(7) 高校生なら普通持ってるよな
駿はコーヒーカップを四つ、棚から出してキッチンに並べ始める。
「客って?」
なんとなく察しはつくけどな。
「高野さんと宮原さん。」
やっぱり。
「高野さんから集合がかかったんだよ。」
えっ、高野さんが発起人っていうこと?
「なんか話したいことがあるんだってさ。」
「ふーん」
俺はドリッパーに湯を注ぎ始める。誰かに教わったわけじゃないから自己流だ。
この注ぎ方で淹れた時が、田村さんの反応が一番いい。初めて田村さんが「うん、うまい」とつぶやいてくれた時は嬉しかったな。
そんな俺の手元を、駿は凝視している。そんなに見なくてもできるようになるよ。
莉央と結衣は、ちょうどコーヒーを淹れ終えた頃にやって来た。ドアフォンが鳴って、駿が出迎える。
クリームも砂糖も、喫茶店にあるようなやつが揃っていた。カップには当然のようにソーサーがついている。
「いい香りー。あ、立花君、コーヒーも淹れられるの?」
莉央は二度目の訪問だからか、ためらいもなく部屋の中に入ってくる。
「お邪魔します。」
結衣のほうはお行儀がいい。
「ごめんねー、莉央が急にお呼びだてして。」
いや、宮原さんが謝ることではないだろうけど。
「うん、ごめんねっ、立花君。朝はありがとう。」
「なんかしたっけ?」
「うん、してくれた。私、いっつもああなんだ、黙ってればいい時でも黙っていられないの。」
ああ、寺林に反論したことか。
「いや、俺のほうこそ。最初から俺が立って言うべきだったことかもしれない。」
「ううん、そんなことない。悪いのはアイツだよっ!」
あらま、クラスで一番のイケメン君をアイツ呼ばわりですか。
「寺林だってクラスの結束を考えたんだから、許してあげなよ。」
「そこ、そこなのよ!結束を考えて結束を乱す、だめじゃない!あ、それでね、結衣のクラスでも同じことがあったんだって!」
莉央はクルクルと表情を変えながら、黒い瞳を結衣のほうに向ける。
「そうなの、莉央から聞いてびっくりしたぁ。」
結衣の話し方はなんだかゆったりとしていて、言葉ほど驚いた様子は伝わってこない。
「朝のホームルームでね、男子の一人がクラス全員でチャットグループを作ろうって提案したの。何人かはすでに聞いていたみたいだったし、クラスの人たちも賛成の機運で、いいね、ってことになったのだけど、一人の女子が『私スマホ持ってない』って。そしたら男子にもう一人『オレも』っていう子がいたのね。」
クラスに二人。けっこういるものなんだな。
「そこまでは三組とさほど変わらない状況だったと思うのだけど…、私のクラスでは持っていない二人がなぜか非難されてしまった。『高校生にもなってスマホもないのかよ』みたいなことを言う人がいて。」
誰かが止めないとそうなるわな、たいてい。
「そして追い打ちをかけるみたいに他の男子が『高校生なら普通持ってるよな』って発言したのね。私さすがに…、なんていうのかな、カチンときた、っていうのかな。」
へえ、宮原さんでもカチンとくるんだな。ちょっと意外。
「何か言わなくちゃ、って思った。でも言葉が出てこなくて。莉央から同じことがあった、って話と、三組でのやり取りを聞いて、莉央と立花君はすごいなあ、って思ったよ。」
「いや、俺は高野さんに乗っかっただけで、初めは聞き流そうとしてたぞ。」
「それは立花君、自分だけだろうと思ったからじゃない?」
う、ご名答。
「そして莉央も、立花君のことを考えたんでしょう?」
「えっ、ま、まあそうだけど、変な言い方しないでよ、結衣ー。」
「え、何か変だった?まあいいわ、続きがあるの。私は言葉が出なかったのだけど、一人の男子が『でも普通ってなんだろうな』って言ってくれて。『持っている人は持っているのが当たり前で普通だと思っているかもしれない、俺もその一人だけど、でもそれは本当に普通なのかな』って。数が多いから普通というのは、ちょっとおかしいんじゃないかな、って私も思った。」
うん、俺も、たぶん高野さんも、あの時そう思った。
「僕はね」
それまで大人しく黙っていた駿が急に、でも静かに口を開いた。
「ずっと前からそのテーマについて考えていたんだ。」
そして鞄からノートを取り出して、ピリピリ、とその1枚を破り取った。さらにそれを四つに折り、折り目に沿って破った。小さめの紙が四枚できた。
他の三人は駿の意図をはかりかねて、黙ったまま駿の行動を眺めていた。
さらに駿はペンを取り出し、一枚に「10」、一枚に「6」、残りの二枚に「2」と数字を書いた。
ローテーブルの上に、10、6、2、2という四枚の紙が並んだ。
「それでは問題です。」
駿は珍しくおどけた口調で話し始めた。
「イチゴが20個ありました。女子高生のMさんは10個、Tさんは6個、男子高校生のA君とS君は2個食べました。女子高生は普通、何個のイチゴを食べるでしょうか。」
普通のところにアクセントを置いた。
「8個?」
莉央が平均値を答える。駿は大きく頷いて、それから少し笑って、
「誰かイチゴを8個食べた人がいるっけ?」
「あっ」
「じゃあ、第二問ね。高校生は普通、何個のイチゴを食べるでしょうか。」
高校生、ということは女子と男子を合わせて、という意味だろう。なるほどな。
「平均すると5よね。でも一番多いのは2…」
結衣が小さな声で言う。莉央は目を丸くしている。
「そう、平均値は5だけど、誰一人イチゴを5個食べた人はいないよね。一番多いのは2個食べた人だけど、四人で20個のイチゴを食べちゃったよね。」
哲学的な、いや、禅問答みたいな話だな。
普通とは、ここで言う2と5のどっちなんだ、ってことか。駿、うまい喩えだけど、それってオリジナル?
「僕はさ、きっとこの国では本当に一握りの子だけしかいない学校にいた。でもそこでの普通が、世の中の普通じゃない、ってことはわかってた。」
俺はたぶん、聖琳を出た時にそれを思い知った。駿は、聖琳の中にいたまま、それを考え、いわゆる「無知の知」を得たということなのだろう。
「だから聖琳を出ようって決めたんだ。」
そんなことは今はどうでもいい。莉央が身を乗り出す。
「それで、中道君、普通は2なの?5なの?」
「さあ、どっちなんだろうねえ。」
答えはないのかい。たしかに正解というのは存在しないのかもしれないな。
それ、いつかクラスでも説明してくれよ、駿。
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