嫌いな攻略キャラのルートから逃れられません
顔を合わせれば悪態ばかり。
幼馴染のあなたに、今更どう伝えていいのか分からない。
手紙を渡そうと思っていた。
想いを込めた手紙を。
今日、学校に着いたら……。
十七歳の春、桜舞う中、私の命は儚く消えた。
あなたへの手紙をカバンに入れたまま。
死因は交通事故。
横断歩道で信号無視をした車に撥ねられたらしいが、幸いなことに痛みも苦しみも覚えていない。
そして私は、前世でやっていた大好きな乙女ゲームの世界に転生した。
悪役令嬢でもモブでもなく、理想の可愛らしいヒロインに。
神様の粋な計らいに感謝して、もうかれこれ十七年。
前世で亡くなった歳と同じ歳になっていた。
これは……完全におかしい。
攻略が全く思うように進まない。
いや、攻略は進んでいる。
勝手に望んでもいない相手と。
好感度も何も上げていないのに、なぜか今、私は、攻略者の一人、シェルト・ガゼット様と婚約している。
シェルト様は俺様公爵子息で、前世でゲームをしているときから唯一苦手なキャラだった。
幼いころから当然のように彼を避け、極力接触しないようにしてきた。
それなのにニ年前、シェルト様はよく知りもしない私を婚約者に指名した。
子爵である父が次期公爵様に逆らえるはずもなく、というより逆らうはずもなく、父は馬鹿みたいに喜び、踊り狂った。
このままでは、私は家のために無理にでも公爵家に嫁がされてしまう。
そんなのは絶対に嫌だ。
婚約者となった彼を数ヶ月放置すれば、親密度が下がり、向こうから婚約破棄をしてくるはず。
私はそれを願い、待った。
待ってみた。
しかし状況は変わらない。
考えてみたら、親密度なんて最初からゼロに等しく、下がりようもなかった。
だいぶ時が経ってしまったが、私はようやくそのことに気づいたのだった。
冷静に考えてみよう。
他の攻略者と親しくなれば、彼のルートから逃れられるかもしれない。
シェルト様以外の攻略者は五人。
そのうち一人は隠しキャラである。
一人目、七つ年上の家庭教師、セルリアンブルーの美しい髪色が特徴のナイン・フォークス様。
彼はそもそも家庭教師に来ていない。
会えないのだから、攻略しようもない。
現状、私の家庭教師は聡明な女性である。
二人目、浅黄の髪の天然キャラ、フリック・ジャーナル様。
彼は当家に騎士として仕える予定だった。なのに、公爵家に腕を買われ、だいぶ前に連れて行かれてしまった。
私と彼は幼馴染でもあったのに、恋愛に発展する前に別れてしまい、もう会うこともできない。
三人目、隠しキャラであるシルバーのウェーブ髪、ディース・サンセット伯爵。
ディース様は鉱石の研究をしていて、休日に出かけると様々な場所で会うことができる。
ただ、会うことはできるのだが、なぜかイベントが発生しない。
話を聞くと、彼はシェルト様と懇意にしているらしい。
シェルト様がなんらかの妨害をしているとしか思えない。
残り二人の攻略キャラは、私が通う貴族学院にいる。
因みに、シェルト様は私と同い年だが、私とは別の魔術レベルの高い学院に通っている。
つまり、私が通うこの学院内では、シェルト様の目を盗み、いつだって二人の攻略者との親密度を上げることができるということだ。
でも、クラスメートで子爵家の嫡男、アレス・ド・ニカ様は別だった。
アレス様は、私が誰かと婚約状態であるときには恋愛対象外になってしまう。
親密度も上がらないし、何のイベントも起きない。
彼との親密度を上げたいなら、私が婚約破棄され、フリーになる必要がある。
こればかりはゲームの初期設定であり、どうしようもない。
そんなわけで、私は学院のもう一人の攻略者、一つ下の学年の侯爵令息、クラン・ロマネスク様に的を絞った。
クラン様は、緑青色の髪に紺色の瞳。
優しいけれど芯が強く、直向きに愛してくれる理想の男性。
十六歳の今は可愛らしく少年っぽさも残っているが、あと五年もすれば完璧な美青年に変貌する。
もう、攻略できそうなのは彼しかいない。
どんなことをしてでも、彼を落とすしかない。
残り物みたいな言い方をしてしまったけれど、実は彼が私の一番の推しであった。
彼が学院に入学してから半年。
出会いは図書館。
いつも以上に身だしなみに気を遣う。
ファーストコンタクトが大事なのである。
美麗な彼の姿が目に映る。
え?
どういうわけか、彼は一人ではなかった。
見慣れない少女が、彼にぴたりとくっついている。
「初めまして、エレーナ様。わたくし、アンジェ・ミランナと申します」
彼女は私に向かってそう言った。
その後、ついでのようにクラン様も私に挨拶をする。
初対面のはずなのに、アンジェと名乗る少女は私の名前を知っている。
「どうしまして? エレーナ様のことはずっと前から存じておりました。わたくし、シェルトお兄様の従妹ですのよ。お兄様をよろしくお願いいたしますわ」
よほど私が間抜けな顔をしていたのだろう。
そう言って、彼女は笑った。
この乙女ゲームには、ライバルキャラなんて存在しない。
それなのに、突如出てきたシェルト様の従妹。
これはどういうことか?
「お二人のご関係は?」
私は緊張しながら尋ねる。
「彼女は僕の婚約者です」
クラン様が、穏やかな笑みを浮かべてそう言った。
足元がふらつく。
もはや、絶望しかない。
終わった……。
このゲーム、絶対に壊れている。
その後、悩みに悩んだが、もう誰とも結ばれなくても構わないという、あっさりとした結論に至った。
恋愛が全てではない。
友人をたくさん作り、この世界で自由に楽しく生きていこう。
ただ、どうしてもシェルト様には、婚約破棄をしてもらう必要がある。
彼との結婚だけは、何が何でも阻止しなければならない。
その時、不意に光明がさした。
嫌いなあまり避けていたが、問題はバグを起こしているシェルト様自身なのだ。
彼と直接話して、嫌われてしまってはどうだろうか?
「ようやく会いに来たか」
シェルト様のお邸を訪れた彼の第一声がこれだ。
浅紫の髪に群青の瞳。見目だけは抜群に麗しい。
彼は冷たい視線で私を眺めた。
「失礼を承知で言わせていただきます。よく知りもしない私と婚約をするなど、シェルト様は私の見た目がお好きなのでしょう? そしてこの見た目から、可愛らしい性格を想像していらっしゃったのでしょう? 残念ですが、私、本物のエレーナ・ブランシュではございません。あなた様には何を言っているのか分からないでしょうが、中身が違うのです。また、シェルト様と一緒になったとて、惹かれることもございません。申し訳ないのですが、シェルト様は私の好みから大きく外れております」
躊躇ってはいけない。ここはもう容赦なくそう言い放つ。
「好みではないだと? 子爵令嬢ごときがよくそのようなことを言えたものだな。俺のどこに不満があるというのだ?」
ああ、嫌だ。
偉そうに身分を振りかざして。
嫌な性格が表情にまで出ている。
腐女子だって美形なら誰でも受け入れるというわけではない。
「ですから、そういうところが嫌いなのです」
「どういうつもりか分からないが、嫌われていようが俺はお前を手放すつもりはない」
彼はそう言って、見下すように私を見つめた。
こちらの性格や意思やらはどうでもいいとでもいうのか?
そうだ。いっそのこと頭がおかしいと思われてしまおう。
もう、こんな女と関わりたくないとまで思わせられれば、こっちのものだ。
「この際、はっきり言わせていただきます」
私はそこで大きく息を吸った。
「私は、攻略キャラの中でお前が一番嫌いなんじゃ!! それぞれクリアファイルだの缶バッチだのアクリルスタンドだのグッズが出ているが、唯一お前のだけは買わなかった。お前のルートだって、全員クリア後の特別スチルを見たいがために我慢して仕方なしにやっただけで、とてつもなく不快だった。私は、それほどお前のことが嫌いじゃ!!」
一気に勢いよく捲し立てる。
こんなこと、絶対に本物のエレーナ・ブランシュは言わない。
引くか気味悪がるか、そのへんの反応を期待していたが、シェルト様は私に穏やかな笑みを向けた。
「なんですか?」
「……懐かしいよ。怒っている顔が、とても可愛い」
そう言って、彼はただ私を見つめている。
ゲーム内のシェルト様はS中のS。
ドSだ。
絶対にそんな甘いセリフは吐かない。
「え?」
なんだかこれはおかしい。
「僕が、分からない?」
「……僕?」
「ごめん。分からなくて当然だね。こう言えば分かるかな。りぃ、会いたかった」
私の前世の名前は、二木莉奈。
私をりぃと省略して呼ぶのは一人しかいない。
「千哉? まさか、千哉なの? どうして?」
湖東千哉。
前世の幼馴染で、手紙を渡そうと思っていた私の想い人だ。
「だって、さっきまで確かにシェルト様だった」
私は彼をじっと見つめる。
「君が夢中になっていたから、前世で少しだけ僕もこのゲームをやったことがあって。だから、本物のシェルト・ガゼットがどういう人物かは知っていた。僕の演技は、本物っぽかった?」
「シェルト様にしか思えなかった」
確かに、今の彼はシェルト様らしくない表情をしている。
「手紙を読んだんだ。りぃにどうしても返事をしたくて」
彼は若干俯き、そう言った。
「でも、やっぱり千哉なわけがない。だって、千哉がここにいるなんて、そんなことはありえないよ」
「僕も向こうの世界で死んで、この世界に転生したから」
「死んで?」
シェルト様の姿をした千哉は頷く。
「神様の計らい。でも、自殺者は罪人だから、枷はある。自分から今の君、エレーナに会いにはいけないし、君が嫌っているシェルト・ガゼットにしか転生させてもらえなかった」
「自殺……って何?」
「さっきも言ったよね。もう一度りぃに会って、手紙の返事をしたいって」
千哉は真剣な表情で私を見つめた。
「手紙、読んでくれたの?」
千哉は頷く。
「僕もずっとりぃのことが好きだった。なのに、いつも素直になれなくてからかってばかり。ごめん。向こうでだって、いつかきちんと伝えたいと思っていた。僕は心の底からりぃのことを愛してる」
「千哉……。私のこと、追ってきてくれたの?」
「そうだよ。向こうの世界でりぃに出会って十三年、こちらで十七年、三十年もずっとりぃのことを想ってきた」
千哉であるシェルト様の綺麗な瞳に見つめられ、吸い込まれそうだ。
「嬉しい」
私は呟く。
前世の私は、自分の気持ちをこんなに素直に言えなかった。
「ただ、りぃへの気持ちは変わっていないけれど、もう昔の僕じゃない。今の僕は次期公爵、シェルト・ガゼット。十七年、この世界で必死に学んできた。魔術だって使えるし、貴族社会のことだって覚えた。君を幸せにするために。今度こそ、君と幸せになりたい」
「千哉」
彼は左右に首を振る。
「今はもう、シェルトなんだ」
「シェルト様」
「僕は君の嫌いなシェルト・ガゼットだけど、いいかな? りぃ……いや、エレーナ、僕と結婚してくれる?」
私は小さく頷いた。
「外見がシェルト様で、中身が千哉だなんて最高だよ」
笑みがこぼれる。
「千……じゃない、シェルト様、大好き」
そう言って、私は愛しい彼の胸に飛び込んだ。
本当は、私のために命を絶ってしまった千哉のことを思えば、手放しでは喜べない。
それでも思ってしまう。
神様、素晴らしいルートをありがとう。
私は彼と幸せになります。
お読みいただきありがとうございました。