ちいさなチイちゃん
ある冬の、黄昏時。
夜見月市の誰もいない路地裏に、小さな小学生くらいの女の子が、突然現れました。
雪の模様があしらわれた着物。
氷のように透き通った、水色の釣り目。
そして、腰まで伸びた真っ白な髪の毛。
どこか人間離れしているその子は、人間ではありません。
――白い毛を持つ、妖狐でした。
妖の力をうまく使えず、妖術を操れない白毛の妖狐は、いつも独りぼっちでした。
友達が欲しくても、まともに取り合ってもらえません。
『術を操れない妖なんて、妖じゃない』
みんなそう言って、彼女を仲間はずれにするのでした。
白毛の妖狐は、あたりを不思議そうに眺めていました。
おそらく、自分の力が暴走してしまったせいで、知らない場所に飛ばされてしまったのでしょう。
目を閉じて、耳を澄ませて、妖の気配を探ります。
「……うそ」
幼子独特の、少し高めな声で彼女は呟きます。
「ここ……妖が、いっぱいいる」
ここ、夜見月市は、またの名を「狭間の街」といいます。
その理由は主に二つ。
一つ目に、「都会と田舎の狭間のような場所だから」。
この街がある位置は、都会と田舎の中間地点。田舎のように自然豊かな場所も、都会のようにショッピングモールが建つ場所もあることが由来である――これは世間一般的な捉え方だったりします。
二つ目は、「現実と『不思議』の狭間にある場所だから」。
この街がある場所が、今私たち人間が暮らしているこの世界と、妖や幽霊といった『不思議』たちが暮らす世界が、この世のどこよりも一番近付いていることが由来である――これは、夜見月市内に住んでいる人々や、ひとではないもの、オカルト系の情報に詳しい人々ぐらいしか知らないことです。
現実と『不思議』の狭間にある場所だからでしょうか。ここに住む『不思議』たちは「この街は他のところよりも住みやすい」と言うのです。そのため、夜見月市にはほかの場所よりも多くの『不思議』たちが住み着いているのでした。
ちなみに、妖や幽霊といった『不思議』たちは、案外人間のことを好いていて、人間が暮らす世界に住んでいることもよくあります。また、すべての『不思議』が、『不思議』たちの暮らす世界で生まれるわけでもないので、ここ以外の世界を知らない『不思議』たちもいます。幽霊なんかは顕著な例でしょう。いってしまえば彼らは、死んでしまった人間なのですから。他にも、化け猫は恨みや悲しみを抱えた普通の猫がなることだってありますし、それに……。
ここにいる白毛の妖狐も。
彼女も最初は、ただの小さなきつねだったのです。
白毛の妖狐は、妖の気配がない方へと歩き始めました。
一人ぼっちであり続けた彼女は、友達が欲しいと思っても拒まれ続けてきた彼女は、もう、怖くなってしまったのです。
誰かと会って、話すことが。
――またいじめられるのではないか。
悪口を言われて、仲間外れにされるんじゃないか――。
その思いが、彼女を妖がいない方へと追いやってしまったのでした。
ずっと、白毛の妖狐は「術がうまく使えないから」と妖たちに虐げられてきました。
けれど、きつねの里で受け入れてもらえるかといったら、そういうわけでもありません。
そもそも彼女は、他の狐たちよりも小柄な体格や、白い毛と水色の目が原因で、里のみんなにいじめられていたのです。
両親にもひどい言葉を投げかけられ続けて、自分の名前をもらうこともありませんでした。
『なんであんただけそんな変な色してんのよ』
『みんなお月さまみたいな黄金の毛なのに』
『あんただけ、真っ白けっけじゃないか』
『それに、みんなよりも小さくてさ』
『ちびっこいよなぁ、お前』
『変な子』
――友達がいなかった彼女は、寂しいあまり、妖になったのです。
けれど、妖になった彼女は、無意識のうちにその力を使ってしまい、みんなを怖がらせ、そして、里を追い出されたのでした。
さて。
誰だって、知らない場所で暮らすということはとても不安なものです。白毛の妖狐も、また同じ。
そこで彼女は、この街のことを知ろうと、妖に見つかることを恐れながらも散歩をしていました。
幸いなことに、彼女は小柄な女の子の姿をしているため、物陰に隠れることは大得意でした。
自分が小さなことをよく思っていなかった彼女ですが、他者に見つかりにくいという点では、この体格でよかったのかもしれません。
そんなある日、彼女は年齢不詳の美しい女性を見かけました。
琥珀色の細い釣り目。
三つ編みを一つしてまとめた黒髪。
その髪を縛っている赤い紐と、そこにつけられた金色の鈴。
人間にしては鋭い歯。
そして、淡い緑に染まった着物。
白毛の妖狐は、その女性の気配から察しました。
淡い緑の着物を着た彼女もまた、妖である、ということを。
しかも、彼女が大きな妖力を持っているのだということを。
「みいやん」と、後ろから声が聞こえました。
足音が物陰に隠れている白毛の妖狐を追い越して、目の前にいる妖のもとへと駆けていきます。紺色の服を着た女の子で、半分だけ上げた髪には、あの妖とおそろいの赤い紐と鈴がありました。妖力は感じないので、女の子の方は人間なのでしょう。
「あら、優妃」
みいやんと呼ばれた妖は、女の子――優妃の方を振り向きます。
二人が楽しげに話す様子を、白毛の妖狐は見ていました。
少し羨ましそうに、でも、諦めの混ざった表情で。
そして、とてもさみしげに。
どういうわけかは分かりませんが、白毛の妖狐は散歩をするたびに「みいやん」を見かけるようになっていました。
ただ、その理由は、すぐ判明することになります。
「――お、ミヤじゃないか。今日もお疲れさんです」
「あら、今日も会ったわね。最近は人間にちょっかい出し過ぎてないでしょうね?」
「月にいっぺん、誰かの足をちょっと突っつくぐらいさ。『始末屋』さんに目つけられたら困るんでね」
「まあ、それくらいなら悪戯の範疇かしらね」
みいやん(本名はミヤといいます)は、『始末屋』というグループのリーダーでした。
そもそも『始末屋』とは、他の妖や人間といった他者に悪さばかりをする妖を懲らしめ、程度によっては退治する妖たちのグループのことです。『始末屋』は常に他者を害するものがいないか確認しなければならないため、街のあちこちを歩き回ることが多く、その結果、二人は出会いやすくなったのでしょう。
いつも明るい笑顔で話し、様々な妖と仲良しに見えて、人間の友達を持つミヤは、とても輝いているように、白毛の妖狐には感じられました。
だから、そんな彼女がある日、血だらけになって座り込んでいる姿を見た時はびっくりして、おもわず、妖から隠れていることも忘れて駆けよってしまいました。
あまりに普段と違うので、心配になってしまったのです。
「え、えと、あの……大丈夫、ですか」
ミヤは、顔をあげませんでした。
「……ごめんなさい、心配をおかけしてしまって。あたしにけがはないので、大丈夫です」
か細い声で返ってきた返事に、なぜかほの暗い響きと涙の匂いを感じ取って、白毛の妖狐はミヤの真後ろに、背中合わせに座り込みました。
「……ここに、いてもいいですか?」
「……怖く、ないんですか」
ぼそりと落とされたミヤの言葉に、答えます。
「怖くないと言ったら嘘になります。でも、貴方のことが怖いんじゃなくて、誰かと接することが怖いんです。貴方は――」
貴方は、本当に素敵な人です。あこがれなんです。
そんなことは、言えるわけもなく。
言葉にしたら、本当に今、自分が誰かと話をしているということが怖くなってきて、逃げ出してしまいました。
「ミヤさんだって、わたしがまともに術を使えない妖だと知ったら、きっと――」
それ以来、しばらく散歩は控えていた白毛の妖狐でしたが、少しずつ暖かくなり始めたころ、ようやくまた街を歩くことが出来るようになりました。
何気なく歩いていると、初めて彼女がミヤを見かけた場所へとやってきていました。
「……懐かしいな。どうして、ここに来たんだろう」
そんなことをぼんやり考えていたからなのか、あるいは人の足を突っついて遊ぶ妖のせいなのか。
白毛の妖狐は、すってんころりん、転んでしまいました。
地面と擦れた手のひらが、熱を持ってじんじんと痛みます。じわりと目じりに涙が浮かびます。
「――どうしよう……」
そう思った、その時でした。
軽やかな鈴の音が、近付いてきたのは。
「大丈夫?」
聞こえてきた声は、聞いた事のあるものでした。
白毛の妖狐が顔をあげると、そこには紺色の服を着た人間の女の子――優妃が立っていたのです。
「立てる?」
優妃に助け起こされ、そのまま近くのコンビニに連れていかれて、水でけがを優しく洗ってもらって。
「これで大丈夫だよ」と、優妃は絆創膏を貼ってくれました。
「あ、あの……ありがとうございます」
「ううん、気にしないで!」
にこにこと嬉しそうな笑顔を浮かべる優妃は、次の瞬間、こんなことを訊いてきました。
「ねえ、あなたって、この辺りに住んでるの?」
なにも、答えられませんでした。
孤立している妖の彼女には、拠点としている隠れ家はあっても、家はありません。
嘘をつけなくて、正直にそのことを白状したのはなぜだったのでしょう。
優妃がミヤと仲良くしていることを知っていたからでしょうか。
「妖なの? そっかそっか。突然話しかけちゃったし、びっくりしたでしょ?」
そう言って先ほどと変わらぬ笑みを見せる優妃に、思わず目を丸くしてしまいます。
――自分の正体を聞いても態度が変わらない彼女なら。
白毛の妖狐の心は、少し、揺らいで。
「……お友達に、なってもらえませんか?」
気がついた時には、口にしていました。
それからの出来事は、夢のようでした。
優妃はあっさりと友達になろうと言ってくれて。
その話の流れで優妃がミヤのことを堂々と話してきたので少し驚きつつも、会ってみたいとお願いしたら、あっさりと承諾してくれて。
その後、優妃とはぐれてしまった時に「あの子のそばに行きたい」と思っただけで彼女の隣に立っていたり。
ミヤと実際に会えて、話をして、友達になれたり。
うまく術を使えないとミヤに打ち明けたら、悪口など一言も発さずに、すぐ「じゃあ、あたしが術を教えてあげるわ」と笑顔で言ってくれたり。
思わず何度も、腕をこっそりつねって夢ではないことを確認したぐらいです。
白毛の妖狐は、ミヤに稽古をしてもらったおかげなのか、すぐに術がうまく使えるようになりました。
今まではあんなになにもできなかったのに、と首を傾げると、ミヤは「ねえ」と声をかけてきました。
「あたしと友達になった日、言ってたわよね。友達は優妃とあたししかいないって」
たしかに、白毛の妖狐はミヤと友達になった日、そう言いました。
白毛の妖狐が頷くと、ミヤは納得がいったようにこう告げたのです。
「術がうまく使えなかったのは、多分、『大切なもの』がなかったからよ」
「妖ってね、大切なものが心の中にないと術が操れないの。自分でも他者でも、人でも妖でも……ううん、物でもいいし、植物でもいい。なにか大切で守りたいものがあるから、力が使えるのよ」
――大切なもの。
その言葉を聞いて、白毛の妖狐は心がじんわりと温まるのが分かりました。
――そっか。わたしは、大切なものが欲しかったんだ。
大切なものを――友達を、わたしは、ずうっと、探していたんだ。
優妃とミヤ、という「大切なもの」を見つけた白毛の妖狐は、他の妖よりもかなりうまく術を操れるほどに成長しました。
それをずっと近くで見ていたミヤは、白毛の妖狐にこんな提案をします。
「――ねえ、『始末屋』にならない?」
そもそも、ミヤが『始末屋』になったきっかけは、自分によくしてくれた『始末屋』の元リーダーに誘われたことでした。
その元リーダーのように、誰かに居場所をあげられたらいい――。
そんな思いで、話を持ち掛けたのです。
しかし、白毛の妖狐はそれを断りました。
「わたしは、昔のわたしみたいに、大切なものを持たない妖がいたら、手を差し伸べてあげたい。でもそれは、『始末屋』のすることとはちょっと違うと思うんです。だから、お誘いは本当にうれしいんですけど、お断りさせてください」
それを聞いたミヤは、「分かった。応援してるわ」とだけ答えました。
白毛の妖狐は、自分の力で、自分の進む道を見つけ出したのです。
それからというもの、彼女は一人で寂しい思いをしている妖を見つけては、声をかけ、優しく笑いかけました。
差し伸べた手を振り払われるときもありました。
友達と思っていた妖に裏切られる日もありました。
そのたびに昔を思い出し、一人で泣くこともありました。
けれど、決して止めることはありませんでした。
なぜって、独りぼっちの妖を見かけるたびに、その姿が重なってしまうからです。
幼い頃の、周囲に怯えて暮らしていた自分の姿が。
それに、今の彼女は独りではありません。心の支えとなってくれる友達がいます。嬉しいことも、辛いことも、共有できる相手がいます。
大切なものを見つけた彼女は、昔の自分よりも「強く」なったのです。
独りぼっちだった白毛の妖狐は、たくさんの友達を作り、大切にし続けました。
それは、かつての自分のように、寂しい思いをする妖にいつまでも寄り添い続けた、その結果であるとともに、自分が前を向いて生きていくための、一つの方法でもあったのです。
「大切なもの」を探していた妖たちは、白毛の妖狐に差し伸べられた手を忘れませんでした。
そして、数多くの妖が「今度は自分が手を差し伸べる側になろう」と動き始めました。
寂しい思いをしない妖がいなくなることは、ないかもしれません。
けれど、一人でも多くの妖が、笑顔でいられるなら――。
そんな願いを込めながら、白毛の妖狐は、今も「大切なもの」を探し続けています。
白毛の妖狐の名前は、チイ。
名前すらなかった彼女が、自分に自分でつけた名前です。
「ちいさなチイちゃん」を読んでくださった皆様、ありがとうございました!
いかがでしたでしょうか?
この物語は昨年度の冬の童話祭参加作品「鈴音響けば」の姉妹作となります。気になる方はこちらも覗いてみてください。
https://ncode.syosetu.com/n4564fy/
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