そんな10話 「それぞれの覚悟」
ボクはエグザス=マキアート。
上級貴族マキアート家の末弟だ。
兄と姉が一人ずついるが、兄とは6歳差、姉とは3歳差。
兄は平凡な父に似て、何でも卒なくこなす万能タイプ。
姉はふざけた量の魔力を持って好き勝手している一点特化型だ。
対してボクは、取り立てて優れているところもなく、生来ほとんど魔力もなかった。
よく「姉の搾りかす」などと悪口を言われ、平凡な兄にも劣る出来の悪い末弟と揶揄されていた。
そんなボクの人生を変えたのは、他ならぬ姉だった。
12歳にして腐っていたボクは、マキアート家の威光欲しさに近づく下級貴族の子女を手酷くフり続けていた。
そうする事で、束の間の優越感を得て、ストレスのはけ口にしていたのだ。
当然ボクを両親は目の敵にするように叱りつけた。
叱られ続け、ますます腐ったボクだったが、ある時、姉が話しかけてきて、こう言ったのだ。
「エグザス。女の子に酷いフり方をしたって聞いたけど、どんなフり方をしたの?」
それは姉にとって、ただの好奇心だったのかもしれない。
こっそりボクを救おうとしていたのかもしれない。
思惑は知れないが、ボクはこれを好機ととらえた。
どんな酷い事をしたか姉に聞かせれば、この化け物みたいな魔力を持つ姉を脅えさせる事ができるのではないかと考えたのだ。
ボクは今までにフったやり方を出来るだけリアルに、姉に実演。
途中から姉の好奇心に満ちた笑顔が消え、段々と嫌そうな顔になってきた。
そうだ、もっと脅えろ。
ボクがお前の存在のせいで、どれだけ嫌な思いをしてきたか、少しはわかればいい。
最後のフり方について、多少脚色しつつ語り終えたボクは幾分すっきりしていた。
やっと姉にひとつ勝てた、と。
だが。
「うわぁ、エグザス最低だな。
でも、それだけ色々出来るって事は、もしかしてエグザスって頭が良いんじゃないの?」
は? この姉は何を言っているのか。
何なんだ、その発想は。
そのまま押し切られるようにして、姉に物事を習い始めた。
語学、算術、礼儀作法、戦術、心理学、魔法の詠唱…。
姉の知る全てをボクは覚える事が出来た。
姉に習った魔法のほとんどは使えなかったが、あらゆる詠唱と効果を知る事で、どんな魔法が使われるのかを瞬間的に判断できる。
元々ボクは姉に勝っていた事を知る。
平凡な兄にも劣る、姉の搾りかすだったボクは、素の頭脳で姉に勝っていたのだ。
ただそれに気付かず、腐って才能を埋もれさせていただけ。
魔力一辺倒の貴族社会に押しつぶされていただけだった。
姉が出て行ってからは、父や兄により深い戦術論、政治学を習い始めた。
自分に自信が持てたボクは、乾いたスポンジのように各知識を吸収した。
ボクの成長は、知識を覚えるだけには留まらない。
得た知識や情報を応用して答えを導く、論理的思考を手に入れていたのだ。
ボクはボクの世界を変えた姉を許さない。
姉が結婚しないというなら、ボクが姉を一生捕まえておく。
ボクの人生を変えた、その責任をとらせてやる。
そう決めていたのに…。
2年ぶりに見た姉は、また一回り激しい人たらしになっていた。
ボクもお母様も姉に丸め込まれ、妙なオネエですら姉を気に入っているようだ。
ああ、姉さまはどれだけの人をくるわせれば気が済むのだろうか。
ボクもクライヴ様も、姉さまに人生をくるわされたというのに。
…
姉さまが戦争を止めるらしい。
どんな方法を取るのか、ボクにも想像がつかない。
いや、愚策はある。
愚策すぎて、無意識に考えないようにしていた方法がある。
愚かな姉さまはこの方法を取るのかもしれない。
もし…、もしその方法を姉さまが取るのであれば…。
ボクはずっと傍にいよう。
姉さまを守る、盾になろう。
* * *
「では、お母様。ハルシオン家へ行って参ります」
「くれぐれも失礼のないようになさい」
「姉さま、行ってらっしゃいませ」
翌日、ぼくはクライヴに相談する為、家を出立。
お母様と何とか和解(一時休戦?)して、マキアート家の名で馬車を借りる事が出来た。
これなら王都のハルシオン家まで、2時間もあれば着くだろう。
また、戦争になった時の為に、エグザスに後を任せて来た。
あの子はとても優秀だ。
きっとマキアート家を、お母様を守ってくれる。
だからお供はいつもの二人。
「お嬢様、お紅茶をどうぞ」
「ありがとう。
…今日はアッサムなのね」
3年前から仕え続けてくれた執事バートフ。
「弟クンも可愛かったわァん、もう、食べちゃいたいぐらいっ」
「弟は勘弁してよ」
なんだかんだでこの半年以上、ずっと行動を共にしているオネエゴリラのクランキー。
ぼくにとって頼れる二人だ。
二人がいれば頑張れる。
必ず戦争を止めて見せる。
「ねェ、リプリ。
ハルシオン家に行って、どんな事を話すつもりなの?」
クランキーが紅茶を飲みながら質問してきた。
「うん、まずは戦争に至った経緯を聞こうかな。
それから戦争の勝率が低いことと、裏切者がいる可能性について話してみる」
「信用してもらえるかしら…」
「どうしても必要なら、ぼく自身を差し出すつもりだよ」
バートフとクランキーが明らかな戸惑いを見せる。
「ど、どういうことォ?」
「お、お嬢様のお決めになった事であれば、私は、従うのみです」
各々違う反応が返ってくる。
ぼくは自分の着ている外出用ドレスに視線を落とすと、言葉を選びながら語る。
「私はね、ずっとワガママ三昧で生きて来た。
それを許してくれたのはマキアート家だよ。
お父様とお兄様がピンチだって時にまで、そのワガママを突き通すつもりはないんだよ」
「お、お嬢様…!」
バートフが感激している。
彼を感激させる言葉が出せるなら、今のぼくは何でも出来そうだ。
「…リプリ、その心構えは素晴らしいことだけどォ…。
戦争は国が、王が行うことよ。
ハルシオン家が抜けたとしても、戦争は終わらないわ」
クランキーの言う事は正しい。
でも、それも予想してる。
「うん、だから私との婚姻を盾に、マキアート家を救ってもらうの」
「それじゃ、戦争はそのままじゃない」
「…クライヴの力でも止まらないなら、最終手段があるわ」
出来ればこれはやりたくない。
ぼくはワガママだけど、一人で立っていられるほど強くはない。
でも、必要なら、やる。
その覚悟は、ある。
「…そォ。
じゃ、まずはハルシオン家ね。
しっかり口説き落としなさいヨ!」
「うん、任せてよ」
クランキーはそれだけ言うと、座席に体を預け、眠りに入った。
バートフは何を考えているのか、難しい顔をして黙りこくってしまった。
ハルシオン家に到着するまでは、まだ時間がある。
クライヴにどんな言葉で、どう説得しようか考えていると、いつの間にか眠りについていた。
* * *
夢を見た。
昔の夢だ。
ある時、ぼくが迷い猫を拾った時の夢。
その仔は、ぼくの髪よりも深い色をした黒い猫で、酷く弱っていた。
ぼくは出来る限りの看病をし、必死で回復魔法を唱え続ける。
苦労の甲斐あってか、黒猫は元気を取り戻した。
その事に大喜びしたぼくは、黒猫を飼う事にした。
名前は、黒にちなんで「ノワール」。
ノワールは頭が良くて、ぼく達に迷惑をかける事は一切なかった。
手のかからない利口な仔で、猫ってこんなに手がかからないのか、と驚いたものだ。
おとぎ話によると、猫は100の命を持っていて、飼い主の命を救ってくれるという。
その中でも黒猫は特に強い力を持っていて、一生を飼い主と添い遂げるという話だった。
しかし、所詮はおとぎ話。
ぼくが13歳の時、ノワールは野犬だかタヌキだかに傷を負わされ、その短い生涯を終えた。
悲しかった。
何度、回復魔法をかけても、失われた命は決して戻らない。
不格好なお墓を作ったが、より悲しみが増し、ただただ泣き続ける日々。
新しい猫を飼おうと言われても、そんな気にはならなかった。
二度と命など飼うものかと固く心に誓っていた。
三日三晩泣き続けた頃、ぼくに異変が起こる。
ただでさえ黒かったぼくの髪が、さらに黒く…そう、ノワールのように、残酷なまでに深く美しい黒髪が、鏡に映っていたのだ。
詠唱なしで魔力の塊を放てるようになったのは、この頃だった。
ノワールが傍にいると感じた。
ずっと一緒だと、一生を添い遂げるという話は本当だったのだと、今でもぼくは本気で信じている。
それから2年後、大雨の日だ。
ノワールの亡骸を葬ったお墓の前で、倒れている男がいた。
行き倒れのようで、暗めの青髪を持った若い男。
追剥にでも襲われたのか裸だったので、メイドを呼んで介抱させた。
彼は元気になったが、記憶を失っており、屋敷で働き手として仕事に従事し始める事になる。
この頃のぼくは、割と男性不信気味になっていたのだが、彼の事は不思議と嫌ではなかった為、無理を言って彼を専属の執事とした。
名を失っていた彼に、バートフと名を与えた。
それから3年、バートフは一度もぼくを裏切る事なく、ぼくとマキアート家に尽くしてくれた。
それはきっと、今でも変わっていないはずだ。
だから、これはきっと、夢の続きなのだ。
バートフ。
なぜ。
ぼくを捕らえているの。