三.
父も母も昭和初期の生まれで戦争を体験している。
父は戦争中に近所に疎開してきていた人の紹介で戦後に上京して就職し、定年まで勤めて私と兄を育ててくれた、もちろんそのことには感謝しているが、口煩いというか頑固な性格で、子供の頃に自分が父親(私の祖父)から受けた長男との差別的な態度が嫌だったと言っていたが、実際には私と兄を差別していると感じたことがあり、正直言って私は父が嫌いだった時期がある。
母は、戦後から父とお見合いをするまでのことは一切話してくれたことがないので何も知らないが、6人弟妹の長女として産まれ、母親(私の祖母)に代わって5人の妹や弟の面倒をよく見ていたようで、母方の叔父叔母はみな母のことをとても慕っていたし、その影響か母方の叔父叔母とは私が子供の頃も色々な話をしたし、その子供たち(従兄弟)とはとても仲良く遊んだ記憶があるが、父方の親戚で親しかったのは実家を継いだ末弟の叔父夫婦とその2人の娘だけで、父も兄弟が多く従兄弟は大勢いたのだが、ほとんど名前は憶えていないし、遊んだ記憶がない。
兄とは8歳も離れていたせいか、私がまだ幼い頃は遊んでくれた記憶があるが、私が小学校高学年になった頃には就職をして家を出ていった。
高校卒業するまでは頭が良かったんだと思う、中学校で兄の担任だった教師が私の担任になると、スポーツ万能で勉強も出来た兄、反抗的で生意気な弟、そんなだから散々比較されたし嫌味も言われた、兄は就職してからも要領が良いというか、実際に仕事も出来たのか、どんどん出世していって父にとって自慢の兄だったが、結婚し子供が生まれてからも北は青森、南は九州へと転勤する生活で、子供たちがある程度大きくなったのを機に仙台で家を買って腰を落ち着けたが、実家のある東京郊外からは遠いのを理由に父が肺の病気で入院したときも脳梗塞を起こした時も片手で数えられるほどしか病院には顔を出さず、義姉と子供たちは一度も病院には来なかった。
私は専門学校在学中に君枝と出会った、ちょうどこの頃には出世した兄と出来の悪い弟、その扱いの差に嫌気がさしていて、一日でも早く一人前になって家を出て自分の生活を築きたいと思っていたから君枝と付き合い始めると学校帰りは一人暮らしの君枝の部屋に行って夕食を共にし、自宅にはただ寝るために帰るような生活になった。
学校を卒業して就職して金を稼ぐようになるとすぐに君枝と結婚することを頭に描いた、当時はまだバブル景気で幸いにも大手企業に就職出来たため3年目には結婚資金もそれなりに貯まり、まだ早いという両親の反対を押し切って君枝と結婚した。
結婚当初、私の両親は結婚式にこそ出席してくれたが、君枝のことをあまり良くは思っていなかった、その後に流産を経験して結局は子供にも恵まれなかったこともあり、君枝は両親によく嫌味を言われていたようだが、父方の祖父の葬儀で君枝を連れて母の実家に寄った際、祖母が母や私のいる前でこう言った。
「君ちゃんはとっても良いお嫁さんだ、俊(私)ちゃんは本当に良いお嫁さんをもらった」
私は照れ笑いをし、君枝は恐縮し、母は驚いた顔で祖母を見た。
「それに比べて兄ちゃんの嫁は・・・ありゃあダメな嫁だ、言葉では優しいことを言うが、いざという時には何もしない嫁だ」
そう言われて私は君枝と結婚する前、まだ実家にいた頃のことを思い出した。
最初の子を妊娠していた義姉は、すでに自身の両親が他界していたことや、兄も当時九州に単身赴任していたため、私の実家で出産準備をしていた。
まだ予定日までは日にちもあり既に安定期に入っていて動ける状態だったにもかかわらず、まるで自分の家のようにくつろぎ、両親も初孫の誕生を心待ちにしているせいか、私は私の家なのにほとんど居場所がないと感じていたし、両親は車の免許を持っていなかったため私が仕事の休みの日には買い物だけでなく、運転手としてその他にもたくさんの用事を押し付けられ、私ははっきり言って兄も、そして兄嫁も嫌いになっていた。
そして、私が君枝と結婚して家を出ると、兄夫婦は年末年始には必ず子供たちのお年玉稼ぎのために実家に押しかけて長期間居座り、私たち夫婦は、年末年始はもちろんお盆も私の実家には行かなくなり、それからは君枝が思いたったように私の両親の顔を見に行こうと言わない限り、そして私も行こうという気にならなければ私の実家へは行かなくなった。
父は最初の入院から数年後の朝、再び脳梗塞と思われる症状を訴えて救急車で運ばれた。
私たち夫婦は私の両親とはそんな距離にあって暫く会わないうちにさらに足が弱っていた母に代わり、君枝はアルバイトが休みの日には自宅から電車とバスを使って1時間近くかかる父の入院先の病院へ行って父の様子を見たり話し相手になったりしてから洗濯物を持って実家に行くと、母にその様子を伝えて一休みをして、洗濯済の着替えを持って病院へ戻る日々を繰り返した、私が休みの日には車で連れて行ったが、君枝はほぼ毎日のように病院と実家に行って二人の様子を伝えてくれたが、兄は月に一度ほど、そして義姉は一度も病院に顔を出さなかった。




