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酒の肴

昇ノ国での一幕。

「春、こっちへ来てみなさいよ。ここならよく見える」


 どんちゃんと、厳かさを欠いた宴の音色は遠く、腰掛けた太い木の枝が揺れる拍子に整った顔立ちが覗く。

 今宵は十二家がテンショウを招いての宴を催しており、本来であれば春竹(はるたけ)らもテンショウの護衛として、そのお傍に控えていなければならないはずだった。

 しかし、今代のテンショウであり、春竹らの主である(みこと)から、護衛は不要だから自由にしろと命令——お許しをいただいたのだ。


「見えるは見えるが……これでは少し、遠いのではないか?」


 ぐっと眉間に皺を寄せ、目当ての人物を探そうと春竹は身を乗り出す。

 隠之者衆(かくれのものしゅう)の一員であるため、視力は並の者よりもよほど優れてはいるが、それにしても離れているところからごちゃごちゃとした中、目当ての一人を探して見分けるのは苦労するというもの。

 右から左へと何往復もしたところでようやく見付けると、春竹はその姿に神々しさを覚え、眩しさを耐えるかのように目を細めた。


「ふふん、さすがの将軍様といえどもこれだけ離れていれば、殺気でも出さなきゃどれだけ見ててもバレやしないよ、春。私の気遣いに感謝するんだね」


 そう得意気に面布を揺らした相棒——淡雪(あわゆき)は、いそいそと春竹の懐を探り出す。

 視線と意識を憧れへと向けている春竹だが、淡雪はお構い無しに目当てのものを探り当てようとまさぐり続け、わざとなのかというほど見当違いなところへと手を滑り込ませようとするのを、春竹は視線をくれずにぴしゃりと叩く。

「あいたぁ!」と、大して強く叩いたわけでもなく大仰に竦む淡雪に、春竹はやはり将軍の姿から目を離すことなく取り出したものを放り投げる。


「おっとっと、危ない危ない。落として割ったら大変だ」


 そう言う口とは裏腹に、なんの危なげもなく放り投げられた酒器を手中に収めた淡雪は、頬擦りをしている。

 徳利から盃へと中身をとくとくと注ぎ、立ち上る芳醇な香りを楽しむと、面布の下へと潜り込ませて一息に呑み干す。こくりという小さな音とともに喉へと伝う酒精の熱さに、ほぅと蕩けた息が口を吐いて出た。

 次いで取り出した干し柿にかぶりつき、その甘さで口の中を調え、再度酒を注いで呑み干すと、今度はやけに辛く感じて変わる味を楽しむ。

 十二家が開く宴の酒は特段に美味いと、淡雪は唇についた干し柿の滓を舐め取り、くすねて来た春竹へと目を向ける。

 春竹は憧憬を込めた熱い眼差しを遠い宴の席で静かに座する将軍へと向けており、相棒の熱の入れように淡雪はくつくつと喉奥で笑みを殺しながら盃を持ち上げる。


「すまないな、本当ならばもっと近くにいれたはずなのに」


 さらさらとした心地好い風が流れるとともに、ようやく春竹の目が淡雪へと向けられた。

 春竹は淡雪の手から盃を取ると、中身をちみちみと似合わぬ小口で呑む様に、淡雪がドンッと寄りかかる。

 溢れそうになる酒に慌てた春竹が、くいっと一気に残りを口内に逃がせば、鼻に突き刺さる酒精の香りに顔を顰めて勢い良く喉奥へと押しやる。

 口内には残っていないというのに、鼻に残る香りが春竹の脳を焼くようで、堪らずにぶるりと頭を振るわせると、可笑しそうに面布を揺らしながらもたれ掛かる淡雪を睨み付ける。


「お前なぁ、危ないだろうが。落ちたらどうするんだ」


「んっふふ、お前は本当に酒を呑むのが下手で可愛いねぇ。あまり得意ではないのだから、受け取らなければ良いのに」


「阿呆が。お前と同じものを、俺が口にしないわけないだろう」


 そう言って春竹は淡雪の手から食べかけの干し柿を取り上げると、先程とは打って変わってがぶりと大きな口でかぶりつく。

 豪胆なほどのその食い付きに、淡雪は春竹の手の内にある盃に酒を注ぐ。春竹の咀嚼が続いているうちに、淡雪は春竹の手を掴んでその酒を呷った。

 喉を焼く酒の香りは鮮烈で、されど舌に甘さを残して儚く引いていく。


「すまないと思っているのも、可愛いと思っているのも本当だよ」


 淡雪は身を離すと同時に盃を春竹の手から取り返すと再度注ぎ、ぺろりと舌先で舐めるようにぷっくりとした酒の表面を吸い取った。

 木々に隠れたその場所に、月の光が差し込むことは無い。遠く離れた宴の音色に耳を澄ませば、ごくりと春竹が嚥下する音が聞こえた。


「随分と殊勝なことを言うものだな、淡雪」


 手に残る干し柿の欠片を後ろに軽く放った春竹は、面布に隠れた口元へと盃を運ぼうとした淡雪の手を取り、自身の口へと入れさせる。

 とくとくと、注がれる酒は芳醇な香りと強い刺激を持って春竹の喉を焼くが、一息に呑み干して見せた。

 一層の激しさを伴う余韻には、思わず鼻を摘んで堪える春竹に、淡雪がけらけらと腹を抱えて笑う。ここがもしも木の枝の上で無かったのなら、きっと淡雪は転げ回って笑っていたであろう。

 春竹は身を丸めて笑う淡雪を、じとりとした目で見やれば、それがまた余計に可笑しいのか、さらにけらけらと軽快な笑い声を漏らす。


「俺はお前の——」


 文句のひとつでも言ってやろうとした春竹だが、その口元に指先が触れる。


「——春竹、二度も共にすることはないんだよ」


 むにりと淡雪の人差し指が唇に押し付けられ、春竹の言葉を遮った。

 いくら春竹が淡雪と同じものを口にすると言っても、何も一口ずつする必要は無い。だというのに、苦手なものを我慢してまで二度も、さらには一息に呷る真似までする姿に、淡雪は可笑しくて堪らないと思うと同時に、愛おしくて堪らなくなり春竹に触れていた。

 春竹はぺしりと淡雪の手を跳ね除けると、次いで面布をぺらりと捲ってやる。その下には彼の母御譲りの美しい顔があり、笑みを浮かべた瞳には薄らと涙が滲んでいる。


「泣くほど笑うか」


「いいや、お前の可愛さに胸が潰れそうなんだ」


 くふりと笑みを零した淡雪は、捲られた面布を直しもせずに頭を春竹に預けた。

 淡雪は常に面布で顔を隠しており、例え主君である尊が相手であろうと、血縁者や迎え親であろうとも、外して素顔を見せることは絶対にない。

 面布に触れることだって叶わないというのに、春竹だけは触れることも捲ることも許される。そして、今では誰も見ることの出来ない淡雪の素顔を夜風と共に堪能出来るのもまた、春竹だけの特権だ。


「春、さぁ存分に将軍様を見ることを許す! 私はお前がいればそれでいい」


 けらけらと笑い美しい顔を晒して酒を呷る淡雪は、確かにこれだけ人々から離れていなければ、外で素顔を晒すことも無かっただろう。

 風が心地好く頬を撫で、暗い中でも夜目の効く二人にとっては互いの顔ははっきりと見て取れる。

 春竹は溜息混じりに肩を落としてから懐に手を入れると、梨を取り出して一口齧る。そしてそれから淡雪の口にも運んでやれば、当然のようにそれを齧って咀嚼する淡雪。


「俺はお前の許可が無ければ将軍様を見ることも叶わないのか」


「可愛げのない奴だ。黙って私の肴を給するのでは飽きてしまうだろう?」


「可愛い俺に向かってなんだその口は。俺の可愛さを少しでも分けてやろうか」


 一口齧る度に淡雪の口にも運ぶ梨の雫が、春竹の手から垂れそうになるのを掬った淡雪の舌は、ちろりと唇を舐めて収まった。


「ふふん、私が可愛くなって困るのはお前だろうに。今よりもお前が私に付きっきりになってしまうよ」


「それのなにが困るんだ、悪いことでは無いだろう?」


 春竹が淡雪の手首を取ると、ちみちみと酒を啄んでいく。

 こくりと喉を鳴らして呑み終えた春竹は、すぐに梨に齧り付き、あからさまな口直しをするもので可愛い奴だと淡雪がまた零す。


「そうだな、それはとても良いことだ。お前が私に付きっきりになれば、私もお前に付きっきりになれるということだからな」


 春竹が差し出してきた梨に齧り付くと、芯までガリガリと噛み砕いて食い切ってしまえば、春竹の呆れたような顔が淡雪に向いていた。


「淡雪、芯まで食うな。腹を壊したらどうする」


「私は一等丈夫な腹を持っている。腹を下したことなどないよ、春も知っているだろうに」


「食うなら俺の分も残しなさいよ。俺が共に死ねなかったらどうするんだ」


「ふん、後を追えば良いだけだろうよ」


 小言を言いそうな雰囲気を察した淡雪は、春竹の顔を片手で押しやり、無理矢理将軍のいる方へと向けてやる。

 たちまち春竹の意識は憧れである将軍様へと向けられ、それが少し寂しくもあるのだが、単純だと扱いやすさにほくそ笑む。

 酒はまだ半分以上も残っており、春竹の気の済むまで将軍を堪能させてやるかと、二個目の干し柿を懐から取り出して齧り付く。

 少しだけ渋いそれに外れかと眉を寄せて齧り続ける淡雪から、春竹の手が顔も向けずに干し柿を取り上げると、ぽいっと己の口へ放り込み一口で残りを食べてしまう。

 突然の暴挙に淡雪も一瞬ぽかんとするものの、次第に震え出したかと思えば声を殺すようにして笑いながら身を起こす。

 顔も向けずに咀嚼を繰り返す春竹の肩に伸し掛るようにして抱き着けば、腰元を支えるように手が添えられる。


「なぁんだよ、お前って、本当に可愛い奴だなぁ! 良いよ、将軍様に憧れるのは許してやるよ! でもなぁ春竹、お前が真に心を許すのは私だけだよ。でないと私が死んでしまうのだからね」


 可愛い可愛いと何度も口にしながら春竹の頭を撫で付ける淡雪に、ごくりと口の中を呑み終えた春竹はふんっと鼻を鳴らす。


「お前の許しなんぞなくとも俺は将軍様に憧れるよ、阿呆め。それよりほら、こちらを食え。塩気も欲しくなっただろう」


 そう言って春竹が取り出したのはまた新たな包みであり、パァッと目を輝かせた淡雪は「流石私の春竹だ!」と飛び付いた。

 座り直した淡雪は包みをふんふんと嗅いでから、丁寧な手つきで開けると中から出てきたのは貝の干物であった。それも淡雪が最近特に好きなものであり、恍惚とした表情で持ち上げたそれを一息に口の中へと放り込んだ。

 弾力のある歯応えと、噛めば噛むほどに染み出る味の深さに、堪らないと震えてから酒を求めて注ごうとした淡雪だが、その頬を無造作に掴む手が横合いから伸びたかと思えば、容赦なく口の中に手を突っ込み中身を引き摺り出す。

「んえっ」という、なんとも言えない声が同時に引き出されたが、春竹は我関せずといった面持ちのままに指先の貝の干物だった塊を自身の口へと放り込んだ。

 そして指先を舐め取ると、淡雪の額をもう片方の手の指で弾いた。


「半分ずつだ、阿呆」


「……私は時折お前が卑しいだけのように思えてならない」


 そう言って盃に唇を付ける淡雪は、興を削がれたとばかりに目を伏せている。

 春竹は新しい貝の干物を取ると、半分齧ってから淡雪の唇に押し付ける。

 渋々という風に開く口に入れると、もしゃりもしゃりと咀嚼をし始めるが、押し上げていた面布を下ろしてしまう。

 それほど口の中に手を突っ込んでまで取られたのが気に食わないのか、淡雪の拗ねる様に春竹はもう一本貝の干物を齧ってから口に運んでやる。

 どれだけ拗ねていても、結局は春竹の与えられるものを食べないという選択肢は取らない淡雪に、密かに胸を撫で下ろすような気持ちの春竹だが、目敏い淡雪は面布の下から睨んだ。


「お前ねぇ、そんな顔をするなよ。お前が悪いというのに、そんな顔をされたら私が悪いみたいじゃないか」


「ここには俺たちしかいないというのに、淡雪が顔を隠すからだ」


「無遠慮に口の中を掻き混ぜる輩がいるのだから当然だろう。いくらお前でも、口内を掻き回されて嬉しいものか」


「俺はお前に口の中に指を突っ込まれても構わないが?」


「私は嫌だって言ってんだ!」


 ふんっとそっぽを向く淡雪の子供じみた行動に、けれど春竹は眉尻を下げて困り果てる。

 そこまで嫌がるとは思わなかったが、もう二度と顔を拝む機会がなくなるのかという不安が脳内を過ぎり慌て出す。


「俺が悪かったよ、淡雪。淡雪があの干物ひとつで死んだら俺が残されると思ったんだ。お前と共に死にたかっただけなんだ、許してくれ淡雪」


 独りで死なせることを嫌う春竹に、独りで死ぬことが嫌いな淡雪。逆も同じであり、一蓮托生の身であることだけが頼りの二人。

 淡雪が肩越しに振り返り、やや不服そうにも仕方の無い奴だと零した。

 結局どんなことでも最終的には許さざるを得ないのは淡雪であり、どんなことをしても許されるのは春竹だ。

 春竹が淡雪を許すように、淡雪も春竹を許すのだ。


「私はつくづくお前に甘い」


「俺がお前に甘いからだ、淡雪」


 またも春竹に頭を預けるように座り直した淡雪は、もそもそと貝の干物を噛みちぎると、春竹へと半分を差し出した。

 春竹はそれを口で受け取ると、手は淡雪の面布へと伸びており、ぺろりと捲った先にはやはり美しい顔がある。


「憧れの将軍様を見なくて良いのか?」


「見たいのは山々だが、俺は今、淡雪を眺めるのに忙しいからな」


 春竹の言葉に気を良くしたのか淡雪がふふんと笑い、向いた瞳に映る春竹もまた笑んでいる。


「春、お前は物好きな奴だな」


「可愛いと褒めなさいよ」

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