(32) 初めて私に向けて言った言葉だよ
金曜日の朝はホームルームから始まる。
名原先生が簡単な連絡事項のあと「じゃ立花君、お願い」と教壇を下りる。
俺は立ち上がり、入れ替わりで同級生達の前に立つ。
「じゃあ、何か話題のある人、いますか?」
これまで何度か、誰かから手が挙がることがあった。
「教室が殺風景だから植物を飾りたい」とか。
発言したのは誰だが忘れたが、佐伯美苗が植物の世話なら自分がする、と言って植物係が新設された。数名の女子と男子一名で運用されている。
「ないようですね、それでは、告知や共有事項はありますか?」
これは俺が作った時間で、部活の試合や発表会の予告、その戦績発表などに使ってもらっている。
野球部の菊村が挙手をする。
「ほい、菊村」
「今日は重大発表があります。一年生の部員が一人増えまして、部員が九人になりました!」
おーっと歓声が上がる。野球部、とうとう試合ができる人数になったか。めでたい。
「おめでとう、菊村、甲子園に一歩近づいたな。他にありますか?」
今日は他にはないようだ。
「じゃあ、俺からひとつ提案があるんだ。」
少しざわついていた教室が静かになる。皆ありがとう。
「実はバイトについてなんだけど。」
俺は考えていたことを話した。
バイトには当たり外れがある。
募集を見て説明を聞いてバイトに行っても、想像と違う仕事に驚くこともある。
バイトによっては理不尽なことをさせられたり、雰囲気が良くなかったりする。
一方で、人手が足りない、バイトが確保できない、そのために今のバイトのシフトがキツくなる、といったこともある。
繁閑の差があって、繁忙期には今のバイトじゃ回らない、っていう職場もある。
「それに、初めて行くバイトって緊張するよな。そこで、だ。」
同級生がお互いのバイトを紹介し合ったら、関心があったら話を聞いたり、自分のバイトと比較したり、繁忙期に助け合ったりできるようになるのではないか。
「と言ってもバイトの経験は人それぞれで、どこぞのお坊ちゃまみたいにバイトには縁がないという奴もいるだろう。」
皆が駿を見て笑う。駿は苦笑してそっぽを向く。
「一人ずつ言ってもらうわけにもいかないから、話したい人は話してみてほしい。最初は自分で話すけど、そうだな、ゴールデンウィークに田植えの手伝いに行ったんだ。」
もちろん佐伯家の、とは言わず、俺は体験を話した。
手植えの手伝いを想像していた同級生は多く、育苗箱の説明には興味を持ってくれた。
それから、居酒屋のバイトも紹介した。
「月の輝く夜に、という店名の居酒屋でバイトしてるんだ。ここは実は中学生の時から、オーナーの好意で手伝いをさせてもらっている。座席は四十席、雰囲気がよくて美人な女性の常連客もいるような店だ。」
名原先生、無表情。
「俺の仕事は厨房の補助で、皿洗いとかレンジとか盛り付けとかな。あと最近は賄いも作ってる。」
俺のバイト紹介を皮切りとして、何人かがバイト紹介をしてくれた。
コンビニにファーストフード、日帰り温泉施設、引越屋、ペット用品店、印刷会社。
スーパーマーケットに、喫茶店、カラオケ店。
莉央も、道の駅での日本酒販売の経験を話してくれた。
「売れても売れなくてもバイト代は変わらないのですが、やっぱり売れると嬉しくて、楽しく働くことができました。」
一通り、バイト経験者の話が終わった。すると、アニ研の友村が手を挙げた。
「バイト経験の話じゃないんだけど、いいかな。実は俺の家は蒲鉾屋でして。」
彼のイメージと蒲鉾はかけ離れすぎている。同級生達のそこここから小さな笑いと驚きが漏れる。
「蒲鉾屋って年末にすごく忙しいんだよね。皆お節料理で蒲鉾食べるでしょ?で、うちにも注文が入るんだけど、必ず年末にお届けしないといけないわけ。だってお重に入れたり雑煮に入れたりするのに、一月三日に届くってわけにいかないから。
だからクリスマスなんかは繁忙期のピークで、注文受けて、品物を箱詰めして送り状書いて、宅配便に渡して、っていう作業が延々と続くんだよね。でも本当の繁忙期は短期間だし、ケーキ屋とかファーストフードと取り合いになってバイト集めに苦労する。」
そうそう、そういうこと。
「なので、今年の年末はぜひ友村蒲鉾店をバイト候補に入れてください!」
拍手が起こる。
「たしかに運動部でも年末に休みになるとこもあるよな。野球部とか。」
「や、野球部は今年は休まないぞ、九人いるんだから。でも少しなら手伝えるかも。」
「でも同級生のとこなら安心して働けるよね。」
「サッカー部は負けたら終わり、って感じになるから約束はできないけど。逆に急にバイト探ししても見つけにくいってこともあるんだよね。」
「日帰り温泉はその時期は忙しくて無理だ、むしろ人手がほしいくらい。」
「えっと、うちは農家なんだけど、収穫の時期にまた忙しくなって」
「いや、佐伯家の手伝いは譲らない、俺がやる」
と俺が言うと、また笑いが起こる。
あっという間にホームルームの時間を使い切って、今後も情報交換をしてお互いに助け合おう、ということでまとまった。
昨日の夜は帰ったのが遅かったから、午後の歴史の授業はさすがに眠かった。
名原先生の授業で寝るわけにいかないが、何度か欠伸が出た。
隣の席で莉央がときどきつられて、小さく欠伸するのが面白かった。
昨夜待たせてしまったせいで少し寝不足なのかもしれない。
だが、それ以外はまったくいつも通りの莉央だった。あまり心配することもなさそうだ。
放課後は俺はバイトのためにまっすぐ帰宅。莉央はバレー部の練習に向かった。
金曜日ということで宴会が二組入っていて、ツキカガの厨房は忙しかったが、22時に定刻通り閉店。終礼の後、俺は念のためオーナーに昨日のことを報告した。
「ああ、さっきサユミからも連絡があったよ。お前、相手を投げ飛ばしたんだって?」
「えっ、それは大げさですよ。合気道の護身術です。」
「なんにせよ、大事にいたらなくてよかった。ありがとうな。サユミからもお礼を伝えておいてくれってさ。」
大輝さんが加わったらややこしくなるところだったが、幸いにも大輝さんは片付けに追われていた。そういうタイミングを狙ってはいたけど。
「おつかれさまです。失礼します。」
と大輝さんの背中に声をかけて店を出る。なんだか気が急いて仕方がない。
自転車に乗って、少し走ってから止まる。店の裏にいたら大輝さんに捕まりそうな気がしたからだ。スマホを取り出してメッセージを打つ。
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歩夢:終わったよ。今どこ?
rio:ファミレス、県道沿いの
歩夢:迎えに行く。着いたら連絡する
rio:ありがとう
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県道沿いのファミレスというと俺達の活動圏には一軒しかない。
少し急ぐか。遅くなると高野家のご両親は心配するだろう。
ペダルを踏む足に力をこめる。
15分でファミレスに到着。莉央の自転車を確認してから「着いた」とメッセージを送る。
1分と待たずに制服姿の莉央が店から出てきた。
「早かったね、外で待ってようと思って会計してた。」
早く会いたくて急いだように思われてそうで、少し恥ずかしい。
「早く帰したほうがいいと思ったから少し急いだかな。」
なんだか我ながら言いわけくさい。背中がムズムズする。
「この前の運動公園に行くか。」
「うん!」
俺達は並んで自転車を走らせて、まもなく市営運動公園に到着した。
前回よりも時刻が遅く、人の姿はないようだが、街灯はついていた。
湿り気を含んだ生ぬるい風が、ふわりと通り過ぎていった。
「なんかさ、急に騒がしくなったよね。」
この前と同じベンチに並んで座ると、最初に莉央はそう言った。
「そうだなあ、中学時代はぼっちだったから、少し戸惑ってるよ。」
「自分でそうしてただけのくせにー」
莉央が笑う。まあ、たしかにそうだ。
「それで、どうした?」
「あ、立花君の『どうした?』は魔法だね。」
「魔王の魔法、ってか?」
「ちがーうよ。話す前から落ち着いちゃう。」
「自分ではよくわからないな、それは。」
「初めての言葉も『どうした?』だったよね。」
「初めて?」
えーと、いつが初めてだっけ?
「ほら、入学式の後に。」
「高野さんが宮原さんを引っ張って逃げてきたときか?」
「うん、そうそう!」
呼び止められて、振り向いて。
鮮明な記憶と、不鮮明な記憶が入り混じっている。
「立花君が、初めて私に向けて言った言葉だよ。」
「あ、そういうこと?じゃあそうだったかもな。」
俺より彼女の記憶の方が正しそうだ。
「急に周りに人が増えてさ、お話しする時間が減ったから、たまにはゆっくり話したいなあ、と思って。」
「全然話しかけてくれていいよ。」
「うん、わかってるんだけど、なんかね。」
そうか、たしかに変な噂にでもなると困るだろうからな。
少し間が空いて、しんみりした。
すごく遠くで犬の鳴き声がする。静かな夜だ。
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