信じさせてよ
「そうねえ……どこから来たのかしら」
小さく首を傾げる昭子さん。
声はか細いながらも震えは含んでおらず、意外にも悲しみの色は感じられない、しっかりした声音であった。
急にどうしたのかと皆の視線がアカリさんに向かう中、彼女は辛そうな表情で質問を続けた。
「お父さんの上に被せられてたお札、全部一万円札だった。具体的な枚数は分からないけど、最低でも一億以上はあると思う。百万や一千万じゃなくて、一億。凄い額だよね」
「そうねえ」
「一般人じゃ、おいそれと稼げない額。でも、うちにとっては決して高すぎる額じゃない」
「そうねえ」
「……あのお金、ばらまいたのはお母さんじゃないよね」
「……」
唐突な追及。
話の内容についていけず、俺の思考はまたも置いてけぼりを食らう。
その間に、竜也さんが「ちょっと待てよ!」と声を荒げ立ち上がった。
「アカリてめえ、まさかババアがジジイを殺したとかいうつもりじゃねえだろうな! んなことあるわけねえだろ!」
アカリさんは唇を噛み、小さく首を横に振る。
「私だってそんなわけないって思ってる。お母さんには動機もないから。でも、それ以外にあのお金の出所が分からないの」
「んなのあの詐欺師どもが持ってきたに決まってんだろ!」
テーブルの上に片足を乗せ、彼は叫びながら俺たちを指さした。
「こいつらは金の咲く木とやらを売りにきたんだ。実際に咲いた風に見せかけるために金を用意してても何もおかしくねえ。違うか詐欺師ども!」
「おおそれは誤解です竜也さん! 私どもはそんな騙すつもりなど――」
「社長、今は黙っててください」
どこから取り出したのか、相澤さんが猿轡のようなものを佐久間さんの口に突っ込む。それから俺に対し、「それで喋れないように拘束しといて」と告げてから、手で続きを話すよう促した。
アカリさんも竜也さんもドン引いた表情を浮かべていたが、軽く咳払いし話を再開した。
「た、竜也兄の言いたいことは分かるよ。はっきり言えば、私もそうであってほしいと願ってる」
「だったらそれで――」
「でもそうとは考えづらいの」
テーブルの上で硬く拳を握り締め、彼女は苦渋に満ちた表情を浮かべる。
「私は佐久間さんたちがこの家に着いた時点から、何か変なことをしないかずっと見張ってた。お父さんが三人を家の中に案内してる間、車の中に変なものが置かれていないか外側からしっかり確認して、さらにドアの境目に破れやすいテープを貼って、開閉されたかどうか分かるようにもしておいた」
「お、お前そんなことまでしてたのかよ……」
「するよそりゃあ。お父さんたちを騙しに来た詐欺師に好き勝手されたくなかったから。でも、外から見た限りじゃ中には木の苗が置かれてただけ。木の苗が取り出された後、改めてテープを貼り直しておいたけど、さっき確認した感じ、どのテープも剥がれも破れもしてなかった。つまり、一億もの金を彼らが持ってきていたとは思えないの」
「いや、でもよ……」
竜也さんは困惑した様子で頭を掻く。アカリさんが嘘をついているとは思えないが、それを事実と認めてしまえば、いよいよ自分たち家族の中に父親殺しの犯人がいることになってしまう。
テーブルから足を下し、竜也さんは「クソッ!」と叫びながら座り直す。すると今度は、和彦さんが冷たい表情でアカリさんに尋ねた。
「アカリ。さっきからお前は詐欺師どもをかばい俺たち家族を疑うな。どういうつもりだ?」
「私だって疑いたくない。でも、これまでの動きを考えればそうとしか――」
「この家に来る前に、どこか別の場所に札束を置いていたのかもしれない。実は最初から親父を殺すつもりで、巧妙な策を練っていたかもしれない。お前の小細工を見抜いて、自分たちを弁護させる証人として利用しようとしているかもしれない」
「いくら何でもそんなこと――」
「ないとは言い切れないだろう!」
反論しようとする彼女を遮り、和彦さんはぴしゃりと断言する。
まっすぐこの家に向かい、寄り道なんて一切していないこと、そんな大金持ってきていないことを知っている俺からすれば、ひどい言い掛かり。だけど彼らからすれば、そう考えたくなるほどに怪しく、不愉快な存在であることも間違ない。
本来ならすぐに否定の言葉を吐いた方がいい場面。でも今は、俺たちが口を出す時じゃないと感じ、アカリさんに任せることにした。
「……和彦兄さんは、家族の中にお父さんを殺した人はいないって考えているの」
「当然だ。親父の行動は看過できるものじゃなかったが、だからって実際に殺すほど愚かな奴は誰もいない」
「……お兄ちゃんは、本気でそう信じてるの」
「何度も言わせるな。当然そうだ。俺たち家族の中に親父を殺す奴なんていない。アカリ、お前はそう信じられないのか?」
「……信じたいよ」
「だったらそう信じれば――」
「じゃあ信じさせてよ!」
バンと強くテーブルを叩き、アカリさんは兄姉たちを見回す。
顔を真っ赤にし、目に涙をためながらも、それを必死にこぼすまいと歯を食いしばっている。
先まで冷たい視線を投げかけていた和彦さんは、はっとした表情を浮かべると、彼女の顔から目をそらした。
アカリさんは、全身を震わせ、かすれた声を絞り出す。
「ねえ、信じさせてよ……。本当は、皆もお父さんが亡くなってるのを見て泣きたかったんだよね? でも強がって、現実から目を背けたくてあんな態度をとったんだよね? 昨夜の話し合いだって、話せないのはお父さんの沽券に関わる内容で、お父さんのためを思って話さないんだよね? 自分たちが疑われるから、他の人に聞かれたら犯人扱いされるような話をしてたからじゃないんだよね?」
「「「「……」」」」
「ねえ、早く否定してよ……。否定して、皆のことを信じさせてよ……」
僅かな期待と、それより深い絶望がごちゃ混ぜになった、胸をきつくきつく締め付けるような声。気付けば、関係ない俺の目にも、熱いものが込み上げていた。
なのに。
それなのに。
誰も、何も言わない。
辛そうな表情を浮かべてはいるけれど、それでも決して口を開かない。もし口を開けば、それはより彼女を苦しめると、分かっているから。
見ていて、なんだか馬鹿らしくなってきた。
今はどれだけ最低な家族でも、幼い頃にはたくさんの幸せを共有してきた、大切な相手。どれだけ醜く落ちぶれても、共に過ごした素敵な過去は変わらない。
まだ、アカリさんは涙を流していない。必死に、必死に、家族の言葉を待っている。優しかった、過去の姿を信じている。
でも、いつまでも持ちはしない。
このまま誰も口を開かなければ、いずれ涙は決壊する。彼女の心を砕きながら。
――はあ。こんなの、解決策なんて一つしかないじゃん。
彼女の心を壊さないためには、ことの発端を作った、元凶である俺たちが責任を取る以外にない。
俺はそっと手を上げ――
「ごめんねアカリ。あのお札は、私が置いたのよ」
唐突に、昭子さんは、そう自白した。