寒雨
三題噺もどき―ろっぴゃくごじゅう。
雨音が部屋に響く。
生憎の悪天候な上に、冷え切っている空気のせいで、脊髄まで染み渡るような寒さだ。もう四月になったと言うのに、これはいったいどういうことだろう。
「……」
そんな恨み言のようなものを言ったところで、天気は変わらないし気温は変えられない。
こちらでどうにか生活できるように対応するしかないのだ。面倒なことに。
十二月や一月に比べたら、さほど寒くないのだろうけど……しかし昨年のギリギリまで暖かかかった気がするのだけど……どうだったか。
「……」
寒さをつらいと思うのは、人もバケモノも同じだ。
吸血鬼というこの身は、確かに元々体温は低いし死んでいるようなものでもあるんだが、それでもこの寒さはどうにも身に染みていけない。
嫌な記憶を思い起こさせるようで、頭まで痛くなる。
「……」
昨日途中で―とはいっても目途のいいところで―終わらせた仕事の続きをしていた。
仕事を始めた時点で結構進んでいることに気づき、サクサクと終わらせていたのだけど。
雨が降り始めたせいか、冷えが酷くなり、集中が途切れ、頭痛がし始めた。
もう残りは、最終的な確認をして、先方に送るだけなんだけど……。
「……」
つい数時間前まではかどっていたのが嘘のように、手は動かなくなり。
パソコンのキーボードとマウスに添えられただけの両手は、のろのろと動こうとしたり止まったり。
暖かい飲み物を淹れたはずのコップは冷え切って、頼りにならない。
なんとか暖を取ろうと、ベッドに置いてあったひざ掛けを引っ張ったのだけど、あまり意味がなかった。
「……」
酷くなる雨音に耳を塞ぎたくなる。
酷くなる頭痛が記憶をよみがえらせる。
「……」
奥底に仕舞い込んでいても。
忘れられないあの日々の記憶が。
脳内で再生されて、蘇ろうとしてくる。
「……」
手が震えているのに気づいた。
寒さゆえか。恐怖ゆえか。
私にはもう、何も分からない。
「……?」
どうしてこんなに怯えているのだろう。震えているのだろう。どうして。
仕事をしていただけなのに。生きていただけなのに。
生まれてきただけなのに。
寒さに凍え、暴力に怯え、そんな日々が私にとっての常となり。
暖かさに包まれ、慈悲に恵まれた、そんな日々が弟にとっての常で。
それが酷く羨ましくて、手を伸ばしたのに届かなくて。
だけど、とってくれた、手があって。
「―ご主人」
「――!!」
ひた―と、私より少し冷たい掌が耳に触れた。
ジワリと広がるその冷たさが、私を正気に引き戻した。
「……大丈夫ですか」
「あぁ、うん」
相も変わらずノックもせずに入ってきたこの従者は、今日も見慣れた小柄な少年の姿で立っている。けれどその表情は、あまり見慣れない、不安に揺れているような顔だった。
あの日々の中で、唯一手を取ってくれたのは、この男だけだった。
「……休憩しましょう」
「……ん」
いつもと同じセリフ。
いつもと同じ抑揚。
その中にある温かさに、いつも救われる。
「……今日は何を作ったんだ」
「チーズケーキです」
淡々と答えるその手が、服の裾を引っ張っていることに気づいた。
可愛いところもあるものだ。
「……ありがとう」
「何の話ですか」
コイツと居られるこの日常が。当たり前に続くこの日々が。
壊れぬことを祈りながら、今日もまた生きていく。
「今日は冷えるな……」
「そうですね、夕飯はポトフにでもしましょうか」
「あぁ、いいな」
「あまり無理をしないでくださいね」
「わかってるよ」
「……」
お題:つらい・脊髄・チーズケーキ