリスはすでにM4を右手二階へ向けていた。クーパーは肩から壁へぶつかるように身を寄せ、後方ではベネットがほとんど同時に反転して第二班を広げた。


「二班、後ろだ!路地も見ろ!」


 もう一挺のM249が百八十度回り、別の兵士が左手の路地を取り、さっき子供へ手を振った大柄な男がさらに後方の交差点へ銃口を向けた。右二階に敵がいるからといって、全員で右を見るような分隊ではなかった。


 もう一発が頭上の空気を裂き、その発砲音が少し遅れて届いた。一方向から放たれたはずの音が家屋へ当たり、別の壁から返され、狭い道路の中で鈍く形を失っている。


「二階!窓二つ目!」


 ハリスが叫ぶ。


「見えてる!」


 ケリーがM249を撃った。


 至近距離の発砲は耳で聞くというより身体で受けるもので、狭い通りの空気が押され、壁から返った衝撃がボディアーマーを通して胸骨へ届いた。五、六発ほどの短い連射が二階の窓へ伸び、暗い窓枠から灰色の粉が噴く。


 ケリーはすぐ引き金を離し、一呼吸ぶん窓を見てから、また短く撃った。


「ケリー、短く切れ!」


「やってる!」


 声は荒いが、射撃は荒れていない。


 ウォーカーは壁へ左肩を押しつけたままM4を上げ、照準器の中へ問題の窓を入れた。薄暗い室内とカーテン、その奥で何かが一瞬動いたが、人間か、風で揺れた布かは分からなかったので撃たなかった。


 代わりに別の弾が頭上を抜け、誰かが短く悪態を吐いた。


 ウォーカーはM4を右へ向けたまま、左手で肩口の送信スイッチを押した。


「レイヴン2-6、こちらレイヴン2-2。コンタクト。右手建物二階より小火器射撃。現在交戦中、オーバー」


 イヤホンへ短い雑音が走る。


『レイヴン2-2、こちらレイヴン2-6。ラジャー。状況送れ、オーバー』


「敵勢力不明。射撃位置一箇所確認。味方損害なし。交戦継続、オーバー」


『2-2、ラジャー。継続して状況送れ。アウト』


 送信を切るまで十秒にも満たず、その間にケリーは二度撃ち、ハリスは三発返していた。


「ハリス、そのまま押さえろ!」


「了解!」


 肩より少し高い位置で壁面が欠け、細かな破片が首筋から襟の中へ入ったが、ウォーカーは構わず、一度右を切ってから正面、左側、後方を順番に確認した。最初に撃ってきた場所が分かったからといって、敵がそこにしかいないとは限らない。


「ベネット、後ろ!」


「異常なし!」


「維持!」


「了解!」


 ケリーが短く撃ち、その火力に隠れるようにハリスが半歩位置をずらして射角を変えた。


 モラレスがM4の銃身下へ手を移し、グレネードランチャーを持ち上げたところで、ウォーカーはすぐ止めた。


「待て! 近すぎる。それに一階!」


 暗い室内に白い服が見え、肩の小ささから子供かもしれないと思った瞬間、その影は奥へ消えた。


 モラレスはすぐM203を下げた。


「クソ。見失った」


「撃つな」


「了解」


 二階から一発飛び、ハリスのすぐ横でコンクリートが砕けた。


「畜生! まだいやがる!」


 ハリスが頭を引き、ケリーがM249を向け直す。


 ウォーカーは窓を見たまま耳へ意識を寄せた。左前ではケリーのM249が短く鳴り、後方からは別のM249が二発、少し間を置いてまた二発鳴っている。そのどちらとも違う発砲音が右奥から届き、いくつかの壁を回ったせいで輪郭だけが鈍くなっていた。


「ハリス、位置変わったか!」


「変わってません!二階、二つ目!」


「人数!」


「見えません!」


 それ以上は求めなかった。見えていないものを数へ変えれば、その数字の方を信じ始める。


 ケリーがまた撃ちながら「頭上げんな、クソ野郎!」と叫んだので、ウォーカーは短く切れと念を押し、ケリーが「切ってるって!」と返したあと、「なら喋るな」「はいはい」といつもの調子で続いた。


 M249が止まった空白を狙うように二階から一発が来て、ハリスが二発返す。


 ウォーカーは左前方へ視線を移し、二十メートルほど先の道路脇に腰ほどの高さのコンクリート壁を見つけた。現在地より右手の建物に対する角度が浅く、第二班をそこへ入れれば射線を一方向へ集中させずに済む。


「ベネット、前の壁!」


 ベネットは一度だけ身体を出して道路と壁、右手の建物を確認するとすぐ戻り、「行ける」と答えた。


「一班で押さえる!ハリス、右!頭上げさせるな!」


「了解!ケリー、窓!モラレス、その周り!」


「分かった!」


「了解!」


 三挺がほとんど同時に鳴り、M249の厚い発砲音へ二挺のM4が重なった。跳ねた薬莢が舗装へ乾いた金属音を撒く。


「二班、動け!」


 ベネットが最初に飛び出し、その後ろへ三人が短い間隔で続いたが、ウォーカーは彼らを追わず、右手二階だけを見ていた。ケリーが撃って窓枠が削れ、ハリスがその隙間を埋める間、敵からの応射はなく、その数秒だけが妙に長く伸びた。


「セット!」


 前方からベネットの声が届いた。


「一班、止めろ!」


 ケリーが引き金を離した瞬間、狭い通りに一度だけ銃声の穴が開き、そこへ二十メートル先から別のM249が入ってきた。短く撃ち、ほとんど同じだけ間を置き、また短く撃つ。


 タイラー・リードだった。


 細身で普段から必要以上に喋らず、休憩中でも話す側より聞いている側にいる男で、その性格は射撃にも出ていた。連射の長さと間隔が妙に揃っていて、ウォーカーには姿を見なくても誰が撃っているのか分かった。


「一班、前へ!」


 ハリスが遮蔽物を離れ、モラレスが続き、その後ろをケリーが走った。M249を抱えているぶん二人よりわずかに重い走りになったが遅くはなく、最後にクーパーが続いたところでウォーカーも壁を離れた。


 その直後、背後で乾いた一発が鳴り、それがひどく近かった。靴底が舗装を擦る音と、装具ごと人間が落ちる鈍い衝撃が続いたので振り返ると、クーパーが右膝から崩れていた。そのまま横へ倒れかけた身体を咄嗟についた左手で支え、胸の前に吊ったM4がスリングに引かれて跳ねる。


 一瞬、自分が転んだ理由すら分かっていないような顔をしていたが、すぐ右腿へ視線を落とし、迷彩服へ浮いた濃い染みが広がっていくのを見た。


「クーパー!」


 ミラーの声が上がった。


「一人やられた!一人やられたぞ!!」


 その声が通りへ飛んだ時には、ミラーの身体もすでに遮蔽物から半歩ほど前へ出ていた。医療バッグへ伸びる手より先に足が動いていて、ウォーカーはクーパーへ目を向けたまま怒鳴った。


「ミラー、待て!クーパー!右!壁まで行け!」


 ミラーの足が止まり、クーパーが顔を上げた。二階、元いた壁、道路脇、遮蔽物へ視線を走らせたあと、指定された低い基礎壁を見つける。


「はい!」


 クーパーは立とうとして左足を舗装へつき、右脚にも体重をかけようとした瞬間に顔を歪めた。右脚が身体を支えず、膝がまた落ちる。


「っ、クソ――!」


「立つな!這え!」


「分かってますッ!」


 声が裏返った。


 クーパーはM4を身体の前から脇へ押しやり、左肘を舗装へつき、左膝と両肘で身体を引いた。装具が路面を擦り、ボディアーマーの下面から砂埃が立つ。


 二発がすぐ後ろの舗装を弾けさせた。


「動け!動け!」


「動いてます!!」


 歯を食いしばったまま身体を引き、右脚が舗装を擦るたびに顔を歪めながら、それでも止まらない。


 ウォーカーは一度だけミラーへ視線を振った。さっきまで前へ出ようとしていた男は壁の陰へ戻り、すでに医療バッグを地面へ下ろして留め具を外している。中へ伸ばした手が止血帯を引き抜いた。


「ミラー、準備しろ。まだ出るな」


「……クソ。了解」


 返事には露骨な焦りが混じっていたが、今度は動かなかった。クーパー自身に動けるうちは動かすのであって、同じ射線へ衛生兵を追加するのはそのあとでいい。


 道路脇には敷地を区切る低いコンクリートの基礎があり、高さは四十センチほどしかなかった。立っていれば遮蔽物とも呼べないが、地面に伏せれば違う。


 残り三メートルを、クーパーは左脚で蹴り、肘で身体を引き、負傷した右脚を遅れて引きずって進んだ。腿の染みはそのあいだにも広がり続けている。


「もう少しだ!」


「見えてます!」


 返事はまだ返ってくる。


 ウォーカーはクーパーだけを見るわけにはいかず、右手二階のハリスとケリー、前方へ出た第二班、左側に新しい動きがないことまで一度に確認してから、もう一度負傷者へ視線を戻した。


 残り一メートルほどになったところで、クーパーは左脚で最後に路面を蹴り、上半身を基礎壁の陰へ滑り込ませた。ヘルメットがコンクリートへ当たって鈍い音を立てる。


「入った!」


 誰かが叫んだ。


 完全に隠れたわけではなく、頭と肩、胴体の大半は遮蔽へ入ったものの、負傷した右脚の一部が壁の端から残っていた。クーパー自身も気づいてさらに身体を引こうとしたため、ウォーカーは止めた。


「無理すんな!そこで止まれ!」


「でも脚が――」


「いい!上半身入ってろ!」


 一発が基礎壁の角を叩き、砕けたコンクリート片がクーパーのヘルメットへ降った。


「クーパー、脚押さえろ!」


「押さえてます!」


「強く!」


「やってます!」


 両手で圧迫しているのに指の隙間から血が滲み続け、迷彩服へ広がった濃い染みも止まっていなかった。声には痛みだけでなく、隠しようのない恐怖が混じっている。


 二十一歳で、これが初派遣だった。

 出る時に十人なら、戻る時も十人がいいという、それまで特別な信条とも思っていなかった望みが、いま目の前の一人へ形を変えている。

 ウォーカーは視線を右手二階へ戻し、ケリーのM249とハリスのM4が窓を押さえていることを確認してから、クーパーへもう一度目をやった。上半身は遮蔽下にあり、右大腿部からの出血が続いているものの意識はあり、自力で圧迫でき、右足首も動いている。自分で四、五メートルは稼いだのだから、それ以上をやらせる理由はない。


「クーパー、俺が見えるか!」


「見えてます!」


「そのまま押さえろ!そこから出るな!」


「了解!」


 本人が自分でできることは、もうやった。


 ウォーカーは肩口の送信スイッチを押した。


「レイヴン2-6、2-2。味方一名負傷。意識あり。右脚負傷、自力歩行不能。現在遮蔽下。右手二階から射撃継続、オーバー」


 耳元で雑音が走る。


『2-2、2-6。ラジャー。負傷者一名。現在位置保持できるか、オーバー』


 ウォーカーは即答せず、ケリーが短く撃ち、その空白をハリスが二発で埋め、二階の窓から応射がないこと、正面に新しい動きがないこと、第二班が前方を保持していることを確認してから答えた。


「できる。現在位置保持、オーバー」


『ラジャー。継続して状況送れ。アウト』


 送信を切った直後、正面から一発、さらにもう一発が飛んできた。


「正面!」


 前方から声が上がった。


 道路の先には後部窓が割れ、ボディに古い擦過痕が何本も走った白いセダンが放置されていて、その後部で黒いものが一瞬だけ持ち上がった。


「コンタクト!正面、車の奥!」


 今の声はクリス・ドノヴァンだった。


「ああクソッ、増えやがった!」


 ケリーが吐き捨てる。


「ベネット!正面!」


「了解!」


 第二班の銃口が前へ向き、ウォーカーは第一班へ右を切らせないよう命じた。


 二方向からの射撃が重なり、右手二階からの銃声へ、正面の白いセダンの向こうからの発砲音が加わる。弾丸が乾いた舗装を抉って小石を跳ねさせ、別の一発が家屋の角を削ってコンクリート片を道路へ撒き散らした。


 基礎壁の陰でクーパーが身体を縮める。


「クーパー!頭下げろ!」


「下げてます!」


 ヘルメットの上半分がまだ出ていた。


「もっとだ!」


「無理です!」


 今度の声には、痛みとは別の恐怖がそのまま乗っていた。


「そのままでいい!動くな!」


「はい!」


 ケリーが歯を剥きながら「このクソ野郎ども……!」と吐き捨て、M249を短く撃ち、引き金を離して敵の位置を見直し、また短く撃った。


「ケリー、撃ちすぎるな!」


「分かってる!」


 苛立ちは声に出るが、射撃には出ない。


 ウォーカーは正面へM4を向け、白いセダンの後輪、割れたリアウインドウ、車体と路面の隙間を順に見たが、靴も銃口も見えなかった。


「ドノヴァン、見たか!」


「一人!たぶん一人!」


「たぶんはいらねえ!」


「じゃあ一人!」


「位置!」


「白い車の後ろ!」


 ベネットが二発撃ち、続けて「リード、左寄れ!」と命じる。


「了解!」


 数秒後、M249の発砲位置が数メートル左へ移った。


 短い連射を入れて止め、ほぼ同じだけ間を置いて、また撃つ。ケリーの射撃には人間が撃っていることが分かるが、リードの射撃には時計のような規則性があり、ウォーカーは二人の姿を見なくても区別できた。


 リードが白いセダンの向こうを押さえると正面からの射撃が途切れ、その瞬間に右手二階から一発が飛び、ハリスがほとんど間を置かず二発返した。


 ウォーカーはクーパーまでの距離を測った。最初に倒れた場所から本人が四、五メートル稼いだので、残りは八メートルほどしかなく、走るだけなら数秒で済む。


 問題は、その先だった。


 ミラーが到達し、傷を見て必要な処置をするあいだ、その場へ留まらなければならず、帰りは右脚へ体重をかけられない男を連れて戻ることになる。一人では遅い。


「パーカー!」


「はい!」


 太い返事が返ったところで、さっき子供へ二本指を振った大柄な上等兵の名前が初めて前へ出た。


 ルーク・パーカーは百九十センチ近い身体に厚い肩と長い腕を持ち、子供へ手を振っていた時にはその巨体と穏やかな顔つきが妙に不釣り合いに見えたが、今はその身体が必要だった。


「ミラーと行けるか!」


 パーカーは即答せず、まずクーパーを見て、次に二階、正面の白いセダン、最後にクーパーまで続く道路を確認してから答えた。


「行けます!」


「まだ待て!」


「了解!」


 パーカーが腰を落とし、大きな身体を壁の陰へ沈める。


「ハリス!右、もっと押し込めるか!」


「できます!」


 頬にはコンクリートの粉が白くこびりつき、装具のストラップが少し捩れるだけで直す男が、自分の顔の汚れには気づいていなかった。


「ケリー、連中の頭上げさせるな!」


「最初からそのつもりだよ!」


「モラレス、窓周り!ハリス、ケリー止まったら繋げ!」


「了解!」


「分かった!」


 ウォーカーは反対側へ声を飛ばした。


「ベネット!正面切るな!こっちで負傷者取る!」


「了解!」


 ベネットは確認を挟まず、「リード、車!ドノヴァン右側!パーカーは待機!」と班へ指示を飛ばした。


 リードのM249が白いセダンの向こうを短く叩き、ドノヴァンがその隙間を埋める。車体の向こうから二発返って道路が乾いた音を立てて抉られ、パーカーが反射的に肩を縮めた。


「まだだ!」


 右ではケリーが壁へ預けていたM249を引き寄せ、肩と頬で銃を固定していた。汗とコンクリートの粉で汚れた顔から、さっきまでの気怠さは消えている。


 その横でハリスは壁の角ぎりぎりまで身体を寄せ、照準器の向こうへ二階の窓を収め、モラレスは二人より半歩低い位置で銃を構えている。距離が近いうえ、一階にはまだ民間人が残っている可能性があるのでM203には触れない。


 基礎壁の陰ではクーパーがまだ自分の手で右腿を押さえ、呼吸を速くしながら、ときおり痛みで顔を歪めている。ミラーは止血帯を片手に持ち、クーパーと二階を交互に見ていて、身体だけが先に行きたがっていた。


 正面はベネット班が持ち、リードのM249がほとんど同じ間隔で白いセダンの向こうを叩き、ドノヴァンが空いた時間を埋めている。ベネット自身は二人の位置と右側の路地を交互に確認し、パーカー一人が抜けても正面が崩れないよう班を整えていた。


 残るのは右手二階だった。


 ウォーカー自身のM4にも弾はあり、必要なら撃てるが、それより先に決めなければならないことがある。誰を撃たせ、誰を動かし、誰にどこを見させるかを間違えれば、一人を取りに行って二人、三人と倒れる。


「ミラー!パーカー!」


 二人が返事をした。


 ウォーカーは一度深く息を吸い、火薬と砂の混じった空気を肺へ入れた。乾いた口の中に粉っぽい味が広がり、心臓は速く、耳の奥では銃声のあとに残った高い音が鳴っている。


 怖くないわけではなく、怖さを判断へ混ぜない方法を覚えただけだった。目の前には八メートル、その向こうには一人、こちらには九人がいるので、今はその数字だけ見ればいい。


「行くぞ」


 ケリーが頬を銃床へ寄せ、ハリスが照準器を覗き、モラレスが壁から半歩だけ身体を出した。


 二階のカーテンの奥には動きがなかったが、それが安全を意味するわけではなく、正面では第二班の射撃が続いているので、その音が止まっていないうちに右を押さえなければならない。


「ハリス――」


 二階から一発飛び、壁が砕けた。


「押さえろ!」


 三挺が一斉に鳴り、M249の圧力が狭い通りを叩き、そこへハリスとモラレスのM4が重なった。暗い窓の縁が削れ、灰色のコンクリート片が室内と路上へ散る。


「頭上げさせんな!」


「撃ってる!!」


「そのまま!」


 ケリーが一度引き金を離して狙いを取り直し、再び短く撃った。


 窓から頭を出させなければよく、必要なのは八メートルを走り切る数秒だけだった。


「ミラー!パーカー!今だ、行け!」


 二人が遮蔽物を蹴り、低いコンクリート壁の向こうでクーパーがこちらを見ていた。


 クーパーまで残された八メートルには身体を隠せる物がなく、ミラーが最初の二歩でわずかに先行し、背負った医療バッグが走るたび左右へ跳ねた。パーカーはその横へぴったり並ばず半歩ほど右へずれ、二人まとめて同じ射線へ収まらないようにしている。


 右手ではケリーのM249が二階の窓を叩き続け、その隙間をハリスとモラレスのM4が埋めていた。コンクリートの縁から粉塵が噴き、割れた破片が西日の中へ白く散ったが、それでも暗い室内から一発だけ返り、二人の頭上を抜けて反対側の壁を削った。


「走れ!」


「走ってる!」


 ミラーの返事が飛ぶ。


 パーカーが先にクーパーのいる基礎壁へ滑り込み、長い身体を一気に低くすると、そのままクーパーのボディアーマーの肩口を掴んでさらに壁際へ引き寄せた。その横へ膝をついたミラーは、到着した時にはもう止血帯を手にしていた。


「クーパー、手どけろ!右脚だな?」


「はい!」


「他は!」


「分かりません!」


「なら今はそれでいい!」


 ミラーの手が血で濡れた迷彩服の上を走った。クーパー自身が圧迫していたにもかかわらず、指の間から血は滲み続け、布地へ染み込んだ赤ももう小さくない。


 必要なものだけ確認すると、ミラーはためらわず止血帯をクーパーの大腿部へ回した。


「締めるぞ」


「え――ちょ、待っ――」


「歯食いしばれ」


 クーパーの顔が強張った。


「待って、それ絶対痛いやつ――」


「痛い。だから動くな」


「先に言うなよ、クソ――!」


 ミラーが締め上げた瞬間、クーパーの身体が壁際で跳ねた。


「っ、あ゛ぁッ……クソッ、痛ぇ!ファック、ファック……!」


 反射的に右脚を引こうとして腰が浮き、パーカーが肩とボディアーマーを押さえ込んだ。


「動くな!」


「無理だろ、これ!ファック、クソッ、痛ぇって!!」


「知ってる。まだ終わってない」


「は!? おい待て、待て、ファック――待てって!」


 ミラーは止めず、さらに締めた。


「っあ゛――ッ!!ファック!ファック、ファック……ッ、クソッ、もういいだろ!!」


「よくない」


「ふざけんな……ッ、ファック、痛ぇ……マジで、痛ぇって……!」


 クーパーは基礎壁へ後頭部を押しつけ、歯を食いしばった。額から汗が噴き、荒い呼吸のたびに喉が鳴る。右手が反射的に止血帯へ伸びかけたところで、パーカーが手首を掴んだ。


「触るな」


「触らねえよ……ッ、ファック……触れるかよ、こんなの……!」


 悪態の途中で息が詰まり、そのあとは数秒、声にならない呼吸だけが続いた。


「もう少し」


「お前……その台詞……ファック、クソ……さっきから信用できねえ……!」


「信用しなくていい。脚だけじっとしてろ」


 ミラーがさらに締めると、クーパーは一度大きく息を吸い、その直後には声量を抑える余裕すら失った。


「ぁあ゛ッ――ファック!ファック、ファック、ファック……ッ!」


 肩が震え、左手がコンクリートの縁を強く掴み、指先が白くなった。声を出し切ったあとも呼吸の合間に小さく「ファック」と漏れ続け、目の端には痛みだけで滲んだ涙が浮いていた。


 ミラーはそこでようやく手を止め、出血を見て、触れ、止まっていることをもう一度確認した。


「よし」


 クーパーはすぐには答えず、何度か浅く息をしてから掠れた声を押し出した。


「……何が、よしだよ……ファック……」


「止まった」


「……最初からそれ言えよ……クソ……」


「言ってたら痛くなくなるのか?」


「なら……黙ってろ……」


「元気あるな」


「うるせえ……」


 言葉は戻ってきていたが、呼吸が落ち着くまでのあいだ、ときどき本人の意思とは関係なく「ファック……」と小さく漏れていた。


 その間にもパーカーは二階から目を切らず、クーパーの身体を自分の大きな肩の陰へ押し込みながら、壁の縁と暗い窓を交互に見ていた。


「パーカー、戻せる」


「了解」


 パーカーがクーパーの左側へ身体を入れた。


「クーパー、俺の首持て。右脚は使うな。左だけだ」


「使えるわけねえだろ……クソ痛ぇよ」


「ならちょうどいい」


「お前ら今日みんな性格悪くないですか……?」


「元気じゃねえか」


「元気じゃねえよ……!」


 クーパーの左腕を自分の肩へ回し、パーカーが腰を落とした瞬間、右手二階から二発続けて飛んできて基礎壁の上端が砕けた。


「クソ!」


 パーカーがクーパーごと身体を伏せ、コンクリート片が三人の肩とヘルメットへ降った。ミラーも身体を低くしたまま処置した右脚を庇う。


「まだ出すな!」


 ウォーカーにも敵がまだ二階にいることは分かっていた。正確な人数も、射撃位置も完全には潰せていないが、こちらが負傷者を動かそうとした瞬間にもう一度撃ってきたという事実だけで十分だった。


「ケリー!」


「撃ってる!」


 M249が返し、ケリーは窓へ長く撃ち込まず数発ずつ区切って暗い開口部を押さえた。ハリスがその途切れへ二発を重ね、モラレスは一階へ弾を落とさないよう窓の上端と右側へ射撃を集中させる。


 ウォーカーは右だけを見ず、正面の白いセダンをベネット班が押さえ、リードのM249が一定した間隔でそこへ弾を送り、ドノヴァンが車の右側から現れるかもしれない別の射手を警戒していることも確認した。


 二方向とも敵は残っているが、それでも今なら数秒だけ動ける。


「ミラー、戻れ!一班、そのまま押さえろ!」


 ケリーがもう一度引き金を引き、M249が数発鳴って止まり、もう一度鳴ったあと、今度は不自然に音が切れた。


 ケリーが引き金を引き直しても何も出なかった。


「クソッ!リロード!」


 その一言を聞いた瞬間、ウォーカーの意識が二階の窓へ集まった。あれだけ続いていたM249が止まったことは、こちらに分かるのだから向こうにも分かるはずで、火力の厚みが一枚剥がれた時間を敵が見逃す保証はない。


「ハリス、繋げ!」


「やってる!」


 ハリスのM4が続けて鳴り、モラレスも射撃を重ねた。二挺でも窓へ弾は送れるが、さっきまでケリーが作っていた圧力とは違う。


 ケリーは壁際でM249を下げ、熱を持った機関部の周囲へ手を動かしている。焦ってはいないが余裕もなく、汗が顎から落ち、手袋越しにも熱が伝わったらしく一度だけ舌打ちした。


「帰ったらデスクワークに変えてやる!」


 モラレスが撃ちながら怒鳴った。


「お前に書類仕事できるわけねえだろ!」


「なんで俺がやるんだよ!」


「うるせえ、撃て!」


 ハリスが二人まとめて黙らせた。


 ウォーカーの照準器の中で暗い窓の奥がわずかに動いたので銃口を合わせたが、その直前、二十メートル先からM249が鳴った。


 リードだった。


 正面の白いセダンを押さえていた射撃が一度だけ大きく右へ振れ、短い連射が二階の窓へ入り、いつもの間隔を置いてもう一度続いた。


 ケリーの火力が抜けた場所へ、リードがそのまま入った。


 ウォーカーはベネットへ命令していなかったので、ベネットが判断したのか、リード自身が音を聞いて拾ったのかは分からなかったが、今はどちらでもよかった。


「リード、そのまま!」


 返事はなく、代わりにM249がもう一度鳴った。その射撃は一定した間隔を保ち、見慣れた時計のようだった。


 二階の窓から動きが消え、その火力の下でパーカーがクーパーを起こした。


 クーパーの左腕を自分の首へ回し、右腕でボディアーマーの肩口を深く掴む。二人には身長差があり、右脚へ体重をかけさせなくても身体のかなりの部分を支えられる。ミラーは反対側へ入り、クーパーの腰と装具を支えながら処置した右脚を見ていた。


「行くぞ」


「……はい」


「右は使うな」


「だから使えるわけねえって……!」


「じゃあ左で蹴れ」


「人使い荒すぎだろ、クソ……!」


 三人が壁を離れた。


 行きの八メートルは二人で走れば数秒だったが、帰りは違った。クーパーは左脚しか使えず、パーカーはその体重を引き受け、ミラーも負傷部を不用意に振らせないよう身体を支えているため、全力では走れない。三人の速度は、撃っている側から見れば十分に遅かった。


 二階から一発が飛び、三人より低い位置で舗装が弾ける。


「右!右!」


 ハリスが叫び、ほとんど同時に二発返した。モラレスが続き、そのさらに奥からリードのM249が短く重なる。


 そこへ失われていたもう一挺の音が戻った。


「アップ!」


 ケリーだった。


 M249の最初の連射が二階の窓へ叩き込まれ、狭い道路へ再び厚い圧力が戻った。ケリーは射撃を長く引っ張らず、数発で切っては窓を見直しており、残った弾を意識していることは射撃の短さだけで分かった。


「そのまま押せ!」


 ウォーカーが怒鳴ったが、今度のケリーは返事をせず、数発撃ち、止め、窓を見て、もう一度撃った。


 その間にパーカーたちは道路の半分を越えた。クーパーの左足が一度もつれ、三人の身体が大きく沈んだが、パーカーが右腕だけで装具を引き上げ、舗装へ落とさず支えた。


「止まるな!」


「止まってねえよ!」


「今止まっただろ!」


「転んだだけだ、クソ!」


「同じだ!」


「喧嘩は後にしろ!」


 ミラーが怒鳴る。


 最後の数メートルは走るというより引きずる形になったが、それでも進んだ。パーカーの肩を掴むクーパーの指が白くなり、左足が舗装を蹴るたび負傷した右脚が遅れて揺れ、止血帯そのものの痛みも消えていないらしく、数歩ごとに歯を食いしばって悪態とも呻きともつかない声を漏らした。


 ミラーは身体を支えながら何度も右脚へ視線を落とし、やがて三人がウォーカーたちの壁の陰へ滑り込む。


「入った!」


「一班、射撃落とせ!」


 ハリスの声に続いてウォーカーが命じると、ケリー、モラレス、ハリスの順で射撃が止まり、数秒前まで道路を満たしていた発砲音が急に薄くなった。遠くにいるリードのM249だけが、一定した間隔で正面を押さえ続けている。


 ミラーはクーパーを座らせるより先に膝をつき、もう一度右脚へ手を伸ばした。


「パーカー、脚こっち。ケリー、邪魔すんな」


「俺まだ何もしてねえだろ」


「これからする顔してる」


「どういう顔だよ」


「黙れ」


 ミラーはケリーを見もしないまま、クーパーの顔色、呼吸、出血を順に確認した。その間だけ普段の気怠さは完全に消えている。


「クーパー、名前」


「ダニエル・クーパー」


「ここどこ」


「……バグダッド」


「もう少し詳しく」


「クソ暑くて……脚が死ぬほど痛いバグダッド」


「よし」


「何がよしなんだよ……」


「受け答えできてる」


「なら最初からそう言えよ……」


「説明したら痛み減るか?」


「ミラー、今ほんと嫌い……」


「後で聞く」


 ミラーはまた右脚へ視線を戻した。


 ウォーカーは傷を覗き込まず、「どうだ」とだけ聞いた。


「止まってる。意識もいい。今すぐどうこうって感じじゃない」


「歩けるか」


「一人じゃ無理です」


 クーパーが先に答え、ミラーが横目を向いた。


「お前には聞いてない」


「でも無理です」


「知ってる」


 ウォーカーは肩口の送信スイッチを押した。


「2-6、2-2。負傷者回収。出血コントロール中、意識明瞭。現在二方向より小火器射撃を受けている。位置保持継続、オーバー」


 返答までに短い雑音が入った。


『2-2、ラジャー。2-3をそちらへ向かわせている。西側から接近。到着まで保持できるか、オーバー』


 ウォーカーはすぐには答えず、壁越しにもう一度状況を確認した。右手二階は沈黙しているが、ケリーがそこへ銃口を向け続け、正面ではリードのM249がまだ一定した間隔で鳴り、ベネットが近くで何かを指示している。


 クーパーは戻り、ミラーがつき、パーカーも無傷で、弾だけが減っていた。十人という数字はまだ変わっていない。


「できる。2-3の進入方向送れ、オーバー」


『西側交差点。味方識別に注意。2-3から直接呼ぶ。アウト』


 送信を切った。


「ベネット、2-3来る!西からだ!」


「了解!」


「ドノヴァン、撃つ前に見ろ!」


「見てから撃ってます!」


「なら続けろ!」


 正面から一発飛び、ベネットのいる壁面が叩かれ、ドノヴァンがすぐ二発返した。


 敵の射撃はクーパーを回収する前より疎らになっていたが、それが楽になったという意味ではなかった。一発撃って沈黙し、別の場所から二発来る。位置を変えているのか、複数が離れて撃っているのか、それすら確定できない。


 ウォーカーは撃ち続ける敵より黙った敵の方が嫌いだった。撃っている間は少なくとも居場所の手掛かりがあるが、沈黙すれば次にどこから弾が来るのか分からない。


「ハリス、弾」


「まだあります」


「数字」


「使用中除いて四本」


「モラレス」


「三本半」


「ケリー」


「聞きたくない」


「聞いてる」


「まだある。余裕はねえ」


 ウォーカーはそれ以上聞かず、前方へ「リード!」と声を飛ばしたところ、代わりにベネットが「まだ持つ!」と返したので、それで十分だと判断した。


 西日が少しずつ弱くなり、さっきまで白く光っていた壁面に灰色が混じり始めている。道路から上がってくる熱気は変わらないのに、光だけが一日の終わりへ向かっていた。


「軍曹、俺の銃」


 クーパーが少し離れたところに置かれたM4を見た。パーカーが回収してきたものだった。


「後でいい」


「でも――」


「後でいい」


 一度言えば、クーパーもそれ以上続けなかった。


「了解」


 ミラーが肩を押した。


「横になってろ」


「寝てません」


「横になれって言ってんだよ」


「それならそう言ってください」


「撃たれて口数増えてないか、お前」


「痛いんですよ。死ぬほど」


「そりゃ撃たれてるからな」


「主にお前が締めたやつが痛ぇんだよ……」


「それは効いてる証拠だ」


「今その言い方すげえ腹立つ……」


 ケリーが壁の向こうを見たまま口を挟んだ。


「お前ら余裕あるなら俺の代わり撃つ?」


「嫌だよ」


 ミラーが即答する。


「お前ほんと嫌い」


「知ってる」


 モラレスが小さく笑った。


 その笑いを切るように二階の窓で一瞬だけ光が走り、ハリスが声を上げるより早くケリーが撃った。M249の短い連射が窓へ入り、暗い室内から二発目は返ってこなかった。


「今の見えたか!」


「見えた!」


「人数!」


「一!」


「確実か!」


「今度は一!」


 ウォーカーはそれ以上聞かなかった。一人見えたという情報だけで十分で、倒したかどうかを確認するために誰かをあの建物へ向かわせる理由はなかった。


 正面から二発が来るとリードが返し、右手ではケリー、正面ではリードの二挺のM249が別々の方向を短く押さえ、その間へハリス、モラレス、ベネット、ドノヴァンのM4が入った。


 発砲音だけを聞けば街路全体が無秩序に撃ち合っているように聞こえるが、ウォーカーには違った。ケリーがどこを見ているか、リードがどこを押さえているか、誰がいま撃てて、誰が動けるかが、最初にこの通りを歩いていた時と同じように、分隊の形として音の中に見えていた。


 イヤホンへ雑音が入った。


『レイヴン2-2、こちらレイヴン2-3。聞こえるか、オーバー』


 ウォーカーはすぐ送信した。


「レイヴン2-3、こちら2-2。聞こえる。位置送れ、オーバー」


『西側交差点手前。そっちの銃声は拾えてる。これから入る。味方撃つなよ、オーバー』


「2-3、ラジャー。右手二階、正面白いセダン後方に敵。味方負傷一。こちら道路北側と前方壁。オーバー」


『ラジャー。右二階確認。入るぞ。アウト』


 数秒後、西側交差点の影から一人が現れ、その後ろへ二人、さらに複数の兵士が続いた。ウォーカーのM4が反射的にそちらへ向きかけたが、装備と動きを見たところで途中で止めた。


「西、味方!撃つな!」


 声を飛ばした直後、西側から新しい銃声が加わり、まずM4、そのあとにM249が鳴った。これまで聞いていたどの発砲位置とも違う場所から火力が右手二階へ伸び、すでに崩れかけていた窓枠がさらに砕ける。正面の白いセダンにも、こちらとは違う角度から弾が入り始めた。


 敵の射線が増えたのではなく、こちらの射線が増えたのだと分かった瞬間、肩の奥に入っていた力がほんの少しだけ抜けた。


『2-2、こちら2-3。接触した。右はこっちで持つ。正面も見える』


「ラジャー」


 第三分隊は西側から街路へ入り、こちらが使っていた遮蔽物へ順に身体を収めていった。分隊長らしい男がウォーカーの方へ手を振る。


『2-2、負傷者いるんだろ。下がれ。こっちで押さえる』


 ウォーカーは返答する前に、自分の分隊を見た。ベネット、リード、ドノヴァン、パーカー、クーパー、ミラー、ハリス、モラレス、ケリーの九人が視界の中にいて、自分を加えれば十人だった。


 喉の奥にあったものがほんの少しだけ下がったが、基地へ入るまでは終わっていない。ただ、朝から数えていた数字は減っていない。


「2-3、ラジャー。借りるぞ」


『さっさと行け』


 通信が切れた。


「聞け!2-3が引き継ぐ!ベネット班から下げる!クーパーはパーカーとミラー!ケリー、最後まで右見ろ!」


 返事が重なる。


「やっと帰れる」


 ケリーが言った。


「まだだ。基地入るまで言うな」


「縁起でもないこと言うなよ」


「なら黙れ」


「へいへい」


 最初と同じ返事だった。


 ベネット班が先に離脱を始め、リードは白いセダンへ最後の短い連射を入れて引き金を離した。その直後、第三分隊のM249が同じ場所へ入り、リードが作っていた音の空白を、今度は知らない射撃が埋めた。


 今度はウォーカーの分隊が動く番だった。


 パーカーがクーパーを起こし、左腕を自分の肩へ回させ、ミラーが反対側へ入って右脚を使わせないまま身体を支える。


「また立つぞ」


「分かってます」


「右使うな」


「だから使えねえって……!」


「なら問題ない」


「お前その理屈ほんと嫌いだわ……」


「行けるか」


 ミラーが聞く。


「行けます」


「無理なら言え」


「言ったら止まります?」


「止まらない」


「じゃあ言いません」


「賢くなったな」


 三人が歩き出した。


 クーパーは左脚だけで舗装を蹴り、二人の肩を借りながら進んだ。速くはなく、止血帯を締められた右脚が揺れるたびに顔が歪んだが、それでも自分で這って稼いだ数メートルと同じように、帰り道でも自分の身体を使っている。


 ハリスとモラレスが続き、ウォーカーは最後にもう一度人数を確認した。ベネット、リード、ドノヴァン、パーカー、クーパー、ミラー、ハリス、モラレス、ケリーの九人が先にいて、自分が最後尾にいる。


「ケリー!」


「分かってる!」


 第三分隊のM249が右手二階を叩いているのを聞いてから、ケリーは自分の射撃を止めた。


「随分派手にやったな」


 交代に入った兵士の一人が言う。


 ケリーはM249を抱え直した。


「観光なら別の日に来い」


「人気スポットだろ」


「星一つだ」


「帰ったらレビュー書け」


「クソ長文で書いてやるよ」


「ケリー!」


「はいはい!」


 ケリーが壁を離れ、最後にウォーカーが続いた。


 十メートル、二十メートルと距離が開くにつれて、銃声の位置も少しずつ背中側へ移っていった。右手二階から一発来れば第三分隊のM249が返し、正面から撃たれれば数挺のM4がそこへ重なる。ついさっきまで自分たちが作っていた射撃の壁を、今度は別の分隊が肩代わりしていたので、ウォーカーたちはもう撃たなくてよかった。


 曲がり角へ入ったところで右手二階の建物がようやく視界から消え、パーカーの肩に体重を預けながらクーパーがまだ歩いているのが見えた。顔色は悪く、額には汗が浮き、止血帯を巻かれた右脚が揺れるたびに眉が寄るが、意識ははっきりしている。


「軍曹、あとどれくらいです?」


 ウォーカーは一瞬だけ意味を取り損ねた。


 クーパーが息を切らしながらこちらを見ている。銃撃が始まる前、交差点へ入る少し前にも聞かれた同じ質問だった。


 ウォーカーは前を見た。西日はもうかなり低くなり、通りの先へ長い影を伸ばしていて、基地はまだ見えない。


「二ブロック」


 クーパーが一度だけ笑い、すぐ痛みで顔を歪めた。


「さっきも、それでしたよ」


「増えてはいない」


「減ってもないじゃないですか」


「歩け」


「歩いてます」


 横でパーカーが鼻を鳴らした。


「お前それ好きだな」


「うるさいです」


 誰かが小さく笑い、ウォーカーも口元をわずかに動かした。


 あと二ブロックあり、基地の門をくぐるまではまだ終わらない。それでも、今朝そこを出た時と同じ人数が自分の前を歩いていて、一人だけが二人の肩を借りているという違いしかなかった。


 背後ではまだ射撃が続き、短いM249へ数発のM4が重なり、少し間を置いてまたM249が鳴っていた。


 この通りで最初に銃声を聞いた時、その音は彼らの足を止めたが、今は同じ種類の音が背中を守っている。


 ウォーカーは振り返らず、「行くぞ」とだけ言った。


 十人はそのまま歩き続け、その後ろでは、別の分隊が作った銃声の中を帰り道だけが開いていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


前書きにも書いた通り、きっかけはCoDの現代戦キャンペーンを見て「こういう市街戦を、もっと歩兵分隊の目線でガチ寄りに書きてえな」と思ったことでした。


今回いちばん書きたかったのは、タイトルにもした「SUPPRESSION FIRE――制圧射撃」です。


敵を何人倒したかではなく、誰かが動くために誰かが撃つ。そいつが撃てなくなったら別の誰かが穴を埋める。そして最後には、別の分隊が撃っている間に自分たちが帰る。


そういう「火力で敵を倒す」というより、「銃声で仲間が生きて動ける数秒を作る」戦闘を書いてみたくて、この形になりました。


なので最後まで敵の戦果はほとんど分かりません。

その代わり、十人で出て、十人で帰ります。


M4、M249、M203、無線交信、負傷者回収など、軍事描写については可能な範囲で資料を確認しながら書いていますが、あくまで創作作品ですので、演出上の調整や独自設定も含まれています。


ケリーのM249が重いという愚痴から始まって、最後にはそのM249を含む誰かの銃声が帰り道を作る――そんな短編として楽しんでいただけていたら嬉しいです。


なお、ケリーはたぶん基地へ戻って五分後にはM249以外の何かに文句を言っています。


改めて、こまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
リアリティがあって良い緊張感の文章でした。 ミリタリー関係の知識が明るいのは羨ましいです。
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