“光の庭”のうたた寝 =082=
❝ =第一章第5節_15= ; 陰山山脈の南域にて・・・・ ❞
「伺っております。 先日、宋江さまをご案内して兄と望夏邑であった折、委細は伝えております。 従いまして、兄が宋江さまと楡林を離れる際には部下の諸将に兵糧の件は申し送りしているはずです。 ご高配には、お礼の他に言葉がありません。」
「そこで、相談したい事とは・・・・・」とセデキ・ウルフが身を乗り出した。
セデキ・ウルフが話す。 一言一言に耶律康阮と康這の兄弟、セデキの重鎮であった何蕎、梁山泊を離れた宋江、呉用、燕靑の六名が車座で聞き入る。 話は、この寄り集まりの核心へと、進んで行く。 康阮と康這兄弟は車座の要であるセデキに注目している。 宋江と呉用は目を閉じ、何蕎は己の膝に目を落とし 燕靑は中央の果菜を見詰めている。 床の暖かさが腰から伝わり、体をほぐし 空気すら和らげている。
「何蕎、康阮殿が率いられる将兵は40名 康這殿も同数であったな・・・・」
「間違いはありません。 確かな武具を揃える騎馬武者の精鋭でございます。 控えの馬はそれぞれ十頭と聞いております 」
「間違いございません。 欽宇阮が20名を率いて 合わせて百名がセデキ殿、いや丞相殿のお世話を賜り、興慶にて 春まで陰住しろとの統帥が下知でございました」
「康阮殿、耶律大石統帥は厳冬の蒙古高原に居られると聞いたが 取り巻く諸将の数は? 」
「呉用殿、耶律敖盧斡の皇子である耶律楚詞さまを弟のように傍に置かれて、警護の諸将は30名。」
「それは、如何にも少ない。 オルドス以南に100名が春まで待機状態では統帥の身辺が・・・・」
「いや、宋江殿。 陰山山麓、五原北東部に砦を築き 金軍への備えに50騎が伏せております。 また、統帥の右腕である参謀 耶律時が常に20騎の精鋭を率いて長城に沿って伏せています。 また、 蒙古高原の東部で金に尾を振るタタルの虚を突いて、大興山脈に入り込めば 我らが契丹の故地。 北への回路は自ずと開けます。」と康阮が説明する。
「耶律時???・・・・確か、今 耶律時と言われたな・・・・ 確か、詩人で武将の耶律良殿の正嗣と覚えるが・・・・康這、違ったかな・・・もし そうであるならば、確か二人の兄弟がおられたはず、もし そのようでれば、 過日 俺は耶律良殿には尽くしきれぬ恩義を受けておる。 貧家の出身であった良殿が南山に入って習業を積まれて居られた時の事、 血気盛んで、宋の高官に噛みついていた俺は、官警に追われるこの身一つで南山に逃れた。 そこで 耶律良殿に襟首を掴まれ 一喝されたのだが 何も言わずに、匿ってくれた。 官警が去った後も、習業の身で己を律するもままならぬのに 密かに一月ほど庇護して下された。 以来、陰ながら武運を願っていた」
「はい、宋江さま 耶律良殿が南山にて就学されたと伺っております。 そして、耶律良殿は佞臣の耶律撒八がでっち上げた誣告の罪で慙死され、残された時、遥の兄弟を大石統帥さまが引き取られたのです。 今では、時は耶律大石統帥の片腕 そして、遥は統帥さまの親衛隊隊長と自称しておりますがが・・・・・」
「されば、三年前に金の阿骨打に囚われの耶律大石統帥殿を、居庸関の金基地から計略をもって救いだしたと聞く耶律兄弟とは、耶律良殿の忘れ形見であったか。 呉用、儂は一刻も早く 北庭都護府可敦城に向かう。 呉用と燕靑がおれば燕雲十六州に網を張る工作、先きほどの策に臍を噛む心配はあるまい。 それに、何蕎殿が通事として道案内してくれれば一石三鳥。 一には、金の間諜がうろつくこの地に大石統帥の息がかかる者は居らぬが良い。 二には、儂は北方の言葉が判らぬし西夏語も話せぬ。 三には、無聊な時を過ごすのは、性に合わぬ。」
「ハッハッハー、宋江殿 この拙宅の居心地は さようなほどに悪かったとは思いも至らなかった。 何蕎、大石統帥殿への手土産が揃い次第にご案内致せ、文も認めておく。 ついでに、鳥海のチムギに送る衣裳も準備させておく。 さて、話は思わぬ方向に進んだが、康阮殿、康這殿、呉用殿に燕靑殿 無頼の統領は相愛のお人に会いに行くそうな、話をすすめよう」