“光の庭”のうたた寝 =040=
❝ =第一章第3節_09 五原脱出 ❞
1123年、夏の蒸し暑さが終わるころ 阿骨打は逃亡した遼の天祚帝を追撃する親征の軍を発した。 長春、通遼を経過して瀋陽へと軍団を率いて南下して行った。 瀋陽から西に向かい、朝陽に抜け赤峰へ、シュリンゴロの大草原南縁を西走すればウランチャブ(鳥欄察布)に至る。 万里の長城が遼寧・虎山から発して東に向かい、燕雲十六州を北方からの侵略からの燕雲十六州を守り、オルドスを横断している。 瀋陽の南あたりから阿骨打の親征軍が進んでいる行軍路は長城の北側を平行して西行する経路を執っていた。 長城の丘陵地帯が高度を無くして蒙古高原が広がり始める地帯である。
草原の道である。 もはや 阿骨打皇帝が支配する地域であり、通過する村落の長たちが献上品を差し出し、伽する娘が絶える事はない安全この上もない進軍路であった。 少数精鋭で天祚皇帝を討ち取り、雪辱を与えた上に西夏に金の武力を誇示しようとする進軍は誠に容易で、戦場に赴く気配はなかった。 しかし、阿骨打の親征軍が部堵濼(ウトゥル、現在の阜新市付近)に差し掛かった9月中旬、進軍は停止した。 阿骨打帝が体調を崩したのである。 その事は、極秘にされた。 秘密を維持する為に伽する女性は隔離された。 親征軍の行軍であり、占い師を兼ねる医術師が二三名同行している。 だがしかし、彼らで処置できる病ではないようである。 回復祈願の祈祷を執り行う事はできない。 自領内とはいえ、宋や西夏の密偵の眼を防がなければならないだ。
草原地帯に二千名近い完全武装の軍団が野営している。 遊牧民は家畜のえさを求めて移動する。 彼らを母体にする騎馬軍団は、羊などを帯同して進軍するゆえ、水さえあれば兵糧の心配はない。 だが、予期せぬ停滞は八日に及び、軍団の中心に立てられている大斧が槍飾りである阿骨打皇帝の御霊も移動する事がなかった。 旗印である御霊が背後の大ゲルを守っているようであった。 しかし、九日目の9月19日 阿骨打の御霊が倒され、四名が一団となった騎兵が四方に走り去った。
耶律時が居庸関営北溝村を離れたのは二日前のことである。 彼は北遼の旧臣・耶律喜孫が得た≪阿骨打皇帝の親征軍が部堵濼で進軍を止め、留まっている≫情報の確認に街道を早駆けして来た。 昨夜は承徳城と朝陽城の中間であろう凌源邑の交易宿に泊まり、風聞を探った。 時は昨日の昼前には朝陽城を通過し、阜新城の交易宿にて金軍が進軍せずに野営しているとの噂を確認している。 今朝早く阜新城を出立し、瀋陽への街道を東に急いでいた。 部堵濼へは愛馬に鞭打てば6時間程度の襲歩で到達できるであろうと草原の道を快走して行く。
時が進もうとする街道を金軍の将兵が遮断していた。 金の伝令を装う時は、襲歩で金軍の集団に分け入った。 が、忽ち 五六騎の将に取り囲まれ 問答無用でおしかえされた。
「伝令、この状況下、 誰も そのほうが伝えようとする伝事を受ける者は居るまい。 伝令の任に就いていようとも これ以上進めば矢が迎えるぞ。 文があれば置いていけ、無ければ去れ」
「将、何か変事が・・・・・」
「伝令がごとき下郎、直ちに去れ!!!!」
しかし、この厳重な構えは何なのか・・・・・・・ 諸将は軍旗を翳していないが・・・・・ 時一人では、成すすべが無かった。
中秋の満月が天空にあり、肌寒い空気が五原の耶律大石統帥が書院を凛然としていた。 いつもの面々が車座である。 耶律楚詞、耶律康阮兄弟、欽宇阮、苞力強、耶律化哥の顔、耶律時兄弟の姿が見えるのは久しい。 耶律巖、耶律磨魯古、石隻也、曹舜、畢厳劉、何蕎兄弟に石チムギ等々が胡坐をかいて外側の円陣を作る。 大石は事あるたびに全員を招集し、些細な事すら相談する。 相談するというより問題を提示して彼らの解決策を汲み上げるのである。 大きな太陽が葦原の海に沈む前に、耶律時と遥の兄弟が駆け込んできたのである。 二時間ほど前の事であろうか、大石は耶律楚詞と共に時の報告を聞き、同士幹部に召集をかけていたのである。
「さて、まず時の報告を聞いてもらいたい」 と大石が口を開き、「先遣隊の第一義である阿骨打の動向について時に話してもらい、我らの計画実行に齟齬が来たさないように話し合いたい・・・・・・」
「居庸関営北溝村に隠居する耶律喜孫が、『阿骨打親征軍がウトゥルで進軍を止め、留まっているらしい』と齎した情報に基づき、確認に向かいました。 しかし、ウトゥルには近寄れずに追い返されたのです。 警備は厳重なうえ、緊張した雰囲気が漂っておりました。 近隣の村落での風聞を探ったところ、軍団がウトゥルに幕営した翌日から伽する女性の数を増やし、七日目には伽の女性を求める事は無くなったと。 9月17日のことです。 また、それまでに阿骨打の移動宮廷に出向いた女性は帰ってこず、拘束されたか殺害されたかの噂が広まっておりました。」
「私は、帝都にて禄明様を通じてご尊父の安禄衝さまに城に居る官人が動向を探ってもらいました。 さすれば、金になんらかの変事が生じたのであろうと思われる動きがあると申されていた。 その顕著な動きはとは、宋が燕雲十六州の完全な奪回を目的とする軍団を北上させようとしていることです。 勇将の郝仲連が数万の軍勢数万を率いる遠征を仕掛けたらしい事。 更には、金の皇族の粘没喝の武将として、都元帥府・右都監に任じられて、西京(大同)の統括に当たっている耶律余睹将軍に郝仲連が寝返りの使者を送ったと言う姦計が噂されている。 とも申されていた」
「されば、9月19日にウトゥルに留まる阿骨打に何かがあったと考えられます、弱腰の宋が北に攻め込むとは、金皇帝の死か・・・・?」と 欽宇阮が言葉を挟む。
「状況から判断すれば、宇阮殿が申される事が、隠蔽しようとしている真実でしょう。 大石統帥のお考えは・・・・」と 何蕎が問う。