そんな6話 「襲来っ、侯爵家の長兄」
小鳥のさえずる声が意識を覚醒させる。
薄く目を開けると、朝の陽ざしがまぶしい。
今日もいい天気だ。
よし、外に行こっと。
思いっきり伸びをして、寝間着から男性服に着替えれば、ちょうどいいタイミングでバートフが現れる。
コンコンコンと軽妙なノックが部屋に響き「どうぞ」と一言告げれば、朝食前のお紅茶を一杯淹れてくれる。
少し熱めのお紅茶で喉を潤すと、幸せの吐息が漏れる。
──美味しい。ダージリンだね。グレードはFTGFOPかな。
ファイネスト・ティッピー・ゴールデン・フラワリー・オレンジ・ペコーだ。
きっとそうだ、と、一人で納得すると、得も言われぬ高揚感に包まれ、にやりと口角が上がる。
(どやぁ…)
でも、本当に合ってるかはわからないから、口には出さない。
謙虚なんだ、ぼくは。ふふふ…。
そんなぼくを柔らかな微笑みで見つめるバートフ。
やだ、実はあまり詳しくないのがバレちゃってるのかな。
「お嬢様、朝食の準備ができております。お早目にお越しください」
「うん、わかったよ」
これが毎日のぼくの朝。至福のひと時だ。
水場で顔を洗い、朝食をとりに食堂へ向かうと、半年ほど前から居ついている客人が席に座って待っていた。
彼女…いや、彼の食事は一切手をつけられていない。
待たせちゃったかな。
「おはよう、魔王ちゃん」
「おはよう、クランキー」
ゆったりとした足取りで自分の席に着く。
「いただきます」
少し冷めた朝食は、ブレッドにレタス、ハムエッグ。
黄金食だ。
朝は食べなくてもいいんだけど、絶対に食べてくださいとバートフに念を押されている。
寝起きと違って、ぬるめのお紅茶を淹れてもらい、少しずつ食んでいく。
ぼく以上にゆっくりと優雅に食べているのが、意外にもクランキーだ。
そのゴリラみたいな見た目と違って、さすが人生経験が豊富だけあり、テーブルマナーも完璧。
毎度の食事をひと噛みひと噛み味わっているのが、見ている側でもわかる。
「坊ちゃま、人の食事をあまり見てはいけませんよ」
「あ、ごめん。クランキーがあんまり綺麗だから」
あ、言葉が足りなかった。
「んマッ! アタシが綺麗だなんて、さすが魔王ちゃんだワっ!!!」
急に素が出たように、口からパンくずを吹き出す喜色満面のオネエを見て、ぼくは失敗したと頭を抱えた。
食事を済ませ、今日は何をしようかなと考えていると、バートフが今日の予定を告げてくる。
「坊ちゃま、本日は朝から来客がございます。
恐らく、1時間ほどで到着されますので、お気持ちを整えておいてください」
バートフの告げる予定は、彼がどこからか集めてきた情報で構成されている。
その情報の精度は高く、相手側にトラブルが発生しない限り、外れた事はない。
ほとんどの場合、あらかじめ誰々が訪問しにくるといった使者は、ほとんど来ることがない。
好き好んで魔王などという悪評のある女に会いに来る事はないだろう。
仮にあったとしても、魔力目当ての男は近づけないよう言い含めてある。
という訳で、今回の来客は少し面倒な事になりそうだ。
「誰が来るの?」
バートフは討伐隊であれば、討伐隊だと言うし、親戚や遠戚の場合も名前を教えてくれる。
それをあえて言わないという事は、きっと面倒な相手に違いない。
「はい…。
ハルシオン侯爵家の長兄、クライヴ様です」
「クライ…ヴっ、頭が!
頭痛が痛いわ、今日は休みにして!」
大げさに頭を抱え、振り乱す。
まあ、本当に休みになる事はないから、意味はないのだけれど。
ぼくの精一杯の抵抗、意思表示だ。
クライヴ=ハルシオン。
魔力目当ての男達の中でも、特にしつこい男だ。
しかも王家に繋がる侯爵家の長兄であり、政治的な側面からも強い。
所詮、一介の上級貴族にすぎないマキアート家としては、彼と繋がりを持つ事が出来れば、大出世となる。
従って、両親は彼とぼくの接点を多く持たせようとしてくる。
要するに彼は、両親の推しなのだ。
いつから付きまとわれるようになったのかは、もう覚えていない。
正直、かなり苦手な部類だ。
「坊ちゃま、申し訳ございませんが、それは致しかねます。
さ、お覚悟なさいませ」
ああ、バートフも敵だ…。
逃げるのは簡単だ。
しかし逃げれば捜索されてしまうし、バートフから逃げ切れる気はしない。
「んふゥ、楽しみネ」
一人、無関係を装っているオネエ。
他人事だと思って…と無性に腹が立つ。
邸宅内で会うとなれば、男装しているのはマズい。
男装がバレてしまっては、今後の外出に差し支える。
ローウェルは、なぜかぼくを女だと見破っていたが…。
多分あれは、ぼくの髪が乱れて、女っぽさが出ていたんだろう。
最近のぼくに女っぽさがあるかと言われると…何も言えなくなるんでやめてください…。
あっ、そうだ。彼はどうしようもない女好きなのかもしれない。
故に女性をかぎ分ける嗅覚が優れている、と。
もう、ローウェルのスケベ!
勝手に生まれた自己嫌悪を、勝手にローウェルのせいにして自己解決。
ぼ、ぼくは悪くない、悪くないよ? ぼく、悪い魔王じゃないよ。
それはともかく、ローウェルには男装の事を口止めしてあるし、口外することはない…と信じたい。
そんなことより、あと1時間以内に、淑女の格好をしなければならない、というのが目下の問題点だ。
慌てて部屋に戻り、男装を解く。
淑女の礼装というのはとにかく手順が多く、時間がかかる。
本来なら召使い達が大勢で手伝って30分というところなのだ。
外面だけでも整えなければ。
「んフ。お手伝いしましょうか」
コルセットを巻いていると、オネエが現れた。
そうだ、クランキーは化粧の達人だ。
「ごめん。ぼくも動きながらだけど、化粧をお願いしてもいい?」
「まっかせなさァい♪」
バタバタと服を着替えるぼくを、意に介す事もなく素早く化粧を整えていくクランキー。
うわぁ、さすがは達人だ。
召使いに任せたら、動きながら化粧だなんてとてもできない。
「"お嬢様"、クライヴ様が客間にてお待ちです」
二人きりの時以外では、滅多に呼ばれないバートフの"お嬢様"呼び。
クライヴはもう来ているらしい。
「ふわぁー! めんどくさい!」
大慌てで外面だけ整えたぼくは、客間に向かう。
深呼吸し、マキアート家の令嬢に相応しい体面を繕う。
(ぼくはマキアート家の令嬢、ぼくはマキアート家の令嬢…。
そうよ、リプリシス。仮面よ、仮面をかぶるのよ…)
白目になりそうな自己暗示をかけながら、客間の扉を叩く。
「リプリシスですわ」
ぼくが名乗ると扉が開いた。
あら、いつの間に自動ドアになったのかしら。なんちゃって。
扉を開けたのはクライヴの近衛騎士。
ソファに腰かけていたクライヴは、ぼくの姿を見るなり立ちあがる。
姿勢が正しい。さすがは侯爵家の跡取りだ。
「リプリシス、会いたかった」
ぼくは会いたくなかったよ。
引きつった笑顔で対応するぼく。
ダメよリプリシス。仮面よ、仮面をかぶるのよ!
「…クライヴ様、このようなへき地にようこそおいでくださいました。
本日は何の御用でしょうか?」
どうせ求婚だろう。さっさと断って帰ってもらおう。
「…まあ、座って話そうじゃないか」
意外にも、沈痛な面持ちでクライヴは言った。
いつもの彼と違う対応に、面食らったぼくは言われるがまま、彼の対面に座った…。
* * *
執事のバートフに案内され、客間で待っていると、どたどたと激しい足音が聞こえてきた。
ああ、彼女だ、とわかると思わず頬が緩む。
彼女は頑張って淑女たらんとしているが、僕にはお見通しだ。
近衛騎士に目くばせをして、扉に前に立たせる。
連れて来た近衛メイドも気付いているのか、僕の姿を再度チェックしてくれている。
僕も精一杯、格好つけなきゃな。
扉を優しく叩く音が聞こえた。
「リプリシスですわ」
続いて彼女の儚くも美しい声が聞こえる。
ああ、この声は、小鳥のさえずりか、あるいは妖精の笑い声か。
僕の心を、ある感情でいっぱいにしてくれる声だ。
近衛騎士が扉を開け、ガチガチに緊張した彼女が現れる。
「リプリシス、会いたかった」
僕は思った事を素直に告げる事を美徳だと思っている。
もちろん、それは淑女たらんとしている彼女に「無理するな」という無粋な声をかけるという事ではない。
本人が努力している事を「やらなくていい」と告げるのは美徳ではない。
単に失礼な者の言う言葉だ。
「…クライヴ様、このようなへき地にようこそおいでくださいました。
本日は何の御用でしょうか?」
立ったまま彼女が言う。
その声をずっと聴いていたい。
耳元でささやいて欲しい。
そんな気分にさせてくれたが、今日は少し厳しく話さねばならない。
「…まあ、座って話そうじゃないか」
彼女は僕の雰囲気を察したのか、素直に対面に座った。
さすが聡い女性だ。美しいだけではない。
「リプリシス。キミは、魔王と呼ばれているんだってね」
そう言うとリプリシスはあからさまに嫌そうな顔をした。
「ちまたでは…そう呼ぶ者達もいるそうですわ」
否定はしない、か。
「非常に暴力的な方法で貴族達を追い返している、とも聞いている。本当かい?」
「そんな事は、ありませんわ」
彼女の顔色が少し青くなる。
なるほど、心当たりアリ、と…。
「魔王は無詠唱で魔法を使うそうだね」
「言い過ぎです。私も魔法を使う時は詠唱します」
これは…嘘ではないみたいだな。
「リプリシス」
「はい」
思い切って言ってみるか。
「僕は今回、キミの悪い噂を聞いてきた。
魔王として君臨し、世界を征服しようとしているだとか。
各貴族の顔に泥を塗ってまわっているだとか」
「………」
半ば諦めたような顔をしているな。
「なあ、この噂は嘘なんだろう?」
「はい」
即答か。
やはり噂は噂に過ぎない。
なら、僕が出来ることで彼女を守るしかない。
「わかった。リプリシス、改めて言おう。
僕と結婚して欲しい」