第4話 帰路 ― 魔王の記憶と新たな絆
湖からの帰路、グランはセレナ、フェンリルと共に家へ向かっていた。
石畳に響く足音は二人と一匹。しかし今そこに並んで歩くのは、人間の少年と少女、そして犬の姿だ。セレナは現在、人間の少女へと擬態していた。
「……うまくやれよ、セレナ。父さんと母さん、驚くとは思うけど……ちゃんと話せば大丈夫だ」
「分かってるわ。演技なんて慣れてるもの。見てなさい、2000年も貴族の中で過ごしてきたのよ?」
強がってはみせたものの、玄関に立ったセレナの顔には緊張がにじんでいた。そっとグランの後ろに身を隠し、窓越しに中を覗き込む。
――ガチャリ。
扉を開けると、明るい声が響いた。
「おかえり、グラン。……まあ! お客さん?」
母レナが目を丸くし、すぐに笑顔を浮かべた。
「う、うん。森で訳ありの子を見つけてさ……連れてきたんだ」
グランが紹介すると、セレナは少しおどおどしながら頭を下げた。
「……はじめまして、セレナといいます。少しの間だけ……ここに置いていただけますか?」
「まあ……かわいい子ねぇ。服も汚れてるし……寒かったでしょう?」
レナは自然にセレナの手を取り、リビングへ案内する。父リオも新聞を畳んで立ち上がった。
「グラン、本当に大丈夫なのか?」
「うん。ちゃんと話を聞いてあげてほしい」
すすめられた椅子に座り、出されたリンゴジュースを両手で抱えながら、セレナは小さく頷いた。
「……わたし、奴隷として商人に売られました。親に捨てられて……森を通る途中、魔物に襲われて……商人は私を置いて逃げてしまって……」
「それで……この犬、フェンリルが守ってくれて……。そこにグランが来て……助けてくれたんです」
演技のはずだったが、瞳に浮かぶ涙はどこか本物のようだった。
レナはセレナの手を包み込み、優しく微笑む。
「怖かったでしょう……よく、生きていてくれたね」
セレナは小さく頷き、リオは黙ってグランの肩を叩いた。
「……分かった。しばらくどころか、ずっといてくれて構わない。ここはお前の家だ、セレナ」
その夜、セレナは新しい布団とレナが用意したパジャマに包まれて眠った。寝顔はただの少女のように安らかで、2000年の孤独が嘘のようだった。
翌朝。
「さあセレナ、今日はお買い物よ! 服と日用品を揃えなくちゃ!」
レナの明るい声に促され、町へ繰り出した。最初はグランの背に隠れるようについていたセレナも、レナに手を引かれるうちに少しずつ表情を和らげていく。
「このワンピースなんてどう? 白いレースでかわいいわよ」
「……ふわふわ……あたたかい……」
財布を渡されたグランが笑って言う。
「好きなもの選んでいいぞ。遠慮するな」
「う、うん……ありがとう」
文房具や日用品、可愛い小物を選ぶセレナ。レナもリオも、本当の娘を迎えたかのように楽しそうだった。
昼食は町の人気レストランへ。
「すごい……香りが……」
料理を前にしたセレナの目は、子供のように輝いた。
「いただきます――」
一口スープを含んだ瞬間、目を見開き声をあげた。
「な、なにこれ……!? 肉がとろけて……スープが……っ!」
がつがつと食べる彼女を見て、レナもリオも、グランも吹き出した。
「そんなにおいしいか?」
「……2000年ぶりの……あっ、いや……う、うまいです!」
耳まで真っ赤になったセレナに、家族の笑い声が響いた。
その夜。
湖のほとり、焚き火を囲みながら三人は座っていた。
「……2000年前、俺は魔王として世界を変えようとした。けど……間違ってた。力で押し通すやり方じゃ、孤独になるだけだった」
グランは拳を握る。セレナは真剣なまなざしで見つめ、フェンリルは静かに耳を傾ける。
「仲間を失い、国も滅んだ……封印された君たちすら守れなかった。悔やんでも悔やみきれない。だけど――」
焚き火の光がグランの横顔を照らす。
「今度こそ、違う未来を作りたい。だから……」
「……一緒に考えましょう」セレナが微笑む。
「妾は主に従うのみじゃ。今度こそ最後まで共に」フェンリルも静かに言葉を重ねる。
グランは深く頷き、かすかに笑った。
「ありがとう。……これからも隣にいてくれ」
風が三人の間を通り抜ける。
かつて魔王と呼ばれた男が歩む、新しい未来への旅が始まろうとしていた。