(4) えっ、そりゃ楽しいよ
駿のセレブ話の後だと語りにくいんだけど、俺が聖琳を辞めて箕崎中学に入ったのは、授業料が払えなくなったからなんだ。
俺、小学校卒業までは、いわゆる裕福な家庭で育った。
祖父さんが興した事業を親父が継いで、中小企業の社長ってとこだな。
今にして思えば、何不自由のない暮らしだったよ。
わかりやすいとこで言うと、習い事に家庭教師、避暑地の別荘、とか。
習い事?ピアノと合気道。コテコテだろ?そうでもないかな。
で、親父の会社が潰れて、多額の借金が残ったのが中学入学の直前だった。
家も家財も差し押さえられて、生活が一変したんだ。
それで蜷坂の市街地から引っ越してきて箕崎中に入学した。
高野さんと宮原さんはわかるだろうけど、箕崎中は近隣四つの小学校から生徒が集まってくるからさ、入学当初は出身小学校ごとにグループができるし、それがだんだん部活ごとのグループに変わっていくだろ。
俺は一人だけ小学校違うし、部活も入ってないから、どのグループにも入らなかった。
それに、学校が終わったらまっすぐ帰って毎日バイトしてたから。
ああ、中学生でも意外とバイトってできるぞ。
割と体が大きかったってこともあるけど、名前だけ書けば働かせてくれて、帰りにバイト代くれる、みたいな。
あと、知ってる人が同情して、簡単な手伝いだけで小遣いくれたり。
例えば?そうだな、おもちゃの組み立てとか、田植えの手伝いとか、リンゴの収穫とか。
最初はたしかに、筋肉痛とかひどかったなあ。二日働いたら二日は痛い、とかね。
そうそう、だから昼休みなんかは寝て過ごしてたんだよ。
両親?親父はそれまで仕入先だった会社に顧問で雇ってもらってたね。お袋はパートに出たけど、それこそお嬢様育ちだったから、すぐ体壊して入院した。
あ、もう元気になったから大丈夫。家で内職とかしてる。
入院費も、解約してなかった保険が残ってたんでなんとかなったしな。
二年生になったら体も慣れてきて、道路工事のバイトもやったな。
道路脇の縁石を並べていく仕事とか、交通整理とか。
そこで農家のおばちゃんと仲良くなって、野菜もらったりするのは助かったよ。
そんな感じで貧乏ライフを楽しく過ごしていたんだけど。
えっ、そりゃ楽しいよ。あー、これは駿のほうがよくわかるよな。
セレブな生活って窮屈だからさ。
中にいる時は気がつかなかったけど、そこから出たらワクワクするような世界が広がっていた感じ。未体験ゾーンっていうのかな。
あ、でもな、ずっと前に祖父さんに言われた言葉があるんだ。
「苦労やつらいことがあっても、それはお前を作る一部になる。だから嘆くな。」
ってさ。
親父は頼りないところがあったから、祖父さんもこういう未来を多少は覚悟していたのかもしれないなあ、今思ったけど。
窮屈だったセレブ生活も経験、貧乏だったけど自由奔放な毎日も経験。
いやなことがなかったわけじゃないよ、筋肉痛とか。
あとさ、中学の時、先輩がカツあげに来たんだよ。
聖琳小学校から来たっていう話を聞いて、金持ちだと思ったんだろうなあ。
でも財布の中は何も入っていないし、家にも金なんかないし。
「ごめん、先輩、うち貧乏で1億円の借金があるから貸せないんですよ。」
って言ったら、すげえ引いてたな。
あ、1億円っていうのはその時ちょっと盛った。ほんとは数千万円。
親父の給料は利息と返済で飛ぶから、生活費は俺が半分稼いでる感じだったな。
お袋がいない間は買い物も料理も俺の役目だったから、バイト代から食費とか光熱費とか、日用品を買うお金とかを補填してた。
バイトのことは親父には話したことないけど、感付いてはいるだろうな。
修学旅行?ああ、俺は行ってないよ。先生に事情話して、病欠ってことで休ませてもらった。
そうだな、高野さんと宮原さんの前では言いにくいんだけど、俺、中学には友達いなくて、外には友達というか知り合いがたくさんいたから、修学旅行には思い入れがなくてさ。ほら、野菜くれるおばちゃんとか。
だから普通の中学生とは違うのかもしれないけど、普通の中学生をやってたらできないような経験もできたし、それまで知らなかったことに出会えることも楽しかった。
小さなボロアパートだけど、雨風凌いで寝る場所もあるから、本当に悲惨なことにはならなかったしね。
今?今のバイトは居酒屋の厨房だよ。調理は少ししかやってないけどね。皿洗いとか、レンチンとか。
そういえば、このバイトも人のつながりで始められたんだよ。
去年、田植えの手伝いに行ったんだけど、普通の食べる米じゃなくて、酒を造るための米だったんだよね。
で、酒蔵の人と話すきっかけがあって。「ずいぶん若いな、高校生?」って聞かれて、普段はあいまいに返事してたんだけど、その時はなぜか普通に「いえ、中学生です」って答えたら驚いてたなあ、まあ当然か。
それで、ちょっとだけ身の上話をしてたら、親父の知り合いだってことがわかってさ。
「親父さんには世話になったんだ、心配していたんだが君が息子さんか」
なんて言われて、
「うちは秋までは忙しくならないから、働けるところを探してあげる」
って言ってくれて。遠慮してる場合じゃないからお願いして、三日後に訪ねて行ったら今のバイトを紹介してくれた、というわけ。
その酒蔵が日本酒を納めてる居酒屋で、そこのオーナーも親父のこと知ってて、同情して雇ってくれた。
バイトはするより探す方が面倒だから、それから解放されることと、毎日働けて収入が安定することは助かったな、マジで。
中学生を働かせるのは本当はできないから親戚の子が手伝ってる態で、給料じゃなくて小遣いをくれるカタチにしてくれたんだ。
昨日、ちゃんとバイト雇用の契約をしてくれたけどね。
妹?いるよ。駿、お前よくそんなこと覚えてたな。
一つ下の妹がいるんだ。祖父さんの家で預かってもらってる。
同じ県内だけど少し離れてるな。南のほう。祖父さんが引退する時に、暖かい場所がいいって移っていったから。
そうだな、あんまり会わないけど文通してる。
だって電話がないんだからしょうがないだろ。ああ、うん、ないよ。
いや、あんまり困らないかなあ。まだ街には公衆電話というものがあるんだよ、少しだけど。
うん、祖父さんはあまり貧乏にならなかった。
もともと、そんなに資産を持ってたわけでもないんだ。
会社を親父に譲って、しばらくは会長職をしていたけどそれも辞めて。
家も車も会社名義だったからな。
会社の株を持っていて配当がなくなったのと、株券がただの紙切れになった以外は財産や収入が減ったわけじゃないし、会社に対する責任もまったくなかったから。
祖母さんもまだまだ元気だしね。
俺?たしかに妹と一緒に、って話はあったけどね。
あまりにも負担かけることになるし、俺はバイトして家計の足しをしないと、って思ってたから断った。
さっきの「苦労も俺を作る一部になる」って祖父さんの言葉を持ち出して説得したら、祖父さんも笑って納得してくれたんだよ。
実はさ、中学出たら就職しようと思ってたんだよね。
でもお袋が頑固に進学を薦めてきたし、というか最後は泣いて頼まれてさあ。
親父もさ、いつになく真面目な顔して、
「中卒でできることは高卒でもできる、だが高卒でできることは中卒ではできないこともある」
って、なんか名言みたいに言ってた。その中身よりもそんな恥ずかしい台詞を息子に話してくれた親父に少し感動して、受験することにしたんだ。
頭いい、ってそうじゃないよ。
聖琳小学校ってさ、私立だから学習カリキュラムがおかしいんだよ。
公立の小学校でやることはだいたい四年生までで終わる。五年生からは中学の勉強をするんだ。俺はついていけなくて、家庭教師が来てた。受験勉強のためじゃなくて、学校の勉強についていくために。
だから箕崎中では復習をする感じだったし、学校の成績はまあまあで調査書は問題なかった。
受験勉強?ちゃんとしたよ、三カ月くらいバイトも減らしたし。
塾は無理だったね。ひたすら過去問。過去問なんて古本屋で安く売ってる。
最新の問題だけは、先生にもらったけどな。
この高校を選んだ理由?そりゃあ歩いて通えるからだよ。
通学定期なんて買えないし。そもそも通学時間なんてもったいない。
あ、あとバイト先の先輩から制服もらえる約束したな。
合格した時は親は喜んでたねえ。祖父さんからも肉が送られてきてすき焼きした。
あと何年振りかで家族三人でケーキ食った。
いや、俺自身は普段からいいもの食ってるよ。居酒屋バイトは賄いが出るから。
そう言えば駿、お前今朝「ずいぶんカラッと言う」って言ってたけどさ、そんなわけだから、たぶん聖琳の皆が想像したような悲惨な没落生活とは違ってたと思うんだよ。
それにしても、高校生活の初日にこんな話を同級生にするとは思わなかったなあ。
高野さん、宮原さん、暗い気分にさせちまってたらごめんな。
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