“光の庭”のうたた寝 =005=
❝ =第一章第1節_05= 遼王朝崩落 ❞
天慶5年(1115年)、耶律大石が28歳の折、科挙で状元となって翰林院へ進み 翌年より遼興軍節度使を歴任していた。 この時 平州(現在の河北省盧竜県)で大石はこの兄弟と会った。 母方の伯父が跡目人として兄弟を見守っていた。 大石の母が耶律時の聡明さと豪胆さを何時も口に登らせていたのである。 兄弟は契丹人として、有史以来 初めて科挙の状元を得た同じ家系 しかも さほど年の差が感じられない大石の素行に信服し、以来 離れようとしなかったのである。
眼光鋭く、四辺を見渡しながら牛車の歩みに合わせて駒を進める耶律時に「水場を求めよ」と大石の指示が飛ぶ。 直ちに 二騎が先駆けをした。 指物旗はない。 陰山を遠望するゴビ砂漠の南周辺地帯。 初秋とは言え、日中は暑く 日を遮るものとて無い荒野の逃避行は蝸牛の歩み。 帝都を離れ 早 20日は過ぎていた。
「時よ 一息入れよう」 「おお、緑に囲まれた水場、極楽 極楽、 秦王殿下 はようこれに 皇后様も…」
「耶律尚殿はどのあたりに居られましょうか 」
「千余の軍勢を率い、皇后様と殿下の身の回り品の運搬 容易には動けまい、燕雲十六州を通り来るゆえ、時が掛かろうが かの地には耶律尚将軍の身内も多い 」
「して、今宵は・・・・」 「この緑を追って 駒を進めれば蒙古族に出会えるかも知れぬ、 緑があれば水もあろう 」
「秦王殿下 道のりは半ばをすぎました。 今宵も夜空が美しゅうございましょう。 さぁ 出立で御座りますれば、御車に 」
「余も 馬でいきたい 」
「なりません、いまだ 日が きっう 御座います」
「時、 殿下を抱き上げ 抱いて行くがいい、 蒙古が言う“青い郷”(現在のフフホト市、中国名=帰化城)の近くであろう。 危険はあるまい」
海河の南 奇岩 剣のように立つ深山の山間、眼下に渓谷の水が緩やかに流れるのが見える。満月が険しい岩稜の獣道を下る若者の足元を照らしていた。 鍛え抜かれた彼の肉体はしなやかに、飛ぶように、岩稜を走る。昨夜、この若者は師の庵に呼ばれた。 師の名は慧樹、禅僧・慧樹大師である。武術の師でもあった。
膝を着く彼に 師は優しく言葉を掛けている。月明かりが煌々と庭の静寂に溶け、師の柔和な姿を照らしていた。
「楚詞、汝には 教えるべきことは全て授けた。 我が教えをよく聞き、よく励んだ。 ここに文がある。 安禄衝殿からだが 昨日、届いた 」小柄な慧樹大師の声は途切れることなく 耶律楚詞を 穏やかに包む。
「耶律大石殿が秦王殿下と天錫皇帝の皇后・蕭徳妃を擁されて天祚帝皇帝の下に向かわれたとしるしてある。汝は天錫皇帝が病死されたことは知っておろう。 安禄衝殿は不審を抱かれておるようすだが・・・ 」 一呼吸を置き、師はやや声高に成り、その声が静寂の中に波紋を広げる。
「愚僧も迂闊であった。 汝が秦王殿下の従弟であったとは、この文が教えてくれたわ。 安禄衝殿は大石殿から汝を預かり、この霊幽に寄越したのはこの時を考えた深謀であろうか。 ご子息、安禄明さまの入地恵かも知ぬがのぉ 」大師の声は 高ぶりが消え 目には愛弟子を厭う 喜びがある。
「汝は 大石殿の避難行を知った以上 我が教えを聞くどころではあるまい、また 汝の従弟である幼き秦王殿下の事が気掛かりでこの庫裏にはおれまい。 先にも話したが、汝に教えるべき術はもはやない。 明日からは汝自信が励み、我を超えよ 」 いつしか、 満月に一条の雲が掛かり、師の声はくぐもりがちに成った。
「文から察するに、大石殿は燕京から北に走り、居庸関・長城を超え西に向かわれたもよう。 陰山までは安全とは言えぬが 砂漠を皇后様や秦王殿下を擁護しての旅は困難を伴っていようが、あえて 少数にて無理を押しておられる逃避行、勝算あっての策と思われるが、汝の存念は如何であろうか、存念を言うがいい 」
《身を偽っていたこと 申し訳ありません・・・・・・・》
「・・・・聞かぬことに 答える者などおるまい。 それより 汝 如何にする」
「明日早朝に下山致したく思います。 洛陽の手前で黄河を渡り、山越えの道を早掛けすれば 五日で大原。 大原から大同までは三日もあれば着きましょう。 なれば、陰山は目と鼻の先でありましょう。耶律義兄には包頭あたりでみまえることが出来ると思います。五原へは、さほどの道程は残っておりませんが。 」
「よくぞ申した、汝の足は健脚の倍、 だが、かの地は宋や金が目を光らせておる。 明日 文を持たせる。 事あらば、黄河の渡りや大原の霊厳寺 大同の華厳寺にて見せるが良かろう。 くれぐれも無理は致すな よいな 我が衣を身に着けていくがよい」