1-18 とある茂みでの出来事
少し遅れて待ち合わせ場所の茂みに来たけれど、まだヨアンは来ていなかった。
ふつう、従者は先に待ってるものでしょ、と思いながら目立つ帽子を取ると茂みに腰を下ろした。日陰だから涼しくていい気持ち。
いけない、いけない。ミッションがあったのだわ。
しゃがんだまま低木の隙間から子ども用スペースの方をのぞき見る。いくつものテーブルの上にお菓子やケーキが並んでいる。色とりどりでおいしそう。あとで食べなきゃ。
って、いけない、いけない。ミッション。
ちょっと遠くてよくわからないわね。もう少し近づかないとダメかしら。と、後ろで茂みが揺れる音がした。
もう!ヨアン遅い!
「ヨアン、遅いじゃないの。でも、ここちょっと遠くて顔までよくわからないの。あ、もしかして近くに行って見つけてくれたの?」
「……」
「どうしたの、黙って――」
振り向くと、知らない靴。見上げると、知らない少年が立っていた。
だれ?
「こんにちは。エヴァンゼリン嬢」
少年がにっこり微笑む。少し長めの前髪が揺れて、銀の髪からのぞくのは宵のような濃紺の瞳だった。
うわあ、なんてきれいな子なの。
殿下も美人だったけど、この子も美人よ。今日はきれいな人をよく見る日ね。それになんて長いまつ毛かしら。木漏れ日があたって……じゃないわ。名前を呼ばれたけど、わたくしの知らない方ではなくて?
だれ、と問いただしたいのに、突然のことすぎて声がでない。
すると、前触れもなく左上からヨアンの声がした。
「お嬢様、この方はダグランベール家のカミル様ですよ」
子ども用スペースの方から来たらしく、いつのまにか隣にひょっこりと現れている。
ヨアン!どこに行ってたの!?
今度は左隣を見上げる。
そこにヨアンがいた。いたが、どうしたというのか口元を手で押さえている。何よりも顔が赤い。
その様子にまたもや声がでない。
そのままヨアンを見上げていると、押さえていた手と鼻の間から赤いものが流れるのが見えた。
「ヨアン!鼻から!」
あ、声がでた。
「あ……」
ヨアンは口を抑えていた手をはなしてまじまじと見ている。その間も鼻からツーっと垂れてくるものがある。これ、まずいんじゃないの???
「すみません、お嬢様、カミル様、ちょっと失礼します」
再び鼻を抑えると、ヨアンが走りさってしまう。
「あっ、ヨアン……」
わたくしを置いて行ってしまった。
一瞬の間のできごとに、わたくしの頭はどうにかなってしまいそうだけど、そうなる暇はなかった。なぜってヨアンは銀色の髪の少年のことを『カミル様』って呼んだもの。
カミル様ってことは『攻略対象』のひとりよね。よりによってこの場所で会うだなんて、遭遇率を下げるの対策も真っ青よ。しかもまたヨアンがいないとは、不運すぎるんじゃないかしら。
もうこうなったら『気合いと根性』で乗り切るのみよ!
しゃがんだままでは気合いもなにもないから、まずは立たないといけないわね。
立ち上がろうとするわたくしにカミル様が手を差し出す。
「ありがとう、ございます」
この時点で手助けしてもらうのもどうかと思ったけれど、差し伸べられた手を取って立ち上がらせてもらった。おかげで楽に立ち上がれたわ。
立ち上がってドレスから埃を簡単に払うと、きちんと挨拶した。
「はじめまして。エヴァンゼリン・フォン・マクシミリアンです」
「はじめまして、だね。カミル・フォン・ダグランベールです」
またにっこり微笑まれた。吸い込まれそうなくらいきれいな笑顔なのに少し怖い感じがするのは気のせい?
「彼、大丈夫かな?」
ヨアンが走り去った方向を見る。わたくしも心配だけど、先に確認したいことがあった。
「あの、カミル様はなぜこんなところに?」
なんでこの場所にいるのかわからない。
だってここは、バルタザールが手に入れた見取図からヨアンとサヨコさんの3人で考えた場所。子供用のスペースに近くて、かつ最高に人に見つかりにくい場所なのよ。バルタザールにも確認してもらったからまず間違いない。しゃがんでたらまず見つかることもないはず。
「なぜ?それは僕も聞きたいことだけれど、僕の理由はあれだよ」
と、後ろを指さされる。
振り向くと、令嬢の一団らしき姿があった。まだ距離はあるが、きょろきょろと何かを探しているような動きに見える。
「彼女たちから逃げてここに来たのに、君がいたんだ」
にこにこっと笑う。この笑顔は間違いなく怖い。
この場所が見つかりにくい場所であることをカミル様も知ってたのね。それなのに、わたくしがこの場所にいたことで、カミル様が隠れる邪魔をしてしまったんだわ。さすがに申し訳ない気もするけど、どうすれば。
そうこうしているうちに、令嬢たちの話声がだんだん聞こえるようになってきた。カミル様を探してこちらに近づいてきているのだ。
前にカミル様、後ろから令嬢の一団。
どうするのが一番いいの?もう頭の中がぐるぐるするわ。けど考えなきゃ。
その時、カミル様がゆっくり近づいてくるのが見えた。わたくしとカミル様の距離は数歩しかないが、その距離が縮まる。
こ、今度はなに?
ほぼゼロ距離まで近づくと、頬のあたりに顔が寄せられた。
「だから、助けて」
耳元でささやかれる。
何を言われたか気付いたときにはカミル様はいなくなっていた。