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(1) ごめん、誰だっけ

 俺がまだ小学生だった頃、祖父(じい)さんに言われた言葉がある。


「人生にはな、苦労もあればつらいこともある。

 でもそれを嘆くもんじゃない。

 つらいことでも悲しいことでも、それはお前を作る一部になるんだ。」


 当時の俺には、まったくピンとこなかった。

 でも今ならちょっとだけわかるぜ、祖父さん。

 あ、いや、まだ祖父は存命だけどね。


 俺、立花歩夢(あゆむ)は今日から始まる新生活に向けて歩んでいる。


 大したことじゃない。これから通う高校の入学式なのだ。

 気持ちよく晴れた四月の空は青く、高い。


 県立芦岡北(あしおかきた)高校は自宅から徒歩十分。

 自宅に近いことと、バイトが禁止されていないことを理由に選んだ高校だ。

 歩ける距離なら交通費がかからないし、通学に時間を取られない。

 

 校門に近づくと、賑やかな人だかりができていた。その風景に、俺は少し驚いた。

 高校の入学式って親と一緒に来んの?


 ほとんどの新入生が母親か、両親二人と来ていて、校門前で記念写真を撮っている。


「親と学校行く高校生なんていないよ、恥ずかしい。」


 そう言ってお袋を置き去りにしてきたのは可哀想だったのかもしれない。

 式には列席するんだからいいか。


 高校に徒歩で通学する生徒は少ないだろうから、別々に来るより一緒に来る方が合理的ということもあるのだろう。


 そんなことを思いながら校門を入る。門の正面、前庭の奥に掲示板があり、新入生が集まっていた。

 先輩らしき男子生徒がメガホンを持って、


「クラスを確認したら各自教室に入ってください。一年生の教室は三階です。」


と説明をしてくれている。クラス分けの紙が掲示板に貼ってあった。


 芦岡北高の一学年は四クラス。俺は一年三組だった。


 同じ中学の出身者や進学塾の友人の名前を探したりするシーンなのかもしれないが、俺にはその必要もない。

 中学に親しい友人はいなかったし、そもそも誰が同じ中学から来ているのかも知らない。進学塾にも通わなかった。


 自分のクラスだけ確認して下駄箱のほうに足を向けると、ポン、と背中を叩かれた。


「久しぶり」


 振り返ると、黒ブチ丸メガネの少年が立っていた。

 俺よりも頭一つ背が低くて、黒い短髪、いかにも弱々しい色白の顔。思わず「少年」なんて書いたが、制服を着た新入生だ。

 見覚えがあるような気もするけど、誰だっけ。


「えーと、ごめん、誰だっけ」


 知ったかぶりして適当な返事をすると後で困ると思ったから正直に訊いた。


「立花歩夢君だろ、君。」


「ああ、そうだけど。」


「僕は中道駿(なかみちしゅん)。覚えてるかな。」


 なんか聞き覚えのある名前だな。

 ん?もしかして。


「えっ、中道駿?聖琳(せいりん)の?いや、なんで?」


 聖琳学園小学校。俺の出身校だ。中道駿は当時の同級生の一人だ。

 そういえば市街地の外れにある大邸宅に招かれたことがある。


「まさか、お前も…」


 言いかけた言葉はあやうく呑みこんだ。いや、まさかね。


「あっちの世界に嫌気がさして逃げてきた。」


 駿は薄笑いを浮かべながら答えた。

 たしか、お父上はこの地方の名士で事業家だ。先祖はこの土地のお殿様だから、俺と同じ事情ではないんだろうな。


「同じクラスだね。」


「あ、そうなのか。同級生の名前なんて見なかったよ。」


「ふふ、そうだと思った。僕、こっちの世界のことはよくわからないからいろいろ教えてよ。」


 あっちの世界、こっちの世界、って。


「気持ちはよくわかるが、その言い方はしない方がいいぞ。」


「うん、それくらいはわかってる。君にしか言わないよ。」


 そうだな、俺もあっちの世界の出身者だからな。


 俺が通っていた聖琳学園は小中高12年間の一貫教育、大学進学率はほぼ100%。ハイレベルな教育で全国に知られ、最新設備が整ったキリスト教系の教育機関だ。

 セレブ家庭の子女しか入学させず、学費がお高いことでも有名だった。


「まあ、とりあえず教室に行こうよ、歩夢。」


「お、おう。」


「同じ中学の子とかはいないの?」


「さあ、どうだろうな。中学では友達って呼べるような奴はいなかったし、誰がどこの高校に行ったかなんて興味もなかったから。」


 駿は少し歩調を緩めて、俺を横から見上げた。


「ああ、悪い、駿。なんていうかな、卑屈な意味はないんだ。」


「うん、そういう誤解はしなかったけどね。むしろずいぶんカラッと言うんだな、と思って。」


 小学校から中学に進む直前で、俺は聖琳を辞めることになった。

 裕福から大貧乏への転落、いや、転移と言った方が合っているかもしれない。

 ありていに言えば父親の事業が破綻して、聖琳の授業料が払えなくなったのだ。


「そうだなあ、そのうち気が向いたら話すかもしれないけど、なかなか面白い中学時代を過ごしてきたよ。」


「そうなのか。君のことだから波乱万丈な生活だったんだろう。ぜひ聞きたいね。」


 ああ、なんか思い出してきた。

 駿は小学校の頃からこんな話し方で、だから友達が多くなかった。悪い奴ではないんだが「けむたい」とでも言うのだろうか。


 もっとも、聖琳には癖の強い奴が多かった。

 それぞれの家庭のセレブ度を競うような風潮もあって、俺みたいな「そこそこ裕福な家庭」の子供はモブ扱いだったが、駿は経済力よりも家格が高いことで一目置かれる存在だったように思う。


 といっても小学生のことだから、家に車が何台あるとか、夏休みの旅行先がどこだとか、お年玉の総額がいくらだったとか、競う種目は他愛もないことだったが。


 もしかすると駿が「嫌気がさした」と言った理由は、そのあたりにあるのかもしれない。


 持参した上履きに履き替え、履いてきた靴は下駄箱に。って、どこに入れるんだ?

 下駄箱には番号しか書いていない。名前が貼ってあるのかと思ったのだが。


「15番だよ。」


「えっ」


「君の出席番号。クラス分けの紙に書いてあったでしょ。」


 見てなかった。サンキュー、駿。


 おかげで掲示板に引き返すことにならず、俺たちは並んで靴を履き替え、階段を上がった。


 一年生の教室は教室棟の三階。下駄箱のそばにも貼り紙がしてあった。

 二階はどうやら二年生の教室のようだ。ということは一階は三年生か。


「ハア、そか、公立高校にはエスカレーターはないんだね。」


 駿がぼやく。二階を過ぎた頃から少し息が上がっている。


「当たり前だろ。というより、そういうことは」


「わかってるって。ハア、君にしか言わない。」


 聖琳学園にはエスカレーターもエレベーターもあった。地上八階建て、小学生から高校生まで同じ校舎で学ぶ。校舎中央部が吹き抜けになっており、大型ショッピングモールを上に重ねたような構造だった。


 だいたい、学校なのに校舎にエスカレーターやエレベーターがあるほうがおかしいだろ。ということを、公立中学出身の俺は知っている。


 階段を上がりきったところに、女生徒が二人立っていた。

 一人は泣いているようで、もう一人が困惑した表情で慰めている。


「ちょっとー、泣くことないでしょう、ね、リオ」


「だって…せっかく同じ高校に…入ったのに、ユイと違うクラスなんて」


 あー、高校生にもなって。子供じゃないんだから。


「クラス分けがあるのは、あたりまえじゃない。」


 慰めているのではなくて、諭しているのか。まあ、そうだよな。ユイという子のほうは一般的な常識人らしい。

 そんなことを思いつつ、とりあえず無視して三組の教室に進む。


 教室に入ると黒板に「出席番号の席に着席」と書かれている。

 その横に、座席と番号を書いた紙がマグネットで貼られていた。

 15番は…、あそこか。


 一番から順番に前扉に近い方から割り振られている、というわけでもないようで、番号はランダムに振られていたから探すのに少々手間取った。

 前から四番目、窓から二列目。駿はその隣、窓際の席。


「お前、隣の席か。偶然だな。」


 幼馴染と再会して同じ高校の同じクラスに入学して、席が隣、なんて運命的だ。

 これが可愛い女の子だったらきっとバラ色の高校生活のスタートになるんだろう。


「知り合いがいないのは不安だったから君の隣の席でよかったよ。」


 駿はそんなしおらしいことを言って笑ってから、「偶然ではないけど」とつぶやいたような気がしたけど、独り言みたいだったから無視して席に座った。


 そうか、さっき泣いてた女子も、こんな都合のいい偶然を思い描いていたんだな、きっと。


読んでいただきありがとうございます。応援よろしくお願いします。

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