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“光の庭”のうたた寝 =037=

❝ =第一章第3節_06= 五原脱出 ❞

 南京(燕京)の北域を取り巻く万里の長城、その長城の長城大境門。 南京(燕京)の北西・張家口の郊外にありて南京(燕京)の北門と呼ばれる戦略上の要所である、 この大境門を制したものは北方から北京を攻める場合にも、南京(燕京)を守る場合にも有利になるという。 この門の南側近くに張家口城がある。 張家口城郭は山間の盆地にあり、盆地には二つ河川が流れ込んでいる。 相河と洋河が城郭の外堀のように流れ、盆地の南部で合流して南東に流れさる。 流れに従って南東に向かえば帝都にでる。 相河沿いに北東に北進すれば長城大境門に至り、相河を跨ぐように穿った長城の開口部が大境門であり、南北の幹線公道が相河の河原である。


 北西方向から盆地に流れ来る洋河を上流に遡行すれば、大境門の西部の長城基部に達することが出来る。 しかし、洋河は盆地を離れ丘陵地帯に入ると川幅を狭め、深い谷の形状で曲がりくねる。 乾季には涸れている支流を抱え込みながら洋河は北西から西北西に流れを変える。 この地点は、張家口から騎馬で半日の川床遡行で到達可能な地点で、左岸からの塩白川との合流地点である。 塩白川は北北東からの大きな支流である。

 張家口城郭の南側、相河と洋河が合流して相洋河と成った流れる対岸の山並は華北平野と西の山西高原(黄土高原の最東端)に広がる太行山脈の北端である。 東端の遼寧・虎山から西端の甘肅・嘉峪関まで総延長は9,000kmとされる万里の長城が北の遊牧社会と南の農耕社会を分けている。 北方の遊牧民は南の文字文化憧れを抱いていた。 長城大境門が人々の往来を阻止していたのである。


 長城大境門からやや西によった山間の渓谷である塩白川は長城を南北に貫いて流れている。 長城大境門を設ける要因と成った相河が開けた山間を広い川幅で北西に流れているに比べて、塩白川は深い渓谷のようそう険しく南北に流れている。 長城基部に設けられた暗渠で北から南に流れている。 穿たれた五連続のアーチ状暗渠の水門が南に流れる水の長城通過を許しているのである。 その水門は、冬季には涸れた川底をさらけ出し、雨季の増水時には連続する個々の水門は没するであろう。


 一つのアーチの幅は六尺か、弧高は八尺であろう。 乾季が続き、水量が無ければ馬を牽いて遡行可能な程度である。 だが、両岸は切り立つ岸壁が続く渓谷である。 長城の北部でこの塩白川の川床に侵入するには長城北方、やや遠方の支流を使って塩白川の河原に降り立ち、河床を伝って長城暗渠を潜り抜けた後に洋河に出る。 洋河を下り、渓谷が開けて両岸の傾斜が緩やかになった地点で川筋から離れる。 このルートを使用すれば長城大境門を通過する公道での関所検問を通過することなく、南北の往来ができるのである。 ただ、塩白川遡行の行程は未熟な騎馬術では、また 馬がなければ利用できない道であった。


耶律時は塩白川に合流する支流の上流、万全鎮南側の山間に先遣隊の基地を設けた。 その場所は、ウランチャブと燕京との中間点であった。 ウランチャブから燕京に至る街道が万里の長城にやや並行し、長城大境門まで小一時間の地点から南の山稜に分け入り 低い山稜を越えれば小川の川原に出る。 この小川が塩白川の支流であった。 明るい川原であり、街道に出るのに小一時間、また 長城の暗渠を利用して同程度の時間で張家口城に着ける場所であった。 昨日、この地を見出し 先遣隊の全員が仮営の一夜を明かした。


今朝早く、基地の造営に当たる一班を残して、五人一組の四班が燕京方面、大同、居庸関、開平衛の各方面に赴いた。 偵察活動を助ける間者を要地に伏せる任務である。 燕雲十六州地区内には、遼時代から大石統帥を敬愛し続ける各地の郷士や邑長がいた。 彼らを再び偵察組織の情報網に組み込むのが今回の一義的行動であった。 今回の成果が先遣隊の今後の活動を左右する。 二十五名が情報を収集しなければ成らない範囲は広大であった。


耶律時も早朝に万全鎮基地を離れ、ウランチャブに引き返していた。 ウランチチカに会いに出向て来たのである。 ウランチャブは苞力強の姉である。 三年前の事であるが、苞力強の父親が金の手先となって蒙古族に横槍を入れだしたタタル族の一派に談判に出向いて騙まし討ちにされた上に、タタル族は金軍を伴って、苞力強の集落を襲った事件があった。 18歳の彼は、単独で蒙古高原からゴビ砂漠に逃れ、飲まず食わずの状態でアルレンホト(二連浩徳)に至り、なお 二昼夜をゴビ砂漠の縦断に費やしてウランチャブの姉の家に辿り着いた。 義兄は郷士であり、義憤に震える弟を燕京の耶律大石統帥の下に送り出し、敵討ちの援助を嘆願しろと書面を持たせた。


 この経緯を時は見知っている。 ウランチャブに情報収集の中核を置けば、万里の長城以北の金軍の動向を見透かす事ができる。 これが成れば、先遣隊の基盤を二三日中に確立可能になろうと、時は先を急いだ。 前方の陰山山脈が明瞭な陰影を山腹に刻んでいる。


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