第6話 貴族の影
学院の中庭。昼下がりの陽光が差し込む中、セレナは静かに本を読んでいた。そこへ、ひとりの少年が声をかけてくる。
背筋を伸ばし、豪奢な仕立ての制服に身を包んだその少年は、いかにも「貴族」という雰囲気を纏っていた。
「やあ、セレナ=エリュシオン嬢。私の名はアルト=バルフォード。名門バルフォード公爵家の長男だ」
心の奥で、セレナは小さくため息をついた。――厄介なのが来た、と。
顔には出さず、微笑みを浮かべて立ち上がる。
「恐縮です。……授業が始まりますので、これで」
完璧な礼儀でありながら、それは明確な拒絶でもあった。
しかし――
それから数日、アルトは懲りることなく彼女へアプローチを続けた。昼食に誘い、放課後に待ち伏せし、ついには豪華な花束まで差し出した。
さすがのセレナも、とうとう折れてしまう。
「……一度だけですよ? 話をちゃんと聞いてくれるなら」
「もちろんだとも! 君が望むなら、なんだって叶えよう!」
その日の夕刻、学院近くの高級レストラン。
紅茶の香り漂うテーブルに、セレナは退屈そうに座っていた。目の前で得意げに語るアルトを見つめながら、心の中ではすでに結論が出ていた。
――やっぱり、つまらないわね。
学院の一角。クラスメイトたちがざわめきながら、グランへ声をかけてきた。
「なあ、グラン。セレナちゃん、あのアルトと食事してるってよ?」
「……知ってる。断りきれなかっただけだろ」
「平気なのか? 取られるぞ?」
「セレナはそんな女じゃない。……それに、俺よりもずっと強いし、信頼できる」
その言葉に、クラスメイトたちは口をポカンと開けた。
◆
夜、自宅に戻ったセレナは、リビングにいたグランの前に深く腰を下ろした。
「……はぁ。最っ低な時間だったわ」
「やっぱり?」
「しゃべること全部、自分の自慢話よ。『私の家は〜』『私の財産は〜』って……バカじゃないの?」
「よく頑張ったな」
グランの言葉に、セレナは思わず胸が温かくなる。――やっぱり、こいつじゃないと。どうにも調子が狂う。
数日後、学院の正門前。
大勢の生徒の前で、アルトが声を張り上げた。
「セレナ=エリュシオン嬢! 私はあなたを妻に迎えたい! 我が家は名門、バルフォード公爵家。あなたが望むものすべてを与えられる!」
注目が集まる中、セレナは冷静に立ち上がった。
「……急すぎるわ。それに、前から何度も言ってるけど――興味ないの。お断りよ」
「な、なぜだ!? 理由を言え!」
「あなたって、いつも“自分が”とか“自分の家が”とか、そんなことばかり。わたしにとって、それは何の魅力にもならないの」
ざわつく群衆。アルトは顔を引きつらせ、なんとか笑みを作った。
「……なるほど。今日のところは退こう。だが、私は諦めない。必ず、君の心を射止めてみせる」
「だったら、もう少し“人の心”を学んだら?」
セレナが小声で呟くと、アルトは取り巻きを連れて去っていった。
その夜――暗い路地裏で、アルトはフードを深くかぶり、一人の男へ囁いた。
「……あのグランという平民。目障りだ。あれさえいなければ、セレナも私を選ぶ。そうだろう?」
「名は?」
「グラン=アイン。魔法の才はあるようだが、所詮は平民だ。金は弾む。確実に仕留めろ」
「了解した」
数日後の深夜。
古代文字の魔導書を読んでいたグランの前に、暗殺者が姿を現した。
「……グラン=アイン、だな。悪いが、ここで死んでもらう」
「ああ。やっぱり来たか」
「……っ!? 気づいていた……?」
「気配が雑だし、何より魔力の流れで分かったよ」
「クソッ、《サイレントスラッシュ》!」
闇から放たれた刃の魔力。しかし、それは――
「《ダークネス・バイン》」
漆黒の魔力が空間をねじ曲げ、暗殺者の攻撃をそのまま本人に跳ね返した。
「ぐっ……!」
倒れた暗殺者に近づき、グランは冷ややかに問う。
「誰に頼まれた?」
「……しゃ、しゃべれるか……!」
そこにセレナが現れた。
「先生たち呼んできた。あとは任せましょう。……まったく、面倒な男ね」
「本当に」
数日後、学院にて。教師が全生徒の前で告げた。
「今回の暗殺未遂事件について、黒幕は三年生のアルト=バルフォードと判明しました。殺人教唆の重罪につき、即日退学および貴族籍の剥奪とします」
「うわ……マジかよ」「あれだけ偉そうにしてたのに……」
生徒たちがざわつく中、アルトは何も言わず、唇を噛みしめて学院を去った。
「やっと静かになるわね」
「……あいつのしつこさには参ったな。まあ、これで一件落着か」
「ふふ、次はどんな面倒が来るのかしらね、王様?」
「やめろ、その呼び方は……」
二人は笑い合いながら、中庭を歩いていった――。