そんな2話 「動き出す運命」
「お嬢様、そろそろお時間です」
執事のバートフが、モノクルの位置を調節しながら、声をかけてくる。
バートフは、3年前に本宅前で行き倒れていたところを助けて以来、体を張ってぼくを守ってくれている、信頼のおける執事だ。
深い青髪で落ち着いた物腰の執事は、まだ若いと思うが年齢不詳。
すらりとした体つきに、執事服がばっちり決まっている。
体つきの通り、しなやかな身のこなしで戦闘もお手の物。
独自ルートでの情報収集や、家事全般も卒なくこなす。
これだけ働いていながら常に涼しい顔をしており、この邸宅に召使いが常駐していないのは、ひとえに彼の優秀さの賜物である。
まさしく完璧超人。うーん、人間じゃないね。
「うん、わかったよ」
ぼくは男性用のカジュアルな服装のえりを正しながら返事をした。
彼が骨を折ってくれているおかげで、ぼくは男装をしての外出が出来るようになった。
家の事以外でも色々やってくれてるバートフに、感謝しないとだ。
…10歳の時に社交界デビューして以来、ずっと求婚され続けてきたぼく。
最初は無邪気に喜んでいたけど、誰もボクを見ていない事に気付いてしまった。
彼らが見ているのは、ぼくではなく、ぼくの魔力。
もう求婚を口にする男性は信用できない。
魔力目的で上辺だけの求婚に疲れたぼくは、若干男性不信になりながらも、2年前から別宅に引きこもった…という扱いにした。
本当はこうして男装しながら外に出たりしてるんだけどね。
「本日のご予定ですが、午後から討伐隊が来るそうです」
「え~…」
バートフに聞かされた予定に、思わず苦虫をかみつぶした顔をするぼく。
こんな顔してるのを、本宅にいるお母様に見られたら「淑女がどうたらこうたらー」って怒られちゃうな。
討伐隊というのは、ぼくが世界征服を企んでいるという噂が立ってから、時たま現れる"自称正義の味方"達の事だ。
もちろん、ぼくは世界征服なんて考えていない。
討伐隊は『強すぎる魔王』+『世界征服』という誰でも思いつきそうな信憑性の怪しい噂を信じて勘違いしてるだけだ。
けど、その行動が正義感からくるものなら立派じゃないかと思う。
そんなわけで、あんまり本気では相手にした事がない。
いつも通り魔力弾をぶつけて、さよ~なら~。
そんな感じで、おざなりに相手をするだけなんだけど…。
『魔王が留守』というのは、噂の真偽に関わらず世間体が悪いらしい。
バートフに口酸っぱく言い含められてしまって以来、何度となく討伐隊を退けてきた。
結局、討伐隊が来ると、邸宅を留守にするわけにはいかないので、時間に拘束されてしまうのが、嫌になるところだ。
「お任せください。いつものように、出来る限り数を減らしておきます」
そんなぼくの気持ちを汲み取ってか、バートフが頼れる発言をしてくれる。
バートフのおかげで、だいたい相手は一人になってるので、ポーンと吹き飛ばすだけで終わる。
気分も楽だね!
討伐隊をバートフが全滅させないのは、魔王の力を知らしめる為なのだとか。
正直バートフが全員やっつけちゃってくれてもいいと思うんだけど、ちゃんと効果があるらしい。
まあ、あんまり負担をかけるのも悪いかなって思うし、あんまりワガママは…。
あ、ぼく、いつもワガママしか言ってないや。
せめて、バートフが弱らせた相手に「よくぞ来た」とか言いながら、魔力弾を撃つくらいはやるべきだよね、うん。
* * *
午前中、いつものように街に繰り出した。
湖畔の邸宅からほど近い都市部は、賑やかだ。
バートフのお墨付きである男装は完璧で、誰からも話しかけられた事はない。
ぼくにとって思い入れのあるこの黒髪は、この辺りではちょっと珍しい。
でも魔力弾を撃ったりしなければ、ぼくが噂の魔王だなんて気付かれる事はないだろう。
貴族の子女ともなれば、普通は護衛ぐらい付くものだけど、ぼくには魔力弾がある。
口を塞がれても詠唱は必要ないし、手のひらさえ相手に向ければ即座に放てるし、連射も出来る。
詠唱なしで瞬時に放たれる魔力の塊は、そうそうかわせるものじゃない。
護身用の技術としては、魔力弾は最高のものだ。
もちろん高い魔力を利用する気は満々で、手当たり次第に詠唱魔法を習得した。
いざとなれば、ぼくも一人で戦えるのだ。
ただ、魔力弾は魔王の代名詞となっているらしい。
もし使うような事があれば、すぐに逃げなきゃ騒ぎになりそうだ。
…とは言っても、この2年。
ちょくちょく外出していても、今のところ危ない目に遭った事はない。
治安がいいって素晴らしい。王様の政策のおかげかな?
案外、バートフが何か手配してくれているのかもしれないけど…。
「あっ」
メインストリートに入ると、初秋の香りが、通りいっぱいを包んでいる。
深呼吸すると、ぼくの胸いっぱいに香りが広がった。
春に芽吹いた草木が、夏を謳歌し、秋にはその命を散らし、未来に種子を託す。
綿々と受け継がれる命のやり取りを、このストリートはいつも感じさせてくれる。
そうだ、うちにも花を植えよう。
帰ったらバートフに頼んでみよっと。
心が洗われ、ウキウキ気分で散策を続ける。
今日はいい事がありそうだな~。
曲がり角で、誰かとぶつかって、運命の出会い! みたいな。
そんなの、本の中だけの話だろうけど、ちょっとぐらい夢みちゃう事は誰でもあるはずだ。
なんて妄想しながら歩いていたぼくは、あるお店の前で、足が止まる。
女性用の服飾店。
(………くぅ)
ここのところ男装ばかりしているが、ぼくだって女の子だ。
むしろ、恋愛結婚を夢みちゃうぐらいには、憧れている。
ウィンドウに飾られたオススメ商品は、フリルのついた可愛らしいドレスと、シックな女性用の旅装。
きっと店内には、さらなる甘美な空間が広がっているに違いない。
(中を見たいなぁ…)
だが。
女性用服飾店は、男が入る事は禁忌とされている。
もし入れば、追い出されるか、召使い同様の扱いを受けている夫として辱めを受ける事になる。
場合によっては捕縛されることすらあるらしい。
男装はこういう時、ちょっと不便だ。
後で召使いに買いに行かせるしかない。
自分で選ぶ楽しみのない買い物は、少しだけ気分を落胆させた。
十分にウィンドウを眺めて、その場を去ろうとした時、店内から騒がしい音が聞こえてきた。
「ちょっとォ! アタシは女よ!」
「いや、あなた男でしょう!? 出て行ってください!」
突然、店内からゴリラのような男性が、ゴリラのような女性に突き飛ばされて追い出されてきた。
おお~、ダブルゴリラでお似合いだなぁ。
「アタシは心は女だって言ってるでしょ!」
「そんな事を言っても、ダメなものはダメです!」
店の前で仁王立ちする雌ゴリラ。
よよよ、と悲しみながら地面にお尻をつけ、足を両側に開いた雄ゴリラ。
いわゆる女の子座りだ。
う~ん、誰得。
この雄ゴリラは、どうやら女性用の服を買いたかったらしい。
心は女アピールをしているが、店員には聞き届けてもらえない。
ダブルゴリラを見ていると、どっちがオスでどっちがメスなのかわからなくなるなぁ。
いやぁ、面白いイベントでした、と立ち去ろうとすると、雄ゴリラに足を掴まれた。
「あイターーっ!」
急に足を掴まれたぼくは、顔面から地面にロケットダイヴしてしまった。
うぅ、ただでさえ形の悪い鼻が潰れちゃう…。
「んマッ! アナタ! 中性的でアタシ好みだわ!
ねェ、今から時間あるゥ~? あるわよねェ~! ンフフ」
「ちょ、ちょっと待って、何言ってるの!?」
雄ゴリラ、突然の求愛行動。
ああっ、足を掴んだ手が振りほどけない、何て力だ。
こうなったら魔法で吹き飛ばすしかない…!
「は、離して、くださいっ!」
思わず魔力弾を放ってしまう。
──やばっ、癖で!
詠唱して普通の魔法を使うつもりだったのに、焦ったぼくは無詠唱で魔力弾を放ってしまった。
普段から、いざという時は、それっぽい詠唱でごまかそうと考えていたのに、思った通りにはいかないものだ。
これは、ごまかしが利かない。
「ハッ!」
しかし一瞬のうちに、ぼくの足から手を離した雄ゴリラは、魔力弾の直撃をかわしていた。
ぼくの放った魔力弾が道路をえぐる。
──ウソ、かわされた!?
周囲が驚きに包まれている。
驚いているのはぼくも同じだ。
店員の雌ゴリラが目を見開いている。
あ、驚くところが違いますよね、そうですよね。
やばいかな、バレたかな?
「ご、ごめんなさーーい!!」
慌てて起き上がり、謝りながら走って逃げたぼくの横に、ついて来る存在がいた。
はい、どう見ても雄ゴリラです。
「アナタ…。
魔王ね?」
バーレーてーるーー!!
やばいやばいやばい、ぼくの平穏な生活が!
奪われてしまう!
「ち、違いますぅーー!」
「やーね! あんな魔力の塊を放てる人なんて、そうそういないわよォ~!」
雄ゴリラは、完全にぼくを魔王だと確信してる。
言葉でダメなら走って逃げるしかない。
しかし、どんなに全速力で走っても雄ゴリラは平気でついてくる。
体力が違いすぎるぅ!
街を抜け、森に入った。
たくさんの木々に隠れながら、撒こうとした。
…が、雄ゴリラの嗅覚と底知れぬの体力から逃れる事は出来なかった。
「はぁ…はぁ…」
限界だった。
もう逃げきれない。
「もォ! そんなに逃げなくてもいいのに!」
「…あ、あなたも…。
はぁ、はぁ、どうせ、ぼくの魔力が、目当てなんでしょ…」
余裕のある顔でくねくねと動く雄ゴリラ。
対して、肩で息をするぼく。
せっかくセットしてもらった髪もぐちゃぐちゃだ。
いくらなんでも、雄ゴリラに無理やりテゴメにされる初体験はイヤだー!
でも魔力弾は"見てから"かわされたし、生半可な魔法が通じる相手じゃないと思う。
バートフも思い切りが必要になる時は来るって言ってたし…!
(ごめんね、ゴリラさん!)
ぼくは覚悟を決め、知りうる限り最大の証拠隠滅魔法を詠唱し始めた。
「…大いなる光、深淵なる闇、光と闇が交わりしところに──」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! 何てモノ詠唱してるのよ!」
雄ゴリラが焦っている。
この詠唱を知っているという事は、相当魔法に詳しいようだ。
早く、早く詠唱を終えないと、とんでもない目に…!
「永遠なりし夢幻の狭間へ、我らに仇成す者どもに──」
「ちょっと待ちなさいって! 魔力がどうとか、アナタ何か勘違いしてるわよ!? アタシは男にしか興味ないんだからねっ!!」
「等しき滅びの…
…へぁっ?」
その言葉を理解すると同時に変な声が出て、溜め込んでいた魔力が一気に霧散した。
「森ごと破壊する気だったの!?
全滅魔法なんてアタシでも耐えられるかわからないんだからっ!
そんな魔法、ぶっぱなしちゃダメよっ!」
全滅魔法を耐えられる可能性があるというとんでもない雄ゴリラ。
ううん、ゴリラじゃない、この人は…。
いわゆる"オネエ"なのね…。
「…ごめんなさい」
「ま、いいわ。
それよりアナタみたいな可愛いコが、噂の魔王ちゃんだなんて…びっくりだわ!
アタシは、クランキーよ。クランキー=ミッドナイト。
ヨ・ロ・シ・ク♪」
「あ、はい…。
リプリシス=マキアートです…あはは」
これがぼくとクランキーの運命の出会い(笑)だったわけだ。
…ホントに貞操の危機だと思ったよ!
* * *
一方その頃、湖畔の邸宅前──。
「く…。
思ったより、やるようですね…」
執事服の男は、傷だらけになっていた。
魔王の執事として、常に討伐者と戦い続けた歴戦の猛者である彼が、である。
一張羅は切り刻まれたかのようにビリビリに破け、相対した相手が並の者ではない事を示していた。
「へッ、なかなか楽しめたぜ!
だがなァ、魔王だか何だか知らねーが、世界征服なんてさせねーぜッ!」
執事服の男をくだした彼は、器用に剣を操った。
とどめを刺す気はないらしい。
大勢が決したと見るや否や、決め台詞を吐いて、剣を鞘に納めた。
「…坊ちゃま、お許しください…」
力を使い切った執事服の男の意識は、静かに奪われていった…。