1-20 空
「申し訳ありませんでした。お嬢様」
やっと戻って来たヨアンが頭を下げる。
ここは例の茂みの中。ふたりともしゃがんで話をしている。
「鼻血は大丈夫なの?」
「はい。……お嬢様は大丈夫でしたか?」
「大丈夫なわけないじゃない!4人のうちのひとりと残されて。しかもあの後大変だったんだから。でもその前に、本当にどうしたの?来たときも顔が真っ赤だったし、体の調子がよくない?」
ほんっとにいろんなことがあったから、いっぱい話したいけど、ヨアンの体調のほうが大事よ。
わたくしは、空を見上げているうちに、元気がでてきたから、いっぱい話せるようになってるんだけどね。
「いえ、あのこれは、その、サヨコさんが……」
「サヨコさんになにかあったの!?」
「あの、サヨコさんが『攻略対象』の少年姿に興奮されまして」
殿下とリドガー様の姿を見てしまったものだから、それは『わー』『きゃー』の興奮だったという。それをなんとかなだめて、急いで待ち合わせの茂みにきてみたらカミル様がいたと。
さらに悪いことに、至近距離で笑った顔もみたものだから、サヨコさんの感情があふれすぎて鼻血がでたらしい。
ヨアンもさすがに鼻血までは想定してなかったので、慌ててあの場を去ったのだそうだ。
戻ってくるまでにかなり時間がかかったところをみると、興奮、ものすごかったのね。
それにしても、サヨコさんの感情が強くなるとヨアンの体にも影響がでるとか、大変じゃない?前にサヨコさんの感情がとか言って涙をぬぐったことがあったけど、あれも本当のことだったんだ。疑って悪かったわ。
「それでサヨコさんはもう落ち着いてるの?」
「だいぶ落ち着きました。でもまだちょっと影響があるので、今日は『攻略対象』の話はしないでもらえますか?」
えー!!話したいこといっぱいなのに、ひとつもお話できないの?
ヨアンの次第に赤くなってくる顔をみると――話はできないわね。また鼻血がでたら大変だもの。
不幸中の幸いというのかしら、ヨアンがエドゥアルト様を見なかったのはよかったことだわ。サヨコさんの推しキャラとか言うのは、エドゥアルト様だと聞いたことがある。悪役令嬢といい、サヨコさんといい、エドゥアルト様のどこがいいのか、今度じっくり聞かないと。
「今日はもう、4人との遭遇率を下げるというより、絶対会わないほうがいいわね。ここでじっとしてる?」
「お嬢様、すみません。」
んー、でもお腹はすいたかも。もうお昼も少し過ぎた時間だものね。
「ヨアンは何か食べた?」
「いえ、まだ何も」
「ちょっと待っててね。飲み物と食べ物持ってくるから」
ちゃんと低木の隙間から食べ物が置いてある場所に彼らがいないか確認する。できるなら、わたくしも会いたくないもの。
のぞくと、食べ物のあたりの人影が少なくなっていた。行くなら調度いいわね。
帽子をかぶって立ち上がったら、ヨアンも立ち上がった。
「ヨアン、ここにいなきゃダメよ」
座らせようとしたら、首を横に振られる。
「ダメです。ぼくの仕事は従者です。これ以上お嬢様と離れるわけにはいきません」
そのあと、ぼそぼそっと、随分ひとりにしてしまったので、と言ったのが聞こえた。割と生真面目なのよね。で、わたくしは胸を張って答えたの。
「こういうときはご主人様を頼りなさいよ。使用人を守るのも主人の務めよ」
こういう時は、わたくしが頑張らないとね。
「いいえ、一緒に行きます。だいたいお嬢様が二人分も持ってこれるとか思えないんで。そんなに重い物、持ったことないでしょ」
……そのとおり、持ったことないわ。ここは、ヨアンがいつもの調子になって来たことを喜ぶことにするわ。
誰に会うこともなく、サンドイッチと飲み物を手に戻って来た。
本当はケーキもほしかったところだけど、お皿がサンドイッチでいっぱいになったので、取れなかったわ。残念。
ふたり並んで茂みにある木の側に座った。
耳をすませば、どよめきや拍手が聞こえてくる。
食べ物の周りに人がいなかったのは、みんな大道芸を見に行ったから、というのは子ども用スペース近くに行ってからわかったことだった。
どんなすごい技が見られるのかしらね?
「大道芸、見たかったですか?」
サンドイッチを手にヨアンが聞いてくる。
「そんなことないわ。大道芸なんて見に行ったら、彼らに会うかもしれないじゃない」
半分はうそ。できるなら今からでも見に行きたい。だから話題を変えることにした。
「お父様の話ならしても大丈夫よね?」
大道芸が見られないなら、やっぱり何かひとつでも聞いてほしいもの。
「旦那様の話なら。あの後も、変わらずですか?」
「そうだったのよ」
ヨアンが知っているのは、お父様の前でくるくる回って馬車に乗るまで。馬車から別々だったから、その後のことは知らない。馬車の中から、いろんな人の前に連れ出されたところまでをサンドイッチをほおばりつつしゃべった。こんなところ、侍女と先生にはみせられないけど、ヨアンも大目にみてくれてる。
ああ、王妃様とのことも話したいけど、これは殿下が出てくるからダメね。
「今日の旦那様はいつもに輪をかけてすごいですね。考えてみれば、お嬢様とふたりだけの外出なんて初めてですもんね」
そう言われてみれば、ふたりだけは初めてかも。いつもお母様がいたし。
「もうお父様とふたりではお出かけしないわ」
「そのほうがいいですね」
お父様の話だけでも聞いてもらって少しだけ満足した。
隣にヨアンがいるのはいいわね。今日は大変なときにずっといなかったから。
お腹も満たされて、そよ風も吹いて、いい…心地よ……。
『エヴァンゼリンちゃん寝ちゃったね』
サヨコさんが話しかけてきた。
「はい。きっといろいろあったんでしょうね。会ってからずっと聞いてほしいって顔してましたから」
お嬢様はぼくの肩によりかかるようにして寝てしまった。
『……エヴァンゼリンちゃんにもヨアンくんにも謝らないと。私が対策台無しにしちゃったね、ごめんなさい』
声がしょんぼりしている。
うん、ぼくもさすがに、こんなことになるとは想像もできなかった。
今日は、お嬢様がディートフリート殿下に挨拶している間に、『婚約者を探せ』を先に進めるはずだった。どんな手を使えるのか、バルタザールさんに用意してもらった参加者リストから、ピックアップしたお嬢様の婚約者候補を確認していく作業だ。
まさか、遠く壇上にいたディートフリート殿下の姿と声にサヨコさんがあんなに反応するとは思わなかった。最初は心臓がどきどきするな、くらいだったのに、じわじわ自分のお腹の中が熱くなって、病気かと思った。少したって、サヨコさんが身もだえしているのがわかったけど。
リドガー様のときは何気に目を向けた模擬試合だった。前座で出場するとは思わなくて、あの時は心臓が飛び上がった……。
『あ、カミル様のことは思い出さないで。まだ危ないから』
そうします。
でも、これくらいなら聞いても大丈夫かな。
「お嬢様、攻略対象に一目惚れはなかったようですよね?」
姿は思い出さないように、名前を出さないように、慎重に聞いた。今日はふたりの人物に会っている。
『さっきの様子だけみるといつもと変わらない感じだね。ヨアンくんみたいに後から実感する場合もあるから、その辺は後日見極めないといけないけど』
ヒロインのことを持ち出されて、体がびくっとしてしまった。
「サヨコさん……」
実体があったら軽くにらんでいるところだ。
『今日は何から何までごめんなさい……。この話は帰ってからにしよう』
「お願いします」
さっき、体が動いてしまったから、お嬢様が起きてしまっていないか確認する。
規則正しい寝息が聞こえているので大丈夫だろう。
何にもしてないのに、疲れたな。
ふと、上を見上げると葉っぱの隙間から小さな空が見えた。
空、青いな。




