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(27) 結衣視点:神速の剣

 「結衣ー、雨降ってきたけど窓は閉まってる?」


 一階からママの声がする。


 「うん、閉まってるよー」


 さっき湿気に我慢ができなくなって、部屋のエアコンで除湿をしている。


 私はベッドに仰向けに寝て、ぼんやりと天井を見ていた。

 右手がベッドに置いたぬいぐるみに当たる。

 見なくてもわかる。アユム君人形だ。


 アユム君はアニメ「神速の剣」の主人公。


 同じ名前のゲームが原作になっている。

 ゲームはプレイヤーが主人公キャラを操って冒険の旅をするRPGだ。


 第一作目のゲームが発売されたのは五年前。私は小学校五年生だった。

 弟の拓斗(たくと)が今五年生だから、今の拓斗と同じ歳ということになる。


 チュートリアルをプレイして、ルールがわかるとゲームがスタートする。

 最初にプレイヤーキャラに名前をつける。

 私は深く考えずに「アユム」とつけた。


 ゲームは森の中から始まるのだけど、最初は何の武器も魔法も持たず、ただ歩き回るしかできない。でもリズミカルな歩き方がちょっとかわいいので「アユム」にした。


 序盤はアユムが森を歩き回って、妖精や木こり、動物などと話しながら武器をもらったり、魔法を教わったりする。

 武器に呪文をかけると、武器の攻撃力や防御力が変わる仕掛けだ。

 その武器で魔物と戦い、新しい武器を奪ったり、新しい呪文を覚えたりする。

 武器と武器を組み合わせたり、そこに魔法を加えたりすることで、さまざまな武器が作れる、というのが楽しくて、小学生の私はそのゲームに熱中した。


 翌年、ゲームがアニメ化された。

 ゲームでは主人公の名前は決まっていなくて、プレイヤーがつけるのだけれど、アニメ作品の主人公の名前は「サイバラ・アユム」。

 自分がつけた名前と偶然一緒だったから親近感を持ってアニメにも没頭した。


 何も持たないアユムが森の妖精から魔法を授かり、さらに謎のお爺さんを助けたことで伝説のナイフをもらう。旅をしながらさまざまな仲間や敵に出会い、困難に打ち克ちながら旅を続けていくストーリーだ。


 ゲームは2、3と続編が発売され、アニメも三作が放映された。もうすぐ第四作目となる新シリーズが始まる予定だ。スマホ版のゲームも先行予約が始まった。


 アユムは自分の武器を強化するために、わざわざ強敵に向かっていくようなバトルジャンキー。戦って怪我をしてもそれを楽しむような表情で敵に立ち向かう。

 そんなアユムの姿に惹かれて、アニメの放映日を毎週楽しみにするようになった。


 ある時、旅の途中で立ち寄った街で勇者パーティーに出会ったアユムは、魔物に浚われた街のお姫様を救い出すため、勇者パーティーとともに魔物討伐に向かう。

 強大な魔物の前に苦戦を強いられるが、激闘の末に魔物を倒す。

 街のヒーローになるはずのアユム。しかし彼は手柄をすべて勇者に譲って、一人で旅立っていく。


 私はそのストーリーでアユムの大ファンになった。


 莉央ちゃんは「アニメオタク」って言っていたけれど、私はちょっと違うと思っていた。

 同種のゲームを買ってきてやりこんだり、「神速の剣」の声優さんたちがキャスティングされたアニメを片っ端から見たり、DVDボックスの先行予約をしたりしてたから、違うとも言い切れないのだけど…。


 恋愛にだって、人並みの興味はあった。

 でも同級生にはあまり興味が持てなかった。


「アユム君みたいな人がいたら考えるかな。」


 そう言うと莉央ちゃんは「結衣は推し愛が強いからね」と言う。

 反論したい気もするけれど、その表現が間違っているとも言えない。

 アニメの主人公は理想化されて描かれているのだから、リアルに存在する人と比較なんてできない。そんなことはちゃんとわかっている。


 何度か同級生や先輩に告白された。あまりよく知らない人。

 バスケ部のキャプテンだった先輩は、容姿が綺麗で女子に人気があったけれど、どこかその容姿を鼻にかけているような人だった。アユムは容姿よりも内面が美しく、慈愛と勇気を重んじる。美形なヒーローとは違って、少年らしい無邪気さで飄々(ひょうひょう)と生きる。

 私はその先輩に申し込まれた交際をお断りした。


 どういうわけか、その話が校内で噂になった。

 男子からは「難攻不落」みたいな言われ方をしたし、女子からは妬まれた。

 莉央ちゃんが「結衣は二次元の推しへの愛が強いからリアルな恋愛には興味がない」と喧伝(けんでん)してくれたおかげで、私は「少し痛い子」というレッテルを貼られるだけで済んだ。

 噂もすぐに立ち消えた。その先輩が他の女子と付き合い出した、という噂のほうが注目されたから。


 「結衣はきれいで可愛い」


 莉央ちゃんはいつもそう言ってくれる。でも私には莉央ちゃんの方がずっと可愛く見える。

 頭の回転が速くて、いつも周りをよく見ていて、私が気づかないようなことでも教えてくれる、莉央ちゃん。

 あどけなさの残る大きな瞳をキョトキョトさせて、子リスのように可愛らしい仕草で活発に動き回っている。


 その様子は男女問わず人気があるのだけれど、「痛い子」の私と一緒にいるせいか男子は誰も告白する勇気が出せなかったみたい。


 それに中学時代の莉央ちゃんは「片思いしている人がいる」って公言してた。


 私のことになるとすぐムキになって食ってかかるところがあって、だから「高野は宮原に片思いしてる」なんて短絡的な噂まで飛び交う始末だった。


 私は、莉央ちゃんの意中の相手を知っていた。

 一年の時に同じクラスだった、立花歩夢君だ。

 何を考えているのかわからない、謎の人。

 クラスの誰とも打ち解けず、協調しない人だった。

 クラスでは「孤高の立花」と呼ばれていて、みんな彼に近づこうとしなかった。


 そんな彼の小さな行動を莉央ちゃんはいつも見ていて、少しオーバーに私に話してくれた。

 莉央ちゃんの話してくれる立花君はさりげなく人に優しくする。それが事実なら、私の好きなアユム君にも通じるところがあって好感は持てるのだけど、そんなシーンを結局一度も見ることがないまま、二年生のクラス替えが行われた。


 私と莉央ちゃんは二年生でも同じクラス。学校でも仲良しの子達を引き離さないよう、クラス替えに手心を加えてくれていたようだった。

 たしかに、私と離れた莉央ちゃんも、莉央ちゃんと離れた私も、きっと危なっかしかったと思う。

 私が立花君の家のことを聞いたのは二年生の時だった。

 学校の噂ではなく、パパが話してくれた。


 パパの会社とも取引のあった部品メーカーが、大きな企業の事業撤退の煽りを受けて下請け会社と共倒れの形で倒産した、と。

 その会社の社長は人格者だったが、今は多額の借金を抱えていて気の毒なことだ、と。

 その社長は市街地から、郊外であるこの近くに引っ越してきていて、たぶんお前と同学年に息子さんが通っているはずだ、と。小学校は聖琳だったはずだから優秀で目立つ子なんじゃないか、と。


 それが莉央ちゃんの片思いの相手、立花君なのはすぐにわかった。


 パパの言いたいこともわかった。

 そんな借金を抱えている家庭の子と親しくなったりするんじゃないぞ、と暗に釘を刺しているんだ、って思った。


 私はそのことを、莉央ちゃんに話すことができなかった。


 結局、莉央ちゃんとは三年間ずっと同じクラスだった。

 三年生になると、莉央ちゃんは立花君の進学先がわからない、と言って悩んでいた。

 でも私は、莉央ちゃんにはもっと素敵な人が現れて、新しい恋をしたほうがいいと思っていた。

 だって「孤高の立花君」には問題がありすぎたから。


 私の学校の成績は、莉央ちゃんより少し良かった。

 私は、パパとママの強い意向があって、早い段階で家に近い芦岡北高校を受けることに決めていた。

 莉央ちゃんの成績だと、入試の点数でかなりの高得点を取らないと芦岡北に入るのは難しかった。


「わかった、私、がんばる!」


 莉央ちゃんは志望校を変えることなど考えもしないようだった。

 私も莉央ちゃんを失うことが怖くて、だから同じ高校に進みたかったから、二人で励まし合いながら受験勉強に力を注いだ。莉央ちゃんに勉強を教えることもあったし、そのなかで課題を出したり、進み具合を聞いたりすることもあった。


 莉央ちゃんはいやな顔もせず、必死についてきてくれた。

 合格発表の日、私たちは抱き合って泣きながら、合格を喜び合った。


 入学式の日。私はパパとママと三人で登校した。


 クラス発表を確認して、両親は講堂へ、私は教室へ向かった。

 教室棟の昇降口で莉央ちゃんが待っていた。


「結衣ー、どうしよう、違うクラスになっちゃったよー」


 パタパタと両足を踏み鳴らして、ほんとに莉央ちゃんはいつも可愛い。

 「よしよし」と(なだ)めながら、階段を登る。

 一年生の教室のある三階まで上がったら、莉央ちゃんはとうとう泣き出してしまった。


「ちょっとー、泣くことないでしょう、ね、莉央」


「だって…せっかく同じ高校に…入ったのに、結衣と違うクラスなんて。」


「クラス分けがあるのは、あたりまえじゃない。想像してなかったの?」


「してたけど、四クラスしかないんだから、隣のクラスにはなれると思ってたあ」


「隣の隣だってそんなに差はないよ。」


「ううん、違うよ、私、知ってるもん。隣の隣は遥かな遠さだよー」


 中学三年生の時のことを言っているのはすぐにわかった。

 莉央ちゃんと私は二組、立花君が四組で、その距離に莉央ちゃんはとても苦しんだ。


「中学と高校は違うよ。選択科目だってあるし、クラスに縛られる時間も少ないよ、きっと。」


 そんな風に慰めたのだけれど、始業のチャイムが鳴るまで莉央ちゃんは私の制服の袖を離してくれなかった。


読んでいただきありがとうございます。応援よろしくお願いします。

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