きみの名はハヤヒデ
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僕のお父さんは、競馬が大好きだった。でも、ギャンブル狂といった感じではない。決められた予算の中で最低限の馬券を買い、楽しんでいたようだった。折り目正しくを地で行くようなオヤジなのだ。折り目正しく生きるニンゲンならそもそも賭け事なんてしないのではないかというのは野暮なツッコミでしかない。お父さんにとって馬券を購入するという行為は、あくまでもささやかな趣味に過ぎなかったのだから。
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お父さんは毎週月曜日になると、週刊競馬ブックを買っていた。なにが掲載されているのか、そこのところについて僕はまるで知識がなく、だからあるとき、「見せてほしい」と言った。お父さんは「おう」と快諾してくれた。緑色を基調としたその雑誌には、次の土曜日、日曜日に開催されるレースに出走する馬の情報が網羅されていた。さらには前週の末に行われたレースの結果が事細かに記されていた。騎手のコメントつきのリザルトだ。
僕は翌朝、新聞を広げているお父さんに競馬ブックを返した。その際、お父さんは訊いてきた。
「面白かったか?」
正直、面白くはなかった。だけど、情報量はスゴいなと感心した。その旨を正直に伝えると、お父さんは一言、力強く、「馬はいいぞ」と言った。
中学一年生だった僕には、なにがいいのか、よくわからなかった。
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1995年1月16日。
その日曜日、僕は朝から暇を持て余していた。担当教師の暴力がどうとかで、陸上部の活動が休止になっていたのだ。だから、どうでもいい漫画を自分の部屋で読んでいた。そんな折に、部屋の戸がノックされたのである。「はい」と返事をすると、お父さんが顔を覗かせた。
「どうだ? 父さんと一緒に、京都競馬場に行ってみないか?」
おっかなびっくりといった感じの態度、口調だった。僕はお父さんに対して、嫌な印象なんていっさい抱いていない。むしろ、日々を繰り返すことで家計を支えてくれていることには途方もなく感謝していた。尊敬していた。そんなふうに上から目線で評価してしまう僕は、きっとかわいくないのだろう。妙に大人びている様子は、きっと絶対、かわいくない。
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お父さんが見たかったのは、ビワハヤヒデという馬の引退式だった。
ビワハヤヒデ。
競馬ブックをはじめとする専門誌から得た情報でしかないけれど、相当、強い馬だったことは知っている。
皐月賞で二着、ダービーでも二着、だけど”一番強い馬が勝つ”とされるクラシックの最終戦、菊花賞では圧勝した。その年の有馬記念、一番人気で迎えたそのレースは、誰もが知っている名馬、トウカイテイオーに勝利をかっさらわれた。運がよくなかったのだと思う。当時のビワハヤヒデはそんな馬だった。
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ビワハヤヒデが生きた時代は、良くも悪くも派手だった。彼の引退式の翌日に、阪神淡路大震災が発生した。覚えている。僕の家から通うべき中学校までは歩いて五分ほどの距離にしか過ぎなかったのだけれど、その日は生徒よりも先生のほうが出勤することができず、授業は行われないまま、解散となった。同級生は早く帰れるからと、みんな喜んでいた。それは事実だ。のちのちにまで語り継がれるような災害であっても、そういうふうに楽観的に捉える風潮も、確かにあったのだ。
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ビワハヤヒデの引退式で本人を拝んでからというもの、僕は彼に疑念を抱いていた。いや、疑念というと大げさだ。たった一つ、疑問が湧いたというだけだから。
あれ?
ビワハヤヒデって、やっぱり顔が大きい?
印象に気づきが伴った。そうなのだ。お父さんにお願いしてビワハヤヒデの資料をたくさん見せてもらったのだけれど、どう観察しても他の馬より1.5倍ほど顔が大きいのだ。顔が走っているといっても過言ではない。
だからこそ、かわいらしく見えた。
お父さんが愛する理由が、なんとなく、わかった気がした。
スゴく強いながらもビワハヤヒデはその顔の大きさからサラブレッドとしては美しくなく、だからこそ、むしろ愛嬌があったのだ。
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旅行会社で働いているお父さんの転勤で、僕達家族は北海道に移住した。仕事のことはよくわからないけれど、プライベートな部分を考えると、お父さんからすれば願ったり叶ったりなのではないかと思った。だって、馬産地といえば北海道だ。オールドファンを自認するお父さんからすれば、引退後の名馬を訪ねるにあたっては、絶好の環境だろう。
だけどお父さんは、週末になると競馬新聞を買って、週明けには競馬ブックを買ってという、それだけの日々を繰り返した。
ミーハーなことに、僕は名著スラムダンクをバイブルとしてバスケ部に所属していた。だけど、まったく手が空かないというわけではなく、そして僕は比較的社交的なので、お父さんに伝えていた。「札幌競馬場くらいなら、いつでも付き合うよ」って。でも、お父さんはかたくなに拒んだ。
「ハヤヒデが引退してから、競馬が急に面白くなくなった」
だったら、競馬ブック、あるいは優駿の購読をやめればと思ったのだが、それはそれで、お父さんからすると、なにか違うらしかった。
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お父さんが体調が悪いと言い出したのは、彼が五十のときだ。僕がのんきに院生をやっている最中のことだった。まもなく癌だと判明した。脊髄を伝って全身に根を張りつつある段階だということもすぐに知れた。
お父さんは休職した。永遠のお休みであろうことは、僕にもわかった。お母さんは毎夜毎夜泣いた。本当に、仲がいい夫婦なのだ。僕にとっても、お父さんが近いうちに死んでしまうだなんて信じられるはずがなく、だから布団に入ると、枕を涙で濡らした。世の中に癌で亡くなるヒトが多くいることは知っている。だけど、そこまで身近な事柄ではないはずだとたかをくくっていた。悲しかった。お父さんが死への歩みを確実なものとしていることが。苦しかった。お父さんがいなくなるなんて考えたくもなかったから。
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お父さんが病院から帰宅した。最後の帰宅だ。次の入院からは、よりつらい治療が待っている。医師いわく、「体がばらばらになってしまうほどの痛みを伴いますが、なんとかがんばりましょう」とのこと。そんなおっかないことを言われてがんばれるニンゲンなんているはずがない。だけど、お父さんは「がんばるぞ」と、きっぱり言った。弱気なところなど見せない、昭和の時代を彷彿とさせる、立派な父親でもあったのだ。
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僕には一つ、提案したいことがあった。
「お父さん、ビワハヤヒデに会いに行こう」
そういう話だった。
お父さんは「やめておこう」と、やんわり拒んだ。
「どうして? 大好きなんだろ?」
「俺はハヤヒデの戦う姿が好きだったんだ。あんなに強いレースをする先行馬はいなかった。満を持して逃げ馬をかわして、後続馬を完封するんだ。本当に強い馬は、先行馬なんだ」
「だけど僕は、たとえば逃げの一手のサイレンススズカのほうが強いと思う」
「ハハッ、まあ、そうかもしれないな」
「ビワハヤヒデは名馬だよ。でも、みんなそこにロマンを見すぎなんだ」
「だけど、ハヤヒデはよかったんだ。いいぞ、ハヤヒデは。とにかくカッコよかったんだ」
「だったらさ、尚更さ」
「うん……うん、いいかもな。ハヤヒデは今、どんな姿形をしているのか、見てやってもいいのかもしれないな」
「種牡馬としては成功しなかったね」
「優れた血統じゃないんだ。そうそう走る馬は輩出できるはずもなかった」
「オグリキャップみたいな感じなんだろ?」
「そう、そうだ。いつからだろうな。芦毛馬の伝説が途切れてしまったのは」
「いつがいい? いつでもいいけど」
「だったら早速、明日、頼んでいいか?」
「そうだね。早いほうがいいよ」
「本当に、今のハヤヒデは、どんな顔をしているんだろうなあ……」
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日高を訪れた、日西牧場。種牡馬を引退し、もはや老後を悠々と過ごすしかないビワハヤヒデは、広いとは言えない放牧場で暇を持て余している様子だった。太鼓腹の太っちょ。見た目はけしてよくない。だけど、顔の大きな彼には、やはり確かな茶目っ気があって。
ビワハヤヒデはきちんと近づいてくるのだ。たたと駆けてきて、柵のすぐ向こうから利発そうな目を向けてくる。競争成績は物凄く立派だと言っていい。でも、子を残すことについてはほとんど役に立たなかった。そんなこと、本人からすれば知ったこっちゃないはずだ。僕が知っている姿からは毛色が白くなっている。芦毛馬は年を重ねるごとに白に染まりゆく。年老いたのだ、彼も、また。
お父さんは嬉しそうだった。ハヤヒデ、ハヤヒデと、何度も言った。恋しがるように幾度も名を呼んだ。ハヤヒデは本当に利口な馬だ。つぶらな瞳でお父さんのことを観察していた。
「夢のようだよ。あのハヤヒデが、今、父さんの前にいるんだからな」
お父さんは、ぽろぽろと涙をこぼした。
「やっぱり、顔は大きいんだね」
僕はそうツッコミを入れた。
「なあ、修一」
「うん?」
「弟との、ブライアンとの一騎打ちを、おまえは観たかったか?」
「観たかったよ。どっちが強いのか、確かめたかった」
「俺が観てきた中では、圧倒的にブライアンが一番だ。ルドルフなんか相手にならない。サイレンススズカだってそうなんだ。ブライアンにかなうはずがない。この先もずっとそうだ。どんなに強い馬だって、ブライアンと比べると、見劣りするに決まっているんだ」
「だったら、ハヤヒデもブライアンには負けた?」
「そうとも言い切れない」
「じゃあ、ハヤヒデが勝った?」
「俺はそうあってほしいって思ってる」
「写真、撮ってあげるよ」
「ああ、頼む」
お父さんはビワハヤヒデの大きな顔に顔を寄せた。ハヤヒデはなんにも言わない。ただただつぶらな目をしながら、お父さんと一緒に写真におさまった。鼻面を撫でるという行為は、見学者のマナーとしてはあまりよくないのかもしれない。でも、お父さんは撫でてやって、ハヤヒデはくすぐったそうな顔をしたように見えた。
「おまえは俺のヒーローだ。強かったぞ。カッコよかったぞ。大きな顔だ。本当に、大きな顔だなあ……」
お父さんとビワハヤヒデが並んでいる写真を、また一枚、撮った。
それはお父さんの遺影写真になった。
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昨今においてはビワハヤヒデのビの字も出てこない。血統的に劣等と言っていい種であるハヤヒデの系統の出番などないのだ。良血馬が血統の多くを占めるようになった。某牧場をルーツとするホースマンが競馬界を席巻するようになった。ブラッドスポーツ。それもまた覆すことができない事実ではある。
ただ、確かにハヤヒデの時代はあったのだ。
ハヤヒデの名が競馬界を賑わす時期はあったのだ。
最後の直線を向くと、手綱を絞ったまま逃げ馬をかわして、後続馬を尻目にゴールする。
お父さんが亡くなって少ししてから、彼が録画していたハヤヒデのレースを一から十まで観た。
最初のほうはレースぶりが荒かった。だけど、名手岡部が乗るようになってから、安定した。ただ、なんというかこう、勝負弱さが目立った。有馬記念でトウカイテイオーに負けたあたりが、特にそうだ。
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最近、ハヤヒデが天寿をまっとうしたという旨を、新聞の記事で知った。新聞、偉いじゃんと思った。もはや競馬界にはなんの影響もない馬の死をつづったのだから。
ハヤヒデ。
僕はきっと、この先もずっと、きみのことを忘れることはないだろう。顔の大きなきみにはとにかく愛嬌があって、前だけを向いて走る姿にも好感が持てて、なによりその姿には気高さがあった。当時の実況アナウンサーの言葉を借りると、「涼しい顔をして」、きみはトラックを駆け抜けた。
結局、ナリタブライアンとの兄弟対決が実現することはなかった。多分、レースをしたら、ブライアンにはかなわなかった。だけど、ただでは負けなかったはずだ。最後の最後まで抵抗して、兄としての威厳を見せつけたはずだ。
ハヤヒデ。
きみの最高のレースはなんだった?
菊花賞?
春の天皇賞?
それとも宝塚記念?
僕はどれも違うと思う。
ドキドキしながら新馬戦に出てきたときのきみが、一番、美しかったんじゃないかな?
ハヤヒデ。
競馬の中継は今でもそれなりに見ているけれど、僕はまだ、きみよりチャーミングな競走馬を知らないでいるよ。