そんな5話 「リプリシスさん18歳」
冬が来た。
避暑地として使われるこの辺りの冬は、とても厳しい。
乾いた風が湖で冷やされて、体温を一気に奪ってしまう。
湖面にも氷が張り、寒さをいっそう引き立てる。
冬場はどこにも出られない。
そんな環境だけあって、討伐隊も来客もなかった。
まさかこの環境が、さらに魔王の噂を助長しているとは、当然思いも寄らなかったのだが…。
実害はあまりないので魔王と呼ばれることにも、もう慣れたものだ。
魔王だなんて呼ばれても、実態はただ魔力が多いだけの娘。
家にしてみれば有力貴族に対する有利な駒として使われるだけだ。
昔はみんな、ぼくの味方だったんだけどな。
それは幻想の一幕。
魔力という貴族にとって不変の価値を持つぼくを、蝶よ花よと持てはやしていただけだった。
遠い思い出だ。
もし、ぼくに魔力がなかったら。
魔力のない異世界に転生したら。
ぼくには、何の価値も残らない。
ぼくは、なんなんだろう。
「坊ちゃま、お紅茶です」
「あ、うん、ありがとう」
バートフが温かい紅茶を淹れてくれた。
少し口に含むと鼻を通り抜ける芳醇な香り。
喉に程よい熱が通り、身体を芯から温めてくれる。
アールグレイかな、でもなんか、ジンジャーっぽい。
「ンアアッ! これはアールグレイだわ。ジンジャーも入れてあるのネ」
心底感動したような、でもなんだか小馬鹿にしたような歓声をあげたオネエゴリラが、ぼくと同じ感想を口にする。
「クランキー様のおっしゃる通りです。
身体が温まる組み合わせでございます」
そうか、やっぱりそうだったんだ。
言えば褒めてもらえたかもしれないのに。
言えなかったよ。
このオネエゴリラことクランキーは、あれ以来ずっと住み着いている。
たまにバートフを見る目がアブナイぐらいで、危ない事は特にないし、外出時の護衛を買って出てくれたりしている。
護衛はいらないと言ったんだけど、バートフが「護衛は常々必要だと考えていた」とかいうもんだから、勢いで決まってしまった。
その旨は実家…マキアート家にも伝わっていて、仕送りも増えたらしい。
ごめんなさい、お父様、お母様。
勝手にゴリラが住み着いたんです…。
それにしてもこのクランキー。
出自は語らないので不明だが、やけに知識が豊富だ。
一般人が知る事はないであろう貴族の礼儀作法に始まり、化粧方法、難しい衣装の着付けといった格式の高い知識から、もはや道楽のレベルを外れた味覚と知識を持ち、果ては未開の地や傭兵の流儀に至るまで、ありとあらゆる情報を持っていた。
もちろん戦闘センスも優れており、バートフをして「相手をしたくない」と言わしめる程である。
運動になるからという理由で鍛えてもらった事もあるが、教え方も上手で、非の打ち所がない。
そう褒めてみれば「神様はアタシに弱点を作ったの。それが、この身体よ」と言われた。
なるほど、心は女って…。
マジかぁ…。
また、年齢についても聞いてみたが「乙女のヒ・ミ・ツ」と言われて教えてもらえなかった。
乙女って顔じゃないでしょうに。
弱点はどうした。
* * *
月日は流れ、冬の厳しさがぐっと強まる日。
ぼくは18歳の誕生日を迎えた。
邸宅内部での、ささやかな誕生パーティー。
貴族に煩わされることのない、気楽なパーティーだ。
バートフとクランキーが二人して豪勢な料理をこさえてくれる。
「残らないようにしてよー?」
ぼくは貴族が大量に作る料理が嫌いだった。
絶対に食べきれない量を作るのに、捨てちゃうんだよ。
「はい、坊ちゃまの仰せの通りに」
「任せて、魔王ちゃん!」
厨房から二人の声が聞こえ、わくわくした気分で料理が並ぶの待つ。
そういえば、両親からの手紙や伝言などはない。
18歳。
それは貴族としては行き遅れにあたる年齢だ。
早ければ3歳で婚姻を結ぶこの国では、遅くとも15歳までには伴侶が決まる。
魔力が少ないとか、性格に難があるとかの理由で行き遅れたり、バツがついたりする人物が現れるのが18歳。
少なくとも、ぼくはぼく自身の性格は変だと思っていないし、魔王と呼ばれるだけの魔力もあると自負している。
未だにやってくる貴族や討伐隊もいるし、ぼく自身の魅力はあるようだ。
ぼくは行き遅れとは違うんだ、早く恋愛がしたい。
幼い頃に聞いた、お父様とお母様の大恋愛ストーリー。
それがぼくの憧れであり、理想であった。
平凡な下級貴族であったお父様が、優秀なお母様を娶る為に奔走する壮大な物語。
ぼくにとって、菩薩のようにお優しいお婆様は、当時は鬼のようだったのだとか。
お父様とお母様の仲は引き裂かれ、お母様はお父様を追い、マキアート家を出る…。
二人がすれ違ういくつもの旅路、危険な戦い。
南方の大陸でついに再会を果たす二人。
紆余曲折あって、お父様の説得を受けたお母様は、生まれたばかりの兄を連れ、マキアート家に戻る。
お婆様は、お母様が心配で憔悴しきっていて、二人と兄の姿を見て涙を流して喜んだのだとか。
そうして仲直りしたお婆様とお母様。
お父様は入り婿となり、マキアート家当主として今も働いている…。
くぅぅ~~~っ!
まさに、身分の差を超えた、大・恋・愛!
ぼくは身分差が欲しいとまでは言わないけど、ぼくの為に全てを捨ててくれるような男性と、大恋愛がしたい!
…あ、でも、お母様がお父様と結婚したのって16歳の時だっけ…。
ぼくは、特に恋愛する相手もいないまま、18歳だ…。
うーん、このままじゃまずいかも。
そろそろ妥協を考える歳なんだろうか。
でも、好きでもない人のところには行きたくないなぁ…。
「は~~い、お・待・た♪」
テーブルには、いつの間にか料理がそろっていた。
「凄い!」
量そのものは、ぼくのお願いした通り少なめだが、種類が豊富だ。
米料理、海鮮料理、山菜料理、肉料理…。
それに見た事もない綺麗な見た目の料理。
料理…なのかな、もやしを綺麗に整えただけに見えるけど。
うん、きっと料理だろう。
そして中央に置かれた箱。
あ、これはわかっちゃうな。ふふふ。
「あ、でもこんなに量を作っちゃって、冬の分は大丈夫?」
「もちろん、ぬかりなく」
「さすがバートフ!」
クランキーが箱を開け、中からケーキが現れる。
「お誕生日おめでとう、魔王ちゃん」
「坊ちゃま、お誕生日おめでとうございます」
「ありがとう、二人とも!」
今年もいい一年になるといいなぁ…。
* * *
湖畔に佇む邸宅。
ここはマキアート家の避暑地としてよく使われた場所だ。
今はまだ肌寒い春。
にも関わらず、騒がし気な人の気配がする。
清掃を行っている召使いだろうか。
あるいは邸宅の管理を任されている者かもしれない。
否、どちらも違う。
今この屋敷に住んでいる者は、世間を騒がせている魔王…。
リプリシス=マキアートだ。
僕は侯爵家に繋がるハルシオン家の長兄として、魔力あふれる彼女を娶らなければならない。
そう言われて来た。だが、それは建前だ。
風の噂では、彼女はとても狂暴になっているという。
あの優しい彼女が、そんな人物になっているとは思えない。
もしそのように道を踏み外しているのなら、僕が彼女を助けてあげなければならない。
あの時、11歳の社交界で、彼女が僕を助けてくれたように。
僕はクライヴ=ハルシオン。
リプリシスを愛する者だ。