“光の庭”のうたた寝 =080=
❝ =第一章第5節_13= ; 陰山山脈の南域にて・・・・ ❞
談笑する七名、セデキ・ウルフ宰相を円座の核として胡座に座す宋江、呉用、燕靑に何蕎、耶律康阮、康這。 ウルフの執事を務めていた何蕎以外の五名は西夏国が初めての訪問である。 この地の印象などを交えて談笑している内・・・・
「別の話だが、何蕎。 昨日、そなたが帰った後 日暮れ前に蘭州手前の白銀から欽宇阮殿の文が届いた。 文によると、史孫勝が率いる公務の隊商が襲われ、応戦。 襲ったのは吐蕃のあぶれ者十数名だと言う。 欽宇阮殿は難なく、彼等を取り押えた。 襲った首領から聞き出した話しとして、祁連山脈の南麓にある哈垃湖畔に吐蕃兵が集結しているとの事。 その手先として、彼等は西夏の隊商を襲っていたと言う。 また、吐蕃の兵団が祁連山脈を縦断して、哈垃湖の北に位置する酒泉の城郭を落とす侵略を謀ろうと行動していると言う。 吐蕃兵の兵団は、酒泉を蹂躙した後に、阿拉善砂漠を北上 我らが西のアラシャン王府をも馬脚で踏みにじろうとしているらしいとの事だ」
「欽宇阮殿が率いる20名の勇者が隊商の護衛に就いていようとは、西蔵の山猿どもには思いもよらぬ凶事であったろう。 今朝ほど、参内されて、英主の崇宗 李乾順王にこの事件の顛末をご報告されてきたわけですか」
「四五日前から、宋江殿の意向と耶律大石殿の意向に沿う善策を考えて続けてきた上での欽宇阮殿の文、王宮からの帰りにその善策が閃いた。 そして、この部屋に足を入れた瞬時に 呉用殿と康阮殿の・・・・・失礼、そのご立派な髭、 いや ・・失礼。 我等ウイグルの民は髭の長い者は民を導くウラマーと申して、尊敬するのだが・・・・・ お二人と目を交わした瞬間に確信に変わったのです」
「・・・・と、もうされますと・・・・・」合い似た二つの髭面に白い歯が視え、その髭の上の目が視線を交わした大きな目玉が四つ セデキ・ウルフに釘付けになった。
「順序として、欽宇阮殿がなぜ蘭州手前の白銀に居られるか説明し、その後に 耶律康阮殿や宋江殿と相談したき事をお話ししたい。 まず、欽宇阮殿と20名の諸将の事だが、康阮殿と康這殿は何蕎の口から聞き及んでおられると思うが。 この興慶で金の密偵から身を隠して蒙古高原に春が訪れるまで陰住するよりも旅に出て精気を養う方が良策と判断致した。 幸い 公務を請け負う史孫勝の隊商が武威に向かうとの話に、その護衛で旅されれば如何かとお話ししたところ、喜んで出立された。 勿論、これらの事は、機敏な若者 石隻也と申していたが、燕京より我が従兄弟の石抹胡呂の文を携えて 北庭都護府に向かうと途上に立ち寄った時、大石統帥への文にて 委細は伝えているが」
「石隻也が燕京より運んで来た文は二通あった。 一通はいま申した石抹胡呂の文で阿骨打の後を継いだ呉乞買・太宗の風説と妹のことであったが、他の一通は安禄衝殿からだあった。 安禄衝殿は燕京のイマーム=指導者=、私と安禄衝殿とは国境などには関係されない同行の志なのだが、その文には耶律大石統帥殿と梁山泊の宋江統領殿がマフディー=救世主=であると記されてあった。 また 宋江殿が梁山泊を離れ、大石統帥の下に向われるであろうとも記されてあった。 愚かにも、宋江統領殿と大石統帥殿が 我らが王国の教王であることをこの時 初めてしったのじゃ・・・・
重ねて申すが、そうであったかと耶律大石統帥の心にあるものが視えた。 聞き知っていた余人では及びもつかない大石統帥の戦略の妙、天祚皇帝への対応の源泉が何処にあったのか・・・・・また、宋江が漢南の民を指導された由縁も・・・・・」
「梁山泊の天機星 諸葛亮孔明もかくありと言わしめる軍師呉用殿が、大石総師の成されようとされている夢 新しき王国建国の為に この地に参られたのである事はこの場の全員が弁えているはず。 今 申したように、燕京のイマーム安禄衝尊父の文を読むまでは宋江殿の事も、大石統帥殿の事も知らなかった。 ザラスシュトラが唱導した光の王国を開闢せしめようとする同志であるとは夢にも思わなかった。 私はマニのウラマーにすぎず、 まして 西夏国に居座る井の中の蛙。 安禄衝尊父のようには世界が視えぬ。 しかしながら、一見した折から 康阮殿と呉用殿はカーディー=裁判官=であるように見受けられるが・・・・・」