ヤンデレお嬢様に愛し尽くされてダメになりそう
「あきらさーん」
と甘ったるい声を出してきたのは、いつの間にか彼女になっていた穂乃華だ。
何を言ってるのかわからないだろうが、俺だってどうしてこうなったのかいまだによく呑み込めてない。
だが、穂乃華は彼女じゃないと否定しても誰も信じてくれない。
それどころか友人に至っては
「女子高生の美少女、巨乳お嬢様とか爆発しろ」
と呪いの言葉を投げてくる始末だった。
「あきらさーん?」
改めて言われて穂乃華を見る。
さらさらとした黒髪は絹のようだし、造形はモデル顔負けで、出るところは出てるのに腰はくびれていた。
おまけに実家は資産家で、人気の一等地にマンションやビルや駐車場をいっぱい持ってるらしい。
神様って露骨にえこひいきしてくるよなって思うのは俺だけじゃないだろう。
「どうしたんですか、じーっと私を見て?」
穂乃華は不思議そうに俺を見上げる。
「かわいいなと思って」
そう言うと機嫌がよくなるので、言っておく。
「やだ」
彼女はきゃっと声をあげ、恥ずかしそうに体をくねくねさせる。
かわいいとか美人とかおそらく死ぬほど言われてきただろうに、俺の一言で喜んでくれるのはうれしい。
だが、彼女はただそれだけの女の子じゃない。
「あきらさん? 何かメスの匂いがしますけど?」
くんくんと匂いをかいで、一気に冷たい顔になる。
「そりゃ通勤ラッシュだったからな……女性と密着するよ。向こうもいやだっただろうが、俺もいやだ」
電車に乗らないお嬢様には、通勤通学の地獄は理解できないだろう。
「ほんとですか?」
穂乃華は念押しをしてくる。
この子はいい子なんだけど、嫉妬深く猜疑心が強い。
「穂乃華も一回経験してみたら、あの地獄わかるよ」
うんざりして言う。
「ならいいですが」
穂乃華は表情を明るくする。
ほんと表情の落差が凄まじいなと思ってると、腕をからめとられた。
「明日はおやすみですよね? 私の家に行きましょ? ご飯作ってあげますよ?」
「それは魅力的だなあ」
やわらかい感触を味わいながら答える。
正直、仕事で疲れてるのに料理なんてしたくない。
本当なら一度カバンを置いて、そのまま最寄りのコンビニにでも立ち寄っただろう。
パンくらいはまだ売ってるはずだからな。
「ふふ、決まりですね?」
穂乃華はうれしそうに微笑む。
こうして見ると彼女は天使、いや女神だった。
俺たちは腕を組んだままのんびり歩く。
「ふふ、今日もあきらさんのソウルは素敵な匂いがします」
電波全開の発言は聞こえないフリをする。
最初は面食らったが、これは穂乃華なりの愛情表現なんだ。
「穂乃華も素敵だよ」
と言うとパーッと華やかな笑顔になる。
うん、穂乃華は本当にかわいい。
こんな子俺のどこがよかったのかなと思うが、理屈じゃないと思われることを並べられるからなあ。
俺たちが向かったのは彼女が住んでるマンションだ。
都内の大きな駅から徒歩数分という利便性、築五年以内という新しさ、防犯システムに加え、ガードマンとコンシェルジュが常駐してるという充実っぷり。
彼女が俺を連れて帰ると、体格のいいガードマンはちらりと見て素通りだ。
中に入ればきれいな女性コンシェルジュと感じのいい男性コンシェルジュが笑顔で迎えてくれる。
いったいどれくらいの家賃なのか、俺には想像もつかない。
一番すごいのは、ここは穂乃華の「所有物件」の一つということだろうか。
親から高校進学祝いにプレゼントされたらしい。
もちろん、賃貸収入はすべて彼女のものだという。
一番上の一番高く、設備もいいフロアを彼女は選択する。
「ふふふ」
「楽しそうだな?」
俺が言うと穂乃華は笑顔を向けた。
「だって週末ですもの。泊まっていけるわよ?」
「さすがにそれはな」
一人暮らしの女子高校生の家に男が泊まっていくというのは、外聞が悪い。
いくら交際中で両親は放任主義と言ってもなあ。
「あら……」
穂乃華の笑顔が消える。
これはやばいか?
「泊まっていけたらいいなとは思ってるよ、うん」
早口で言う。
「そう」
彼女に笑顔が戻った。
何が地雷になるのか、いまだによくわからないところがちょっと厄介だな。
「ご飯できてるわよ? いっぱい食べてね」
「うん、穂乃華の料理はおいしいから楽しみだよ」
俺はそう言ってキッチンに行く。
キッチンと言っても広々としたダイニングルームがついている。
測ったことはないけど、おそらく十二畳以上はあるんだろうな。
おまけに最上階だから眺望もいい。
料理が並ぶまで俺は何もせず待っているのがルールだ。
穂乃華は俺が手伝うのをかたくなに拒む。
まあ何もしなくていいってなら、正直俺は何もしたくないからありがたい。
「さあ召し上がれ」
穂乃華は笑顔で言った。
「お、美味そうだなあ」
俺はため息をつく。
肉じゃが、ほうれん草の胡麻和え、カレイの煮つけ、ハンバーグに野菜サラダ、ミネストローネという和食なのか洋食なのかよく分からんメニュー。
でも、これは俺の好みだった。
友達にあきれられようが、俺はスパゲティを食べて味噌汁を飲む男なのだ。
笑わず呆れずにつき合ってくれるのは穂乃華くらいである。
俺に言わせりゃラーメンと唐揚げも変なメニューなんだけどなぁ。
穂乃華の料理はどれも絶品だ。
店を開いても普通に繁盛しそうだ。
もっとも彼女の場合、まずは見た目だけで大量の若い男が寄ってきそうだが……。
料理を食べ終えたところで不意に睡魔に襲われる。
「ごめん、今すごい眠くなってきた……」
「そう? じゃあ仮眠をとる?」
穂乃華に助けられて、俺は横になった。
そのまま夢の世界に旅立つ。
ふと意識が戻り、同時に違和感を覚える。
手首あたりにひんやりとした感触があったのだ。
動かそうとしたがガチャガチャと音を立てて動かない。
部屋の明かりも消えている。
「あれ? どういうことだ? 穂乃華」
頭は急速にはっきりしてくる。
俺は何者かに拘束されているとしたら、彼女はどうなったんだろうか。
「あ、お目覚めですか?」
心臓が冷たい手で鷲掴みにされたような感覚は、あっさりと吹き飛ぶ。
穂乃華のいつもの声が俺の耳に届いたのだ。
ということはまさか……。
「この拘束、外してくれないか?」
「ふふふ、ダメですよ」
穂乃華は楽しそうに笑って拒絶する。
拘束したことを否定しなかった!
「何でこんなことを?」
「何で?」
俺の問いに彼女の声の調子がかわる。
「何で帰ろうとするの? 泊まって行ってと言ったでしょう? それとも誰か他の女のところに行くの?」
低く問い詰めるような口調だ。
ああ、やみモードが発症したんだな。
「そんなわけないだろ。俺が愛してるのはお前だけだよ」
「うそ、うそうそうそ」
穂乃華はかんしゃくを起したように、早口でまくし立てる。
「ねえ、どうして今日メッセージ出てくれなかったの? 九百回も送ったのにひどくない?」
面倒だったから全部無視したツケが出たか。
会った時普通だったから大丈夫かと思ったんだが、時間差で爆発するとは。
「仕事だったんだよ」
「ひどいよ、ひどいよ、ひどいよ、ひどいよ、ひどいよ、ひどいよ」
穂乃華はひどいを連呼する。
このままだと危険だから逆襲しよう。
「応対できない時に送ってくるのはひどくないのか?」
「!?!?!?」
単純だが効果はあったらしい。
「俺だって穂乃華とは話したいのに、我慢してるんだぜ。俺の都合を考慮してくれないとは、愛を疑いたくなるね」
「ごごごごごごごめんなさい」
穂乃華は一気に動揺する。
俺を本当に愛してるのか? という発言を上手くすれば、彼女には大きな効果を与えられるのだ。
「穂乃華は俺のことを愛してるよね?」
「当然でしょ? お願い信じて!」
攻守は一気に逆転した。
「信じるよ。だから穂乃華も俺を信じてくれ」
「は、はい。ごめんなさい」
穂乃華はようやく冷静になったらしく、拘束をほどいてくれ、部屋に明かりをつけてくれた。
やはりと言うか彼女の部屋だったらしい。
無駄にでかいベッドにピンクを基調とした可愛らしい雰囲気になってる。
「わかってくれたらいいんだよ」
優しく許す。
許さないとあとが面倒になるからとかは思っても言うまい。
「は、はい。でも私本当にあきらさんが大好きで!」
「うん、大丈夫だよ」
本当のところ、少しも疑ってない。
俺への愛を拗らせすぎて暴走する、俗にいうヤンデレというタイプなのだろうと思ってる。
「もうずっとあきらさんと一緒にいたいくらいです」
「それは難しいんじゃないかな。俺、仕事があるし、君は学校があるだろう?」
どう言えばいいのか迷い、結局常識的なことを言った。
「あきらさんが仕事をやめればいいんですよ。私が養います」
「いや、それは……」
どうなんだろうと思う。
「私、収入ご存知ですか?」
「知らないな」
この物件だけで年収が俺よりもあると言われても驚かないが……。
「駐車場の収入が三千万くらい、家賃収入が八千万くらい、あと株の配当収入もあります」
さらりと一億越えって言われてしまった……。
彼女はじっと俺を見つめてくる。
「それに二十歳になったら資産管理会社の役員になっておこづかいが年収二千万くらいだって父と兄が言ってます」
おこづかいが年収二千万かぁ……俺の五倍以上じゃないか。
これだから世の中ってやつは。
穂乃華が悪いわけじゃないけど、腹立たしくなってくる。
穂乃華は俺の顔を自分の胸に押し当ててきた。
やわらかいしいい匂いがする。
「あきらさん、疲れてるでしょう? 働かなくても平気ですよ。ね?」
甘い声で囁かれた。
「一生面倒見ますから。父に頼んで報酬を払ってもらいますからね?」
正直グラっとくる。
「でも働かないとやることが」
毎日何をすればいいのかわからない。
「そんなの私とイチャイチャすればいいじゃないですか」
穂乃華は即答する。
「毎日私とイチャイチャして、年収一億ですよ?」
それはひどい……もといひどい。
胸をムニムニ押し当てられ、手を太ももに置かされて、だんだんとどうでもよくなってきた気がする。
「朝はゆっくり寝て、料理はシェフに作ってもらって、家事はハウスキーパーにお願いするんですよ?」
完全にダメ人間まっしぐらな生活になりそうだ。
何せ本当の意味ですることがない。
「ねえ、仕事辞めましょ? 全部私に任せてくれていいんですよ?」
穂乃華は甘く囁いてくる。
俺を堕落させる気満々だ。
俺の理性はいつまでもつだろうか……。