白雪さんは鼻が利く ~学校一の美少女に体操服を貸したら、それから何度も体操服を貸してとせがまれるようになりました。どうやら彼女は重度の匂いフェチで俺の汗の匂いが大好物みたいです~
イラスト:暮井さつき
背景:OKUMONO(https://sozaino.site/)
――その関係は一枚の体操服から始まった。
とある夏の日。
午前の体育で汗を流した俺は昼休みになってから喉を潤そうと、スポーツドリンクを買いに生徒玄関へとやってきていた。
生徒玄関の外に設置されている自販機に向けて財布を片手に校舎を出る。
するとそこには既に先客がいた。
真っ直ぐに伸びた長い黒髪を昼の日差しで煌めかせ、すらりとした脚が眩しい制服姿の可憐な少女。ただそこに居るだけで、どこか神秘的な雰囲気さえ漂わせている。
彼女は俺の良く知る人物だった。というかこの高校に通う生徒で彼女を知らない者はいないだろう。
その少女の名前は、白雪アリサ。
繊細で長いまつ毛にぱっちりとした大きな青い瞳。まるで人形のような整った綺麗な顔立ちで、雪のように白い肌はきめ細やかで艶やかな光沢を放っている。
スレンダーでありながらも女性らしい丸みを帯びた体付きは誰もが羨む理想的なスタイルで、背筋を伸ばして歩く姿はさながらファッションモデルのように美しい。
そんな誰もが認める美少女である白雪は生徒玄関のすぐ外でうろうろと、落ち着かない様子でそこにいた。
スマホの画面を覗いては小さくため息をつき、柵で塞がれた校門の向こうを見回しては肩を落とす。
俺はそんな白雪の姿を眺めながら首を傾げる。
彼女の行動は明らかにおかしい。俺が普段から目にする白雪は、昼休みになれば大勢の友人達に囲まれながら昼食を食べたり、生徒達から質問攻めにあっていたりと、とにかく賑やかな印象があるのだが……今日に限ってはそうではないらしい。
こうして彼女が普段は見せない姿で俺の前に立っている。だから俺もこの時、普段なら絶対に出来ないような行動を取っていた。
今まで白雪と一言も話した事はない。
学年は同じでもクラスは違う、学校一の美少女と話すきっかけなんてなかった。けれどこの時だけはそうじゃなかった。
白雪が一人で何をしているのか気になった俺は、少しだけ声をかけてみる事にしたのだ。
「なあ白雪さん……こんなとこで何をやってるんだ?」
俺の声に反応して振り向いた白雪は、俺の顔を見ながら目を丸くしていた。
当然の反応だと思った。知らない男子生徒に声をかけられたら誰だって驚くし警戒するはずだ。
白雪は初めて声をかけてきた俺を不思議そうな表情で見つめていたが、突然話しかけられても明るい笑顔を浮かべて挨拶を返す様子に、白雪が多くの生徒から慕われている理由を垣間見た気がした。
「こんにちは! えっと……あなたは……」
「ああ、ごめん。俺は絹宮、絹宮 善。同じ学年で二組にいるんだけど」
「二組の絹宮くんですね! 初めまして、わたしは五組の白雪アリサです!」
彼女はにっこりと微笑んでぺこりとお辞儀をする。礼儀正しい子だなと思いつつも、俺はさっきの質問を繰り返していた。
「ああ、よろしく。それで……こんなところで何をしてるんだ? 何か困った事でもあったのか?」
そう聞くと彼女は苦笑いをしながら答えてくれた。
「実は次の授業が体育なのですが……体操服を家に忘れてしまって。朝にすぐ、お母さんに持ってきて欲しいってスマホで連絡して返信もあったんですけど。昼休みになっても来てくれる感じがなくて、どうしようって悩んでいるところなんです」
「なるほど、そういうことか。それは確かに困るよな……」
俺も思わず頭をかいてしまう。忘れ物をした本人としては恥ずかしいかもしれないが、親に連絡しても来てくれないというのは結構辛いものがあると思う。
それに白雪は学校の成績も優秀で運動神経も抜群な才色兼備として知られるような存在だ、その分だけ周りの期待度も高いだろうし、忘れ物をするようなイメージもない。
周囲からの無言のプレッシャーを感じているのだろう、常に完璧でなければならないと。だから白雪はこうして忘れてしまった体操服が早く届かないかと、落ち着かない様子で生徒玄関に立っていたのだ。
けれど不思議なものだ。白雪みたいな人気者なら親しい誰かにこっそりと頼めば、体操服くらいならいくらでも貸してもらえそうなものなのに、どうして彼女はそれをしないのだろうか。
まあともかくだ。こうして目の前で一人の少女が困っている。
困っている人を助けるのは当然の事だし、何とかしてやるべきじゃないだろうか。
というわけで俺は白雪に提案をしてみる事にした。
「俺の体操服で良ければ使うか? 俺のクラスは午前中に体育があってさ、今日はもう使わないから。でも使ったやつだし汗の匂いとか嫌だったら無理にとは言わないし。ああ、それに……サイズが合うかどうかも分かんないしさ、それでも良かったらだけど」
俺の汗の匂い、という問題さえクリア出来るなら白雪の悩みは解決だ。
昔は男女で体操服の色が違ったり、体操服に名前を刺繍したりして誰かから体操服を借りれば一発で分かってしまうような時代もあったそうだが、今はプライバシー保護やジェンダーレスの観点から性別で色を変えたり体操服に名前を入れる風習はなくなった。つまり白雪が別の誰かの体操服を着ていたとしても、それを周りの生徒達から気付かれる事なんてないのだ。
「そ、そんな……いいんですか?」
白雪は俺の提案を聞いて、大きな青い瞳をぱちくりさせながら驚いていた。
「もちろんさ。俺のクラス、明日は体育ないし明後日までに返してもらえたら大丈夫だから」
「ありがとうございます! それじゃあ、お言葉に甘えて……お願いしますね」
「ああ。それじゃあ教室まで取りに行ってくるから白雪さんはここで待っててよ。もしかしたら白雪さんのお母さんも間に合うかもしれないし」
「分かりました。ではわたしはここで待たせて頂きますね」
俺は白雪に体操服を渡す為、自分の教室へと急ぐ。そして数分後に体操服を持って戻って来た俺は、白雪へ無事にそれを手渡す事が出来た。結局白雪のお母さんも間に合わなかったようだし、これなら白雪も安心できるだろうと、俺も満足しながらその場を離れようとした時だった。
白雪は手渡した体操服を見つめたまま、何故かじっと固まっていた。その姿を見て俺は不安になってしまう。
「やっぱ……よく知らない男子が使った体操服とか気持ち悪いよな。すまん」
俺の言葉を聞いた白雪は慌てて首を横に振る。
「あ、いえっ、そうじゃなくって……その……絹宮くんの体操服って、すごく良い匂いがするなって思って――」
「え?」
彼女の言葉に俺が首を傾げた瞬間だった。
ぶわっと白雪の顔が真っ赤になって、青い瞳を泳がせながら慌てた様子で口を開いた。
その声があまりにも大きかったので、思わず俺はビクッと体を震わせてしまう。
「な、何でもありませんっ……!!」
そう言った直後、俺の体操服を抱えた白雪はまるで逃げるように走り去って行く。
俺の体操服が良い匂い?
ただ汗臭いだけなのに?
白雪の言葉の真意が分からないまま、俺はただ呆然とその場に突っ立っている事しか出来なかった。
※
翌日、いつも通り登校した俺はクラスメイト達と挨拶を交わした後で席に着いた。
今日も面白みの一切ない憂鬱な一日が始まるのかと思っていたが、その退屈な日常は俺の教室に姿を現した一人の少女によって大きく形を変えた。
「――あの、絹宮くんいらっしゃいますか?」
可愛らしい澄んだ声が朝の教室に響いた。その声に教室中の生徒達の視線が一斉に集まる。学校一の美少女である白雪が別クラスにやってきた事、そしてそんな彼女がクラスの男子を呼んでいる事、その二つの事実を前にして生徒達は驚愕に声音を染めていた。
「え……どうして白雪さんが絹宮を?」
「嘘だろ……絹宮、白雪さんとどういう関係なんだ……!?」
「くぅー羨ましいぜ! 俺も白雪さんに話しかけられたい!」
周囲の生徒達がざわつき始める
ざわつく生徒達の声を聞き流しつつ、俺はゆっくりと立ち上がっていた。
白雪が俺を探している理由、なんてことはない。昨日貸した体操服を返しに来ただけなのだ。だがそれは白雪の名誉の為にも口外出来ない。体操服を忘れて困っていただなんて周りの生徒達に知られたら、彼女に恥をかかせる事になるのだから。
俺は白雪の方へ向かって歩き出す。すると俺の存在に気付いた白雪は少し大きめの紙袋を片手に嬉しそうな表情を浮かべ、こちらに向かって駆け寄ってきた。
「先日はありがとうございました、絹宮くんのおかげで助かりました!」
「別に気にしないでくれ。大した事はしてないし。ていうか教室から一旦出ようか、今凄い注目されてるし」
教室中の視線が痛いくらいだった。
クラスでもぱっとしない俺が、学校一の美少女である白雪から呼ばれて話をしているのだから。それに会話の内容を聞かれて白雪が昨日体操服を忘れて困っていた事がバレてしまうかもしれないし、その内容は他の生徒達に聞かせたくなかった。
俺の提案に白雪は頷くと一緒に教室の外へと出る。そのまま二人で廊下を進んで、人気のない階段の踊り場で立ち止まった。
「ここなら大丈夫そうかな。それで俺への用事ってやっぱり昨日の?」
「はい、体操服です! 洗濯してアイロンをかけておきましたのでお返ししますね」
白雪は笑顔で頷くと、抱えていた紙袋を俺へと手渡した。
中には綺麗に畳まれた体操服が入っていて、丁寧に洗濯された形跡があった。柔軟剤の甘い香りが漂っていて、それがとても心地良く感じる。
俺の家で使っているものよりずっと良い洗剤を使っているんだろう、本当に良い匂いで自分の服じゃないみたいだ。
こういうこだわりの一つ一つが積み重なって、彼女の人気を不動のものにしているのだと思った。
「それじゃあ俺は教室に戻るから。今度は体操服忘れないようにな」
「はい、気をつけますね! 本当にありがとうございました!」
そう言って白雪は俺に深々と頭を下げる。そんな礼儀正しい彼女の様子に俺は軽く手を振って答えてから、教室へと戻る為にその場を離れた。
こうして俺と白雪の短い関係は終わりを告げた。
体操服を貸し借りしただけというそれだけの関係で、これ以上何かが進展するような事はない。
俺はいつものように一人で教室の隅へ、白雪はまたたくさんの人達に囲まれるだろう。
そして普段と変わらない日常がこれからも続いていく。
――その考えが間違いだったと、俺は後になって思い知らされる事になった。
※
教室に戻った後、クラスメイト達を誤魔化すのには苦労した。
白雪と一緒に廊下へ出ていった時の俺は手ぶらだったのに、帰ってきた時には白雪が持っていた紙袋を今度は俺が持っていたからだった。
「白雪さんからプレゼントもらったの!?」
クラスメイト全員が口を揃えてそう言って、興味津々に俺の持つ紙袋の中身を確かめようと迫ってくる。だが中身はただの体操服だ、彼らが考えているようなものは入っていない。
と言っても何が入っていようとも騒ぎ立てられるのは目に見えていたので、俺はすぐに紙袋をロッカーへと片付けて鍵をしめた。それからも何度も質問されたが誤魔化す事に徹し続ける。俺達の間に特別な関係などないのだと。
白雪との関係はもう終わりを告げたのだ。クラスメイト達が俺と白雪の間に良からぬ噂を立てたとしても、これから先何かが起こる可能性は皆無に等しい。あとは時間がどうにかしてくれる。
いずれ彼らも朝の出来事など忘れてくれるだろうと、それからはずっと普段通りに過ごしていた。
そして俺の思っていたように何かが起こる事はない。普段通りの日常、退屈な授業、何もかもがいつもと変わらない毎日。
廊下を白雪とすれ違う事はあったりしたが軽く会釈するような挨拶を交わす程度。
学校一の美少女を遠巻きに眺めるだけで、俺と白雪の関係が縮まる事は二度とない――そう、思っていた。
白雪に体操服を貸してから一週間後――。
先週と同じように午前中の体育の授業で汗を流した俺は、更衣室で制服に着替えた後、体操服の入った紙袋を片手に教室へ戻ろうと廊下を歩いていた。
それにしても今日は気持ちの良い汗をかいた。体育の授業でバスケをやったのだが、俺の放ったシュートは外れる事なくゴールネットを揺らしていた。ディフェンスだって完璧にこなせたし、全力を出して運動をしたせいか気分も爽快だ。
俺はこうして汗を流して運動をするのが好きだ。バスケが大好きという訳ではなく、体を動かす事そのものが好きなのだ。単純に体を動かしていればストレス解消になるし体力作りにもなる。日課のランニングも雨の日だって欠かした事はないし、毎日のように続けているおかげで筋肉もついた。おかげで健康体そのものだ。
学校から帰ってからのランニングコースをどうしようかと、いつもと違うルートでも走ってみようかなんて、そんな事を考えながら教室に向かって歩いていると――俺の教室の前がやけに騒がしかった。
うちのクラスの生徒達が誰かを囲んで、あれこれと話し込んでいる。よく見れば囲まれている人物に見覚えがある事に気付いた。
長く伸びた艶やかな黒髪、すらりとした長身に抜群のスタイル、見る者の視線を釘付けにする大きな胸。そして煌めくような青い瞳。
そこにいたのは間違いなく白雪だった。
どうしてクラスの違う俺達の教室の前に白雪がいるのか?
そんな疑問を抱きつつ、俺が生徒達の間を抜けて教室の中へ入ろうとした時だった。
「あ、絹宮くん! ちょっと待って下さい!」
鈴のように透き通った綺麗な声が俺を呼ぶ。
その声の主は白雪だった。彼女はこちらを見るなり嬉しそうな笑みを浮かべると、俺の方へ駆け寄ってきて手を掴んだのだ。
突然の出来事で思考停止しかけた俺は、白雪の顔を見つめたまま動けなくなっていた。周りにいた生徒達も俺と同じ反応を見せている。
クラスの隅にいる冴えない俺が、学校一の美少女である白雪に手を握られているなんて、あまりにも現実離れした光景に皆が呆然としている。
「え……あ、白雪さん……?」
「ごめんなさい、絹宮くん。突然呼び止めてしまって。少しお話があるんですが……」
「白雪さんが、俺に話……?」
どういう事だ。何故彼女が俺に用事があるんだ。
一週間前、体操服を返してもらった時点で俺と彼女の接点は一切なくなったはずだ。それなのに一体何の話をしようというんだろうか。
混乱する頭の中で必死に考えてみるものの答えは出てこない。白雪は困惑する俺の手を掴んだまま言葉を続けた。
「えっと、ここだとお話出来ない事で……あの、ついてきてもらえますか?」
「あ、ああ……それは良いけど」
「じゃあ行きますね! すみません皆さん、わたし達はこれで失礼します!」
そう言って白雪は俺を連れて教室を後にした。人気のない場所を目指して進んでいく。
やがて辿り着いた場所は以前に体操服を返してもらった時と同じ場所。
人気のない階段の踊り場だった。
「ここは人通りが少ないから、落ち着いてお話しできますね」
白雪はそう言うと、俺の手を離して振り返った。
その顔には微笑みが浮かんでいて、どこか楽しげな雰囲気を醸し出している。
「それで、俺に話って……?」
「はい。実は絹宮くんにお願いしたい事があって、こうして会いに来たんです」
「俺に頼みたい事……?」
なんだろう。俺に頼み事をしてくる理由が全く思いつかない。
クラスも違えば接点も皆無。スマホの連絡先だって知らないような関係だ。そんな俺をこんな場所にまで連れてきて一体何を頼むっていうんだ。
ますます分からなくなって首を傾げていると白雪がゆっくりと話し始める。
「あの……今日、また体操服を忘れてしまって。それで今日も貸してもらえたりしませんか?」
「また忘れたのか?」
「はい……ちゃんと確認したはずなのですが鞄に入っていなくて。お願い出来ないでしょうか……?」
恥ずかしさからか頬を赤らめる白雪。まあ恥ずかしがるのは分かる。先週も忘れて困っていたはずなのに、また同じように体操服を家に置いてきてしまったんだから。
だが、わざわざ俺に会いに来てまで借りようとする理由はなんだ? 先週は午後の授業が始まるタイミング的にもぎりぎりだったから、あそこで偶然会った俺から体操服を借りる事になっただけだ。
しかし今はまだ午前中、まだ昼休みになってもいない。今のうちに仲の良い他の生徒に頼んで体操服を借りても良かったんじゃないかと思うのだが。
「どうして俺なんだ? サイズがぴったりだったとは思えないし、白雪さんみたいな人気者なら頼めば親しい友人なら誰だって貸してくれるだろ?」
「えっと……それは、ですね……あの……」
俺の目の前であたふたとしながら口ごもっている白雪。目を泳がせながら言い淀んでいる。
俺には言えない理由があるのだろうか。
俺が思っている以上に、白雪の間には複雑な人間関係が渦巻いているのだろうか。いくら白雪が人気者だとしても、遠巻きに見ている俺では分からないような面倒事が多々あるのかもしれない。
ともかくだ。親しくない俺からこれ以上詮索されるのを嫌だろうし、そろそろ教室に戻らないと次の授業にも間に合わない。白雪に体操服を貸して教室に戻った方が良さそうだ。
「まあ分かったよ。それじゃあ今日も体操服貸すからさ、先週みたいにまた明日にでも返してくれ」
「本当ですか? 絹宮くんからまた、体操服を貸してもらっても……良いんですか?」
「あ、ああ。でも、今日は先週より汗かいたから……前より汗臭かったらごめんな」
「い、いえ、本当にありがとうございます!」
そう言って喜んでくれる白雪。けれど俺としては複雑な気持ちでいっぱいだった。
俺は紙袋の中に入っている体操服に視線を落とす。
さっきのバスケで大量にかいた汗のせいで、体操服はかなり湿っていている。学校一の美少女である白雪に汗臭い体操服を二度も貸す事になるだなんて、この体操服を着ている白雪の姿を想像すると何だか申し訳ない気分にもなってくるのだ。
それに親しくない俺から体操服を借りようとするには、やっぱり何か大変な事情がありそうな気がして、白雪が何か悩みを抱えているんじゃないかと心配になってくる。
でもそうして俺が白雪の身を案じる一方で、彼女はまるで宝物をもらった子供のような笑顔を浮かべていた。それから白雪が渡された体操服をぎゅっと抱きしめた後――俺は信じられない光景を目にする。
満面の笑みを浮かべた白雪は俺の体操服に顔を埋めたと思うと、そのまま体操服の匂いを嗅ぐように深呼吸をし始めたのだ。
「え……? 白雪さん……何やって……?」
「あっ――! は、はわわぁ……っ!?」
俺の問いかけに白雪は慌てて体操服から顔を離した。そして自分が何をしていたのか気付いたようで、顔を真っ赤にして恥ずかしそうに俯いてしまう。
どうやら無意識のうちに体操服へ顔を埋めてしまったらしく、それを見られた事に動揺した彼女はあたふたとその場で慌て始める。
そんな慌てる彼女を落ち着かせようと思ったのだが、俺が言葉を発するよりも早く白雪は階段の踊り場から走り去ってしまった。
一人残された俺は呆然と立ち尽くしたまま彼女の後ろ姿を見送る事しか出来ない。
結局、白雪が何故あんな事をしたのかは分からずじまいのまま、一人残された俺も教室へと戻るのだった。
※
先週のように体操服を返そうと白雪が俺の教室に来てしまうと、せっかく鎮火しかけていた俺と白雪の噂話が再燃してしまう可能性がある。
昨日だって白雪が俺に会いに来た事で、クラスメイト全員から質問攻めにあってしまったし、これ以上は火に油を注がないよう先手を打っておこうと思った。
白雪に体操服を貸した翌日。
普段よりもずっと早く登校してきた俺は白雪の靴箱の中に手紙を残していた。
スマホの連絡先は分からないし、彼女の家だって俺は知らない。だから彼女と直接会わずに済む方法はこれくらいしかなかった。
手紙の内容は簡単なもので『体操服は紙袋から出して、俺の靴箱に突っ込んでおいてくれ』といったものだった。
差出人の名前は書かずとも内容で誰が手紙を残したかは伝わるだろう。これで白雪が体操服を返しに教室まで来る事はないはずだ。
こうして俺は白雪からの接触を完全に断ちきったのだ。そのはずだったのに――。
昼休み、出来る限り人が居ないタイミングを見計らって俺は生徒玄関へと向かう。
きっと手紙を読んだ白雪が指示通りに俺の体操服を靴箱の中に入れておいてくれただろうし、それを回収したらすぐに教室へ戻るつもりだった。
そう思っていたのだが、そこで思わぬ光景を目にしてしまう。
誰も居ないタイミングで来たはずが生徒玄関には人影があった。しかも何故かその人物は俺の靴箱の前に立っている。
靴箱の扉はぱっかりと開いているし、そしてその人物は何故か俺のスニーカーを手に持っている。そして鼻で大きく深呼吸をすると、うっとりとした表情でスニーカーを見つめ始めた。
これは一体どういう状況なんだろうか。思わず目を疑ってしまう。その人物は俺のスニーカーの匂いを嗅いでいるようにしか見えなかったのだ。
こんな状況で俺が何も見ていないふりをして通り過ぎられるはずがない。仕方なく俺が恐る恐る声を掛けると、その人物――白雪は驚いたように振り返ってきた。
「白雪さん……何、してるんだ?」
「あっ……!? き、絹宮くんっ!?」
俺の顔を見るなり、白雪は大慌てで手に持っていた俺のスニーカーを背中に隠す。
しかし既に俺は彼女が何をしていたのか見てしまっていて、今更隠しても何もかもが手遅れだった。
「え、えと……ええと、これは……あの、その……っ」
白雪は慌てふためいた様子で必死に言い訳を探しているようだったが、どうやら上手な言い訳も見つからないようで、やがて観念したのか諦めたように俯く。それから彼女は顔を真っ赤に染めて恥ずかしそうにしながら、ぼそっと呟いた。
「ご、ごめんなさい……」
「いや別に怒ってないけど。どうして俺のスニーカーを持ってるんだ? もしかして体操服が靴箱の中に入らなかったとか? それで靴を取り出して試行錯誤してた、とか?」
白雪の足元には俺の体操服が入っているであろう紙袋が置かれていて、まだ中身が取り出されている様子はない。靴箱の中を確認してみるとやっぱりまだ体操服は入っていなかった。
「えっ? あ、いや……そ、そうなんです! 絹宮くんの手紙を読んで、お昼休みになってから体操服を返そうと……そう思っていたのですが……」
「さては綺麗に畳んだ状態で入れようとしてくれたんだな。でも乱暴に入れてくれても構わないんだぞ? そんな大したものじゃないし」
「き、絹宮くんからせっかくお借りしたものなので……ちゃんと綺麗に畳んだ状態でお返しするのは、その……当然というか」
「白雪さんは本当に礼儀正しい人だな。でも大丈夫だ、気にしなくて良いぞ」
まあこうして体操服を靴箱に返す場面に遭遇してしまったし、今なら直接もらった方が早いだろう。それに周りに他の生徒達の姿もないしタイミングとしても悪くない。俺は体操服の入った紙袋に手を伸ばした。
「また綺麗に洗濯してくれてありがとうな。でも一応言っておくけど次は絶対に忘れないようにしてくれよ」
「は、はい……本当に気をつけます。絹宮くん、体操服を貸して下さってありがとうございました」
こうして体操服のやり取りをするだけでもリスクが大きい。
白雪という学園のアイドルと俺のような冴えない男子がこうして密会している様子を見られたら、変な噂は立てられるし周りからのやっかみが酷くなるだろう。
そして白雪もそろそろその事を理解してくれているはずだと思っていた。だから来週は絶対に大丈夫、白雪が体操服を二度と忘れる事はない。
俺はそう信じていたのだが――そうじゃなかった。
そもそも俺は分かっていなかったのだ。
どうして白雪が俺から体操服を借りようとするのか、何故親しい友人を頼らず俺の所に来るのか。そして俺のスニーカーを持って一体何をしていたのか。
彼女の行動の真意を知るのは、もう少し先の話だった。
※
次の週、俺は万が一に備えて体操服を二枚用意して登校していた。
流石に白雪が三週連続で同じ曜日に体操服を忘れるだなんて考えられない。それでも念の為に用意しておくべきだと思ったのだ。
先々週と先週は汗臭い体操服を白雪へ貸す事になってしまった。
けれど今週は白雪が俺の汗臭い体操服に袖を通す事がないように、体操服をもう一枚用意して使わないまま残しておく事にした。これで彼女がまた俺の体操服を借りにきたとしても、以前のような複雑な気持ちになる事はない。
白雪が体操服を忘れない事が何よりなのだが、二度ある事は三度あるとも言う。万が一に備えるのは悪くないと思っていた。
そしてその日もまた午前中にあった体育の授業を終えて、更衣室で着替えを済ませた俺は教室へと戻っていく。教室の前に白雪の姿がない事を確認し、白雪がちゃんと忘れず体操服を持ってきたのだと俺は胸を撫で下ろし、ロッカーの中に体操服を片付ける。
それから席について次の授業に備えて教科書を取り出そうとした時だった。
「あれ……なんだこれ……?」
机の中に一枚の手紙が入っている事に気が付いた。
差出人不明の女の子っぽい丸文字で書かれた手紙。
内容はシンプルなものだった。
『お昼休みにまたいつもの階段の踊り場に来てください。今週もお願いがあります』
それを読んで俺は、その手紙が白雪からのものだとすぐに理解した。
またあの子は体操服を忘れたのだと気付いて頭を抱える。
まさか本当にまた忘れてしまうとは……しかもまた俺に体操服を貸して欲しいだなんて一体どういう事なんだろうと考えれば考える程、頭の中はこんがらがってしまう。
他に頼れる人はいないのだろうかとか、そもそもどうして毎週同じ曜日になると体操服を忘れてしまうのかとか、色々と疑問が浮かんできて仕方がなかった。
しかし事態は一応の改善を見せてはいるのだ。
白雪が直接教室へとやってくる事はなくなったし、こうして人目を避けてやり取り出来るように手紙を残すようになってくれた事。そして俺も汗臭い体操服ではなく、授業では使っていない綺麗な体操服を白雪に貸す事が出来るようになっている。
あとはどうにか白雪に体操服を忘れないよう言い聞かせて、彼女の忘れ物癖を改善させれば万事解決なのだ。
そしてとりあえずだがクラスメイトに聞いてみる。
白雪には重度の忘れ物癖が実はあったりして、実はそれが周知の事実だったりしないか、と。もしそうなら二度三度言い聞かせただけでは改善せず、白雪との体操服の貸し借りが今後も続いてしまうのではないかと、俺はその事を危惧していた。
俺は早速クラスの女子達に聞いてみる。男子よりも女子の方が白雪については詳しいだろうと思っての事だった。
「なあ。白雪さんってさ、良く忘れ物したりするのか? 何度も何度も同じものを忘れたり」
だがそんな質問をした瞬間、クラスの女子達が凄い勢いでこちらを睨んできた。
「白雪ちゃんがそんなわけないじゃん!」
「そうだよー、絹宮くんってば冗談言わないでよ」
「白雪さんがそんなにドジな子に見えるの? ちょっと失礼じゃない?」
まるで鬼の形相のような恐ろしい顔で見つめてくる彼女達に気圧され、それ以上何も聞けずに俺は逃げるように席へ戻っていく。
やっぱり彼女達の中では白雪という存在は完璧超人なのだ。決して忘れ物なんてしない、困った事があっても誰かの手を借りなくても一人で何とかしてしまう、というイメージで固まっている。
席についた俺は机に突っ伏しながら呟いていた。
「やっぱりじゃあ……忘れ物癖なんて白雪にはないんだ。それならどうして彼女は毎週この日になると、俺から体操服を借りようとするんだよ……」
分からない。本当に白雪の行動の意味が分からなかった。けれど分からないからと言って、困っている白雪をこのまま放置するわけにもいかない。
昼休みになると俺は重い腰を上げて、指定された場所へと向かう。
体操服の入った紙袋を片手に、白雪が待ついつもの階段の踊り場へと足を運ぶのだった。
※
階段の踊り場で白雪は俺の事を待っていた。
俺の姿を見つけるなり、小走りで駆け寄ってきて嬉しそうな表情を浮かべる。
それはまるで花が咲いたかのような明るい笑顔で、彼女の周囲の人達が見惚れる理由も分かる気がした。
そして白雪はいつものように可愛らしい仕草でぺこりと頭を下げてくる。
白雪は俺の顔を見上げながら、少しだけ頬を赤くして今日もまた頼み事をしてくるのだった。
「ごめんなさい、絹宮くん。今日もまた呼び出してしまって……それでまた、体操服を家に忘れてしまったのですが……」
「だと思った。はい、これ。白雪さんの分の体操服」
俺は紙袋の中から体操服を取り出して、今週もまた白雪に手渡した。
白雪は申し訳なさそうにしながらも、どこか嬉しそうにそれを受け取ってくれる。
「ありがとうございます、絹宮くん。わたしの為にわざわざ持ってきてくれて、本当に嬉しいです」
「まぁ、大したものじゃないし。でも毎週この日になると体操服忘れちゃうけど大丈夫なのか? 流石に三度目になると俺も心配になってくるぞ」
「え、ええと……その、この日になると忙しくて……つい忘れてしまうというか……。気をつけているんですけど、どうしても……」
「訳ありだったりするのか? 何か事情があるのなら、相談に乗るくらいなら俺にも出来ると思うけど」
「い、いえ、そういう訳ではないんです。ただ単にわたしの体質的な問題だったりして……」
「体質的な、問題……」
白雪の言葉を聞いて、俺は思わず考え込んでしまった。
体質的な問題というが彼女が病気を患っていたり、運動音痴で体育の授業ではあまり活躍出来ていないという事もない。
彼女の運動神経は凄まじいもので、その活躍ぶりにグラウンドや体育館には生徒達の拍手が響く程だと聞いた事があるくらいだ。だから体育の授業に出たくなくて、体操服を家に置いて来てしまうとかそういう理由もないはず。
それなのに白雪はこの日になると必ず体操服を忘れてしまう。やっぱりどれだけ考えても彼女の真意は読み取れないままだ。
「まあ……良いか。ともかくその体操服、また明日にでも返してくれ。先週みたいに靴箱の中に入れておいてくれたらそれで良いから」
「はい、本当に助かります! 絹宮くん、いつもありがとうございます!」
にこにこと笑顔を浮かべる白雪は手渡された体操服をじっと見つめて――くんっと鼻を鳴らすと首を傾げた。さっきまでの笑顔は何処かに消え失せて、なんだか不思議そうな顔をしている。
「あれ……絹宮くん、もしかして……今日の体育はお休みしたりしました……?」
「いや、今日の体育の授業もちゃんと出たぞ。それで汗臭い体操服を白雪さんに貸すのって心苦しいっていうか、出来れば綺麗なのを着てもらいたいからもう一枚用意しておいたんだ」
「えっ!?」
俺は使った方の体操服が入っている袋を掲げてみせる。すると白雪は驚いたように目を見開いた。
白雪の視線は俺の手元にある体操服の袋に注がれていて、何故かその瞳には驚愕の色が浮かんで見える。
一体何に驚いているのだろうか。二枚目の体操服を用意していた事がそんなに凄い事なのだろうかと首を傾げる他なかった。
「そ、そんな……そんな事ってあるのでしょうか。あ、あの……絹宮くん、ど、どうして……?」
「どうしてって。汗臭い体操服を白雪さんに着せたくないからで――」
「だ、だめですっ……。絹宮くんがまだ使ってない体操服じゃ、だめなんです……!」
「し、白雪さん?」
白雪は俺の綺麗な体操服を胸に抱えるとふるふると肩を震わせる。
そして以前に見せたように、俺の体操服に顔を埋めて鼻で大きく深呼吸を繰り返した。
その様子に呆気に取られていると、顔を上げた白雪の瞳に涙が浮かんでいるのが見えた。
「う、うう……ううう……絹宮くんの匂いがしないいいい。こんなんじゃ駄目だよおぉ……。全然足りないよぅ……」
まるで親とはぐれた子供のような悲しげな声を漏らしながら、白雪は俺の体操服を抱き締めたまま泣き出してしまう。
そのあまりに異様な光景を目の当たりにして、俺は言葉を失うしかなかった。そして階段の踊り場に向けて誰かが談笑する声が近付いてくる。
――やばい。
何も知らない第三者から見れば、俺が白雪を泣かせたようにしか見えない。絶対に勘違いされるだろう。白雪は可愛いし、人気者だ。もしこの状況を誰かに見られてしまったら、明日からの学園生活に支障をきたしかねない。
そう思った瞬間、俺は慌てて白雪の手を取った。
「移動しよう! ついてきてくれ!」
「ふえ……っ?」
「ほら、早く!」
白雪の手を引いて俺達は屋上へと続く階段を登り始めるのだった。
※
「その……どうして泣いてるか理由を聞かせてくれないか?」
白雪と二人だけの屋上で、設置されているベンチに彼女を座らせたまま俺はそう尋ねる。
すると彼女は目に溜まっていた涙を指先で拭いながら申し訳なさそうな表情をした。白雪はしばらく黙ったままだったけれど、やがてゆっくりと口を開いてくれる。
「ごめんなさい。急に泣き出してしまって……」
「いや、それは良いんだけどさ。なんで綺麗な体操服の匂いを嗅いでたら泣くんだ?」
「それを話したら絹宮くんに嫌われちゃうかも、しれないから……」
「別に嫌わないぞ。そんな簡単に嫌うような性格なら、三度も続けて体操服を貸したりしないって」
「本当ですか……? わたしの事、嫌いになりませんか……?」
「もちろん。だから話してくれ、どうして泣いちゃったのか」
「……っ分かりました。絹宮くんがそう言ってくれるなら、全部お話します……」
白雪は小さく息を吐くと、俺の顔を見つめながら話し出した。
「実はわたし……今日、体操服を忘れたりしてないんです……」
「え? それじゃあ初めて貸したあの日も?」
「いえ、あの日は本当に忘れてしまいました。初めての忘れ物でどうしたら良いか分からなくて、頭が真っ白になっていたんです。そうしたら絹宮くんが優しくしてくれて……わたしに体操服を貸してくれたんです。次の日からは忘れ物で迷惑をかけてしまうのは良くないって、徹底して管理するようになったのですが……」
「でも翌週になったら俺の所にまた体操服を借りに来たよな?」
「は、はい……でも体操服は学校に持ってきていたんです。忘れていなかったし……あのまま普通に体育の授業にも参加出来ました。でもだめでした、絹宮くんに迷惑をかけてしまうって分かっていたけど……どうしても初めて体操服を借りたあの日の事が忘れられなくて――」
白雪はそこで言葉を区切り、恥ずかしそうに俯いて頬を赤らめた。もじもじと身体を動かして、何かを言い出そうとしている。
その様子を黙って見つめていると、彼女は意を決したかのように顔を上げて俺を真っ直ぐに見据えてきた。
「正直に言いますっ……。いつまでも隠して良い事じゃないから……全部聞いてください!」
その瞳には決意の色が見え隠れしていて、俺はごくりと喉を鳴らした。
――なんだ? 白雪は何を言うつもりだ……?
緊張で心臓の鼓動が激しくなっていく。そんな俺を白雪はじっと見つめていて、やがて全てを明らかにした。
「わ、わたし。絹宮くんの体操服に染み付いた汗の香りを吸い込んだ途端、頭の中が甘い匂いでいっぱいになって。とろけてしまいそうで胸がきゅんとして、絹宮くんの体操服に包まれると幸せな気持ちになって……それがどうしても頭から離れなかったんです……。だから午前中に絹宮くんのクラスが体育の授業があって、わたしの体育の授業が午後からの日を狙って……体操服を忘れたふりをしてたんです……っ!」
顔を赤く染めて興奮気味に話す白雪の言葉を聞いて俺は目眩を覚えた。
――なんてこった。この子、重度の匂いフェチだったのか。
クラスの女子達が言っていたように、白雪には忘れ物癖なんてなかった。そんなドジっ子ではなかったのだ。俺が初めて体操服を貸した時に、体操服に染み込んだ汗の匂いを嗅いで、その虜になってしまっていたのだ。
つまり白雪が俺の元に体操服を借りに来るようになった本当の理由は、俺の体操服の臭いを堪能する為だったのだ。
そして思い出す。彼女が俺のスニーカーを持って、まるで匂いを嗅ぐような仕草をしていた理由――あれも体操服と同様に、俺の汗の匂いを嗅いでいたに違いない。
白雪が俺の持ってきた綺麗な体操服を抱きしめながら泣いてしまった理由も理解出来た。
あれには俺の汗の匂いなんて染み付いていない、俺の家で使っている柔軟剤の爽やかな香りしかしないのだ。今日もまた俺の汗の匂いを堪能出来て幸せな時間を過ごせると思っていたのに、それが叶わない事を知ってショックを白雪は受けてしまっただけなのだ。
白雪の告白を聞いた俺は、しばらく何も言うことが出来なかった。
俺のかく汗が好きだって言われて、恥ずかしくて俺の顔は熱を持って、りんごみたいに赤くなっているはずだ。
だってそうだろう。まさか自分の汗の匂いを嗅ぎたいから借りに来ていたなんて想像出来るわけがない。それに白雪は美少女なのだ。成績優秀、容姿端麗、才色兼備な白雪にこんな変態な一面があるだなんて誰が思うだろうか。
呆然とする俺の前で、白雪は申し訳なさそうな表情を浮かべていた。やがて彼女は小さな声で謝ってくる。
その声はとても弱々しく、今にも消え入りそうだった。
「ごめんなさい……今の話を聞いて、気持ち悪いって思いましたよね……。でもだめなんです、絹宮くんの汗の匂いを嗅ぐのが我慢出来ないんです。毎週この日になるのが待ち遠しくて……つい、忘れたふりをしてしまうんです……」
「そ、そんなに好きなのか?」
「はい……大好きです。絹宮くんの汗の匂い……」
「……」
俺の質問に対して、白雪は真剣な眼差しで答えてくれた。彼女の言葉に嘘偽りはないと思う。だって今までそうだった。俺から体操服を渡された時の白雪は満面の笑顔を浮かべて、子供みたいにはしゃいで喜んでいたんだ。
俺は汗を流すのが好きだ。体をたくさん動かして走り回るのが好きだ。そしてそんな俺が流した汗を、その汗が染み込んだ体操服を好きだと言ってくれる白雪。
そう考えるとなんだか嬉しい気持ちになってしまう自分がいた。
運動が好きで毎日のようにランニングして、大量の汗を流している俺を白雪が認めてくれているような気がして、ちょっと誇らしい気分になれた。
そして白雪は勇気を出して隠していた秘密を俺に教えてくれたのだ。
その気持ちを無碍にしたくない。
俺は午前中の授業で使った体操服を紙袋の中から取り出していた。流した汗が染み付いたそれを両手で掴むと、目の前で不安げに瞳を揺らしている少女に渡してやる。
すると白雪は目を丸くして驚いていた。
俺は照れ臭さを誤魔化すために、頬を掻きながらぶっきらぼうに告げる。
「明日また返してくれたら良いから……靴箱の中に入れといてくれ」
俺の言葉を聞いた白雪の瞳がみるみると輝いて、やがてその口元が緩んでいく。嬉しさを隠し切れないといった様子で、彼女は俺の汗臭い体操服を抱きしめた。
「絹宮くん嬉しいです……っ! 絹宮くんの汗の匂いが大好きだから……今本当にすっごい幸せです……!」
そう言って今度の白雪は隠すことなく俺の体操服に顔を埋めて、俺が流した汗の匂いを思いっきり吸い込んでいた。
「ふああ……絹宮くんの汗の匂い……好き、大好き」
とろけるような甘い顔で俺の汗の匂いを堪能する白雪の姿に俺は苦笑を浮かべてしまう。
――こうして俺は白雪が重度の匂いフェチで、
俺の汗の匂いがたまらなく好きだという事を知った。
一度は途切れた関係だと思っていた。体操服を貸しただけでそれ以上は何もない。白雪との関係はそこで終わりだと、俺と彼女の関係が縮まるような事は決してないと思っていた。
だけど俺達の関係は一枚の体操服を介してどんどん縮まっていく。
普通の高校生がするような淡い青春とは違うかもしれない。でもこうして始まる青春の一ページがあっても良いんじゃないかって俺は思うのだ。
運動をして爽やかな汗を流す俺と、
汗臭い体操服を毎週のように借りに来る白雪の、
ちょっと変わった青春の日々はこれからも続いていく。
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