定番の馬車
「へえ。やっぱり元冒険者だったのか。ダルディは」
「ああ。ある程度稼いで元手が出来たから商人に鞍替えだ。歳がいくと冒険者は危ないからな。俺は長生きしてえんだよ」
ダルディは焚き火を弄りながら言う。揺らめく炎が下から顔を照らすと、いくつかの傷跡が浮かんだ。歴戦といった感じだ。
「長生きしたいのに護衛もなしか?」
「アルスは知らないのか? あの御者台の脇についてある、葉巻みたいなのは魔物除けの魔道具だ。あれに火をつけて煙が出ている間は問題ない。怖いのは盗賊ぐらいだよ」
「で、大きな盗賊団はこの前捕まったばかり。つまり今は安全ってことか。余計な護衛を申し出たようだな。ダルディ、済まなかった」
「なーに、気にすんな。別に金を払う訳じゃない。話し相手が出来たぐらい──うん?」
薪の弾ける音の合間に何かが聞こえる。
「何か来ている?」
街道は既に森の中に入っていて遠くまでは見通せない。しかし、何か慌ただしい雰囲気が感じ取れる。これは馬車か? しかし夜に走らせるなんて緊急時しかしない筈だが、一体何が?
「彼方からくるぞ!」
ダルディが迷宮都市側を指差して立ち上がった。スッと剣帯から短剣を抜いている。顔つきは険しい。俺も剣を抜き、魔物除けの魔道具を拝借して野営地から街道に入った。
馬の蹄が地面を蹴る音が重なる。何頭もいるようだ。しかも全力で走っている。これは、何かに追われているのか? 音はどんどん近くなり、馬車の灯りが激しく揺れているのが分かる。
「アルス、来るぞ!」
グオオオオオオー!!
腹を揺さぶる咆哮の後、三頭立ての馬車が横倒しになり馬の悲鳴が響く。
「クソ、なんだってんだよ!」
ダルディが灯りの魔道具で咆哮の主を照らす。暗闇から浮かび上がって来たのは──。
「ドラゴンゾンビだとぉぉ! やばい、逃げるぞ、アルス!」
ダルディがスッと灯りを消して森の中に入っていく。しかし、俺は動かない。これは俺に与えられた乗り越えるべき壁。それに魔物除けがあるから大丈夫だろ。ダルディはちょっと大袈裟なのだ。
魔道具で照らすと、ドラゴンゾンビはゆっくりと馬車に近づく。馬車の客室から声が聞こえた。女の声が二つ。随分と取り乱している。これは急がないと!
「大丈夫だ! 俺がなんとかする!!」
駆け寄ると、血塗れの御者が地面から俺を見上げ、客室から這うように出てきた2人の女が目を剥く。
「あれが見えないの!? ドラゴンゾンビよ! 早くここから逃げて」
「大丈夫だ。見ていろ」
ボロボロになった翼をはためかせ、ドラゴンゾンビが二本足で立ち上がった。これは先程の咆哮、ブレスの予備動作か?
「こっちだ! 死に損ない!!」
目の前に立ち、魔物除けの魔道具を掲げる。そして──。
グオオオオオオー!!
俺めがけて吐き出されたブレスは魔物除けに当たってスッと消えた。今がチャンスだ!
「ウホオオオオオオー!!」
魔物除けを口に咥え、両手で長剣を首に突き刺す。聖剣とまではいかないが、それなりの業物。腐ったドラゴンの鱗には通じたようだ。
──ダンッ!
振るわれたドラゴンの爪が俺の脇で止まる。魔物除け様々だな。これがある限り、大丈夫だ。
「オワアアアアァァー!!」
首に突き刺した剣を押し込み、貫通したところで刃をたてながら引き抜く。俺の身体ほどあるドラゴンの頭部がずるりと滑り、自重に耐えられずに地面に落ちた。
そこからは一方的だった。ドラゴンゾンビの抵抗を魔物除けで防ぎ、剣で解体していく。そして胸の中から魔石を取り出したところで完全に動きは止まった。
「……あの、大丈夫ですか?」
馬車の客室にいた女の一人が不安そうな表情で声を掛けてきた。怖い目にあったばかりだ。安心させてやろう。長剣を離し、スッと女に身を寄せて抱き締める。随分と華奢だな。綺麗な髪をしている。何処かの貴族かもしれない。
「ちょ、あなた! お嬢様になにをするの! 無礼者!!」
もう一人の女が叫ぶ。ドラゴンゾンビに追われて気が立っているのだろう。仕方ない。腕をゆっくりと解き、今度は喚き散らす女を抱き締める。こちらはふくよかで幾分か歳がいっているようだ。
「や、やめなさい! 何をしているの!!」
まだ怖いらしい。少し強く抱くと、女の瞳が潤んでいた。たしか、勇者の物語ではこのような時に接吻をするんだったな。……女の口を唇で塞いだ。
「……んぁ」
女がようやく落ち着いた頃、森の中からダルディらしき灯りが近づいてきた。全部終わってから来るなんて調子のいい奴だ。
「……アルス、お前が倒したのか?」
「他に誰もいないだろ?」
「それはそうだが、相手はドラゴンゾンビだぞ?」
「大丈夫。これがあったから平気だったよ」
馬車から借りた魔物除けの魔道具を出すと、何故かダルディは不思議そうな顔をするのだった。