雪玉
寒さは体温と心を下げる。
景色が枯れ、私も枯れる。
夏が元気なのを見ればやはり寒さのせいだ。
その他にある原因といえば恋人との別れだろうか。
そう遠くない所に住む元恋人とは街で、不意に会う。
会ったときに挨拶ができるような別れ方はしなかった。会う度に心は重くなり、枯れていった。
枯れた花は握るだけで散り散りになる。生花よりも慎重に扱わなければならない。
私は、心が散り散りにならないように家で過ごす時間が多くなった。
家にこもると心が浮かぶときがある。
電気で暖められた毛布の中。
適度な湿度が枯れた私に水気を戻す。
翌朝目覚めると毛布の中には微かな生気がこもる。
しかし、毛布をめくれば生気は逃げ私はまた枯れる。
半端に生気を感じた分、落差が大きくなり余計に辛くなる。
これを繰り返していた。
生きるためには食事をとらなければならず、こもっていては食材がなくなってしまう。
昼間に出ればいいものを、暗くなるまで外に出ることができない。誰かに姿を見られるのが嫌だった。路地を通っていくスーパーへの道は、外灯と家から漏れる光のみで、人と会うことはない。
夜遅くにできる限りのまとめ買いをして大荷物で家に戻るのだ。
大荷物と外界に疲労した私には他人の家から漏れる光が幸福に見えた。しかし、他人の幸福は毒だった。
暖かさそうな雰囲気。ひかり。
私が毛布の中でわずかしか得られない生気。
吸血鬼が太陽光に焼けるよりも生々しく私の体を痛めつけた。
逃げた先には雪があり、手を伸ばせば冷たさにふれることができた。
大荷物を捨てるように置き、清めるように手を洗った。
両手ですくって指の間に絡め、すり込むようにした。
幸福とは違う痛みに目が覚めた。
光よりも暗い雪が目に入り、家々は背景となった。
降ろした大荷物を抱えると指が痛かった。
雪をさわるのが好きだった。
霜焼けで痛くなっても触り続けた。幼い頃は母親が叱ってくれた。
降り積もった雪を握り遊んだ。玉にして投げたり、手のひらで溶かしたり。
じんじんする手を気にすることはなかった。
雪は無邪気の象徴だ。今になって思う。
雪を喜ぶのはいつも子供だし、大人は煩わしいとしか思っていない。
白といえば無垢だ。
無邪気で無垢を丸めた雪玉は子供がつくるものだ。
きっと、誰かに叱られるまで雪玉づくりをやめないのだろう。
私の手をいつも霜焼けだった。
毛布にこもる生気と食材の栄養素だけで生きていると、前向きになってきたように思えた。
外に出るのがそれほど億劫ではなくなった。
食事もただの栄養摂取ではなく味を楽しむようになった。
ただ、外出は夜のみ。
暖色に雪を照らす家々の光を遠くから見て、まだあの光の下では暮らせない、と感じた。
半端な元気のために起こした衝動だったのだと思う。
つくった雪玉を他人の家に投げつけた。
窓に、だんっ、と当たる。
何も起こらない。
住民が気にするほどの音ではなかったのだろう。
もう一度、今度は大きめのを投げつけた。
ごんっ、と当たる。
カーテンが開けられた。
明るくなる。
逆光になり住民の顔は見えない。
私は逃げだした。
家に戻ってストーブを焚いた。
達成感があった。
イタズラが成功した喜び。
久々に感じた高揚だった。
これが本格的な快復の境になったと思う。
友人たちとの交流が復活し、傍目からは心身健康そのものだった。
今まで不意に出くわしていた元恋人の姿も見ることはなくなった。
活動範囲が広がったせいだろう。
それから1か月くらい経った頃、友人と飲んだあと、家で一人飲み直すために、スーパーに寄ったときがあった。
夜9時頃。
多少の積雪で風はなかった。
そこで、知らない男を連れた元恋人に遭遇した。
何か不思議なものを見たような気持ちで、しかし、とっさに身を隠した。
気づかれてはいないようだ。
傍目から見れば心身健康であったが、快復の途中だった私の心には重い出来事だった。
また、枯れた。
ぐんぐんと正常に向かっていたものが枯れてしまった。
しばらくじっとした後、彼らの姿を探した。
彼らはレジの前にいた。
手にしていた缶ビールを手近な棚に置き、彼らを観察した。
近しい間柄に見えた。
店を出ていったので、少し離れて後をついていった。
すぐに目的地が分かった。元恋人のアパートだ。
買った物は見えなかったが、おそらく酒だ。
彼らは、私もよく知るアパートの一階の部屋に入っていき、間を置くと、電気がついた。
カッと目を見開くように雪を照らし、離れて見ていた私の水気を奪った。
どれだけ立っていたか分からない。
かがんで地面に積もる雪をかき集めた。
泥が混じり、汚くて大きめの雪玉をつくった。
部屋の窓に向かって投げて、逃げ出した。
窓に当たった音はしない。
ジュッと蒸発する音が聞こえた。