プロローグ サヨコさん
サヨコさんがぼくの心に現れたのは、9歳のときだった。
熱にうなされているときに、心配そうに現れたのが最初だ。
『大丈夫?苦しい?』
おろおろしている感じがして、なんだかおかしかったのを覚えている。
でも、熱がでている間は、いろんなものが頭を通り過ぎていった。
見慣れない服を着た人、聞きなれない言葉、見たことがない建物。
知らない世界、知らない世界、知らない世界。
それが、サヨコさんの生きていた世界だと知ったのは、熱がだいぶ下がってからだった。
『あー、よかった熱はさがってきたのね』
ん?誰だろ?
まだぼーっとする頭で部屋を見回してみるが誰もいない。従者として一人部屋を与えてもらっているが、部屋は狭いのでひと目で見渡せる。もう一度見渡すがやはり誰もいない。聞こえた声は覚えがある声な気もする。
「だれか、いるの?」
しゃがれた声しかでなかった。自分の声ながらひどいな。
『あれ?部屋には誰もいないよ。ヨアンくんまだ熱が高いのかな』
「だ、れもいない……?でも、声するし」
心臓がトクンと鳴った。
『うそ、私の声が聞こえてる!?』
え……、今どこから声がしたの?心の中?そんなことあるのかな。
めまいがしそうだ。
『本当に聞こえてるみたい……!ヨアンくんの中だよ』
ぼくのなか……?
あー、だめだ。また熱がでたかもしれない。目が回ってきた。
そして視界が暗転する。
サヨコさんと話ができるようになったのは、翌日の午後になってからだ。
自分の中に別人がいるっていうのに、なんだかすんなりと受け入れられた。サヨコさんもぼくだからだろうか。
サヨコさんの話によると、サヨコさんはぼくの『前世』の人物であり、この世界ではなく別の世界にいたという。
熱が出ていた時に見たものはサヨコさんの住んでいた世界だった。ビルという四角い建物や、車という乗り物、風景や人物が目まぐるしく入れ替わる横長の絵画のようなもの、あ、液晶画面ていうのか。見たことも聞いたこともない世界。なんてここと違う世界だろう。この世界は文明的にはサヨコさんの世界より200年くらい遅れているらしい。
そして驚いたことに、熱が下がった後、サヨコさんと話ができるようになっただけでなく、サヨコさんの記憶もぼくは共有できるようになっていた。サヨコさんがぼくの中で記憶を呼び出すとぼくの頭にもその記憶が浮かんでくるといった具合だ。
サヨコさんの住んでいた世界がわかったところで、どうしてサヨコさんがぼくの中にいるのか聞いてみた。
すると、30歳で事故で亡くなった後、気づいたら生まれたばかりのぼくの中にいたという。それからはずっとぼくの中でぼくの目を通してこの世界をみてきたのだと。ただなぜ『前世』の記憶と人格があるままぼくの中にいるのか、それはわからないと言っていた。
『でも、話せるようになってよかった。どうしてもヨアンくんに伝えたいことがあってお話したい、お話したいって毎日思ってたから』
夢みたいな状況だけど本当にうれしいと言っている。
どうしても伝えたいことってなんだろう。
『あのね、びっくりするかもだけど、ヨアンくんの住んでる世界って私がやっていたゲームの世界にそっくりなんだ』
ゲームの世界?
『こういうの』といってサヨコさんの記憶が一気にぼくに流れ込んできた。
うわ、なんだこれ。えーとさっき教えてもらった液晶画面に映し出される人物たちと、これ恋愛する内容……?え?なに?この歯の浮くような言葉……。しかもこれ王都にある学園が舞台なんだ。あ、ヒロインの女の子めちゃくちゃキレイでかわいい。と、あれ?いま知っているような顔で知った名前が出てこなかった?
『気づいた?ヨアンくんが仕える公爵令嬢がでてくるの』
このゲームの世界にでてくるお嬢様は今より大人だったけど面影はある。けど、なんだこれ?このお嬢様、性格悪くないか?
『これね、今から7年後の世界だよ』
7年後って未来の話じゃ……。しかも全然別の世界のサヨコさんが知ってるって何?
『私にも何がなんだかだけど、とにかく私が知っているゲームの世界とこの世界が同じみたい。だとすると、ヨアンくんが仕えているお嬢様は悪役令嬢で最後に国外追放とか身分剥奪されてしまうんだよ。もしかしたらヨアンくんも追放かもしれないし、よくても働くところがなくなっちゃう』
なんだか衝撃的すぎて言葉が出てこない。
追放?職を失う?
『ああ、9歳のヨアンくんにいきなりすぎだよね。ごめん。でも早く知ってもらいたくて。少しでも運命が変えられたらって……』
またもや視界が暗転しそうになったのを気力で持ち直す。倒れている場合ではない。ぼくの世界と同じだといったゲームについてもっと聞かねば。
サヨコさんは時折ゲームの記憶を交えながら説明してくれた。それにしてもお嬢様がやばい。これ、どうしちゃったんだろう。
「このゲームの内容って本当に本当のことなの?」
ゲームの内容について何度も確認したくなるのは許してほしい。お嬢様がサヨコさんにみせてもらったゲームの通りに行動したら破滅だ。
『うん。たぶんこのままいくとこのゲームの通りになっちゃうと思う。最初はお嬢様の名前がゲームと一緒だなって思っていただけなんだけど、最近ヨアンくん従者と執事の修業でいろいろ勉強するようになったでしょ?それで王家の名前とか名門貴族の名前もでてきて、それもすべて一致するし、私もだんだん恐くなっちゃって』
毎日、このことを伝えたいって思っていたら、伝えられるようになったという。
サヨコさんがウソを言う理由がないとは思うけど、完全に信じるには足りない気もする。お嬢様が悪役令嬢で悪人を使ってまでヒロインを襲うとか。
まあ、サヨコさんの存在が一番信じられない話だけど、ぼくとこうやって話しているからこれは信じるしかない。じゃあ、やっぱりゲームの話も現実になる?どうしたらそれを確かめられるかな……。
そうだ!学園。
『学園?』
サヨコさんが聞き返してきてびっくりした。サヨコさんてぼくが思ったこともわかっちゃうのか。ちょっと恥ずかしいかも。
「そう。ぼくエルミナス学園には行ったことがないから、サヨコさんに見せてもらった記憶と同じなら信じられるかもって思ったんだけど」
『そうよね、簡単に信じられる話じゃないものね。でもエルミナス学園てここから近かったっけ?』
王都の北西部に位置する学術都市エリアにあるから、子どもの足で行ける距離ではない。仕事の休みをもらって行ってみるしかないかな。
『うわー、すごい、すごい。ゲームと同じ。なんだか映画のテーマパークに来たみたい』
ぼくの中のサヨコさんがはしゃいでいる。
数日後、休みをもらったぼくは辻馬車に乗って学園前まで来た。目の前に学園の大きな門があり、門からまっすぐのびた並木道の向こうに石造りの校舎が見える。
記憶そのままだ。ヒロインが馬車から降り立って最初に見た光景と同じ。違うのは白い花びらが舞ってないってことくらい。近くには花の木がないのに、記憶の中では白く小さな花が風に舞っていた。
「ほんとのことなんだ……」
記憶と同じ光景を見たことで何かが胸にストンと落ちてきた。
お嬢様を悪役にしちゃいけない。
この日からぼくとサヨコさん、そしてお嬢様の3000日が始まる。