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第0話/プロローグ:撒き散らす鮮血さえも繋がりに

このサイトには初投稿です。稚拙極まりない作品ですが、楽しんでいただけたなら幸いです。

俺の名前はカタロ・シギムハルテ。この村に住むピチピチの14歳。村の用心棒、もとい便利屋をやっている。


今日の俺はいつも通り村人から依頼を受け、「彼女」と共に村はずれの森までとある魔物の群れをを狩りに来ていた。


そう難しい仕事ではない。現時点で標的はあらかた始末し、残すところはあと一匹、という状況だった。


「さて...もうあとはお前だけだな?」


「グルルルルッ...!」


唸り声をあげて俺を威嚇しているこの魔物こそ、今回のメインターゲット、「アーリードッグ」だ。


「ガウッ!ガウガウッ!!」


「悪く思うなよ。こっちも生活がかかってるんでな。」


アーリードッグは群れで行動する習性がある中型の魔物で、毒性の強い唾液に強靭な四肢、鋭利な爪牙に加えて目が三つと、いかにもモンスターといった容貌だが、等級は第四階位。下等の魔物だ。よほどのことがなければ苦戦する相手でもない。


コイツらを村の周辺で見るようになったのはつい最近のこと。おおかた、夜な夜なバーバラさん家の家畜を襲っていたのはコイツらだろう。あそこの牛、どいつもこいつも丸々と太っていて美味そうなんだよな。コイツらの気持ちも分からないでもない。


だが、人間様の仇となるようじゃ生かしてはおけない。人身被害が出る前に、ここで群れごと駆除しておかなければ。


アーリードッグの強みは他の個体との連携にある。一匹あたりの戦闘力はいいとこ第五階位の魔物と同程度。一対一では訓練にもならない。


「はぁ...セイッ!」


「ギャイッ!?」


走り寄ってくるアーリードッグ。一匹では戦術もクソもない。それは命を捨てるに等しい吶喊だった。相手が飛びかかろうとするギリギリまで引き寄せ、すぐさま顎を蹴り上げる。間の抜けた鳴き声をあげて天を仰いだその鼻っ柱に、すかさず踵落としを一発。我ながら素晴らしい動きだ。地面に叩きつけられたアーリードッグは、ピクピクと痙攣し、すぐに動かなくなった。


「...ふぅ、こんなもんかな。」


これで俺の分は全部かな、なんてひと息つこうとしたのも束の間。


「カタロ!そっち行った!」


「む、まだいたのか...」


少し焦りを滲ませた、彼女の叫び声。振り返ってみれば、一体今までどこに隠れていたのか、アーリードッグが一匹、俺を目掛けて一心不乱に駆けてくるではないか。大人しく逃げ帰っておけばいいものの、馬鹿なやつだ。しかし、見つけてしまった以上、黙って見逃す訳にはいかない。なにせ仕事だからな。報酬を受け取るからには、きちんと依頼をこなさねば。


「せっかくだ。お前は剣で相手してやる。」


素手での戦闘力を磨くため、今日の戦闘は全て徒手空拳を以て制するという縛りを己に課していたが、それももう十分だろう。それに、俺は剣士だ。毎日剣を振らねば、剣筋が鈍る。


腰に差した愛用のブロードソードに手をかけ、ただじっとその時を待つ。今度の相手もさっきと同じ。ただ無策で突っ込んでくるだけだ。その鼻先が俺の間合いに踏み込んだ瞬間、居相の要領で抜刀し、その切先を相手の眉間に振り下ろす。


「...恨んでくれるなよ。」


皮を破って肉を裂き、骨を断ち切る確かな手応え。俺に飛びかかろうとしていたアーリードッグは、ちょうど線対象に分断された。鼻先から尻尾まで、真っ二つに切り裂かれたことで、先ほどまでは俺へ向ける殺意に漲っていたヤツの体は、ピクリとも動かない屍に成り果てた。


「ひゅぅ!お見事!」


「フンッ、手応えアリ、ってやつか。」


彼女が腰まで伸びた艶やかな黒髪を揺らして、茶化すように言う。俺はそれに、敢えてキザなセリフで返してみる。見れば、彼女の方ももうすぐ片付きそうだった。


「今度は、そちらのお手並み拝見と行こう。」


「ヘヘッ、腰抜かさないでよ...!」


俺の煽りに、彼女は不敵に笑って答えた。彼女の眼前には、アーリードッグが三匹。その上、そのどれもが俺に殺された個体よりも大きい。斑模様の巨躯を獲物への敵意に震わせて、今に彼女の喉笛を食い破らんと隙を窺っている。


「犬っころめ、そんなに欲しけりゃくれてやる...!」


低く唸り声を上げるアーリードッグ。一匹一匹は言うなれば雑魚。しかし、こと戦闘において数で劣るのは大きなディスアドバンテージだ。


油断は禁物。こんなこと、わざわざ口に出さずとも彼女はわかっているはずだ。しかし次の瞬間、彼女は驚きの行動に出る。


なんと、何を思ったか自らの人差し指を咥え、その先端を噛みちぎったのだ。


噴き出す鮮血と、ツンと鼻をつくその香り。目が覚めるような真紅が、彼女の白磁のような肌によく映えていた。


率直に言って、このときの彼女の行動は理解不能だった。普段の俺であったなら、すぐさまと目に入るなり横から獲物を攻撃するなりしていたのだろう。だが、この時ばかりは俺もどうかしていた。指から血を滴らせる彼女を見て、俺はただ美しいと思ってしまったのだ。


「喰らえ!『血貫』!!」


そんな陶酔を引き裂くように、彼女は叫んだ。彼女の全身から、漏れ出す魔力の青白い光が放たれる。


獲物の出血に興奮したアーリードッグたちは、その前足を振り上げて、一斉に彼女へと踊りかかっている。その目に理性は感じない。ただ本能によって、目の前の相手を狩るための動き。


しかし、その爪が彼女を捉えることはなかった。その文字通り、敵を差すようにして真っ直ぐに構えられた彼女の指先。刹那、その指先から放たれた血の弾丸が、瞬く間に三匹の脳天を貫いた。


「ボンッ!ってね。」


彼女の合図と共に、三匹の脳天に埋まった血液が爆ぜる。その様は、まるで血の花が咲いたかのようだった。


「へぇ、新技か!」


それは今までに俺が見たことのない技だった。彼女はピンと立てた人差し指に息を吹きかけ、気取った台詞を演じる。


「ケッ、他愛無いぜ...!」


「このサイズのアーリードッグを瞬殺する威力に速度...エーナ、やはり天才か...」


俺からの称賛に、俺にエーナと呼ばれた彼女は顔を赤らめる。


「ま、まぁ?こんなへなちょこども、私の手にかかれば楽勝だったけど?」


彼女の名はエーナ・コールシーズ。彼女は俺の幼馴染であり、魔術師を志している。将来はパーティを組むことを約束した俺たちは、時折こうして、村人からの依頼を受けてモンスターを討伐していた。


エーナの素ぶりは明らかに照れ隠しのそれだった。しかし、彼女の眼鏡の奥に鎮座する瞳には、隠しきれない自慢げな光が宿っていて、俺が頭を撫でてやると、彼女はいつものようにふにゃふにゃと顔を綻ばせた。


「それにしても、あんな技、いつ覚えたんだ?あの...」


「『血貫』ね。カッコいいでしょ〜ってあ、気づいてないかもだけど、これ実は血管とかかってて...」


エーナは目を輝かせながら、俺が気づいても触れなかったダジャレ部分について解説を始めた。いつものことだ。エーナは自分の技に、どうしてもダジャレを入れたがる。


だが、今日のエーナにはいつもと違う点があった。幼馴染として見逃すわけにはいかない。


「エーナ...もしかしてだが、今ので指、痛めたんじゃないか?」


「えっ...?」


普段のエーナはもっと、身振り手振りを交え、全身で俺に物事を伝えようとしてくる。しかし、今日はずっと手を後手に組んだままだった。ということは、やはり手に何かあるのだろう。なんだか嫌な予感がする。これは、なんとしてでもエーナには手を見せてもらわねば。


「なぁ、見せてくれよ。もしエーナに万が一のことがあったなら、俺は...」


「いや!全然大丈夫だから!うん、全然!ぜーんぜん平気だよ?だからそんな心配しないで...」


昔から、エーナは嘘が下手だ。嘘をつく時、決まって言葉の中に「全然」が増える。わかりやすいヤツだ。


「まぁまぁいいからいいから。見せてみなさいよ。」


「いーやー!全然大丈夫なのー!全然心配いらないのー!全然モーマンタイなのー!」


これはもう意地になってるな。正攻法では埒が開かない。こうなったら...


「エーナ、じゃんけんをしよう。」


「な、なんでいきなり...」


「俺がじゃんけんで勝ったなら手を見せてくれ。負けたらエーナの言う通り俺は何もしない。どうだ?」


「まぁ、そう言うことなら...って!私騙されないよ!じゃんけんにかこつけて、私に手を出させるつもりだったでしょ!?」


「くっ...鋭いヤツめ...」


「舐めすぎ!私のこと舐めすぎだから!」


流石に引っ掛からなかったか。知性キャラに見えてその正体は純朴能天気美少女であるエーナのことだから、ワンチャンあるか?とも思ったのだが...ええいままよ。最後の切り札を使うか。


「まったく、カタロは私のこと馬鹿にしすぎなんだよ。昔っからこんなのばっかりで...」


「エーナ、聞いてくれ。」


できるだけ神妙な面持ちで、出来るだけ誠実そうな声で。誠心誠意、エーナに語りかける。


「な...なに?」


この時点でエーナが食いついてきたのならほぼ勝ち確。あとはこの空気感を崩さないように努めるだけだ。


「俺はエーナのことが大好きだ。」


「ひゃっ、ひゃい!?」


歯が浮くような台詞でも、恥ずかしがらずにエーナの目を見据えて。


「幼馴染として、友人として、大切な相棒として、エーナにはこれからもずっと一緒にいてほしいと思ってる。」


「ちょ、ちょっと待っ...なんだ友人...いうえぇ!?それにしてはその...それはもう...えぇ!?」


「俺はエーナが傷つくのが何より怖い。何より恐ろしい。何よりも...何よりも嫌なんだ。」


「や、もう、え?ど、どうしよ...」


「だからエーナ、手を見せてくれ。お前が傷ついたなら癒したい。いつもエーナに助けられてばっかりの俺だから、たまにはエーナを助けたいんだよ!」


「結局それじゃんか...でもわかった。はい。」


はい勝った。エーナは素直な子だ。俺の率直な思いを真っ直ぐに伝えれば、エーナも真っ直ぐ返してくれる。


「ありがとう。それじゃ失礼して...」


「ん...なんかくすぐったいよ...」


慎重に慎重に、エーナの手を取る。やはり綺麗な手だ。絹のようにきめ細かく、ガラス細工のように繊細で、少し冷たい。


そんな秀麗たる手の一点にだけ、赤黒く染まった箇所があった。先ほどの技のために噛みちぎった、右手の人差し指の先だ。


「エーナ...これは...」


「いやー、全然大したことないんだよ?」


俺は愕然とした。それと同時に強く恐怖した。エーナの体が損なわれている、その事実に。そして、一瞬でもその様を美しいと感じた俺自身に。


だっておかしいじゃないか。



エーナの体が再生していないだなんて。



見れば、先ほどの技で生じたであろう傷以外にも、ところどころに治りかけの傷跡が残っていた。


「けど、最近調子悪いみたい。私の異能。」


「異能」。それはごく限られた人間だけが扱うことのできる、魔術を凌駕する権能。


どのような人間に発現するのか、その法則性は一切不明であり、人体の中でもまさにブラックボックスといえる領域である。


ただ一つ、明確になっていることがある。それは異能が魂と密接に結びついているということだ。だからこそ、この世に全く同じ異能は二つとして存在し得ないし、異能の後天的な習得は不可能。逆に、異能を失ったというケースも報告されていない。そして、死亡すれば異能は消滅する。


エーナの異能は「変容」。自らの体を粘土でも捏ねるかのように自由自在に作り変えることができる。人間の本来持つ治癒能力を向上させる回復系魔法とは異なり、魔力を肉体に変換して直接的に欠損箇所を修復したり、腕を剣に作り替えたりと、その力はまさに異能と言うに相応しい。


だからこそおかしいのだ。エーナがアーリードッグ若きに魔力を全て消費する筈もない。現にこうして、指先の怪我以外は普段通りの振る舞いを見せている。


ならなぜ再生しない?故意に再生をしていないわけじゃないみたいだし...


やはりなにか妙だ。捉えどころのない不安だけが、俺の心にゆらゆらと踊っている。


「...エーナ、もし何か俺に隠し事があるんだったら...」


「だ・か・ら!心配しすぎだってば!気持ちは嬉しいけど、何事も悪い方向に考えすぎるの、カタロの悪い癖だよ?」


「...そうかもな。」


エーナの言う通りだ。思い詰めすぎてもいけない。第一、学者や同じく異能を持つ者ならともかく、俺のような一般人が考えても分かることではないだろう。


「もうすぐ日もくれる。暗くなる前に、やるべきことを済ませよう。」


「だね。アーリードッグは...牙と爪、あとは皮かな。」


魔物の死体からは有用な資源が手に入る。それらの資源は武器や防具、生活用品に加工されるため、業者に売ればそこそこ金になる。故に、俺たちはできる限り倒した魔物の亡骸は捨て置かないようにしている。


それに、魔物たちもただ殺されるよりかはこの方が浮かばれるだろう。なんて考えるのは人間のエゴだろうか。


「おーい、なにボーッとしてんのさ!」


「悪い、今行く。」


エーナはすでに作業に取り掛かっていた。大ぶりのナイフを器用に扱い、慣れた手捌きでアーリードッグの皮を剥いでいる。


「カタロは爪と牙、お願いね。」


「はいよ。」


アーリードッグの爪は巨大だ。ものによっては俺の掌ほどの大きさがある。だが、普段は邪魔にならないよう折りたたまれていて、狩りの時にだけその獰猛さを剥き出しにするのだ。


「おー、こんな作りになってんのか...」


「こら。そんなことしてる場合じゃないでしょ。」


「おっと、つい興が乗って...」


アーリードッグの爪や牙は、主に武器、それもナイフや鏃などに加工される。軽量かつ頑丈で、初心者から玄人まで愛用者は多い。かくいう俺も、アーリードッグの牙を無数に打ち込んだ棍棒を持っている。打撃と刺突が同時に生じるので、かなり使い勝手がいい。お気に入りの一品だ。


「よーし完璧。ねぇ、そっちは?」


「バッチリ。取れるものは全部取った。」


今回は相手の数が多かった分、素材もかなりの量が手に入った。全て売り払えば、向こう一週間はなんとか暮らしていけるだろう。


あとは余った部分の処理だ。アーリードッグの肉は食用に適さず、なんなら毒があるため、どうにかして処分しなければならない。


アーリードッグに限らず、基本的に、倒した魔物の死骸をその場に放置するのは御法度だ。


なぜなら、死肉の匂いに引き寄せられて、更に多くの魔物を呼び寄せてしまうからだ。せっかく魔物を討伐しても、新しい奴が現れたんじゃキリがない。故に、魔物の死骸を処理するのは倒した者の義務なのだ。


一般的な魔物肉の処理方法といえば炎系魔法で焼却するとかなのだろうが、なにせこの量だ。高位階の魔法でもって一気に焼き払うでもしないと、時間がかかってしょうがないだろう。


だが、俺たちはそんな心配する必要はない。


「───OK、じゃあこれ全部『食べちゃうね』。」


何故なら、エーナが全て食べれば解決するからだ。


エーナは着ている服を捲って腹を出し、異能を用いてその部分を大きく膨らませる。すると徐々に切れ込みが開いていき、やがてその切れ込みは巨大な口となった。


「いただきまぁ───ふ!」


大口を開けて、アーリードッグの肉を次々と飲み込んでいく。これもまたエーナの異能の一部だ。


異能とは心のあり様に大きく作用されるもの。故に、本人ができると思えばなんでもできるらしい。


腹を膨らませそこに口を形成するのはいつもやっている戦い方の応用だが、エーナは自身の異能である「変容」を拡大解釈することで、自身の胃液を超強力な酸に変えたとかなんとかで、常人では考えられないほどの量でも、常人では口にすることすらできない代物でも、消化吸収することができる。


本当はもっと複雑な体の変容の結果手に入れた能力らしいが、話の内容が専門的すぎて俺には理解できなかった。


ともかく、できるものはできるのだ。それが異能というものなのだから。


余談だが、エーナは賢い。人を疑う心を持たないだけで、お勉強はすこぶる出来る。特に、人体に関する知識は自分の異能にも絡んでくるからか並外れた知識を持つ。こんな辺鄙な村の生まれでなければ学者、もしくは医者として大成できたであろう。


「...ふぅ、ご馳走様でした。」


「おう、いい食べっぷりだったな。」


「でもお腹は膨れないんだよねー。魔物の肉は全部魔力に変換してるからさー。」


「...今さらっとすごいこと言わなかった?」


「え?なにが...あ!今日も夕飯ウチで食べていくでしょ?」


「いいのか?最近お邪魔してばっかで申し訳無く...」


「いいのいいの!私たちもう家族みたいなもんなんだし!さ、さっさと帰ろー!」


家族みたい、か。本当にそう思ってもらえているのなら、ありがたい話だ。


身寄りのない俺が今まで生きてこれたのは、村の人たちの温かい助けがあったからだ。特に、エーナのお父さん...この村の村長にはとてもよくしてもらった。


いつか、本当の家族になれたら。なんて今は言えないが、いつかその夢を叶えられたらいいなと思う。エーナとは、ずっと一緒にいたい。それは相棒や友人としてではなく、一生涯のパートナーとして。


この思いを伝えられる日は来るのだろうか。もし伝えたとして、もしエーナに拒絶されたとして、果たして俺は生きていけるのだろうか。


「あー、カタロってば、またボーッとしてる。」


「...ちょっとセンチメンタルになってた。」


いや、そんなこと考えても仕方ない。また俺の悪い癖が出てしまった様だ。


「はははっ、なにそれ。」


「誰にだってあるんだよ、こういう時って。」


「ふーん、変なの。」


俺もエーナも14歳。今はまだ、甘い夢に浸っていてもいいはずだ。


けどいつか、俺が一人前になったその時には、この思いをぶつけよう。


俺は強く、心に誓った。



そう、誓っていた。



「人間って、アーリードッグ食べるんだ。」


背後から聞こえる何気ないその一声に、俺とエーナの足が止まる。いや、止められたのだ。決して自らの意思ではない。凄まじい力で肩を引かれ、その場に引き留められたに過ぎない。


「...誰だ。いつからそこにいた。」


声が震える。脳は全力で逃げろと命じているのに、体はそれをまるで無視して、ただその場に立ち尽くす事しかできない。胸の奥をぎゅっと掴まれたような気分だ。


おそらく、この感情は恐怖に近い。だが、ただ恐れているのではない。これは一種の諦めにも似た感情だった。


「1000年前にはなかった文化だ。あ、それとも君たちだけ?食べてるのって。だとしたら不思議だな〜。美味しくないでしょ、魔物って。」


俺の言葉など言葉の内に入らないとでも言うように、そいつは話を続けた。


逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい。頭がおかしくなりそうだった。限界まで加速した心臓の拍動が脳裏に響く。この恐れを絶叫に変えて、今すぐ口から吐き出したい。にもかかわらず、体は金縛りにでもあったかのように動かない。


隣を見れば、エーナが大粒の脂汗を浮かべて俯いていた。今にも泣き出しそうな顔だ。全身から滲み出した恐怖が風船のように膨れ上がり、今にも破裂しそうだ。


守らなくては。それしか考えられなかった。そう考えることが、今の俺に出来る全てだった。


「質問に答えてくれないか。君は誰で、いつからそこにいたんだ?」


「...」


沈黙が流れる。駄目だ。耐えきれない。恐怖には重みがあるのか。気を抜けば、地面に跪いてしまいそうだ。そして、そうなることを本能が恐れている。進化の過程で培われ、脈々と遺伝子に刻まれてきた生きるためのノウハウが、そいつの前で下手に動くことを徹底的に否定していた。


「そう言えば、自己紹介がまだだったね。」


そいつはゆっくりと口を開いた。ああ、失敗した。そう思った。名前を聞けば、関わってしまう。知りたくない。知るべきでない。俺の人生に、不必要なピースが無理やりねじ込まれようとしている。歪む。俺の未来が歪んでいく。



「魔王の名前は魔王。魔王って呼んでね。」



脳がその言葉を理解することを拒んでいた。そいつの声はやけに澄んでいて、固く強張った体をほぐすように、じっとりと染み渡ってくる。


そしてようやく脳が現実と向き合い始めた時、弾き出された結論は「終わり」だった。


魔王。全ての魔物の母にして、この世の陰を司る巨悪。


千年前、数多の魔物を従えて、人類に対して宣戦布告をし、勇者によって討たれた筈の、神話上の存在。


それが今、俺の背後にいる。


魔王。その名の意味。理解していないはずがない。ありえない。あってはならない。あるはずがない。その筈なのに、何故か嘘だとは思えない。


嘘だと思いたい。嘘でなくてはならない。嘘であってくれたならどんなに良かったか。


だが、どんなに思考しても、その事実は必ず追いついてきて、俺に囁く。


そいつは、魔王だと。


「ちなみに、ずーっと君たちと一緒にいたよ。具体的には、君たちが森に入ってきた時から。」


理解できない。俺たちは森に入ったのは早朝のこと。最近魔物が増加傾向にあるので、依頼に取り掛かる前に、調査のため数時間森の中を探索していた。


そしてアーリードッグの群れを仕留め、戦利品を手に入れて、死骸を処分して撤収しようとしている今に至るまで、俺たちのすぐ側にこんな恐ろしい存在がいたのか。


だとしたら何故気づかなかった?エーナは常に感知魔法で周辺を見張っていたし、俺も俺たち以外の気配を感じることはなかった。


信じがたいことだが、信じるしかない。嘘でもないと確信できる。蟻に嘘をつく人間はいない。それと同じことだ。


「他に聞きたいことある?なんでも答えてあげるけど。」


それは実質的な命令だった。黙っているなんて選択肢はない。黙って俺たちを帰してくれるなんて可能性もない。


「...あなたの目的は?」


口を開いたのはエーナだった。エーナの声もまた、震えていた。これからそいつはどんな言葉を紡ぎ、俺たちに押し付けるのか。身構えなければ。ただ一言を受け止めるための、全身全霊をもっての覚悟が必要だと悟った。


「うんとね、今日は君たちに...お願い?勧誘?違うなぁ...えーと、忠告!...も変だなぁ...」


言葉を選んでいるというより、俺たちが理解できる範囲までレベルを落として翻訳しようとしている、といった方が近いのかもしれない。


「んまぁとにかく、今日は君たちに伝えたいことがあってきたんだ。」


ごほん、という嘘くさい咳払いも、やけに改まった口ぶりも、その全てに俺たちは慄いた。そして願った。もうこれ以上、なにも聞かせないでくれ、と。


「えーと、エーナ・コールシーズさん。あなたは今日



































死にます。」




























────────────────────────


人間の死後、最後まで残っている五感は聴覚らしい。そのことを初めて知ったとき、私は何を思ったのだろう。少なくとも、信じてはいなかったと思う。おおかた、くだらない都市伝説の一つくらいに受け取っていたはずだ。


けれど、今ならわかる。それが嘘ではないという事が。


まず初めに消失したのは触覚だった。あの瞬間、全身に稲妻のような衝撃が迸ったかと思えば、爪先からどんどん冷たくなっていって、私を抱きしめて必死に叫ぶ君の温もりすら、私には感じ取れなかった。


次に消えたのは味覚と嗅覚。口いっぱいに広がる鉄臭い味も、鼻腔を抜けるその匂いも、君に伝えようとした言葉と共に、どこかへ霧散してしまった。


その次に視覚。ぐしゃぐしゃに顔を歪ませた君を見つめていたと思えば、いきなり世界が真っ白になって、しまいには自分が地面に転がっているのか、それとも宙に浮いているのかすらわからなくなっていた。


あ、私って死ぬんだ。果てしない白い暗闇の中で、私は悟った。けど、存外に怖くなかった。いつかこうなるとは覚悟していたから。というより、こうなる事が私の使命だと思っていたから。


何より、君が何度も私の名前を読んでくれていたから。一人じゃない、そう思えたから。


きっと君は、これからの長い人生において、ずっと私のことを忘れられない。自分の腕の中で冷たくなっていく私の残像が、ずっと脳みそにこびりついたまま、ずっと生き続けるんだ。


これも胡散臭い豆知識だけど、人はその命が尽きる瞬間、人生で経験した事がないほどの強烈な快感を感じるらしい。


それも、嘘じゃない。私という存在が君の心に深く刻まれていく。それは、何事にも変え難い至上の悦楽だ。きっと、私の死を以ってしなければ、ここまで君の心を支配することは、私には叶わなかっただろう。


君と一緒に過ごす物理的な時間がもうすぐ終わってしまうのは残念だけど、その代わりに、私たちは最強に強固な繋がりを得た。君と私の魂と魂が、血のように真っ赤な糸で縫い合わせられていく。その縫製は、決してほつれない。


なんて思ってみるけれど、やっぱりどうしても名残惜しい。というより、不安だった。君ってば最高にかっこいいから、他の女の子たちがよってきて。私を失って傷心中の君は、そういう女の子たちの上辺だけ綺麗に塗り固めた軽薄な愛に騙されちゃうんじゃないかって。


そんなこと、絶対にありえないとは思うけど、一応ね。


私の肉体は、もうすぐ私のものではなくなる。魂という付加価値が抜け落ちた、ただの肉塊。なんの意味も持たない、命だっただけのもの。


そうなる前に、やらなきゃいけない事がある。たった二つ。とても些細でささやかな、けれど欠かしてはいけない重要な、そんな事が。


私の異能はすでに蒸発を始めている。使える時間はそう長くない。


体内を巡る魔力を総動員して、必要なパーツを修復する。腕と瞳、あとは喉。


なけなしの力を振り絞れ。どうせ死ぬ。なら、少しでも君に伝えたい。消えゆく私の最後の願い。死にゆく私の本当の想い。


私のお守りだった、赤い輝石の首飾り。紐を千切って、君に渡す。オマケに、ちょっとした魔術もかけて。これが、私の腕の最後の仕事。


次は瞳。ああ、やっぱりよく見えないや。霞んでぼやけて、君の輪郭だけがうっすらと認識できた。


けどこれで十分だ。君は確かにそこにいて、私の死を拒絶しようと躍起になっている。その事実だけで、十分に浮かばれる。


最後は喉。もうすぐ時間だ。私が君に伝えるためだけに、この世に生まれてきた言葉。


いじわるかもだけど、子供っぽいかもだけど、伝えなければ気が済まない。


ごめんね。本当は、もっと早くに言いたかった。もっと可愛い私の時に、もっと君が元気な時に。


けど仕方がないんだ。この時が来てしまったのだから。


だから、今、私の願いを告げる。


「幸せに...なって。」


これで最後。さようなら。私の最愛の人。その想いを、今、告げる。


「愛してる」


君は、息を詰まらせた。

ご覧いただきありがとうございました。これからも定期的に投稿を続けたいと思います。

稚拙な出来の本作ですが感想等頂けたら泣いて飛び跳ね、ブリッジしつつ嬉ション(※1)します。筆者が。

誤字脱字の報告もございましたら是非お願いします。


※1:嬉ション...嬉しさのあまり漏らしてしまう小便のこと。

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