第65話 護衛任務まで ― 揺れる心と禁忌の魔法陣 ―
◆嵐の前の静けさ
護衛任務まで、残された時間は二週間。
王女クレアを守るための重責を前に、グランたちはそれぞれの方法で日々を過ごしていた。
剣を振る者はひたすら剣を振り、魔法を操る者は己の魔力を研ぎ澄まし、情報を扱う者は古文書を繙く。
その姿は、まるで嵐の前の静けさ。誰もが無言のままに、この任務の重さを受け止めていた。
◆転生魔法の研究
その日、蓮は一冊のノートと数冊の古文書を抱え、グランの部屋を訪れた。
「グラン。前に言ってた“転生魔法”の話だけど……魔法陣を見たことがあるって言ってたよな? 本当か?」
椅子に腰掛けていたグランは、軽く顎で隣を指し示す。
「ああ。本当だよ。間違えてなければ……だけどな」
そう言うと、机の上にノートを広げ、ペンを走らせ始めた。
蓮は隣に腰を下ろし、その手の動きを息を詰めるように見つめる。
やがて描かれた魔法陣は、既知のどれとも異なっていた。
複雑な幾何学の円、意味不明な文字列、それらを繋ぐのは既存の規則ではなく、まるで未知の論理。
「これが……」
蓮は無意識に息を呑んだ。ただの魔法ではない――それだけがはっきりとわかる。
グランは蓮の反応を横目に、もうひとつの陣を描いた。
「で、こっちが竜族の転生魔法の魔法陣。以前、俺が直接見たものを再現した」
描かれた陣は最初のものに似ていながら、いくつか明確な違いがあった。中央の印、外周の文字列、そして陣全体から感じられる“雰囲気”。
「これは古代竜族の言語で書かれているから、意味がわかる。“魂の核を保ちながら次代へ継承する”……竜族の転生魔法は、死の間際に魂を別の肉体へ写し、新たな命として再生する。だが必ず代償がいる。記憶、感情、時には魔力そのもの……すべてを持っては生まれ変われない」
「代償……」
「そうだ。だからこそ、決断を迫られる魔法なんだ」
グランはペンを置き、最初に描いた魔法陣を指で叩いた。
「だがこれは違う。構造は似ているのに、言語が全く別物。二千年前、魔王だった俺が古代の国を訪れた際、王族の書庫で偶然見つけた資料に載っていた。ほんの一瞬見ただけだったが……図形として焼き付いていた」
蓮は目を凝らし、深く頷いた。
「……正体は不明。でも確かに、竜族のものとは違う。けれど……これで前に進める。ありがとう、グラン」
「無理するなよ。深入りしすぎたら、戻れなくなるぞ」
「大丈夫さ。俺は……あの子のためにやるって決めたんだ」
蓮の瞳には、揺るぎない決意が宿っていた。
◆ナツの葛藤
その頃――屋敷の裏庭。ナツはひとり、石に腰掛けて空を見上げていた。
(人間って……なんなんだろう)
彼の心は、ここ最近ずっとその問いに囚われていた。
グラン。セレナ。こはる。
彼らと過ごす時間は温かく、優しく、恐怖とは無縁だった。
(俺は魔族だから、人間を憎むよう教わってきた。怖い存在だと……でも、国王も、グランの両親も、俺を受け入れてくれた)
その優しさが、逆に怖かった。
(間違っていたのは……俺たち魔族の方なんじゃないか……?)
ふと気配を感じ、振り返るとユエが立っていた。
「どうしてそんな顔をしてるの?」
「……わかんないんだ。俺、何を信じればいいのか……」
ユエは静かに彼の隣へ腰を下ろす。
「人間は怖いって教えられてきた。でも今は……人間の方が優しい気がして、混乱してるんだ」
「それは混乱じゃなくて、“気づき”よ」
ユエの声は穏やかだった。
「魔族の教えと違うと感じても、それは裏切りじゃない。自分の意思で今の居場所を選んでいるんだから。優しさに触れ、誰かを信じてみたいと思った。それが裏切りだというなら……その裏切りを、私は誇っていいと思う」
ナツの瞳が揺れ、やがて小さく笑みを浮かべた。
「……ありがとう、ユエ」
「ふふ。どういたしまして」
空を仰いだナツの視界は、さっきよりも少しだけ明るく見えた。
◆出発の刻
そして――出発の日。
グランたちは王城近くの転移門に集合し、護衛任務の目的地である ゼルマール へと向かう準備を整えていた。
そこには王女クレアの姿もあり、彼らを待ち受ける“真実”が、静かに幕を開けようとしていた。




